第4話

 人の波に乗って歩いていた私とサニーは、中心部まで辿りついた。

 この一帯は道幅が広く、両側に白い布を張ったテントの露店が並んでいる。

 昼過ぎの賑わい刻とあり、人も多く賑やかだ。

 そんな中、骨董品を扱っている露店の一つで騒ぎが起きた。

 いや、起きた、というか……起こした、というべきか……。


「なんでこの金色に塗っただけのコップが五十万ライルもするの? どんな高価な土で出来ているの」


 騒動の中心で私はコップを手に取り、にっこりと微笑みながら露店の店主に詰め寄っている。


 ライルとはこの世界でのお金で、一円一ライル。

 つまりこのど派手なだけの安そうなコップは五十万円というわけだ。

 道沿いの露店が、こんな高級店だとは思わなかったな?


「何を仰るお嬢さん。これは貴重な黄金の杯ですよ!」


 この見た目だけはやたら良い店主の笑顔が、余計に私を苛つかせる。

 艶のある長い金色の髪は後ろで一つに束ねてある。

 切り取って売り飛ばしたら、このふざけたコップよりは良い金になるだろう。

 日差しが降り注ぐ露天の店主とは思えない肌の白さと美しさが異様に見えた。

 背は高いが線は細く、ご令嬢方に好かれそうな優男だ。

 だが、私は生憎ご令嬢ではないので、いくら見目のよい優男でも容赦はしない。


「それ、本気で言っているの?」


 薄らと浮かべていた微笑みも消え、真顔で店主に詰め寄った。


「もちろん! これはかの勇者が奇跡的に持ち帰ったとされる杯で……」

「なんでそんなものがここで売ってんのよ」


 こんな露店で、国宝になりそうなレベルのものを売っているはずがない。

 ありえないのにしらっとホラを吹く勇気は認めてもいいかもしれない。


「うん?」


 文句を言っていると視線を感じたので周りを見ると……この優男のファンなのか、身なりの良いご婦人方が迷惑そうに私を見ていた。

 見世物じゃないぞ。

 更に苛々が増した私に、店主はまだ馬鹿な説明を続ける。


「そ、それはとあるルートから奇跡的に……」

「奇跡起きすぎ。大体本物だったらそんな値段じゃないでしょう」


 奇跡的に持ち帰り、奇跡的にここに売られることに……ってどんな確率だよ。


「お美しいお客様に特別にお譲りしたく……」


 奇跡の次は媚びですか。

 ……一番腹が立つタイプだな。


「最初からこの値段がついてたようだけど?」

「それは……その……」

「くだらないわね。ふんっ」

「ああああああああ!!!?」


 黄金の杯を林檎のように握り潰すと、簡単にぱりぱりと割れて崩れた。

 やはりただの陶器に金箔を貼っただけだ。

 造りが安すぎる。

 ぼったくるにしても、もう少しマシな物が用意出来なかったのだろうか。


「ああ、ごめん。金色のコップ割っちゃった。弁償するわ。で、いくらなの?」

「え、えっ営業妨害だ!」

「え!? 何!? 詐欺商売の妨害しちゃった!? ごめんねえ!」

「そんな大声でっ…もう、もう! 勘弁してくださいっ」


 騒ぎを耳にして、周囲もこちらを気にし始めた。

 もうここでは商売出来ないだろう。

 下らないことしやがって……!


 まあ、この優男も運がなかったのだ。

 偶然私が通らなければ……。

 そして、『あの言葉』さえ耳に入らなければ、ただのよくあるぼったくりとしてスルーしてやったのだから。

 この優男が声高らかに語っていた呼び込みの言葉、それは――。


『こちらはなんとクイーンハーロットの穢れた金杯! 美しい男達を捕らえ、嬲り、甚振り、生き血を飲んでいた大淫婦の金杯だ! 勇者がクイーンハーロットとの死闘の末、奇跡的に持ち返った幻の一品だよ!』


 はあああ!?

 思わず私がそう叫んだのは言うまでもない。


 私はクイーンハーロットと言われているだけで、クイーンハーロットではないから、気にしなくてもいいのだが……。

 こいつは妙に癇に障ってしまったのだ。

 美しい男達を嬲り、甚振るなんてしていない。

 生き血なんて飲まない。

 この数十年、まともに男の人と喋ったことすらないんですけど!


「こちらですわ!」

「ん?」


 周り騒がしいと思ったら、詐欺優男のファンと思わしきご婦人の一人が、警備兵を引き連れてこちらにやって来る。

 優男に何かとんでもない物を買わされていたのだろうか。


 ちょうどいい。この阿呆を引き渡してしまおう。

 そう思い、警備兵の到着を待ち構えたのだが……。


「言いがかりをつけて暴れているというのはお前か!」


 警備兵が『私』を取り囲んだ。

 …………ん? あれ、私?


「はい?」


 どういうことなの?

 間違えていますよ、貴方達。

 捕まえなきゃいけないのはこの金髪優男でしょう?


「言いがかりをつけて、商品を壊して暴れましたのよ!」


 取り巻きのご婦人方が口を揃えて『乱暴』やら『捕まえろ』やら『品がない』やら喚いている。

 優男は保護されるように警備兵の後ろに隠された。

 怯えているような、迷惑そうな顔をしている。

 まるで『被害者』だ。


 ああ、捕まえるのは『私』で間違っていないのね。

 そういうことですか。


 頭が痛い。

 ちらりと周りの露天を構えている商人達を見た。

 彼らはこちらを見ず、関わらないようにしていた。

 興味がある様子の輩もいるが、彼らはどちらかといえばご婦人方に乗るようだ。


 ……なるほど、同業者か。

 奴らは運命共同体。

 ここでは詐欺など当たり前なのだ。

 いや、詐欺とも認識されていない。

 偽物か本物かどうかなんて関係無く、買うか買わないかだけなのだ。

 買わないでグダグダ言っている私の方が迷惑な存在なのだろう。

 確かにこの通りは雑然としていて、ちゃんと店を構えた店舗が並ぶ通りより胡散臭く見える。

 私が野暮なのか。

 ああ……普段通りスルーすれば良かったなあ。


「マイロード、始末しますか?」

「やめなさいって。興醒めだ。帰る」


 私はサニーの肩に手をぽんと置き、帰ることを告げた。


「待て! 逃がすか!」


 私が去ろうとしている気配を察知した警備兵が斬りかかってきた。

 だが、レベルは低いようで、剣速は欠伸が出そうなほど遅く、軽く頭を傾けてかわすだけで済んだ。

 だが……。


 ――しまった。

 頭を動かした拍子にフードが取れてしまった。


「ひっ」


 警備兵を引き連れてきたご婦人が、短い悲鳴を上げた。

 私の角が露になるとあれだけ騒がしかった辺りが静まり、場が凍った。


『クイーンハーロットだ』


 コソコソ、と怯えるように話す声が聞こえる。

 気配を消しながら、逃げるように立ち去っている姿も見えた。


 ええっと、なんですかこの罰ゲーム……。

 居た堪れない。

 私を取り囲む冷たい視線、嫌悪に満ちた空気。

 ……泣いてもいい?

 やっていられない……帰ってお茶を飲もう!


「……御機嫌よう!」


 人に受け入れられない淋しさと気まずさで焦った私は、何故か優雅ぶって退場。


 そして、一瞬で見慣れた景色に戻ったのだった。


「はあ……悲しいよお」


 下がったテンションと同じように体をソファに沈めた。

 気分転換にならなかった。

 嫌な思いをしただけだった。

 しかも……あの去り際の立ち振る舞い。

 何キャラなの、自分。

 何処を目指すの、自分。

 でもまあ、違和感無く立ち去れた気がするからいいかな。


「よろしかったのですか?」


 膝を折り、私に視線を合わせながら尋ねてくるサニー。

 凛々しい瞳を鋭く尖らせ、ピリピリとした空気を放っている。


「何が?」

「不愉快でした。今から私が戻り、殲滅してきましょう」

「放っておいていいよ」


 サニーは不満そうだ。


「……仰せのままに」


 渋々納得、といった様子で下がった。

 感謝を込めて頭を撫でる、と気が済んだようで空気が柔らかくなった。

 私の為に怒ってくれてのだ、可愛い奴め。


「ありがとうね。お茶にしましょう」

「御意」


 結局、買い物は出来なかった。

 もっと外の空気を吸いたかったなあ。

 でももう、暫く商都には行かないぞ!




 ※※※




 『おい、聞いたか。クイーンハーロットが金杯を取り戻しに来たらしいぞ』

 『とうとうクイーンハーロットが森を出て動き始めたようだ』


 商都クロスホライズンには衝撃が走っていた。


 まず、商都を覆っていた結界が、いとも簡単に破られていた。

 商都を共有する二国『ルフタ王国』『マクリル』が精鋭を集め、共同で開発した最高傑作であるはずの結界魔法が、だ。

 しかも、恐らく『一瞬』で。

 各国最高の魔法使いが、長い長い詠唱を唱えてでも破れるかどうか分からないものが、気づかないうちに無残に破り捨てられていたのだ。

 何が起こったのかと騒然となっていたところに恐るべき一報が入った。


 商都内にあの『クイーンハーロット』が現れた、と。

 俄かには信じがたいが、クイーンハーロットと思われる『それ』は兵に囲まれた中、忽然と姿を消したということだった。


 再び衝撃が走った。

 瞬時に移動する『瞬間移動』。

 それは、人が使うことは『不可能』とされている超高等魔法だ。

 緻密に座標計算を計算し、移動距離によって変わる必要魔力量を狂い無く正確に消費することが求められるため、固定し、設定した『装置』でないと無理なのだ。

 設定しなくも瞬間移動を『実行する』ということは出来るのだが、全てが正確でないと目的地ではなく、知らないところへ飛ばされてしまったり、『体の一部を置いていく』なんということが起きる。

 そのため、人の匙加減で思いのままに使用するのは事実上不可能とされている。

 失敗するのが当たり前で高リスク、だから誰も使わない、それが瞬間移動だ。

 それを躊躇無く使った。


 間違いなく『クイーンハーロット』だ。

 誰もがそう思った。

 結界を破ったのもクイーンハーロットだろう、と理解された。


 『クイーンハーロットが森を出た』


 その衝撃は強国であるルフタを通して世界中に広がった。

 そしてそのクイーンハーロットが、去り際に妖しげに微笑んでいたということも――。

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