一撃必殺の理

Sin Guilty

序章 死地

 構えをとる磐座いわくら勝意しょういの目の前で咆哮を上げている、みたことも無い巨大な獣。


 その存在が、此処が日本どころか、地球ですらないことを雄弁に物語る。


 結果として助ける形になった先の少年と少女が語る言葉も理解できなかったし、少女を襲っていた男どもが言っていることも理解できなかった。

 それどころか少年と少女に関しては人間かどうかも怪しい。


 勝意しょういが知る外国人には獣耳も尻尾も生えてなどいない。

 

 最近はそういうのもいるとは聞いていたが、それはそういう格好を好んでする人たちのことであったはずだ。


 ――外国かとも思ったが、それどころではないようだな。


 勝意しょういにしてみれば、今更それは大きな問題ではない。

 そんなことよりも、いま目の前で自分を獲物として見据える巨大な獣の方が大問題だ。

 

 結果として救う形になった少年と少女も、もちろん自分自身も。

 順当に考えれば目の前の巨大な獣の餌として、喰われてお仕舞いである。

 巨大な獣が現れたときになす術もなくその獣の一撃で挽き肉にされ喰われた、自分が倒した男達と同じ末路を辿ることは疑いようも無い。


 武器も持たない人間が、どうにかできる相手ではないのは一目瞭然だ。


 ――否。


 武器はある。


 己の両の拳骨。

 それを振るうことわり


 『武術』は武器で在れてこそ『武術』のはずだ。


 勝意しょういはもう自分の身体に染み付いている『磐座いわくら流』に全てをかける。

 日本あっちでは散々時代遅れ、古臭いと嘲笑された|『磐座いわくら流』が、先刻は勝意しょういにとって奇妙な業――『魔法』を使う男達を一撃で粉砕してのけた。


 物心ついたころから一心不乱に鍛え上げてきた、己の拳骨げんこつ

 そして己はその使いかたばかりを、身体と頭に叩き込んで生きてきたような人間だ。


 己は戦える。


 勝意しょういの唇が獰猛に捲くれ上がる。


 笑っているのだ。

 己を殺そうとする見た事もない巨大な獣と、自分が戦える事を再確認して。


 殺そうとする敵と対峙する。


 つまり己も殺していいという事だ。


 試合ではなく殺し合い。


 綺麗事をいくら積み上げたところで、武の本質はそれだと勝意しょういは思っている。


 相手を倒す。

 より正確には、敵を殺す。


 己が初めて殺す気で己の拳骨を揮える事に笑みが漏れる。

 自分がそういう人間だったのだと、数十年生きてきて初めて勝意しょういは理解した。


 名は体を現すと言う。

 勝つ事が即ち敵を殺すことであるのであれば、己の名は殺す意志――殺意だ。


 己は名に相応しい性根の持ち主だという事だ。


 だが勝意しょういは自分が最強ではない事も知っている。


 己が鍛え上げた拳骨も、それを振るう「ことわり」も、苔生した古臭い代物だと理解している。


 己の収める流派は古流であるが故、勝意しょういが他流派の大会などに出ることは無かった。

 だが大会には出ずとも他流派の門を叩き、手合わせを望んだことは幾度もあった。

 その結果がすべてを物語っている。

 最新の術理と効率的な鍛錬に支えられた近代空手を初めとしたあらゆる格闘技に対して、己の収める「磐座いわくら流」は劣っていることを理解している。


 勝意しょういから見ても理に適い、知らない者よりも確実に優位に立てる『術理』

 それを基礎として積み上げる効率化された鍛錬と、門人が多いゆえに互いに試合し、切磋琢磨していけることができる優位点。


 進化を遂げた近代武器の前には『武術』など役に立たない、と笑われるのが現代だ。

 そんな時代にもかかわらず己の身体を苛め抜き、ただただ強くある事を目指す彼らの精神メンタルは、勝意しょういに勝りこそすれ劣るものではない。


 ごく一部がショービジネスとして食っていけるとしても、それはただ結果に過ぎない。

 彼らは『強い己』を一心不乱に求め、少なくとも自身が最強と思える術理を選び、その元で徹底的な努力を積み上げ、その上で勝敗を競っているのだ。 


 勝意しょういは思う。


 自分ですら劣っていると思っている『磐座いわくら流』が、そういったストイックな各流派に対して『最強』を競うのは失礼だと。


 今時『一撃必殺』などという世迷言にとらわれた流派に、『最強』を語る資格など無い。


 ――だからどうした。


 一方でそうも思う。


 強く思う。


 どうみても絶体絶命の獣を前にしながら、歯を見せて勝意しょういは笑う。

 虚勢ではない、太い笑いだ。


 己は『一撃必殺』に魅了されて、数十年己の拳骨を鍛え上げてきた愚か者だ。


 強くありたいとは思った。


 その強さで誰かを護れる事に、子供心に憧れを感じもした。


 だがそれらは勝意しょういにとって全て二の次だ。


 一撃必殺にて敵を屠る。


 その勝意しょういは魅了されたのだ。


 強いからではない。

 正しいからでもない。


 だからこそ、己は己の人生の大半を『磐座いわくら流』に捧げてきたのだ。


 最強には遠く至れなかった。

 たかが車に突っ込まれた程度で、護るべき人を突き飛ばして自分だけで済ます程度のことしかできなかった。


 だが後悔はしていない。


 己は好きなことを好きなだけやって、今の己に至っていると言う自覚がある。 

 ままならぬ事も、悔しい事も、辛いこともあるにはあったがそれは誰だってそうだろう。


 そんな中勝意しょういは、己が好きで『磐座いわくら流』で己を鍛え上げてきた。


 教えてくれた爺様が好きだったせいもあるだろう。


 それでいい。


 勝意しょういは心の底からそう思う。


 そしてよく理解できてはいないが、日本あっちでは望むべくも無い敵と今こうして相対している。

 逢ってまだ一時間も経ってはいないが、護るべき相手少年と少女もいる。


 勝敗はもはや是非もなし。

 己の全てを一撃にのせて、敵を砕くのみ。


 至らねば死ぬだけだ。


 獰猛な唸り声を上げる巨大な獣を前にして、既に取っている慣れ親しんだ『磐座いわくら流』唯一の型に『意』を込める。


 型は単純だ。


 右利きの勝意しょういの場合、左手掌を開き立ててまっすぐに前に突き出し、右腕は引いてゆるく拳を握り締め、掌側を上に向ける。

 左足は左腕と同じく前に出し、右足は体幹軸に合わせ、ゆるく腰を落とす。


 あからさまな、右拳による一撃を狙う構え。


 その見た目通り、ここからのフェイントも変化もなくただ全力最速で右拳を叩き込むだけの構えだ。


 『意』を込めるとは『磐座いわくら流』独特の流れである。


 呼吸により周りの気を取り込み、全身に行き渡らせ『構え』に流し込む。

 相対する敵の殺意や気すらも取り込んで、己の『一撃必殺』の力に変える。


 何を言ってるかわからない、と『磐座いわくら流』を説明したほぼ全員から言われるものだ。

 正直勝意しょうい自身にも理解できていない。


 実際それをしたからといって、一撃が強くなることも当然ありはしない。


 呼吸法と概念を一体にしたようなものだと、勝意しょういなりには理解していた。


 実効性など無い。


 それでも愚直にやるのだ。


 それこそが勝意しょういが愛し、生涯を捧げてきた『磐座いわくら流』なのだから。

 生涯最後の一撃とはいえ、やることは変わらない。


 だが――


 が、この地、この場において劇的な効果を生む。


 ッゴ! という轟音とともに、勝意しょういを中心として『力』が渦を巻き始めた。


 やっている勝意しょうい自身、当然初めて見る現象。 



 勝意しょういが『意』を込めた瞬間、全ての状況は劇的な変化をはじめる。


 全てはその一撃を、必殺為さしめる為に。

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