ハルナノガタリ
季月 ハイネ
#1
空が好きだ。
晴れた日の明るい空が好きだ。雨の日は苦手だけれど、窓から眺める景色は嫌いじゃない。それに、雨上がりの外も好きだ。空気が澄んでいて心地いい。心まで洗われるような感じがする。
曇りの日は少し嫌い。気分までどんよりとしてしまうからだ。
朝一の、まだ暖まりきっていない時間も好き。人が少なく、しんと静まり返った場所は、頭を空っぽにして考えられるから。夜明け前の空はきれいで、幻想的なところも好きだ。
晴れた夜はいつでも星を見上げる。夏よりも冬の方がきれいなのだ。はっきりと見える明るさに、うろ覚えの星座を探してみたりして。
結局星座が分からずに、唯一知っているオリオン座だけを探して終わる、わたしの星座観測。
空は芸術家だ。生まれながらの表情が数え切れないほどある。
正直、羨ましいな、なんて思うのだ。
「ヒナ」
背中からかけられた声に、ぶらつかせていた足を止めた。
「おまえ好きだなー、この場所」
「ま、ね。とか言ってるちぃくんも好きでしょ」
「おう、もちろん」
答えたちぃくんが隣に座る。長身のちぃくんが座ると目線がほぼ同じ高さになるのだ。
背の順で並ぶと前から数えた方が早いわたしにとって、ちぃくんの背の高さはちょっぴり羨ましい。前にそんなことをこぼしたら、ほんの二、三年前は低かったのだと、ちぃくんに言われた。すっかり見慣れてしまった背丈からだと、想像もつかない。
ちぃくんにもそんな頃があったのかと、疑わしくなってしまう。
「あー、ここにくるとやっぱり夕陽が見たくなるな。一日が終わったって実感できる」
「見るならやっぱ晴れた日かな」
「だな。あとは雨上がりの日もいいよな」
「そうそう。空気が澄んでるから凄いきれい。ちぃくんは夕陽の色、何色だと思う?」
茜色。橙。朱。紅。
人によって、表す色は異なるのらしい。感じ方の違いだろうか。
「そりゃ決まってるじゃん。夕焼け色」
「それ、色じゃないし」
「でも、これ以上ないくらい的確だろ?」
そうだけど、そうじゃない気がする。
「色だとどれも違う気がするんだよね。型にはめ込んだっていうのかな」
「だったら夕焼け色でいいじゃん。間違っちゃいない」
「出た、お得意のへりくつ!」
「へりくつじゃないし」
学校の帰り道。通学路の終わりにある坂の上。その坂を登り切った頂上には公園がある。ベンチがふたつばかり置かれているだけの場所なので、公園、と呼ぶにはいささか小さい。きっと休憩所なのだろう。自分たちならまだしも、お年寄りの人たちがこの坂を上るには少しばかり大変だ。だったら坂の上になんか住宅地を作らなければ良かったのに。そう思わないでもないけれど、いろいろと大人事情があったのだろう。詳しいことは知らない。
そんな場所にある公園のベンチは、ちょうど南向きになっている。そこから見える眺めと日当たりは最高にいいのだ。早朝には朝焼けが、夕方には夕陽で照らされた街並みに出会える。目を凝らさなくても、そう遠くないところには学校が見えるのだ。
住宅街の中、ひとつだけ広い敷地がある場所。そこがわたしたちの学校だ。
「ちぃくん、今年のお祭りどうするの?」
ベンチから立ち上がり、夕陽に向かって背伸びするちぃくんに訊いてみた。
「祭り? ああ、冬休み入ったからもうそんな時期か。どうすっかなー」
「また一緒に準備やろうよ。わたし一人だけで行ったら『どうしてちぃにいちゃんこないの?』って言われちゃう。泣かれるのは嫌だなー?」
「脅しかよ」
「いえいえ、とんでもない」
そう、そんなことはない。至極真っ当な意見だ。
「そんなこと言われなくても行くって。俺もあいつらに会いたいし、当然、ヒナも行くんだろ?」
「うん。やった、楽しみだな」
ちぃくんが、横に置いていた鞄を取りに来る。それを見てわたしも同様に、鞄を手にして立ち上がった。
「それじゃあ、また。三日後に」
公園の入り口から、右と左。それぞれの方向へ行く前に、一旦停止する。
「うん。気を付けてね」
「ヒナも。気を付けて帰れよ」
「ありがとう。またね」
「おう」
手を振って左に行くちぃくんを見送りながら、私は彼に背を向けて反対へと歩いていく。
公園から家までは十分もかからない距離。だからこの場所に来やすいのかもしれない。学校に行くだけなら本当は坂を自転車で下っていく方が早い。坂を下る分、帰りは全て上り坂になるから大変だけど。
今でこそほぼ毎日のように立ち寄る公園だけれど、入学した当初は存在すら知らなかったのだ。実は。
坂道を上るのが辛くなって、途中から自転車を押して帰ったあの日。休憩をしたくなって立ち寄ったのがこの公園だった。重い足を引きずりながら、たどり着いたベンチの、そこから見えた夕陽がとても鮮やかだったのだ。
言葉を失くして立ちすくんだのを覚えている。きっと、心が奪われるってああいう景色のことを指すのだ。時間がない、が口癖だったけれど、なんだかどうでもよくなってしまった。縛られない時間の流れがそこにあって、きっとそのことに羨望を抱いてしまったのだ。
坂を上り切った達成感、それと体力を使った疲労感。あそこで見えた夕陽は、最高のご褒美だったのだ。
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