第三日:04【御堂小夜子】

第三日:04【御堂小夜子】


 替えの下着とパジャマに着替え、失禁で濡れた床を雑巾で拭く。そうして簡単に片付けを済ませた小夜子は、キョウカの前へ再び座った。ちゃんとした後片付けは、面談時間が終わってからだ。


『多分サヨコも予想はついているだろうけど、この神経干渉は、痛みを与えるのが目的じゃあない。それは副次的なものだ』

「あっそう」

『君らの日常はモニターしているって、さっき教えたよね』


 自慰行為を覗かれていたことを思い出し、小夜子がぷるぷると拳を震わせる。


『待って、待って。で、当然君の言動も監視しているわけだ』

「でしょうね」

『うん。君の体内のナノマシン、そしてバイオ人工知能……ああDNAコンピュータって言うべきなのかな? まあそれらは、僕らの乗っている航時船のメインフレームと常に交信し、管理されている』

「用語ははっきり言って全然分からないけど、何となく分かったわ」

『もし君が僕ら未来人のことを、関係者以外……つまり他の誰かに話したり、伝えた場合にはメインフレームがそれを判断、ナノマシンに命令を下して君の神経を焼き切るようになっている。まあ機密保持のための、当然の処置さ。勿論そんなことをしたら君は死ぬ。よくて廃人かな? 「痛みを与える」というのは、あくまでそれの副産物なわけだね』

「じゃあもし私が誰かにアンタたちのことを話していたら、まずその時点で殺されていた、ということ?」


 他人に伝えたところで、狂人としか思われまい。そもそもが、自分とて信じられない事態なのだ。そう思って誰にも話さなかったことが、幸いしたのか。


『そうなるね。君は無意識の内に賢明な判断をしていたわけだな』

「だからそういう大事なことは一番初めに言えっつってんだろおおおお!?」


 絶叫と共に小夜子の拳が飛び、アバターをすり抜けフローリングの床に命中する。

 ごつん! という音が響き、振動は小夜子の肩まで伝わった。


『君は実に馬鹿だな。僕の本体は今、遠い南方にいるんだから、どうやっても殴れないよ? それに僕だからいいけど、これが他の監督者だったら機嫌を損ねて神経干渉の制裁を課してくるかもしれないんだぞ』


 小夜子は「いてえ」と拳を擦っている。呆れたような目で、キョウカがそれを眺めていた。

 そんな時に「ぴろりん」という音を鳴らし、震えるスマートフォン。SNSメッセージの、着信通知だ。

 目にも留まらぬ速さでそれを手にとり見る小夜子。その機敏さたるや、キョウカが『OH!』と驚嘆の声を上げたほどであった。


「えりちゃんだわ」


 そもそも小夜子に連絡を送ってくるのは、恵梨香以外には誰一人として存在しない。それが彼女の反応速度を、極限まで引き出した理由である。


《さっちゃんどうしたの? なんかすごい声がしたけど》


 先程の小夜子の叫びが、隣にまで届いたのだろう。それを聞いた恵梨香が、心配してメッセージを送ってきたのだ。

 ぱぁっ、と明るくなる小夜子の表情。すぐに彼女はスマートフォンを操作し、恵梨香への返信を打ち込み始めた。


《大丈夫、ちょっとゲームやってて興奮しただけなのー。それよりえりちゃん帰ってくるの早かったんだね、生徒会のお仕事はもう大丈夫だったの?》


 超高速フリック入力で、送信。物凄い速さで蠢く指にキョウカは『すげえ……気持ち悪い……』と呟いていたが、小夜子の耳には入らない。

 そして約二分後、またの「ぴろりん」。


《うん、先生が急な用事で来られなくなったもんで、明日に延期になったの。だから帰ってきちゃった。今さっき家に着いたんだよ》


「生徒会で先生っていうと山下か……あのクソ教師、えりちゃんが具合悪いのをおして学校にいったというのに急用で延期だと!? 万死に値するわ」


 実際には山下先生はクソ教師でも何でもない普通の教員であるし、急用も本人が悪いわけはないのだが……体調不良の恵梨香に忍耐を強いた、という一点だけで小夜子の憎悪を掻き立てたのだ。理不尽な話である。


《そうなんだ。具合の方は大丈夫? 看病にいこうか? 何か作ろうか? 汗かいた? 身体拭こうか? 舐める?》

《さっちゃんのエロすけ。大丈夫だよ。もう何ともない》

《心配だわ》

《まあ今日は早めに休んでおくつもり。おつかれーエロすけー》

《おつかれー》


 キス顔の絵文字を添えた後、スマホを眼前からゆっくりと下ろす小夜子。その顔は、とても満足気な笑みをたたえている。

 キョウカは深い嘆息と共に、頭を左右に振っていた。



『君が生き延びたいのは、あの美人が理由なんだね』

「そうよ悪い? アンタらが帰ってくれれば何の問題もなく、私は後一年半あの子と一緒にいられるのよ」

『別に悪くないさ。野蛮なこの時代ならいざしらず、二十七世紀では同性愛は至って一般的だ。女性同士なら、子供だって作れる』

「別に私そんなのじゃないわ。女は嫌いだし」


 自分の母親や中田姫子、そして今まで出会ってきた学友たち。女性という存在に対して、小夜子は肯定的なイメージをまるで抱いていなかった。


「ほんと、女ってクソよ」


 唾でも吐くように、言い捨てる。


『そんなこと言ったってさ……君も女だろう?』

「私はクソでいいのよ!」

『お、おう……』


 迫力に押されるキョウカ。


『でも、君がご執心のエリ=チャンだって女性なんじゃないか?』

「あの子は女神だからいいの!」


 鬼のような形相で詰め寄ってくる。


『……だめだ、こいつクレイジーだ』


 妖精はそう呟いてしばし慄いていたが、何かを思い出す顔を見せると、


『うげ! 面談時間もう残り少ないじゃないか……今日の時間ロスは、流石に君のせいだからな』


 頭を抱えながら口にした。言われた小夜子も否定できず、苦い顔で顎を掻く。


「あぁそうだ。時間っていえば、【ホームランバッター】と話していて思ったんだけど、初めてアンタが来た日の面談時間が五分しかなかったのって、何で? 向こうは一時間あったって話してたけど」

『さあね』


 顔を背け、舌打ちするキョウカ。今日一番の、不機嫌な様子だ。


「ひょっとしてアンタ、遅刻してたの?」

『違う。僕は時間にルーズじゃない』

「人によって割当時間が違うとか?」

『多分、違う。どうやらそうじゃないみたいだ』

「あ、分かった。先生から嫌われてて、それで時間を短くされたんだ」

『教授の仕業じゃない。他の奴が細工したんだ!』


 声を上げてから、しまった、という顔を見せるキョウカ。小夜子は訝しげにそれを眺めていたが……じきキョウカへぐっと詰め寄り、問いを重ねていく。


「心当たりあるの? じゃあ誰の仕業なのよ。私にも関わることなんだから、教えてくれてもいいでしょ?」

『いやだ』

「人のアレを覗いておいて、自分はだんまりなわけ?」

『それは悪いと思ってるさ。でも、答える義務はない』

「いいじゃないの、どうせ私は授業の教材として、じきに殺されるんだし」


 分かってはいても、改めて自虐の軽口にすると気が重くなる。だが一人落ち込みかけた小夜子に対しキョウカは、


『うるさいな! 黙れよ! また痛覚神経に干渉するぞ!』


 震える声で怒鳴りつけたのだ。

 あの拷問を持ち出されては、それ以上逆らう気力も起きない。諦めてあぐらを組み直すジャージ少女。


「分かったわよ」


 気まずい沈黙が二人の間を支配し、そのまま数十秒が経過した。

 その静寂を破ったのは、キョウカのほうだ。


『【対戦者名簿一覧】』


 と口にした未来妖精の前に、画面が一枚表示される。

 先程小夜子が見たのと同じ、対戦者とその監督者、そしてその対戦成績が表示されたリストだ。キョウカはそのうち三枠を指でなぞり、選択の上で点滅させた。


『監督者【ヴァイオレット=ドゥヌエ】、【アンジェリーク=ケクラン】、【ミリッツァ=カラックス】。こいつらが犯人だ』

「同じ学生の仕業なの?」

『そう』

「アンタ、こいつらに嫌われてるの?」

『嫌われてるわけじゃない。僕の優秀さに嫉妬しているだけさ』


 キョウカのアバターは、小夜子と目を合わせようとしない。


「ひょっとしてアンタ、普段からこんなことされてるんじゃないの」

『別にそういうわけじゃない、ちょっと嫌がらせされたりすることがあるだけだ』

「例えばどんな」

『両親を侮辱されたり、講義中に生卵ぶつけられたり、ロッカーに生ごみ入れてきたり、座席に塗料を塗られたり、テキストを隠してきたり、泥水のバケツを投げつけられたり、ケチャップかけられたり、食事にゴキブリ入れられたりとか、レポート盗まれたりとか、そんな程度さ』

「は!? アンタそれ、いじめられてるっていうのよ!?」

『違うよ』

「てか、大学の授業形態でもそんな小学生みたいなイジメが成り立つもんなの?」

『前に言ったろ、僕の学部は選ばれたエリートなんだ。君の時代の知ってる一般大学とは、形態が違うんだよ』

「いやでも大学生でしょ!? いい年こいてそんなイジメしてる奴がいるわけ? それとも二十七世紀人ってそんなに幼稚なの?」

『いじめられてなんかいないってば! 嫉妬されているだけだ! 君みたいなスクールカースト最底辺のファッキンナードと一緒にするな! 馬鹿!』


 余裕を無くしたキョウカの声……咽せながらの涙声に、今度は小夜子が狼狽えてしまう。


「せ、先生やクラスメイトに相談したら?」

『連中はヴァイオレットの味方だぞ! 僕を助けてなんかくれるもんか!』


 口にしたのを小夜子は後悔した。そんなものが無力なのは、彼女もよく知っているのだ。


「親御さんは?」

『パパもママも死んだ! グランマもグランパも、もういない! 僕は、僕には誰もいないんだ!』


 ぎこちなく差し出された小夜子の手を、妖精は振り払うように背を向ける。そしてそのまま膝を抱えてうずくまると、顔を伏せたまま黙り込んでしまうのだった。後はしゃっくりをするように息を詰まらせ、時折肩を上下させるのみ。

 女児のようなその後ろ姿を、小夜子はただ肩を落として見つめることしかできなかった。



 ぴぴぴぴぴ!


 昨日聞いたのと同じ電子音。面談時間終了のアラームだ。

 それを聞いて立ち上がったキョウカがのそり、と小夜子の方へ向き直る。だが、視線は合わせようとしない。


『とりあえず逃げ隠れに徹していれば、余程の相手でなければ大丈夫だと思う』

「ええ、そうするつもりよ。明日も私はえりちゃんに会うんだから」

『昨日みたいに、妙な期待をもって相手に接触しようとは考えない方がいい』

「身に染みて分かっているわ」


 昨晩の【ホームランバッター】。その恐怖に歪んだ顔を思い出し、表情を曇らせる小夜子。

 一方キョウカはまだ目を合わせようとはしなかったが……やがて意を決したように、俯いたままぼそりと口を開く。


『正直、二回も生き延びてくれたことに感謝している』

「ハッ、アンタの成績が良くなるもんね」

『それだけじゃない。あれだ……君が生き残って僕が加点されるほど、連中の鼻を明かしたことになるからさ』

「あー」


 キョウカが名を挙げた、三人の話を思い出す。


『だからその……次も生き残れるといいね』

「そのつもりよ」

『あと……話を聞いてくれて、ありがとう』


 そこまで言ったところで、キョウカのアバターは消失した。時間切れなのか接続を切ったのか、小夜子には分からない。


(あいつの話なんか聞いたっけ?)


 小夜子はきょとんとしていたが、やがて「ああ」と手を小さく打った。

 三人からキョウカが受けた仕打ちを聞き出したことなのか、と合点したのだ。


(……たったあれだけで、しかもあれが、「話を聞いた?」)


 だとしたら、キョウカはどれだけ人との接触に飢えていたのだろう。先程叫んでいたように、そんなにも彼女は孤独なのだろうか。

 するとまさかだが、ひょっとしたら……最初に会った時からの浮ついた様子は、彼女を苛む者以外と会話ができることに高揚していたのかもしれない、とまで思えてきた。

 だがすぐに、小夜子は頭を振ってその考えを追い出す。


(だからどうだっていうの)


 自分はキョウカたちのせいで死にそう、いや殺されそう、いいや、近々殺されるのだ。

 連中の事情など、どうでも良い。小夜子は下手すれば今夜にでも殺されて、もう恵梨香に会うことも叶わない可能性すら十分にあるのだから。


「そうよ。アイツらのせいで、私はえりちゃんと会えなくなるのよ……」


 そう再認識した小夜子の視界は、ぼんやりと滲み始めるのであった。

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