秋梅の蔭 ~project method prologue~

藤瀬京祥

prologue


 古都・京都、その賑わい華やかな市街地を、少し離れた閑静な住宅地にその屋敷はある。

 瓦屋根のある塀に囲まれた和の趣豊かな広大な庭に、由緒ある寺社を思わせる壮麗な屋敷は古く、威厳さえ漂わせる。

 手入れの行き届いた庭木には秋の気配が感じられるものの、いにしえみやこを渡る風はまだ温く夏の熱気を帯びている。

 竹垣に仕切られた庭の一つを望む広縁では、置いた籐の椅子に少女が1人、背に当てたクッションに深々と小さな体を預けている。

 ひどく線が細く、触れれば壊れてしまいそうなほど華奢で色白。中学3年生にしては身長150センチ足らずと小柄でもある。

 藤林院寺とうりんいんじ宗家が現当主、藤林院寺とうりんいんじ貴玲たかあきらの一人娘にして嫡子、藤林院寺とうりんいんじ朔也子さくやこである。

 長く伸ばした髪を高く一つに結い上げ大きく巻いていると、まるで人形のように愛らしい。小さな手にした扇子を三分の一ほど開き、何度目の溜息をその蔭に落とす。

「媛様」

 少女の座る少し後ろ、硬い板の間に膝をついて控えていた若い女が、おもむろに声を掛ける。年齢は20代半ば。黒いパンツスーツで身を固めてる。

 その存在を、思案に耽るあまり忘れていた朔也子は、少し驚いたように目を見開く。

「あ、ああ、如月きさらぎ? なに?」

「そろそろ中へ入られませ」

 返される女の言葉に、朔也子は少しばかり沈黙を置いて 「そうですね」 と応え、ゆっくりと立ち上がる。すると、これまた思案に耽るあまり忘れていた暑さが不意に戻ってくる。

 広縁に面した部屋に戻った朔也子はお気に入りのアンティークソファに掛けると、すぐ後ろをついてきた如月が再び声を掛けてくる。

「今日はもう、休まれてはいかがですか?」

 案じる如月の気持ちもわからないでもない。今日は予定外の外出で、この残暑厳しい中を大阪まで遠出していたため酷く疲れていた。

 けれどまだ休むわけにはいかない。

「大丈夫」

 朔也子は手にした扇子を少しだけ開いて口元に当てると、その蔭に小さく息を吐く。これで何度目だろ。

「私も藤林院とうりんいんの娘です。

 若輩なれど、相応の務めは果たさねばなりませぬ。

 そうでしょ?」

 同意を求められた如月は、大きく頷きつつも言葉を返す。

「媛様のお心掛けは立派と存じます。

 なれどあれは高子たかいこ様の独断専横が招いたこと。

 媛様には関わりなきことにございます」

「如月、あれは独裁と申すそうな。

 あきらさんが申しておりました」

 少しふざけてみせる朔也子だがその顔色に精彩はなく、如月も 「媛様」 と呟くに留める。

「そなたの申したいこともわかります。

 私も、高子になぞ関わりたくはありませぬ」

 チラリと如月を見た朔也子は、何か言わんとする彼女の機先を制し、パチンと音を立てて扇子を閉じる。

「なれど私は藤林院寺宗家の嫡子。

 一門の不始末を、見て見ぬ振りなど出来ようはずもありませぬ。

 ましてことが桜花おうかゆえ、お父様やお祖父様には関与し難きことなれば、私が対処するより他ありますまい」

「ですが……」

 遠慮がちに、それでいて引き下がるまいと言葉を返そうとする如月だが、そこに黒いスーツ姿の男がやってくる。如月より少し歳上のこの男は小川おがわ菜摘なつみといい、軽く190センチ以上あるだろう痩身をしている。

 広縁に姿を見せた小川は板の間に片膝をつき、雪見障子越しに声を掛ける。

「媛様、おくつろぎのところを失礼いたします」

「小川殿?」

 朔也子の傍に控える如月が、怪訝そうにその姿を見る。

 だがソファに掛けていた朔也子は、小川が手に持つ電話の子機を見て口元に笑みを浮かべる。そう、彼女は待っていたのである。小川の 「お話になりますか?」 という問いかけに、朔也子は無言で細い手を差し出す。

「朔也子です」

 口元に当てた送話口にそう告げると、すぐさま耳元の受話口に返事がある。

「余計なことをしてくれたわね」

 挨拶もなければ名乗りもせず切り出される声は朔也子より少し低く、その話し方は歳上を思わせる。

「すっとぼけるんじゃないわよ。

 あんたの仕業だってことはわかってるんだから」

 間髪を入れず継がれる言葉。

 だが朔也子はその凄みに飲まれることなく、優美な笑みを浮かべてゆったりと返す。

「とぼける?

 冗談を申しますな。

 わたくしは逃げも隠れもいたしませぬ。

 あなたがいつ電話をしてくるか、今か今かと待ちわびておりましたのに、ずいぶんと遅かったこと」

 それこそ待ちくたびれたと言わんばかりの口ぶりで返す。

「年中寝てるあんたと一緒にしないで。

 あたしは忙しいのよ!」

「戯れ言を申しますな。

 あなたが忙しいのは下らぬはかりごとばかりしておるから。

 時間を無駄遣いしておること、まだ気づかれませぬか」

 心底呆れてみせる朔也子だが、相手はお構いなしに勢いよく言い返してくる。

「あんたとこうやって話してることが一番無駄なのよ!」

「わたくしにとっても無駄な時間ですわね、あなたといつまでも話しているなど。

 まともなお話であれば伺いましょうぞ」

「どういうつもり?」

 言った相手は、自分から問うておきながら朔也子が言葉を返す間を与えず、すぐさま苛立たしげに言葉を継ぐ。

「あたしの物に手を出して、ただで済むと思ってるわけ?」

「あなたごとき、わたくしに何が出来ると申すのです?

 そもそも桜花は、いつからあなたの物になったのでしょう?

 そのようなこと、お父様もお祖父様も了承してはおらぬと申すに。

 あまり勝手なことを申すと、あなたこそ仕置きされましょうぞ」

「桜花はとっくにあたしの物!

 今更何を言っても遅いのよ」

「わたくしは、その心得違いを正すべく行動したまでのこと。

 過分な振る舞いは慎まれよなど、今更あなたに申しても無駄でしょう。

 なれば自由になさるがよろしい」

「言われるまでもないわ!」

「もちろんわたくしも自由にいたします。

 故にあなたの指図など受ける覚えはありませぬ」

「朔也子、あんた!」

「此度のこと全ての責は高子、あなたにありましょうぞ」

 朔也子がやや語気を強めると、相手は 「はぁ~?」 と威嚇するような声を出す。

「寝ぼけてるんじゃないの?

 誰がなんと言おうと桜花はあたしの物。

 自分の物をどうしようと、あたしの勝手でしょ?」

 その挑発的な反論には怒気すら感じられる。

「世迷い言を申しますな。

 桜花総代は支配者ではなく、文字通り桜花自治会の総代表に過ぎませぬ。

 考え違いも甚だしい」

「勘違いしてるのはあんたよ。

 だいたい桜花の人間でもないくせに、余計な口挟むんじゃないわ」

「確かに、今は。

 そういうあなたこそ、あと半年ほどの命数ではありませぬか」

「それはどうかしらね?」

 相手は鼻を鳴らして笑う。なにやら企んでいるらしい。しかもそれを隠そうともしない大胆不敵さは自信の表れだろう。

「また下らぬことを考えしか」

 もう一方の手に持った扇子を少しばかり開いた朔也子は、その蔭にわざとらしいほど深く息を落とす。

「くだらない?

 ずいぶんな言い草じゃない。

 だいたい桜花は藤家とうけの物。

 藤家の庇護なしに存続などあり得ない。

 だったらあたしがどうしようと勝手じゃない」

「心得違いも甚だしい。

 何度同じことを申せばかるのかや?

 project method。

 藤林院の者でありながら、太郎坊たろうぼう大おじい様が掲げし創始理念を忘れしとは」

「なんとでも言えば?

 どうせあんたには何も出来やしないんだから」

「此度の敗因をもう忘れしとは、呆れたものです。

 もう一度申す、藤林院は庇護者であり、支配者であってはならぬ」

「勘違いしてるのはあんたじゃない。

 あたしは全権者たる桜花総代よ。

 ま、桜花の人間じゃないあんたは知らないだろうけど、この桜花であたしの権限がどれほどのものか」

「どれほどの権限かは存ぜぬが、部外者のわたくしに阻まれる程度なれば知れておるというもの」

「あんたじゃなくてお祖父様に邪魔されたのよ!」

「この痴れ者が……」

「勝てば官軍よ」

 電話の向こうで、相手は勝ち誇るように鼻を鳴らす。

「確かに、あなたが常に勝者で在り続けるための努力を怠らなかったことは認めましょうぞ。

 なれど肥大した自尊心プライドは、すでにただの傲慢と成り果てし。

 潮時です。

 あなたも藤林院の血を引く者なれば、引き際を弁えよ」

「綺麗事を」

 相手は吐き捨てるように言い放つ。

「ならばあなたの悪運、その未練とともに断ち切りましょうぞ」

「綺麗事の次は戯れ言。

 よくもまぁ、次から次に出てくること」

「この藤林院寺朔也子に二言はありませぬ。

 あなたのその肥大した自尊心プライド、女々しいほどの桜花への未練とともに、この朔也子が断ち切りましょう。

 藤林院寺宗家が当主、貴玲が嫡子の矜持プライドにかけて」

「吠え面かくんじゃないわよ!」

 用の済んだ子機を如月に返しながら、朔也子は開いた扇子の蔭に溜息を落とす。それを見た如月は、受け取った子機を小川に渡しつつ案じるように尋ねる。

「よろしいのですか?

 高子様と争われるなど、院のお耳に入ればまた……」

「そなたたちが黙っておればよいことです」

「ですが学都がくとを巡って高子様と争われましても、現状では媛様が圧倒的に不利かと」

「確かに、いま高子と正面切って争うは時期尚早。

 少し様子を見た方がいいかもしれませんね」

 如月の言葉に同意した朔也子は、開いていた扇子を閉じる。

「では手の者に探らせますか?」

「適任はおりまして?」

 朔也子の問い掛けに、如月は広縁に控えている小川を見る。

「情報収集ということでございましたら、奈月なつきが適任かと」

 小川の返事を聞いて、朔也子はパチンと扇子を鳴らす。

「では近日、屋敷に召しなさい」

 すると小川は板の間に片手をつき 「承知いたしました」 と答え、「御前、失礼いたします」 と静かに下がってゆく。

「それにしても……」

 言葉半ば、朔也子はうつむき加減に深く息を吐く。そしてゆっくりと言葉を継ぐ。

「今日はとても疲れました。

 もう休みます」


                ~project method prologue~ 秋梅の蔭 終わり

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