あの日、確かに聞いた
悪意にも似た、憎々しい銀の光がミシアに浴びせかけられる。あまりのまばゆさに全身の影が透け上がった。一糸まとわぬ、生まれたときのかたちが服の下から浮かび上がる。
「反応している」
レオニスは底ごもる声で冷酷に罵った。
倒れたミシアの喉へと十文字槍を押し当てながら、仰向けに蹴り転がす。だがすでに気を失っているのか、ミシアは何をされてもまったく動かない。
ぶつり、と音を立てて首に下げていた素朴なペンダントが切り落とされた。
残酷な刃が、秘め隠されていたミシアの秘密を切り開いた。執拗なまでにすべてが切り裂かれ、あらわにされてゆく。
胸から、青白い光がこぼれだした。
耐えきれず、ラウは地面に手をついて身を乗り出した。
「やめろ! アリス、やめさせてよ……ねえったら」
声を振り絞る。
「たすけて、キイス……」
ミシアの身体が震えた。
はだけられた身体から、のたうつ棘のような黒い影がくねり出る。
ラウは眼をみはった。真っ白なミシアの胸に、何かの紋章めいた印が浮かび上がっている。
人の眼にはおそらく悪意の塊、うごめき這う闇のしるし、狂える悪の華としか見えないそれ――
だが、一度として眼にしたことがないにも関わらず、ラウの眼にそれは、明らかに意味を持った魔妖のしるしとして映ったのだった。
ミシア。お前のすべてを愛している――キイス。
「刻印の存在を確認」
自ら暴き立てた罪の光に照らし出されたレオニスの表情は、さながら執拗に踊り狂う炎のようだった。
喜悦にくるめく狂信者の顔で手を伸ばし、刻印を胸ごと鷲掴む。
「馬鹿な女だ。魔妖に奴隷とされ、人間以下の家畜に堕落するとは」
それでもミシアは反応しない。まるで糸の切れた人形のようだった。
「手を離せよ」
ラウは凶悪に身じろぎした。ゆらぐ刻印の光が、ラウの碧眼に映り込んでゆく。
「ラウ、いけません」
「うるさいッ!」
アリストラムが必死で引き止めようとするのを、力任せに振りほどく。
眼が怒りの色にゆらめき立った。
「その薄汚い手でミシアに触るな」
アリストラムの声でさえ、まるで耳に入らなかった。
理性の首枷が。束縛の鎖が。音を立てて、ばらばらにちぎれ飛んでゆく。
次の瞬間。ラウは強烈なバネのように跳ね飛んだ。耳を伏せ、眼を尖らせ、猛然とレオニスへ襲いかかる。
「……かかったな」
嘲笑が突き立つ。
まばゆい銀の光が、空書された聖紋章の結界を描き出した。レオニスは凄まじい笑みを浮かべてミシアへと向けていた掌を引き、ラウへと振りかざした。
無数の術式紋様が瞬時に生成された。分裂と分割を繰り返す幾何学連環を描き出しながら障壁が張り巡らされてゆく。
目の前が真っ白に変わった。ラウは止まりきれず呪式の壁に激突した。意識が蒸発する。
誰かが叫んでいる。記憶が――
錯綜する。
あの日見た、光の稲妻。
あの日聞いた、悲痛な叫び。
最愛の姉、ゾーイを殺した光。
何もかもを苦く溶かし尽くしてゆくかのような銀の坩堝が目の前に膨れあがってゆく。
それは、記憶の彼方に押しやられていた真実だった。
あの日、確かに聞いた。知りたくない、思い出したくない、認めたくない――忘れようとしてきたそれが、誰の声だったのか。
「ラウ!」
今、聞こえるアリストラムの声と。
(ゾーイ!)
あの日、失われた名を呼んでいた、記憶の中の声が。
遠く。
狂おしく。
幾重にも反響し、胸に突き刺さる絶叫となって――
重なる。
ラウは、悲鳴を上げようとした。いっそ全てを振り捨ててしまえたら、どれほど気が楽になったことだろう。だが、現実は容赦なく迫ってくる。
目の前にうつろな眼のミシアが立ちつくしていた。なにひとつまとわぬ姿を銀の光に晒し、ふるめかしくも壊れた笑みを浮かべて。
銀色に濡れたくちびるが、わなないている。
愕然とするラウを、何も映し出さない空虚な眼で見下ろしながら、笑っている。
ふいにミシアの眼に涙の粒が盛り上がった。みるみる大きくふくらんでゆく。きらめく滴が頬にこぼれおちた。
「ごめ……んなさいラウ……さま……」
喘ぐ吐息が、ふいに息詰まり、跳ね上がった、次の瞬間。
魔妖の刻印が銀の光を帯びて異様なかたちに膨張し、張り裂けて割れ、おぞましい肉の花弁となって花開いた。ミシアの背に押し当てられたレオニスの掌が、灼熱の光を解き放つ。
反動でミシアの身体は半ば宙に浮き上がり、折れそうなほど反り返った。
絶叫が噴出する。
「……ラウ……逃げなさ……!」
アリストラムの悲鳴めいた呻きが、意識の彼方にかき消される。
世界が銀色に染め抜かれた。
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