女王陛下の都 ~project method Ⅰ~

藤瀬京祥

prologue 『舞い降りた女神』

 4月1日に始まり3月31日終わる学園都市桜花がくえんとしおうかの1年。その終わりに近い1月の中旬、桜花は新年度に向けて動き出そうとしている。

 どんよりとした重い雲に覆われた空の下、常緑樹ですら精彩に欠く、いまにも雪が降り出しそうな寒い日のことである。

 天宮柊あまみやひいらぎ金村伸晃かなむらのぶあきは、桜花島のほぼ中央に広がる桜花中央公園の、数ある入り口の一つで人を待っていた。

「遅いな、しば

 私立松前まつまえ学院高等学校1年生の金村伸晃は、寒そうに首をすくめながらもブレザーの袖をまくって腕時計を見る。

 松前学院の制服は上下ともに黄土色で、男女とも丈の長いブレザーには6つもボタンが縦に並んでいる。ほとんどの生徒が上3つくらまでしか留めていないのは、もちろん面倒だから。それを全部留めれば少しは温かくなるかもしれないと、ちゃっかりコートを着てきた柊にからかわれたのはつい3分前のことである。

「そのうちくるだろ」

 私立松藤まつふじ学園高等学校壱年生の天宮柊は、悠然とブロック塀に腰掛けて言う。

 松前学院同様桜花最古参高の1校である同校男子の制服は、落ち着いたブルーグレイのブレザーで、丈は標準。丈の短い女子のブレザーと同じくボタンが1つしかなく、松前学院とは対照的である。

 上に着た紺のハーフコートの裾からは、茶色いチェックのズボンをはいた足が伸びている。

「そのうちっていつ?」

 上着を忘れてきた金村は恨みがましそうな目で見るが、柊は素っ気ない。

「そのうちはそのうち。ガキみたいな屁理屈こねてんじゃねーよ。

 待ってられないなら迎えに行ってやれば? すれ違っても知らないけど」

「だよね、お前はそういう奴だもんね」

 待ち人とすれ違っても、柊のことである。金村のことなど綺麗さっぱり忘れ、携帯電話にメールの1通も寄越すことなく待ち人と2人で先に行ってしまうに違いない。

 金村の隣りに立つこの美人は、桜花トップクラスの頭脳と容姿を持ちながらも 「人は見かけによらず」 を具現。この1年、待ち人と一緒になって、金村にその意味を散々教えてくれたのである。

 もちろん金村の造形もそれほど悪くはないのだが、隣りに柊が立つと凡庸な高校生に見えてしまうのは致し方ないことだろう。おまけにいつも自信なさけげな金村は、覇気にも欠けている。いじけた金村が顔を上げた丁度その時、2人の前を黒塗りの高級外車が走り抜けてゆく。

「日本にもあんなでかい車、あるんだ」

 最後の 「だ」 の形のまま開いている金村の口を、柊は横目に一瞥し 「口を閉じろ」 と注意する。

「大型リムジンだな」

 テレビで見る縦に長いタイプだけをリムジンだと思っていたらしい金村に、柊は色々と種類があることを教えてやる。

「でも桜花じゃ、あんまりデカい車だとどっかでつっかえそうだね。道、そんなに広くないし」

 そう言って金村が苦笑いを浮かべたところに、先ほど走り去ったばかりの車が、よほど運転技術に自信がなければ出来ないようなスピードでバックしてくる。

「はいぃぃぃぃぃぃ? ちょっと、あんなことしていいわけっ?」

「事故らなきゃいいんじゃないの?」

 驚きも露わな金村の声はうわずっているけれど、柊は道交法には詳しくないと冷ややか。

 その間にも戻ってきた車は2人の前でぴたりと停車。すぐ助手席から黒いスーツに黒いサングラスと、お決まりの格好をした体格のいい男が下りてくる。金村の意表を突く右ハンドルである。

 体格のいい男は周囲を伺って安全を確認すると後部席の扉を開き、頭を下げて主人を迎える。そんな仰々しさとは裏腹に、明るい色をした髪をさらりとなびかせながら下りてきたのは、まるで人形のように愛らしい少女である。触れれば壊れてしまいそうなほどの儚さは、舞い降りた天女を思わせた。

「ありがとう」

 少女は高く柔らかい声で男に礼を述べると、手にした扇子をゆっくりと開いて口元を隠す。

 小さめの丸い輪郭に大きな瞳、透けるように白い肌。腰に届くほど長く伸ばした髪には癖がなく、かすかに吹く寒風にも柔らかくなびく。身長は150センチもないだろう。

 制服を着ているが、桜花島内では見ないセーラー服である。おそらく明後日に行われる学都桜花がくとおうか一斉入試を受けに来た中学生だろう。年齢的にも高校生には見えない。

 顔を上げてまっすぐに歩道をまっすぐに歩いてくる少女に顔を赤くしてどぎまぎする金村だが、彼女が見ているのは彼ではない。隣の柊である。

 柊もまた、いつもは冷たくさえ見える整った顔に、今までに金村が見たこともない優しい笑みを浮かべて少女を見ている。

「久しぶり。調子はどう?」

「それなりに」

 少女は少し照れたように小首を傾げて答える。

「今日は平日だけど、学校は?」

「午前中授業でした。京都の私立は今日が入試でしたから」

 少女が何者か、金村にはわからないけれど、柊との会話から推測するとやはり受験生らしい。

 学都桜花全82校の一斉入学試験は明後日の日曜日に行われるのだが、桜花島内にはホテルのような宿泊施設はほとんどない。いまから来てどうするのだろう? そんな金村の心配をよそに、いや、存在そのものを無視して2人の会話は長閑に続いている。

「志望校はそのまま?」

「もちろん松藤です」

「サクヤ君なら楽勝でしょ」

 その程度かと言わんばかりの柊。松藤学園といえば柊の通っている学校だが、学都桜花全82校最難関である。その最難関に首席で入学した柊だが、決して易くはないことを知っているはずなのに実に軽い扱いである。

入試テストが終わってから時間ある? って言いたいところだけど、ちょっと週末は時間が取れなくて」

「存じております。柊、自治会のお役目でお忙しいのでしょう?

 ですから本当は桜花に来たこともお知らせしないつもりでした。試験が終わればすぐ京都に戻ることになっておりますし」

「サクヤ君も忙しいな」

「ですが偶然お見掛けいたしまして、車を停めていただきました」

 それがあのバックである。なんとも無茶をするものである。

「見事なバックだったな。運転、小川さん?」

「はい」

 まるで自分のことを褒められたように喜ぶ少女だが、柊の隣で話を聞いているだけの金村は開いた口が塞がらない。あんな無茶な運転を見事だなんて言う、柊も柊である。

朔也子さくやこ

 不意に閉ざされていた車のスモークグラスが音もなく下がり、社内から女性の雅やかな声が掛かる。するとそれまでブロック塀に腰掛けていた柊は立ち上がり、見えない車内に向かって軽く頭を下げる。

「そろそろ参りましょうか? 柊さんもお忙しいのですから、あまりお時間を取ってはいけませんよ」

「はい、お母様」

 車を振り返って答えた少女は、すぐさま柊を向き直って言葉を継ぐ。

「それでは柊、また」

「春の園遊会には合格祝いを用意しておくよ」

「気が早いこと」

 まだ入学試験も受けていないのにと笑う少女だが、やはり嬉しいのだろう。こぼれるような笑みを浮かべながら黒いスーツの男が開ける扉をくぐり、車に乗り込む。男はすぐさま扉を閉めると柊に向かって慇懃に一礼をし、助手席に乗り込む。

 車が滑らかにスタートしたのは、助手席の扉が閉まって一呼吸分くらいの間を置いてからである。

「人形かと思った」

 ようやく喋られるとばかりに言葉を発する金村だが、返ってきたのは柊の声ではない。別の少年の声である。

「本当に可愛い子だね」

 日本全国どこででも見られる黒い詰め襟学生服を着て、自分たちの方へ歩いてくる少年を見て、金村はすぐさま口を尖らせる。

「柴!」

「さすが藤家とうけの媛君ってところかな? 洋装だから、さしずめ女神の降臨ってところだね」

 桜花東区にある私立瑞光ずいこう高等学校1年生の柴周介しばしゅうすけは、柔和な雰囲気に中性的な顔立ちをしてるが、身長は175センチくらいあり、決して線も細くはない。

「何が女神の降臨だよ? 遅い!」

 歯の浮くような柴の科白を馬鹿にするか金村だが、柴は涼やかな笑みを浮かべてみせる。

「悪い悪い、ちょっと駄々をこねられちゃって」

 そんな柴に柊が問う。

「よくわかったな」

「なにが?」

「サクヤ君のこと」

「ああ、藤家の媛って?」

「藤家って、藤林院寺家? あの子、藤林院寺家の子なのっ?」

 全く気づいていなかった金村の驚きに、柴は遠慮がちな苦笑を浮かべるだけだが、柊は露骨に呆れてみせる。

 古の都いにしえのみやこ、京都にその本拠地たる宗家の大邸宅を構える藤林院寺家は、日本屈指の名家にして、この学都桜花がくとおうかの創始一族でもある。現在もその財力と、多大なる政財界への影響力を以て桜花を庇護し続けている。

 ちなみに藤家とは、藤林院寺家の略称のようなものである。

「チラッとしか見えなかったけど、車に乗っていた人、初代の奥方だろ? 以前、お2人ご一緒のところをお見掛けしたことがある」

 柴の冷静な観察に、柊は 「よく覚えてるな」 と感心するが、少女の美しさにすっかり見とれていた金村は 「そうなの?」 と驚きの連続。

「あれだけの美人だからね。一度見たらそうそう忘れられないでしょ?」

「いや、ここに1人、すっかり忘れてる奴がいる」

 柊の指摘を受け、柴の目が金村を見る。数秒遅れてその視線に気づいた金村は、慌てて早口に弁解する。

「覚えてるよ!」

「なんでそう見え透いた嘘をつくかな、お前は。さっきから小学生みたいなことばっか」

 ほとほと呆れる柊に、柴はそんな金村を無視するように話を続ける。

「相変わらず凄い車だし」

「そう? サクヤ君、目立つの好きじゃないんだけどな」

「十分目立ってるよ」

 言って柴はまた苦笑を浮かべる。

「姉妹揃って美人なんだ」

 2人の会話の隙間に、何気ない金村の呟きが入り込む。刹那、切れ長と言えば聞こえのいい柊の細い目がさらに細くなり、金村を睨み付ける。

「誰と誰が姉妹だって?」

「え? だからさっきの子と総代」

「サクヤ君は一人っ子」

 いくら藤林院寺が珍しい姓とはいえ、必ずしも同姓だからといって兄弟姉妹とは限らない。金村の迂闊な短絡的思考を柊は責める。

「二度と朔也子とあの馬鹿を姉妹なんて言うな。次に言ったらぶっ飛ばす」

 それこそ今、問答無用でぶっ飛ばさず、次という猶予を与えるのは柊なりの優しさではない。罠である。

「天宮はやると言ったら本気でやるからね、せいぜい気をつけないと」

 一見同情しているように見える柴の発言だが、実は全くしていないということを、この1年近い付き合いで金村も学習した。いや、学習させられたといった方がいいだろう。

 そして柴もまた、金村が気をつけていてもそれをしてしまうことを知っており、その時が来るのを楽しみに待っている。

「柴、他人事ひとごとだと思ってるだろう?」

「他人事だよ」

 穏やかな表情でさらりと言ってのける柴に、柊は呆れ半分、感心半分に言う。

「柴ってさ、善良そうな顔してさらりと酷いことを言うよな」

「そうかな?

 そういう天宮こそ、藤家とはどういう関係? 以前からずいぶんお家事情に詳しいとは思っていたけど」

 丁度いいからと尋ねる柴だが、柊も別に隠していたわけではない。あえて話す機会がなかっただけだと、少し面倒臭そうに話し出す。

「うちの爺さんが、藤家の先代と学生時代からのお友達。半世紀くらいの付き合いじゃないの?」

「藤家の先代って、総長だよね?

 でもって天宮は総代と仲が良くないのに、あの子とは仲良しなんだ」

「柴もぶっ飛ばされたいか?」

「遠慮しておくよ。あの総代と天宮が仲良しだと始末が悪いしね」

 この上なくたちが悪いなどと同意する金村は、ふと気づく。

「それってつまり、総代とさっきの子も仲が悪いってこと?」

 すると柊は肩をすくめてみせる。

「顔を合わせるたびに大喧嘩。ふっかけるのは決まって高子たかいこだけど。

 だから宗家の本宅やサクヤ君のいるところは、高子は出入り禁止」

 やむなく高子が宗家の屋敷に来る時は、わざわざ使用人を配して2人が顔を合わせないようにしているという。

「そりゃそうだよね。あの総代相手じゃ、どんな目に遭わされるかわかったもんじゃないし」

 それこそ両親は気が気じゃないだろうという金村だが、柊に反撃される。

「へなちょこのお前と一緒にするな。

 サクヤ君にハンデがなきゃ、高子なんぞに負けやしない」

「俺たちはあの綺麗なお姫様よりへなちょこってことかな」

 笑う柴に、金村は 「自分で言ってて情けなくならない?」 と突っ込むが、柴の耳には届いていない。彼の関心はすでに別のところにある。

「3月に総代が卒業して、4月にあのお姫様が入都にゅうとしてくるってわけだ。これはちょっと面白いことになりそうだね」

「なるだろうな」

 柴と柊、2人のあいだに漂う不穏な空気に気づいた金村は半歩ほど後ずさり、どちらにともなく尋ねる。

「あのさ、何が面白いの?」

 その落ち着きのない様子に、柊は呆れて溜息を吐く。

「正真正銘のへなちょこ君だな、お前は」

「別に、金村に総代や、あのお媛様とやり合えなんて言わないから大丈夫」

 柴までが言い出す。

「その点については、はじめから金村だけは当てにしていません」

「第一、総代はともかく、あのお媛様とやり合いたいなら、まずは天宮を倒さないとね」

 実に楽しそうな柴に金村は慌てる。

「いや、いい! 絶対勝てないから!」

 さらに一歩後ずさる金村だが、柊は容赦ない言葉を浴びせる。

「どこまでもへなちょこ君め。わかってないみたいだが、俺たちも新学期にまた選挙があるんだぞ。そんな調子で勝てるつもりか?」

「それはわかってるよ!

 だいたい俺、好きで立候補したわけじゃないし。先輩たちの陰謀で……」

 どうやら自治会執行部役員の立候補は金村の本意ではなかったらしい。思わず口を滑らせた金村は、気まずさから最後まで言えず口ごもるがすでに手遅れというもの。柴は苦笑するに留めるが、柊は薄い唇の端を吊り上げるように笑う。

「役員の古城ふるじょうさんに言いつけてやろうか?」

「やめろ! そんなことしたらまた生徒会室に連れ込まれて……」

 松前学院生徒会役員たちに取り囲まれ、寄って集って何を言われるか、どんな目に遭わされるか……想像するのも恐ろしい金村は、青い顔をしてまたしても口ごもる。

「で、天宮は何を企んでるのかな?」

 金村のことなどどうでもいいと言わんばかりの柴は、改めて柊に話を切り出す。実際、金村が松前学院生徒会役員に袋だたきにされようと、彼にはどうでもいいのである。

「企んでるっていうのは人聞きが悪いな」

 ここで企んでいないと言わないところが柊である。

「知ってたんだよね? あのお媛様が桜花に入都するって。それを黙っていたんだ、何も企んでいないはずがないだろう?」

「さすがは柴。金村とは違うな」

「褒めても何も出ないよ」

 この切り返しも金村とは違う。

「サクヤ君がどう動くかは、俺にもまだ予想がつかないんだ。だからオフレコにしておいた方がいいって思っただけ。入試前だし、俺たちもやることてんこ盛りだし」

 必要以上に混乱を招かないため黙っていたという柊の話に、一応柴は納得するものの、チラリと金村を見る。

「俺は別にオフレコでもいいけど、金村にはちゃんと口止めしておいた方がいいんじゃない?」

 柴の視線に、またしても数秒遅れて気づいた金村は恐る恐る柊を見て、その刺すように冷たい視線に戦慄を覚える。

「あ、あの、天宮?」

「こいつはいい。喋ったら問答無用で殺す」

「ちょ、ちょっと待ってよ! もう、さっきから冗談じゃないよ!」

「相変わらず甘い奴め。俺はいつだって200%本気です。冗談は欠片ほども言ってません。お前の方こそ、さっきから俺のこと舐めてんのか?」

「舐めてないから怖いんだよ!」

 恐怖のためか、金村の声はうわずる。

「だいたいお前、なんの話かわかってないくせに、何怖がってるんだよ?」

「わかってるよ! 次の総代選だろっ?」

「言ったな? 殺す」

 まずは左手の関節を鳴らした柊は、続いて右手の関節を鳴らしつつゆっくりと金村に迫る。

「ちょ、ちょっと天宮? それはないだろ?」

「金村は本当に馬鹿だね」

 まるで他人事のような柴は、柊の掛けた罠にまんまと引っかかった金村に拍手を送る。

「お馬鹿さんならお馬鹿さんらしくわからない振りをしていたらいいのに、どうして半端な真似をするのさ?

 いい加減、自分で不運を招いてるって気づけば?」

 笑顔でさらりと厳しいことを言ってのける柴だが、下手に仲裁に入れば自分まで巻き添えを食らうことはわかりきっている。ここは笑顔で見守るのが友情というもの。そしてそれがお利口さんというものである。


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