居鯉の夢(原型)
茂瀬草太
ゆめうつつ
夏の陽射しに照らされて、庭に生い茂る草木が青々と輝く。
最低限の手入れだけを施された庭は、一瞥した限りでは鬱蒼としている様にも見える。
絵師様曰く、こうした手入れの方が草木は活きるのだそうな。
時折、絵師様の考えていらっしゃることは難しくていけない。
理解に窮するこちらを見て、絵師様はゆうるりと笑みを浮かべてらっしゃる。
そうして緩んだ眦を正しもせずに、絵師様は再び庭を見られた。
つられる様に、視線が庭へと向かう。
燦然と眩しい緑。
細やかながらも、色鮮やかに咲く名前も知らぬ花々。
垣根に区切られた向こう側から、サボン玉が飛んでくる。
幼子でもいるのだろうか。
途切れず生まれ、葉に当たり砕けるサボン玉は、見ていて飽きない。
絵師様が、常に持たれてなさる筆を取り出された。
傍に置かれた紙を片手に、さらり、さらり、と筆を滑らせる。
夏の暑さに堪えられず零れる汗を拭うては、再び紙に筆を乗せなさる。
飽く事の無い動きに合わせ、いつの間にやら左手腕へと移ったらしい鯉が泳ぐ。
ゆらゆら、ゆらりと些か長い尾鰭背鰭を漂わせ、鯉は泳ぐ。
時折、サボン玉が縁の際まで流されて鯉に重なり、摩訶不思議なる色を織り成す。
光に照らされ、七色を纏うサボン玉の向こうにて、朱と金と黒がくるりと回る。
不意に、一陣の風が吹いた。
ザアと騒がしく揺れる木々の音を割(さ)き、風鈴の甲高い悲鳴が鼓膜を引き裂く。
思わず眼(まなこ)を瞑り、荒い風の通り過ぎる時を待つ。
漸く落ち着いた頃合いに、片方の眼を開き辺りを伺う。
ゆらゆらとそよ風に吹かれる風鈴が、心地好い音色を立てている。
木々の合間を木漏れ日が遊ぶ。
甘やかな花蜜の香りが、鼻孔を擽る。
縁側に、影は一つ。
墨は香らず、形の無い和紙も風に煽られず、目にも映らない。
鯉は居ない。
男も居ない。
夢うつつをさ迷う様に、パチリとサボン玉の割れる音が聞こえた。
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