第31話

「何ここ、気持ち悪い」


 何もない空間なのだが、広いのか狭いのかも分からない。

 景色は静止しているような、回転しているような……。

 表現するのが難しい。

 沢山の絵の具を、中途半端に混ぜた水の中にいるようだ。

 斑になった多色で視界が埋まり、視覚的に騒々しい。

 頭が痛くなりそうだ。


 ルシファーに『さあ、行こうか』と導かれた先には『裂け目』があった。

 何が裂けているのか説明するのは難しい。

 空間、と表現すればいいだろうか。

 裂け目の中は何も見えない。


 そこに入れと言われ、まだ踏み出していないのに『もう帰る』と言いそうになった。

 何も見えない空間の裂け目にルシファーと入るなんて怖すぎる。

 でも、早く助けに行かないと手遅れになるかもしれない。

 半ば自棄になりながら裂け目に飛び込み、辿り着いたのがこの気持ちの悪い場所だった。


「ここは次元回廊だよ」

「次元回廊?」

「君のように瞬間移動が出来ない俺の移動手段」

「へえ……何処にでも行けるの?」

「行けるよ。回廊の気まぐれで所要時間や到着座標にむらが出るけどね。結構疲れるんだよ?」


 どうやら正確さに欠けるらしい。

 私の『移動』の方が断然良さそうだ。

 疲れることもないし正確だもの。


「回廊の気まぐれ?」

「ああ。中々言うことを聞いてくれなくてね」

「生きてるみたいに言うのね」

「勝手に動くんだから生き物みたいなものだろう?」


 そうかもしれないけど、生き物の中に入っていると思うと怖さと気持ち悪さが大幅にランクアップするので考えたくない。

 そういえば以前バルトやルフタ兵が裂け目から出てきたことがあったけれど、ここに放り込まれてたのか。


 ……あれ?

 あの時、三人以上いたような……。


「ねえ、ここって本当に定員三人なの?」

「何の話?」

「……さっき言ってたじゃない。三人しか入れないからサニーは駄目だって」

「そんなこと言ったっけ?」

「言ったわよ! 嘘なの!?」

「君と二人きりになりたいからついた可愛い嘘じゃ無いか。許してよ」


 白い歯をキラリと光らせた眩しい笑顔を見ると目眩がした。

 信じた私が馬鹿だった。

 今からでもサニーに来て欲しいがルシファーは許さないだろうし、妙に揉めて時間をロスするのが怖い。

 諦めて気持ちを切り替えることにした。


「で、ソレルはどこにいるの?」

「さあ? その辺うろうろしてるんじゃない? ……生きていればね」

「一言余計よ! なんであんたの管轄なのになんで分からないのよ。本当は分かってるんでしょ?」

「はっきりとは分からないよ。さっき言ったようにこの回廊は気まぐれだから」

「はっきりと? ぼんやりとだったら?」

「方角くらいは分かるよ。残念ながら生きてるみたいだから」


 生きていることが分かっているなら、『生きていれば』なんて不吉なことを言わないで欲しい。

 こいつが非協力的だということが良く分かった。


「だったらさっさと案内して!」

「はいはい、仰せのままに」


 まるでピクニックに出掛けるかのように、意気揚々と歩き出すルシファー。

 その背中を見ていると跳び蹴りを入れたい衝動に駆られる。


「悠長に歩いてないで駆け足!」

「こんなものを着せられているし、疲れるから嫌だなあ」


 のらりくらりと動くルシファーに鋭い視線を向けて、諌めながら動かす。

 疲れる、小さい子のお前もお守をしているようで疲れる。

 可愛い子だったらいいが魔王のお守なんてごめんだ。


「二人きりなんて初めてだね」


 ソレルを助けられるか焦って苛々する私に、眩しい笑顔をこちらに向けながら話すルシファー。

 空気読んで?

 こんな時に初デートのような雰囲気を出そうとするのはやめて欲しい。


「無駄口叩いてないで急ぐわよ」

「分かっているって」


 分かっている様子には全然見えない。

 絶対楽しんでいるでしょう?

 ここに入ってからは随分と機嫌が良さそうだ。

 メガフレアをぶっ放してきた時とは表情が全く違う。


「……あのメガフレア、私を殺す気だったでしょ」

「まさか! 君があの程度で死ぬわけないじゃないか。エルフは消そうと思ったけどね」


 私はやり過ごせると踏んで、ソレルを消そうしていたってこと?

 対処できたからいいけれど、できなかったらどうするのよ!

 妙な信頼はしないで欲しい。


「危ない」


 ルシファーは油断ならないと考えながら走っていると、急に手を引かれていた。


「そこは見えない壁があるんだよ。ほら」


 ルシファーがノックをするようにコンコンと叩くと、確かにそこには壁があった。

 よく見ても分からない透明な壁だ。

 私の領土の境に似ている。

 危ない、ユミルのように激突してしまうところだった。


「『触れない』って約束だったけどこれは仕方無いだろう? 止めなければ君はぶつかっていたからね」

「え?」


 気がつけばルシファーに腰を抱かれていた。

 勢い良く前に進んでいた体を止められ、態勢が崩れたところを引き寄せられたようだ。

 ルシファーの顔もすぐ近くにある。


「このまま暫くこうしていようか」


 近くにある整った顔が私を見つめて微笑む。

 あ、まずい。

 こんな状況でも私の『美貌に弱い』は発動しそうだ。


「離してよ! こんなことしてる暇ないんだから!」

「くくっ。失礼」


 邪念を振り切らなければ!

 本当にこんなことをしている場合じゃないのに!

 ルシファーを突き飛ばし、掴まれた腕を振り解いた。

 焦った私を見て笑う端正な顔を殴ってやりたい衝動を抑えつつ先に進む。


「そういえば、どうしてあの鳥を助けたんだ? 俺にベタベタしてくる鳥は気に食わなかったんじゃなかったのか? ああ、もちろん、もう妬かなくても大丈夫だよ? あんな鳥なんてどうでも良いから」

「はあ?」


 ただ進むのが暇なのか、世間話をするような感覚で話し掛けてきた。

 今、人命救助の最中なのですが!


「どうしてって、見ていられなかったからよ」

「なんで?」

「なんでって……あんたのこと慕ってるのにあんたに殺されるとか不憫でしょう?」

「どこが?」


 きょとんとした顔で小首を傾げている。

 本当に分からないのだろう。

 無意識に深いため息をついてしまった。

 そうよね、こういう奴だ。


「あんたには代わりのいない大事な人はいないの?」

「君かな」

「……ぐっ」


 美貌と合わせてのこういう発言は恐ろしい。

 私の美貌耐性の低さを甘く見ないで欲しい。

 そうだ、今こそあの呪文だ。


 『中身は残念中身は残念中身は残念中身は残念中身は残念』


 ふう……落ち着いた。

 明日から朝起きたらまずこの呪文を唱えるという習慣をつけようかな。


 そんなことよりソレルだ。

 結構な距離を進んだと思うのだが……。


「レイン、そっちは……」

「え? はわああああ!?」


 ルシファーの声が聞こえたと同時に足場が消えた。

 フワッと身体が宙に浮いているような感覚に襲われた。

 無重力なのだろうか。

 落ちているのか浮いているのか分からない。


「何これ! 気持ち悪い! ……あれ?」


 重力が戻り、足場も戻った。

 相変わらず見渡す限り斑模様の空間だが、地に足がついている。


「踏むと遠くに飛ばされたりする場所があるから気をつけてね」


 振り向くとルシファーが和やかに笑っていた。

 飛ばされた?

 ずっと全面斑模様だから移動したと気がつかなかった。


「事前に言ってよ!」

「ハプニングがあるから楽しいんじゃないか」

「ハプニングを楽しんでいる余裕なんてないの!」

 

 もう! いつになったらソレルを見つけることが出来るの?

 焦りが募り、苛々も限界になってきた。

 ソレルは決して弱いわけではないが、私やルシファーからすると普通の人族とそう変わらない。

 どれだけの時間をここで過ごしているのかは分からないが、彼の体力や強さで持ち堪えられているのか不安だ。


「でも飛ばされてちょうど良かったじゃないか。俺としてはもうちょっと散歩していたかったけどね」

「え?」


 ルシファーが残念そうに笑う視線の先に異質なものをみつけた。

 何かが転がっている。

 それは『人』で……あの水色の髪は……!


「ソレル!」


 顔は見えないが間違いなくソレルだ。

 倒れていて動かない。

 大丈夫なの!?

 慌てて駆け寄り、上を向かせた。


「う……」


 苦しそうな声を漏らしたが、特に目立った外傷はない。

 だが……指輪が割れていた。

 つまり『一度死んだ』ということだ。

 再びサーッと血の気が引いた。


「間に合って良かった……」


 気を失っているだけだとは思うが早く連れ帰って休ませてやろう。

 『移動』で帰ろうとしたのだが……。


「あれ……出られない?」


 『移動』の項目が選択出来ない。


「なんで?」

「やっぱり。出られないんだ?」


 ルシファ―の呟きが聞こえた。

 静かだけれど、どこか楽しそうな声。

 顔を見ると……。


「!」


 実に魔王らしい妖しい笑みを浮かべていた。


 これ……かなりピンチかも。

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