名探偵財田成香の事件簿

雅島貢@107kg

名探偵財田成香の登場

名探偵財田成香の登場

 駅の改札口を出たところに彼女はいた。私はすぐに彼女が『探偵』だと分かった。


 それは彼女の右腕に巻かれていた『探偵』と書かれた腕章のせいでもあるし(幾人かがそれを見て彼女を振り返ったりしていたけれど、彼女は全く意に介さない様子だった)、彼女の佇まいが、なんというか『探偵』らしかったからでもある。

 彼女は両手を腰に当て、両足を大地に踏みしめるように立っていて、なんだか彼女こそが世界の軸で、彼女を中心に世界が、少なくとも人々が回っているかのように見えた。


 地平線の先を見据えるかのような瞳で、彼女は不遜な表情をして立っていた。天地俯仰に恥じるところなし。そんな顔つきだった。


 私はなぜだかしばらく茫然として、それからICカードを財布にしまい、彼女に声を掛けた。


「待たせてすみませんね」

 と私が言うと、

「いいわ。あたしは何しろいつだって退屈しているの。ここで立っていようが、他のところにいようが、退屈なのは、同じ。ですからお気になさらず」

 皮肉な口調で彼女は言った。


 エスカレータを並んで下った。ふと私は、彼女の右頬に小さなケロイド状の傷があることに気づく。別に醜い物ではなかったが、なんだかじろじろ見てはいけないような気がして目を逸らす。


「あら、この傷? ふふ――時には銃弾を受けることもあるの。『探偵』は危険な仕事だからね。これはあたしの人生が、ただ退屈なものではなかったという勲章のようなものよ」

 あ、そうですか、くらいしか言えなかった。銃弾も受けたことのない、退屈な人生を歩んできた私としては。


 手近な喫茶店に入り、私は名刺を差し出した。彼女はそれを指先でつまみ上げ、じろじろと眺めたあと、ぴん、とテーブルの端にはじいた。そして、まるで手品のようにどこからともなく紙片を取り出し、テーブルの私の側に滑らせた。

 その紙には、『探偵 財田成香』とだけ書いてあった。電話番号も住所も、メールアドレスも何も書かれていなかった。


 全く理屈は無いけれど、不思議とそれでいいのだろう、と思った

 多分、彼女は必要なところに、必要な時間だけ、いるのだ。


「さいた」「たからだ」

 私が名前を読み上げようとすると、彼女はすかさず(少し苛立ったような口調で)訂正した。

「あ、すみません。えっと……じゃあ、なりきょう?」

「それはわざとでしょう?」

「いえいえ、そんなつもりは。すいません。なりか、さんでしょうか」

「なるか」

 ふん、と鼻息を漏らして彼女は言った。私はふたたび、口の中でもごもごと、すみません、というようなことを呟いた。


「ま、呼び方は任せるわ。正直言って、あたしはあなた自身にはさして興味がないの。あたしが興味があるのは、あなたが抱えている『謎』――それだけ」

「ああ、そうですか」

 再びそれくらいしか言えなかった。彼女は唇の端を吊り上げ、私が『謎』の話をするのを待っている。


「そう――ですね。どこからお話ししたらいいものか」

「そうねえ。10年ほど前には関西に住んでいて――数年前に北海道に引っ越してきたのよね。その話はいらないと思うわ。そこから先を、聞かせてちょうだい」

 彼女はなんでもないことのようにそう言った。私が言葉を継げずにいると、子どもをあやすような微笑みを浮かべて彼女は続けた。


「ふふ、なんでもないことよ。さっき改札口で会ったでしょ。あなたが使っているICカードは、ICOCAよね? しかも別に限定のカラーというわけでもなくって、普段使いをしているもの。とすれば、昔JR西日本圏内に住んでた、なんてのは、推理って言えるほどのものじゃあないわ。ただの観察ね。

 さて、ICOCAの発売は2003年のことなのは覚えているかしら? このICOCAが北海道で相互乗り入れができるようになったのは2013年のこと。それより前に北海道に越してきたなら、おそらくあなたはKitacaに乗り換えるでしょう。そうでなく、ICOCAを使い続けているということは――そう、北海道に来たのはここ数年、ということになるわけよね」

 本当になんでもないことのように彼女は言う。少し言葉の端に、退屈ささえ滲ませて。


「それから。さっきエスカレータに乗ったときも、あなたは自然に右側に立ったわね。関西圏ではエスカレータを歩かない人は右側に立つ。だけどここ北海道では、エスカレータを歩かない人は左側に立つ。最近はエスカレータを歩くな、っていうのが標準になりつつあるけど――身に着いた習慣というものは、なかなか離れない。それが何よりも、その人を語るわけよ。それからね。洞爺湖温泉に行ったこともないでしょう。『たからだ』も『なるか』も、どっちもあのあたりにある地名よ。これも、あなたが北海道に住んで長くない傍証になるかしら、ね」

 彼女は長い口上を終え、コーヒーカップを傾けた。


 しばし沈黙が流れた。


「あの」

 と私は言った。

「何か?」

 脚を組んで、背筋を伸ばした彼女は冷然とした微笑みを浮かべて答えた。

「えっと、その、私は生まれは小樽で……で、道内は転々としてたんですが、ずっとその、北海道で育ったんですよね」

「え」

 彼女は少し目を見開いた。

「で、ICOCAなんですけど、いやその、普段JRは使わなくて。でも、先日ちょっと旅行で関西の方に行って、そしたら乗るでしょ電車。で、いちいち券売機で切符買うの面倒だったから、つい買っちゃって。まあ北海道でも使えるから、いっかみたいな」

「はあ?」

 彼女の目がほとんど正円に近くなった。少し目尻に怒気が見える気もする。

「そんで、ちょっと前だから確かにエレベータは右に立っちゃうの、少しうつったなあという感じはありますけど……あと単にその、漢字は苦手で。あの、なんか、すいません」


 彼女の頬がみるみる染まっていく。ぼんやりそれを眺めていると、彼女は俯いて、小刻みに肩を震わせる。

 

 やばいと思った。余計なことだった。言わんでも良かったなあ。

 泣いてるのかな? 泣いてはないといいな。さすがに。


 そっ、と横顔を覗き見ると、少し涙目で、こちらをちょっと睨んでいる。よく考えたらほんとに言うべきではなかった。別に『謎』と関わる話でもなかったのだ。いやでも、何が推理に影響するか分からないし……。変に伏線になっても困るし……。自分に対して自分で言い訳をするが、目の前で彼女が震えているのを見ると、自責の念がどんどん込み上げてくる。


 どうしよう。


 ひたすら気まずい空気が流れた。


 考えに考えた末、うぉっほん、と私は咳払いをした。


「あー、なんだ、その、暑いな! 暑くて、何を話しているか忘れてしまった! ええと、なんだっけ? 財田!? そんな名前は初めて聞いたのう!」

 彼女はゆっくりと顔をあげ、きょとん、とした顔でこちらを見る。

 伝われ、伝われと念じながら私は言葉を続ける。昔見た探偵映画の、序盤に出てくる小役人とか田舎警官のことを思い出しながら。


「大体ワシは『探偵』なんぞ信用しとらんのじゃ! そんな得体の知れないものを雇うくらいなら、ボディガードでも雇うわい! ええ? お前さん。どうせ、何も知らん若造なんじゃろう」


 一拍、

 二拍。


 間が空いて、彼女は答えた。

「え――ええ、そうね。あたしは何も知らないわ。あなたがあまり物にこだわらないタイプの人間であること、北海道ではあまりJRに乗らないこと、それから最近大阪に旅行か出張に行ったということ以外はね」

「な、なに!? なぜそれがわかったのじゃ。その、推理とか言うやつか」

 私は大げさに目を剥いた。コーヒーでも噴き出そうかと思ったが、彼女にかかってしまっては迷惑だろうと思ってやめた。


「こ、これは推理なんていうものではないわ。た、ただの――観察よ。ん、こほん。先ほど改札口で出会ったときにあなたはICOCAを出したわよね」

「出したな。良く見ておる。立派じゃあ~! しかし、ワシは関西に住んでいたのかもしれんぞ?」

「そうだとしたら、ICOCAが綺麗すぎるわ。あなたの財布は、お世辞にも大事に使われているとは言えないぼろぼろのもの。もし関西に住んでいてこちらに越してきたのだとしたら、ICOCAも相応に汚れているはずよ。でもあなたのICOCAはずいぶん綺麗。これはちょっとした、矛盾よね。財布は丁寧に扱わないタイプなのに、ICOCAだけは大事に扱う? そんなことあるかしら? そうじゃあないわよね。あなたはずいぶん最近ICOCAを買ったのよ」

「なるほどなるほど、素晴らしい!」

 そのように褒め称えると、彼女はまたいくつかの推理を口にした。幸いなことに、それらはすべて当たっていた。


「……なるほど。少しは信頼できるらしい。よかろう。話を進めよう」

 私はコーヒーのおかわりを注文し、話を始めた。


「『現場』は私……ワシのオフィスじゃ」

「もういいわよ、その口調」

「あ、そうですか」

 彼女はそっぽを向いて、まだ少し赤い頬だけを私に向けている。少し捻られた白い首筋が、なぜかとても艶めかしく見えた。彼女は小さな声で言った。


「……あ、の。ありがとね」

 

 いい子だな、と思った。

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