第二夜:07【御堂小夜子】

第二夜:07【御堂小夜子】


 度重なる【ホームランバッター】の砲撃から、小夜子は隠れ続けていた。

 相手の視線を切るということはつまり彼女としても相手が見えず、「打球」が何処に飛んで来るかは全く分からないのである。予測して回避し得ないならば、少しでも被弾率を下げるしかない。そのためずっと、床にじっと身を伏せている。


 小夜子の目論見通り、【ホームランバッター】の攻撃は外れ続けていた。

 いくら高い貫通力と破壊力を持つとはいえ、彼の能力は連射が利かないらしい。隠れ場の多いこの戦場で、当てずっぽうの射撃が少女を捉える可能性は相当低いはずだ。


(冷静に対処すれば大丈夫だわ。このままなら、時間切れまで持ちこたえられる)


 腕時計もスマートフォンも持っていないため、彼女に正確な時間は分からない。こんな危機的状況では、体感時間など当てにもならないだろう。

 だが接触を持つまでの時間、【ホームランバッター】と話していた時間、そして隠れ続けていた時間を合わせれば、かなりの間になるはずだ。

 いやなっていて欲しい。なっているに違いない……小夜子はそう願いつつ、必死の思いで床に伏せ続けていた。


(そろそろ、次が来る)


 これまでの攻撃から【ホームランバッター】の使用間隔を概ね把握していた小夜子は、より身体を床へ密着させ、両手で頭を覆う。被弾面積を減らし、破片や倒れてくる陳列棚から頭部を守るためである。

 可能な限り呼吸を落ち着かせ、その時をじっと待つ。大丈夫大丈夫、と呪文のように自分へ言い聞かせつつ。


(もし仮に私の方へ飛んできたとしても、伏せていれば直撃はなかなかしない。身を低くしていれば、周囲への破壊に巻き込まれもしにくいはず)


 だから特に、攻撃が来ると予測する時は床へぴったり身体をつけるのだ。


 待つ。

 次の攻撃を、待つ。

 息を潜めて、じっと。


 ……だが来ない。

 どうしたのだろうと訝しがるも、


(でもここで起き上がったとこに飛んできたら、元も子もないし)


 先程までと違い、相手のリズムが崩れたのは気になるが……もう少し様子を見ておこう、と判断する小夜子。


 床に伏せたまま売り場の列、陳列棚沿いに視線を走らせていく。

 売り場に並ぶ風呂トイレ用洗剤の棚。そこからすこし通路を挟んで、その奥にはシャンプーやボディーソープといったボディーケア商品が置いてあり、さらに向こうはレジカウンターではなく、包装や案内を担当するサービスカウンターとなっていた。

 そしてその前後する売り場の間、中央通路に、右手から黒い人影が突如として飛び込んでくるのが見えたのだ。

【ホームランバッター】である。


「見つけたあああああ!」

「は?」


 相手は動かず遠距離攻撃に徹する、と勝手に思い込んでいた小夜子の誤算だ。

 現れたその少年は、恐ろしい形相をしていた。恐怖とも興奮ともつかぬ感情に顔を歪ませ、目をこれでもかと見開いている。表情と声色からひしひしと伝わる狂気に、小夜子の背筋は凍りつく。


(ウッソでしょ!? まさかあいつ、普通にバットで殴りに来たの!?)


 小夜子が床に手をついて上体を起こすのと、彼が駆け出すのはほぼ同時だった。

 双方の距離、十メートル足らず。

 だが身体能力の高い【ホームランバッター】は一気に距離を詰め……小夜子が立ち上がった時には、既に目の前まで迫っていた。


「あああああ!」


 悲痛な叫び声をあげたのは、【ホームランバッター】のほうだ。

 ようやく立ち上がった小夜子の手前で彼は足を踏ん張り、左半身を見せる。打撃フォーム、所謂「溜め」の姿勢であった。


「あああぁぁぁぁ!」


 全力で振られたバットの先は円軌道を描き、少女の顔面へ向かう。

 完全に打撃範囲に捉えられた小夜子は、反射的に両腕で頭部左側面を防御するのが精一杯だった。

 だが双方が決着を確信した直後、両者の予測は外れることになる。


「あああああああああ!」

「ひっ」


 バットは確かに小夜子の頭を目掛け、必中コースで弧を描いていた。

 だが【ホームランバッター】はミスを犯したのだ。その軌道上には、右手側陳列棚が存在していたのである。

 少年は全力で振りかぶることのみに集中し、間合いを把握し損ねたのだ。


 がっ!


 バットの先が、棚に並ぶボディソープの容器へ触れる。

 瞬間その一つが力場に包まれ「打球」と化し、そのまま【ホームランバッター】の斜め右手から店の奥へと飛び去っていった。

 彼の能力は小夜子に命中する前に、陳列棚の商品に当たり発動してしまったのである。


 だがそれは小夜子の完全回避を意味しない。

 全力でスイングされたバットが液体石鹸の容器を弾き飛ばした程度で止まるはずがなく、その金属塊は高速の円運動で小夜子の頭部をそのまま目指したのだ。


 ぐにっ。ぴしっ!


 何かが潰れて折れる感触が、少女の脳へ伝わる。

 小夜子が頭部を防御した腕……その左腕へ、バットは食い込むように命中していたのだ。

 打撃を受けた勢いで彼女は陳列棚へと叩きつけられ、また弾かれるように床へ転倒する。棚に並べられた女性用シャンプーが、勢い良くばらばらと散乱していた。


 バット、棚、床と叩きつけられ、一瞬意識が空白となった小夜子。

 かはっ、と息を吐き出したところで意識が回復し、反射的に腕をついて上体を起こす。

 ……が。


 ずきん!


 と左腕から伝わる鼓動が、それを妨げた。まるで心臓がそこにあるかのような、強い感覚。そしてその鼓動に合わせて、激痛が波をうち襲い掛かってきたのだ。


「あああああああっ!?」


 折れた!

 折れたんだ!


「あああ!」


 起こそうとした上体を維持できず、左腕を胸の前で抱えるようにして悶絶する小夜子。

 目から熱いものが溢れる。声にならぬ悲鳴が止まらない。


「ひっ!? ひいいい!」


 しかし一方で【ホームランバッター】は、この結果に激しく狼狽しているかに見えた。


「失敗した……能力が……タイマーが……あああああああ!?」


 小夜子はこの一撃で重傷を負い、動くこともままならない状態である。

【ホームランバッター】がここから彼の得物で直接殴打を加えれば、そのまま容易に彼女を殺害することができただろう。

 だが逆に少年の瞳は恐怖に支配され、戦意を完全に失っていた。


「クソが! ぶっ殺してやる!」


 鼻水と涙を垂れ流しつつ叫び、右手で虚空を鷲掴みにするかのような仕草を見せる小夜子。

 別段、殺す手段があるわけではない。これは単なる苦悶の呻きに過ぎず、手の動きも激痛を紛らわすための無意味なものだ。

 だがそれが知らぬところで限界を迎えていた【ホームランバッター】の精神に、決定的な一撃、崖から突き落とす一押しとなったのである。


「きぇえええ!?」


【ホームランバッター】がバットを放り出し、錯乱したように叫ぶ。

 そして彼は「助けてくれぇ!」と悲鳴を上げながら背を向け、走り出したのだ。そして陳列棚に二度ほど衝突しつつ売り場を抜けた彼は、そのまま右へ方向転換すると「あぁぁぁぁ!」と泣き声を上げ小夜子の視界から消えてしまった。


「どっちが助けてくれだ、このビチグソが!」


 毒づきながら、辛うじて立ち上がる小夜子。

 耐え難い痛みではあったが、このままここに留まるのは危険過ぎるのだ。


「クソが……せめて移動しておかないと……クソがよ……」


 よろよろと踏み出される足。その振動と心臓の鼓動が伝う度に、左腕から鋭い痛みが押し寄せてくる。


(少しは休めばいいのに、こういう時だけ一生懸命に仕事しやがって!)


 理不尽に心臓を罵倒しながら、よろめきつつ売り場を移動していく。ようやく二つ隣の掃除用品売り場へ辿り着いたところで、彼女は痛みに耐えかね尻で床を打った。

 荒い呼吸をしつつ左腕を見る。指を動かしただけでも、折れた場所に振動が伝わり痛みが増幅するように感じられた。


(だめ……もう一度あんなふうに襲われたら、保たない)


 雑巾やふきん、使い捨てペーパー類が収められた棚にもたれかかる。そうして痛みをこらえ、呼吸を落ち着けているうちに……「ごおん!」という轟音がまた彼女の耳に届く。【ホームランバッター】の、当てずっぽうな砲撃だろう。

 その破壊音と衝撃を身体で感じながら、小夜子は弱々しく「さっきいたあたりか」と呟いていた。鋭く反応する余裕は、もう少女には残されていない。


(……ああ。ひょっとしてさっきの、私の右手が能力攻撃の仕草にでも見えたのかしら)


 ふと、【ホームランバッター】が突如逃げた原因へ思い至る小夜子。

 なるほど能力間隔からすれば、あの時彼は無防備を晒したと思い込んだのかもしれない。だがそこで取り乱すあたり、やはり【ホームランバッター】……田崎修司……は不良でも何でもない、ただの男子高校生だったのだろう。その推察がより一層、小夜子の心を暗くした。

 そして心身の痛みに屈するように、少女がうなだれた瞬間。


 てれってれって~ しょぼ~ん


 という、気の抜ける音が鳴ったのだ。


『タイムアーーーップ! 時間切れです! 残念ですがこの対戦はここまで! 皆様、お疲れ様でした!』


(時間切れだ!)


 小夜子の顔に、喜色が浮かぶ。右拳を握りしめ、「よし!」とポーズまで作ったほどだ。

 だがその振動で痛みの波が増し、「ひっ」と苦痛の呼気を漏らしていた。


『三回戦は、明日の午前二時から開始となります。監督者の皆様も、対戦者の皆様も、それまでゆっくりとお休み下さい!』


 右手の袖で涙と鼻水を拭っていると、やがて小夜子の視界は暗転。

 床が消えて奈落へ落ちるかのような感覚とともに、意識は断ち切られた。



 どくん!


 という鼓動とともに、小夜子の意識が復活する。


(終わった……?)


 暗闇の中で上体を起こすと、ぼんやり見えてきたのは自分の部屋。

 積み重ねられた漫画本、脱ぎ散らかした制服。空になったペットボトルが、何本も片付けられずに転がっている。いつもの、見慣れた光景だ。


(そういや、寝たままあの空間に送られたんだっけ)


 パジャマの袖をめくって左腕を見る。

 右手の指で軽く突く。痛みはない。

 ぶらぶらと手首を振って振動を与えてみる。異常無し。

 右の掌でぱんぱんと叩くが、これも何もなし。


 ……腕は折れていなかった。折れた形跡も無い。

 だが小夜子は、もうあれを夢だとは思わなかった。


 溜め息を吐き、再び横になる。ぽすん、と枕に頭が沈み込む。

 身体はなんともない。しかし精神が酷く疲れている。受け止めてくれるその柔らかさが、今はとにかく有り難かった。


(酷い目に遭った、本当に酷い目に)


 うつぶせになり、枕に顔をうずめながらまた溜め息をつく。


(……明日は、えりちゃんにいっぱい甘えよう)


 そのために生き延びたのだから。


(どさくさにまぎれて、久しぶりにえりちゃんのおっぱいも揉もう。可能であれば服に手を突っ込んで、揉む)


 それを支えに耐えたのだから。


(もう告白もしちゃおう。絶対好きだって言うんだ)


 言う度胸はない。そんなつもりもない。


(だから今日はもう……)


 そこまで考えたあたりで小夜子の視界が暗転し、意識は消えていく。

 今度彼女が送られたのは、眠りの世界であった。

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