第33話

 白い薔薇が咲き誇る庭園に『黒』が揺らめいた。

 それは剣。

 炎のように波打つ刀身が纏うのも黒き炎。

 一刀するごとに増す邪悪。

 勇敢に立ち向かう戦士達は華麗な動きで禍々しい一撃を避け続けていた。

 だが剣の鋒が一人の魔法使いを遂に捕らえた。


『うぐっ! ちょっと掠っただけなのに体力やばっ!』

『オバサン! 無敵モードの時はちゃんと逃げろって!』

『あのねえ! 私はあなたを回復してあげるために近づいたから当たったの!』

『治そうとして死なれたらたまらないだろ! 自分で治すっつーの! 余計なことするためにガサガサ走り回るな!』

『ガサガサ!?』


 負傷した魔法使いは非常に嵩張った服装をしていた。

 黒のウェディングドレスの裾を引き摺りながら逃げ惑っている姿はどこか可笑しい。

 レアレベルが高い装備で防御力も俊敏性も抜群なのだが、視覚的には動き辛そうに見える。


『今日もオバサンのリヴァイヴァルショーがみられるかもな』

『死なないわよ! っていうか守ってよ!』

『おい、終わったみたいだ!』


 獣人剣士の声で、パーティメンバーは一斉に討伐対象を見た。

 すると確かに手から剣は消えていた。

 ここからはメガフレアの雨が降る展開になる。

 だがこの場にいる者は皆、避け方を把握している。

 

 余裕を持ってかわし、隙を見つけて一斉に攻撃を仕掛けた。

 見る見るうちに討伐対象の体力が減っていく。

 そしてそれに動きは止まり……『それ』は力を無くしたように膝をついた。


『ここからはショーを見られる可能性が上がるな』


 誰かが呟くと、オバサンと呼ばれている魔法使いが抗議をするよりも早く白の薔薇が黒に変わり始めた。

 空も青から血のような赤になり、優雅な庭園が戦場に変貌した。


『んじゃ、サクッと殺っちゃおうぜ!』





「……誰がオバサンよ」


 微睡みの中、懐かしい記憶に自然と頬が緩んだ。

 周りの女キャラは皆ミニマムロリ仕様。

 一人だけ長身な私は『オバサン』と呼ばれていた。

 こんな夢を見るなんて……って私はいつ寝たのだろう。


 重い瞼をこじ開けると見えたのは――。


「……純白の薔薇?」


 視界一面に広がる曇りのない白に目を奪われる。

 私が作った白薔薇よりも美しい。

 こんな薔薇があるところって……。


「おはよう」


 薔薇の中から誰かが現れた。

 薔薇に負けないほど白くて美しいルシファーだ…………ってルシファー!?


「!!」


 記憶が途切れる前の状況が蘇ってきた。

 私は確か、ルシファーのテリトリーから出られなくなって……ダークフランベルジェを避けきれなくて……オプファーリングが割れて!?


「私、アンデッドになっちゃった!?」

「大丈夫だよ。君は君のまま生きている」


 妙に大人しいルシファーが淡々と呟いた。


 自分の手や身体を見て、顔をペタペタと触る。

 元のままの私だ。

 意識もあるし、どうやら無事生きているらしい。

 あれ、ふかふかして暖かいところに寝ていると思ったら……動いた!?


「何これ!? 生きてる!?」

「ヌエだ。寝転がるのにちょうどいいんだよ」

「ヌエ!?」


 ヌエって魔物の!?

 飛び起きて距離をとった。

 角の生えたライオンのような頭と身体に蛇の尻尾……ヌエだ……しかも普通のヌエよりデカい……。

 普通のヌエは大型バイク程度の大きさだけれど、これは軽自動車くらいある。

 エリュシオンでは出て来なかったはずだが、魔王のソファ的な役割をしているのですか?

 大きな杉の木のてっぺんでオカリナを吹いている子供の時にしか会えないふかふかな某おばけの上では眠りたいけど、これの上では嫌だ。

 顔を引き攣らせていると、ルシファーの合図でヌエは去って行った。

 望んで寝たわけではないけれど……恐怖体験になったけどありがとうございました……。


「そうだ……ソレルは!?」

「回廊の外に放り出したから、誰かが拾っただろう」


 本当に!?

 私が気を失っていた間、その気になれば殺せたはずだ。

 自分で確かめるためにソレルをキャラクター検索した。


【検索結果・一件】


「良かった……」


 ちゃんと検索に引っかかった。

 今はルフタにいるようだ。

 怪我をしていなければいいのだけれど……。

 検索では状態まで詳しく確認出来ないから不安だが、ルフタに戻っているのなら大丈夫だろう。


「どうして私達を助けてくれたの?」

「助けたつもりはないよ。つまらなくなったからやめただけだ」

「……そう。ありがとう」


 ルシファーの気まぐれに救われたようだ。

 安堵の息を吐くとルシファーが不思議そうに小首を傾げた。


「ありがとうって、俺のせいで君はピンチだったんじゃないのか?」

「そうね。でも、私にはどうすることも出来なかったから、今はあなたの気まぐれに感謝するわ」


 怒る気力がないだけかもしれないが、妙に気分が落ち着いている。

 この綺麗な薔薇達のおかげかもしれない。


「本当に綺麗」


 辺り一面が薔薇だ。

 ここは魔王討伐クエストのステージで五十メートルプールほどの広さがあり、楕円形で、大きなパルテノン神殿にあるような柱が等間隔に周囲を囲んでいる。

 その内側を薔薇の高い生け垣が縁取っている。

 薔薇の檻に入れられてしまったような圧迫感があるほど迫力があり、圧巻だ。

 クエストを受けて来た時にも見たはずなのに、あの頃は景色には意識がいかなかったな。


「君は……殺したら死ぬのか?」


 薔薇を眺めていた私にルシファーが問いかけた。

 はい?


「死ぬわよ! 当たり前でしょ!」


 私を化け物か何かと思っているのだろうか。

 生きているものには死がある。

 私だって例外じゃない。

 さっきからやけに真面目な顔をしているルシファーに『おかしなことを言うな』怒りの視線を向けた。


「俺は死なないよ?」

「……え?」

「今まで色んな国の色んな種族の奴等に何度も殺されたことがあるけど、俺は死ななかった。死んだはずなのに、気がつけばまたこの薔薇に囲まれている」

「!」


『んじゃ、サクッと殺っちゃおうぜ!』


 さっき夢で見たばかりの光景が脳裏に浮かんだ。

 そうだ、私はルシファーを……魔王を手にかけたことがあるのだ。

 あの頃はルシファーにも注目をしていなかった。

 こんな美しい姿をしていたか覚えてはいない。

 恐らく同じだとは思う。

 倒しても実入りが少ないからこのクエストは一回やればいいか、なんて思ったことしか覚えていない。


「どうして君がそんな辛そうな顔をしているんだ?」

「……」


 辛いんじゃない、後ろめたくて心苦しいのだ。


 『私もあなたを殺した一人です』


 そんなこと、言えるわけがない。

 ルシファーに殺されると怯えていたけど、私の方が殺していた。

 そうだ、私は前もクエストで倒したことがあると思ったことがあるのに、あの頃はゲームだから関係ないと他人事のように思ってしまっていた。

 私の中ではゲームの『サタン第一形態キャラクター』と『ルシファー』は同じと言いながらも別のものになっていた。


 あの頃のルシファーは確かに単なるデータ、『ゲームキャラクター』だった。

 でも今のルシファーはキャラクターとしてではなく、自らの意思で生きている。

 現実としてこの世界で二百年暮らしているのに、私はまだゲームと現実の区別が出来ていなかった?

 ショックだ。

 ただ歳をとっているだけで私はあの頃から何も変われていない。


「君も俺と同じか、それ以上のものだと思っていた。だから君が死んだと思った時……失望した」

「え?」


 どういうことだろう。

 魔王と並ぶポジションの存在だと思われていたのだろうか。

 クイーンハーロットだと?

 いや、でもルシファーは私がクイーンハーロットではないと知っていたはずだ。

 何だと思われていたのは検討がつかないが……。


 『失望した』という言葉が胸に刺さった。

 自分の現実認識の甘さを思い知って落ち込みかけていたところにトドメをさされたようだ。

 胸にずんと重いものが落ちる。

 勝手に期待されて勝手に失望されても『知らないわよ!』と言いたいけれど。

 失望して私に興味がなくなったから、ソレルにも興味がなくなったのだろうか。


「――だが同時に焦った。君を殺してしまっても……死体でもいいと思っていたのに。君とこれまでのように向き合えなくなるのかと思うと恐ろしかった。……不思議だよ。『恐怖』なんてものは、遙か昔に無くしてしまったものだと思っていたのに」


 目覚めてから向き合ったルシファーはずっと真面目な表情をしている。

 どこか覇気が無いような、魔王らしくない顔だ。

 まるで普通の人と話しているような……。


「君が無事で良かった」

「!」


 急にふわりと柔らかい笑みを浮かべた。

 ……本当に魔王らしくない。

 魔王のくせにそんな優しい目をしないで欲しい。

 失望したと言われて胸に落ちた重いものが少し軽くなった。

 今の言葉をルシファーがどんなつもりで言ったか知らないけれど……。

 無事で良かったと、死体でもいいと思うのをやめてくれたのなら安全上の理由で嬉しい。

 顔が熱くなったけど、ルシファーの目を見られないけれどそれ以上に理由はない!


「君は時には神と等しい存在に見えるが、時にはただの町娘にも見えるね。その揺らぎは何なのだろう」


 ルシファーの目が私を捕らえている。

 見透かされてしまいそうで怖い。

 いや、既に中々見透かされていると思う。

 神というのは『移動』や『領地』など、私だけが使っているゲームのシステムを指しているのだろう。

 ただの町娘というのは、単純に私の性格のことだと思う。


「ずっと聞きたかったんだ。神と等しい君には、俺はどう映っている?」


 真っ直ぐな目が私から離れない。

 真っ直ぐ過ぎて目を背けたくなるが、答えるまで逃がしてはくれない気配を感じる。

 ルシファーにとって、とても重要なことなのだろう。


「俺は『何』だ? 君なら知っているんじゃないか?」

「どういうこと? あなたはあなたでしょう?」

「……そうだね。俺はルシファーだ」


 自分が何者かなんて、自分が一番よく知っているのでは?

 聞きたいことが分からない。

 世界での役割?

 それは『魔王』なのでは?

 でも……そういえば初対面の時は魔王じゃないと言っていた。


「あなたは『魔王』なのでしょう? でも以前聞いた時は『違う』と言っていたわよね」

「あの時、君はこう聞いたんだ。『魔王サタンなのか』と。だから答えた。『違う』と」

「どういうこと?」

「俺は魔王だが、サタンではない。あんなものは……俺じゃない」


 静かに語っていたルシファーの雰囲気が変わった。

 時折現れる魔王らしい恐ろしさを纏っている。

 一気に空気が冷えた。


「……自我が無くなる期間があるんだ。ここの薔薇が黒く染まると……俺は俺でなくなる」

「……!」


 それはきっと、魔王討伐クエストの第二段階に入ったということだろう。


「自我も記憶も無い期間の俺は『サタン』と名付けられた。『サタン』は姿も醜く、言葉を発することもなくただ破壊の限りを尽くすだけ」


 確かに第一形態は人の姿を保っているけど、第二形態は『巨大な悪魔』という感じだ。

 人の形態は残しているけれど、獣と呼んだ方が相応しいかもしれない。

 戦い方も無茶苦茶に暴れ回っているようなものだ。


「それがどうしても許せない! 耐えがたい屈辱だ。だが、どうすることもできない。この庭園の薔薇が黒く染まると、俺にはどうすることも出来ない。君は……神と等しい君なら……何か知っていることはないか?」


 縋るような、余裕がない顔のルシファーが私に詰め寄る。

 見たことのない表情に、私まで余裕無く動揺してしまいそうになる。


 ルシファーがサタンになるのは『そういうシステムだから』としか言いようがない。

 言ったところで理解してもらえない。


「……知っているんだな!?」


 言っても伝わらないことをどうするか考えていると、ルシファーに両腕を掴まれた。

 力が入っていて痛い。


「知らな……」

「教えろ! どうすれば俺は俺でいることが出来るんだ!」


 あの冷酷で傍若無人なルシファーが必死に救いを求めているように見える。

 サタンになるのが意思ではなかったなんて……。

 無理矢理あんな姿にさせられているのなら力になってあげたい。

 それにルシファーにはクエストとはいえ、手にかけてしまった罪悪感がある。

 『サタンにさせない』

 単純に考えれば魔王討伐クエストを始めなければいいと思う。

 今この世界ではプレイヤーがいない。

 だからもうサタンになることはないんじゃ……。


「大丈夫かもしれないわ」

「?」

「あなたはもうサタンにならなくてもいいかもしれな……」

「適当なことを言うな!」


 言い切る前に怒鳴られた。

 面と向かってこんな怒鳴り方をされたのはいつぶりだろう。

 思わず肩がビクッと跳ねてしまった。


「ほ、本当よ!」

「じゃあ、あれは何だ!」

「え?」


 ルシファーが私の背後を指差した。

 周りは白薔薇に覆われている。

 何もないはずだと思いながらルシファーが示す場所に目を向けた。


「!!」


 思っていた通りに白薔薇があるだけだった。

 だが影に紛れるように本の数本だけ、白薔薇が黒く染まっていた。


「そんな……」

「黒くなり始めたのはつい最近だ」


 でもおかしい。

 ゲーム時代は魔王クエストを受けるとメンバーがこの場所に転送され、すぐに戦闘が始まる。

 そしてルシファーを倒すと白い薔薇が黒く染まる演出があり、ルシファーの姿もサタンに変貌し、最終戦となった。

 でも今は誰もクエストを受けていないはずだし、戦闘があったわけではない。

 なのにルシファーがサタンになる兆候がある。

 どういうことだろう。

 これはゲームの通りではない。

 分からない……どうなっているの?


「ごめんなさい。私は『ルシファー』が『サタン』になると知っていただけなの」

「……そうか」


 私の腕を掴んでいた手を離すと、そのまま力なくぶらりと垂らした。

 隠すこと無く気を落としている。

 ……また失望させてしまっただろうか。


「でも、探してみるわ。あなたがあなたでいられる方法」

「……?」


 この世界でルシファーがサタンにならなくてすむ方法を考えられるのは私くらいだろう。

 ……答えをみつけられるかは分からないけれど。

 ルシファーがサタンにならなければ、どこかに被害がでるということもなくなる。


 ルシファーを見るとまだ肩を落としたままだった。

 その様子はあまり期待してくれないのね。


「大丈夫よ。分からないけど、何かヒントならみつけられるかもしれない。それにもしあなたがサタンになったら、私が蹴りを入れて正気に戻してあげるわ!」


 落ち込んでいるルシファーなんて貴重だけれど、そろそろ元に戻って欲しい。

 調子が狂ってしまう。

 ルシファ―に隙があると、私も隙をつくってしまう。


「あなたに一撃を入れることが出来るのは、私くらいでしょ!」


 だからいつものルシファーに戻って欲しい。

 いや……いつもと同じくらいだと厄介だから八分目くらいまでに抑えて回復してください。

 七分目でもいいかな……。


「ははっ」

「!?」


 ルシファーの大きな笑い声に、再びビクッと肩が跳ねた。

 今まで声のボリュームは絞られていたのに……急に上げないで!


「そうだな。俺をぶっ飛ばせるのは君くらいだろう。……期待しているよ。君に醜い姿を見られるのは嫌だから、なるべくならないように助力してくれ」


 驚きで早くなった心臓を抑えながらルシファ―を見ると、ちょうどよい程度に回復していた。

 恐ろしくもなく、無駄にキラキラしているわけでもなく。

 いつもこれくらいがいいなと思っていたら……。


「あのエルフは君にとって特別なのか? あのエルフにとって君は特別なのか?」

「ん?」


 少し残念な方向に回復した。

 恐怖値がぐんと上がったのは何故ですか?

 それにごちゃごちゃした言い方で何か言われたぞ?

 待って、もっとシンプルに言って欲しい。

 あのエルフってソレルのことだよね?


「君達は命を捨てて庇い合っていただろう? 俺には理解出来ないことだ」

「ええええ」


 そんな言い方をされてしまうと私とソレルが固い絆で結ばれているように聞こえる。

 思わず顔にカアッと熱が集中してしまったが、それは違います!


「ソレルは『庇われたくない』ってプライドの問題なの!」

「じゃあ、君は?」

「私?」


 私は……見捨てたくなかったし、仲間だから。

 同じエルフだし、忌み子だし……。

 でも忌み子仲間っていうのは『言うな』と言われたな。


「……」

「その反応は何? 君は俺の力になってくれるんじゃなかったのか?」

「なりますとも。ええ」

「じゃあエルフはいらないよね」

「いります」


 いらないと言ったら『じゃあ殺そう』と言われそうだ。


「……君がそんなに気が多い女だとは思わなかったよ。あれだけ周りに男をおいているのにまだ足りないのか?」

「はあ!? 今なんて言ったの!?」


 ルシファ―にまで男好き認定されているの!?

 魔王お墨付きなんてたまったものじゃない!

 この世界では私の理解者はいないの!?


「もう帰る!!」


 疲れてしまったし、今受けたダメージを回復したい。

 自室に籠もって泣き尽くしてやる!


「……引き留めたいけれど、そろそろ帰って貰った方がいいかもしれないな」

「?」

「君の従者に俺の配下が全て討伐されてしまいそうだ。いや、遅かったかな?」


 わけが分からず首を傾げていると、城と繋がっている扉らしきものが中からドーンと吹っ飛んだ。

 辺りに広がる粉塵。

 その中から現れたのは……。


「マイロード!」

「サニー!」

「ベヒモスも役に立たないな」


 どうやらベヒモスに指揮を執らせてサニーの足止めを計っていたようだ。

 エリュシオン城内って厄介な魔物が多いはずなのだが……。

 一人でラストダンジョン攻略、半端ないですねサニーさん。

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