オルド【朝東風シリーズ二作目】
登月才媛(ノボリツキ サキ)
序章 西の神
第1話 プロローグ・何処かに在る物語
何者でも、どんなものでもこの心は染まらないのに。なのに、感情だけは持っていた。この世界だけの特別なルールで、あたしは西の神というものになった。だが、この消化されない感情はそのせいで生まれたのだった。
鮮明なままに積もってゆくこの感情をどうにかしたいと、あたしは有り余った想像力で小説や短歌や散文詩だのを書いてみた。…いや、結局は愚にもつかない陳腐な仕上がりなのだが。
「神話みたいな書き出しだな、西の神となったからと言って人間のころと大差ない能力だなあ」…えーっと。
「何処かに在る宇宙、その中に地球とよく似た星が在った…」
うん…やはりあたしには文才は無いな。素人だ。
大きくついたため息だったが、ふう、はあ、はあ、と部屋に響いた。
…のではない。誰もいないはずだった部屋に、お客だ。
「っ…西の神さま……っく…ぶ、ブロットさん……はあ、はあ…」
これは大変!
「伝承の語り手のクローバーさんじゃにゃいですか!」
しまった。間違えた。
「…っぷははは!作文の書きすぎですね~?ちょっと見せてー!」
親しげに上から覗き込もうとする。あたしの頭の上から覗こうとするから…!ゴッ。あ、また…。あたしの後頭部とクローバーの顎が豪快にぶつかった。恒例行事ね、これ。
「ごめん、クローバー。大丈夫?一体どうしたというのですか?」
あたしは小さな悲鳴を上げている彼女に手を差し出しながら尋ねた。「ダイジョブ。さっき、時空転送で飛んできたところ…」気付かなかった。じゃあ、なぜそんなに恥ずかしそうに膝を抱えているのか。
「…実はね、私の隊が『黒軍』に襲われて。命からがら隙を見て逃げ出したんだ。でも…飛んでこられたのはこの塔の百五十九階までだった…。早く帰りたいけど仲間に位置を探知してもらってからじゃないと飛べないし…」
辛そうだ。あたしの手に乗せられた凍えた手を引っ張り上げた。
震えているのは、クローバーが疲れ切っているからだけじゃない。彼女はおびえている。…何に?
…「帰れないかもしれない」事に。
なんで、一人で呑み込んで、一人で我慢しようとしているのです?
「ブロット・テイルさん、またクローバーがお世話になります」
そう言って、クローバーは微笑んだ。友達でしょう、そんなに改まって言う必要ないのに。…今日は楽しくなりそうだ。そうだ、何か暖かいものを。
「この前のお礼に、何か美味しいものをご馳走しますよ」
クローバーはまた楽しそうな笑みを浮かべ、
「有り難く、頂きます」と言った。
開けた眼は悪戯っ子の様に輝いていた。
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