第二夜:04【御堂小夜子】

第二夜:04【御堂小夜子】


 確かに最初は警戒されていた、それは分かる。

 だが八百長計画には理解を示してくれたし、田崎本人も争いを望んでいるようには、小夜子は思えなかった。

 そもそも彼がその気なら、彼女が交渉を持ちかけた時点で【ホームランバッター】の能力を使えば倒すことができたはずなのだ。情報交換や会話の間でも、その機会は幾らでもあっただろう。

 会話の内容にしても、小夜子は注意して言葉を選んでいたつもりである。思い切って「能力が無い」という、弱点を告白までしたのに。


(なのに、どうして?)


 何故田崎の態度が一変したのか、小夜子には理解できなかった。

 そう混乱し硬直しかけている彼女へ向け、田崎は声を荒げて問いかける。


「能力も無しなのに、アンタはどうやって昨晩相手を殺したんだ!?」

「えっ?」

「うっかりして、さっきのさっきまで忘れていたよ。アンタ、もう一勝してるんだものな!」

「はあ!?」


 疑問符をつけてはいたが、同時に脳内で小夜子は答えを見出していた。

 思い出される、数十分前の光景。


『Bサイドッ! 能力名【ホォォォムランバッター】ァッ! 監督者【アルフレッド=マーキュリー】!』


 芝居がかった読み上げの際、対戦開始の紹介時に浮かび上がった双方の能力名。

 能力名【ホームランバッター】の下には「〇勝〇敗一分」と書かれていた。そして同じく浮かび上がった【スカー】には、「一勝〇敗〇分」。


(あれだ!)


 昨晩の対戦で【グラスホッパー】は死んだ。

 小夜子からすれば一方的に追い掛け回されていたところ、隠れていたら相手が勝手に自滅しただけの悪夢である。手を下したわけではない。殺意を抱いて来た相手が、事故死しただけだ。

 だから無残な屍を晒した【グラスホッパー】に同情はあるものの……自分が彼女を倒したという実感は無いし、良心の呵責も感じていなかった。それ故に、他の相手から「人殺し」だと思われるなど考えもつかなかったのである。

 そしてそのことが表示された対戦成績についての考慮や、それに関して交渉相手にどう取り繕うべきかという対策と配慮を欠く結果に繋がったのだ。


「俺はこんな能力があっても、昨晩のビリビリ野郎からは身を守るのが精一杯だった。何も武器が無いのに、あんな凄い力のある連中を殺せるはずがないだろ!?」


 田崎はバットを小夜子へ向けながらしゃがみ、足元に転がっていたフルーツの缶詰を空いている手で拾い上げた。彼の能力を考慮すれば、銃に弾を装填し撃鉄を上げるに等しい行為である。


「言えよ、お前の能力が何かって! どうやって昨日、人を殺したのかってさ!」

「私、殺してません!」

「嘘つくんじゃねぇよ! 相手を殺さなきゃ、勝ち星なんかつかないだろうが!」

「あ、相手が足を滑らせて、勝手に転落死したんですよ!」


 一瞬きょとん、とする田崎。

 だがすぐ険しい顔に戻り、怒鳴り声を上げた。


「馬鹿かお前! 嘘つくなら、もっとマシな嘘つけよ!」

「ほ、本当ですって!」


 実際小夜子が説明した通りであり、事実は他の何事でもない。だが口にしてみると、なんとも急場の言い訳臭い物言いだ。これでは田崎が信じないのも無理はないだろう、と彼女自身が納得するくらいに。


「危なかったぜ、罠に嵌まるところだった。考えてみればおかしいよな、もう既に一人殺してる奴が、今更全員で八百長して生き残ろうなんて持ちかけてくるのがさ! 俺も、注意が足りねえよ」

「だから違うんですって!」

「うるさい! 情報交換だとか八百長だとか適当な話を持ち出して、ずっと俺を殺す隙を狙ってたんだろ? もう騙されるもんか!」

「話を聞いて!」


 何とか田崎を宥めるために、両手を上げ歩み寄ろうとする小夜子。

 だがその足は「来るな!」という田崎の怒声で止められた。


「そ、そうやって近付こうとするってことは、お前の、の、能力は距離が近くないと使えないんだな? 昨日のビリビリ野郎もそうだった。そうはさせねえ。やらせねーぞ、このチビ!」


 喚き散らしながら、缶詰を胸の高さまで持ち上げる少年。

 そして彼は大きく息を吸い込み、


「やっぱり、殺られる前に殺るしかねーんじゃねえか!」


 と震える声で叫ぶのであった。


(駄目だ、もう話を聞いてもらえない!)


 田崎が缶詰を上にトスした瞬間、小夜子は計画が完全に崩壊したことを理解した。

 即座に思考と反射は、回避と逃走に全てが振り分けられる。田崎のバットが弧を描いて缶詰に衝突するまでの間に、セーラー服の少女は自分の右手側に並ぶ調味料売り場の列へと、身を飛び込ませていた。


 ごうんっ!


 彼女が幸運だったのは二つ。

 昨晩の【グラスホッパー】戦で追われた時の恐怖がまだ心身にこびり付ついており、思考が追いつく前に反射的に身体が動いていたこと。もう一つは、田崎がバットで「打球」を打ち分けるのに慣れていなかったことである。

 そのため少年の打った缶詰は彼から見て右手のレジへ飛んでいき、左側の陳列棚群へと転がり込んだ小夜子は、砲撃を免れる形となった。


 どごごんっ。


 背後でレジカウンターと袋詰めの台が、砕かれ薙ぎ倒されていく轟音と衝撃。振動で近くの陳列棚から、調味料がぼとぼとと落ちていく。

 様々な商品がたてる色々な音を聞きながら、床に伏せていた小夜子はゆっくりと顔を上げた。ひどく疲労したその顔には、絶望の表情が浮かんでいる。


(……完全に失敗だ)


 交渉は決裂した。これは同時に、小夜子の計画も全て崩れたことを意味する。

 全員に八百長の協力を取り付けねばならないのに……これからは、既に「やる気」になっている相手までをも説き伏せねばならないのに。目論見は一歩目で躓き、倒れたのだ。


 彼女の頭の中に、『特に小夜子、君にはもう無理だね』というキョウカの言葉が再生された。

 あの時は、口下手で引っ込み思案で所謂コミュニケーション障害の小夜子では相手を説き伏せることなどできない、という意味だとなんとなく思っていたのだが。


(違う、そうじゃないんだ)


 小夜子には、初戦で一つ勝ち点がついている。

 殺してなどいない。いないが、他者から見れば勝ち点は勝ち点だ。


(もうその時点で、相手からは信用されないんだ。人殺しとしか思われないんだ)


 だから小夜子には、もう無理なのだ。そういう意味でキョウカは告げたのだろう。

 そのことにようやく気付いた小夜子は、悔しさと腹立たしさで拳を握りしめていた。


 もう駄目だ。

 考えが甘すぎた。

 きっと、このままここで死ぬんだ。


 田崎からすれば、小夜子は保身で他者を殺めた殺人者であり、その人殺しから身を守り、そして打ち倒すことは正当防衛以外の何物でもない。そう考えるであろう。いや、考えたがっているのだろう。

 その認識は、田崎が一線を踏み越える後押しをするに違いない。最早、田崎……いや【ホームランバッター】は、【スカー】を殺すことを躊躇わないはずだ。

 そしてそれに立ち向かえる力は、小夜子に無い。


(やっぱり、私では無理なんだ)


 運動でも、勉強でも。交友でも、恋愛でも。当然、生命の駆け引きでも。自分は、何をやっても駄目なのだ。

 知っている、そんなことは分かっている。自分は、あの幼馴染みとは違うのだから。あの子とは、まるで違う生き物なのだから。

 そう考えて彼女が全てを諦めようとしたその時だ。脳裏に見慣れた光景が蘇ったのは。


 自分に手を差し伸べる、背の高い少女。長く美しい黒髪、整った顔立ち、優しげな目元。笑顔はきらきらと輝いている。

 他の誰でもない。小夜子の女神だ。


(そうだ)


 目を剥き、手に力を込める。


(私は明日も、あの子に会うんだ)


 上半身を更に起こし、片膝をつく。


(いや、明日も明後日も!)


 歯を食いしばって小夜子は立ち上がり、誰に言うでもなく呟いた。


「だから、今日はまだ死んでやれないわ」

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