最終巻「護るもの」
第44話「胸のうち」
「おお」
扉を開けたとき、
「これは――男ぶりが上がったな」
「そっちはちょっとやつれちゃったんじゃねーの? まあ、女性信者は俺が引き留めておいてやるから、安心して寝てろよ」
言いつつ
「
「ああ。『先に
「はは、面白いことを言う」
「だろ? あいつ変わったよなー。堅物の時もあれはあれで面白かったけど、新たな扉を開いちゃったのか? って感じだよな。しっかりしてるふうに見えてどっか抜けてるっていうかトロいっていうか、それがおかしくって。だってさ、この前だって――」
ふと訪れた沈黙。一人で喋り捲っていたことに気づいた珂惟は口を噤み、まっすぐ向けられた視線を辿る。その先で上座が優しげな目をしていた。
眼差しと同じ声色で一言。
「楽しそうだ」
その言葉に、珂惟は笑顔を見せると、
「ああ」
そう、一つ大きく頷いてみせる。そして、
「じゃ、変な噂が立たないように、俺もう行く。まだ顔色怪しいから、無理すんなよ」
一息にそう言うと、ひょいと腰を上げ、大股で扉に向かった。
そして扉に両手をかけ、ゆっくりとそれを開いた――が、
「――どうした?」
開けかけた扉を再び閉じた珂惟に、背後から上座が声をかけてくる。
「言い忘れた」
そう、珂惟は扉を背にすると、上座に向き直った。目を、ほんの少し上座から逸らすと、
「俺さ、どうやらあんたが無事じゃないとダメみたいなんだ。灌仏祭の時の、俺の使えなさといったら――もうホント、とんだ恥さらしだったぜ。だから、自分を大事にしてくれよ。頼むから」
早口にそこまで言うと、珂惟はにわかに踵を返した。そして、再び扉に手をかけると、
「じゃあもう行く」
ぶっきらぼうに言い捨てると勢いよく扉を開け、珂惟は部屋を出て行った。
「琅惺」
講堂の前、赤く染まる砂礫に伸びる長い影が見えた。それは歩き回った末、ようやく見いだした姿。
途端に振り返った表情は厳しかった。
「気安く呼ぶなってんだろ
その言葉に、張り詰めた糸のような琅惺の様子が、ふと和らいだ。
「まさか抱き合ったりしてないだろ?」
「面白いこと言うって上座大ウケしてたぞ」
「おい、寺主に先に会うって言えって言ったろ!」
「大丈夫、それも言っておいたから」
屈託ない笑顔を見せる珂惟に、琅惺は渋い顔をする。だがすぐに様子を改め、
「ところで何か用か?」
そう問いかける。
「そうそう。今晩、杏香のトコ行こうぜ」
珂惟の言葉に琅惺は驚いた顔で、
「今日戻ったばかりなのに元気なヤツだなあ。――まあ早く姿を見せてやれば彼女も安心して喜ぶだろうし、行ってこいよ」
「えっ、お前も行こうぜ」
「馬鹿を言うな。私は出家の身。俗のものとはいえ、法を犯すわけにはいかない。坊越えなんて真似は私にはできない」
「また文牒貰えばいいじゃん」
との珂惟の言葉に琅惺は、
「上座がすっかり快方に向かわれているのは、毎日ここに詰めてる衛士は君以上によく知っている。この前みたいな言い訳は、もう通用しない」
とにべもない。
「まあそういうわけだから、一人で行ってこいよ。『彼女』によろしく」
向けられた晴れやかな笑顔に何やら意味が込められているように感じて、珂惟は慌てて、
「俺はただ依頼が来てるか知りたいだけだ」
珂惟の言葉に、琅惺は眉をひそめた。
「まさか、例の悪鬼祓いとか言わないよな」
「ご明察。行の成果を確かめてみたいし」
「とかいって、金も取るんだろ」
「まあ、それが目的だから」
と悪びれない様子の珂惟に、
「いつまでそんな危ない橋を渡るつもりだ。君のその行為が道教側に知れたら、向こうに付け入る隙を与えることになるんだぞ。君も将来、出家できなくなる」
険しい顔で詰め寄り、厳しい口調で咎めた。
その剣幕に、珂惟はにわかに表情を改め、
「分かってる。でもあと少しだけ――そしたらこの商売は廃業する。だからもう少し、見逃しておいてくれ」
そう言うと徐に背を向け、薄紅に染まる空を見上げた。そんな珂惟に、琅惺は複雑な表情を見せた。複雑な表情のまま、
「君がそう言うなら」
ボソリと呟く。
葛藤が滲むその声に、空を仰ぐ珂惟の口元が少し上がった。「多謝」
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