一人暮らしの夜
ナガス
一人暮らしの夜
仕事が終わり、いつも通りの道を通って自分のアパートへと真っ直ぐに帰宅する。散らかっているし、とても小さな部屋ではあるのだが、私はこの町でこの場所が一番好きだ。
私が最も安心出来る場所であり、都会であるこの町の喧騒を本当の意味で回避出来る唯一の場所が、自室。私は玄関の鍵を閉め、ビジネスバッグを部屋の隅へと投げ捨て、着替えもせずにカーペットの上へと寝転がり、パソコンで海外ドラマを流し、それを何の気無しに眺め、ただただ無為な時間に身を投じた。
毎日朝から晩までの時間のほとんどを仕事に費やし、それなのに全然捗らない。ゆえに、やりがいが沸かない。そんな地獄のような日々を過ごしているので、この安らぎの時間が無ければ、随分昔に潰れていただろうな……なんて事を考えながら、私はパソコンのスピーカーから流れる音に、耳を寄せる。
いつの間にか、眠ってしまっていたのであろう。私はこの部屋に響くピンポンという機械音に叩き起こされてしまった。
時計を見つめてみると、夜の十時を過ぎている。こんな時間に来客なんて、珍しい。そう思うと同時に、こんな時間になんて非常識なんだ……という、多少の苛立ちを感じた。
恋人には合鍵を渡してあるので、恋人では無い。そもそも恋人はあまりこの部屋へと寄り付こうとしなかった。
このアパートがある場所は都会と言っても、都会の裏側だ。スーツを着用したサラリーマンが大勢行き交うような、安全が保証されている表とは違い、裏側はジトリとした空気が漂っているかのように、陰湿で陰険な、汚い輩が大勢居る。
この町の犯罪件数も全国平均のうん倍だ。という話も聞いた事があり、それを恋人に伝えた所「まともな人間の住む所じゃない」と言われてしまった事を思い出す。
覚醒したばかりであまり動かない体をなんとか起こし、私は憂鬱で苛立っている感情を抱いたまま、玄関へと足を運んだ。
「はい? どちら様ですか?」
私は扉の向こう側に居るのであろう人物に向かって、覇気のない声でそう問いかけた。するとすぐさま向こう側から「夜分遅くにすみません、わたくし、○○警察署の者なのですが、少しお話よろしいでしょうか?」という、男性の野太い声が聞こえてきた。
警察という単語に、私の心臓がギュッと締め付けられるような軽い痛みが走った。特に悪い事をした覚えは無いのだが、警察が自宅に来るという異常事態に、私の頭は多少のパニックを起こしている。
一体、どういった要件なのだろうか……私は一応覗き穴へと視線を向け、本物の警察である事を確認し、玄関の鍵を外して、扉を開いた。
「あのー、何か……?」
私の怯えたような声を聞き、男の警察は表情を緩め「こんばんは」と言い、ほんの少しだけ頭を下げた。どうやら、悪い人では無いらしい。
そして、玄関を開けてみて気がついた。警察はこの人ひとりでは無い。どうやら結構な人数の警察が来ているらしく、私の他にも事情聴取を受けている住人が、迷惑そうな顔をしながら玄関先で警察の対応をしている姿が散見された。
何か、事件だろうか。まさかこのアパートで……?
「……こんばんは」
私の返事を聞いた警察はより笑みを深め、手に持っていた手帳へと視線を移す。そしてそこに書いてあるのであろう事を、眼球だけを動かして確かめていた。
「突然で悪いんですけど、今日の夜八時から今まで、何をしていました?」
警察の人は質問をしてくるなり、声や表情は優しいままなのだが、態度が高圧的になったかのように感じた。
この、権利と権力を盾している感じ……あまり好きじゃない。以前にも自転車のライトが云々で呼び止められた時も高圧的だと感じ、終始嫌な気分だった事を思い出す。
「会心のいちげきいいぃぃぃぃいい!」
「うわあああああっ!」
私の会心の一撃が警察に決まり、時空因果律が崩れ、宇宙に数多のブラックホールを生み出す。
意味を無くした物理の法則は乱れに乱れ、私や警察の体が浮き、アパートが崩れ、あらゆるものが凍結し、そして燃える。
いつしか時間さえも狂いはじめ、私は自身が産まれる、はるか昔へと遡り、自身の前世はテスタピウス国の第一王妃だった事を知った。
テスタピウス国では王国軍とレジスタンスとの間で内乱が起き、私はレジスタンスのリーダーに誘拐されてしまい、心を閉ざしていたのだが、彼のその人柄や信念にいつしか心奪われ、私は。
私は……。
玄関のほうから、ガチャリという音が聞こえて、私は飛び起きた。
音のするほうへと視線を向けると、そこには恋人の靴を脱ぐ姿が見える。
「あ、起きたの?」
彼のその言葉に、私はようやく、先程の事が夢だったのだと、気付いた。
なんだ、テスタピウスって。
一人暮らしの夜 ナガス @nagasu18
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