勇者ホリル一行

 若者は、年はまだ十五か十六といったところか、幼く些か頼りない印象を受けた。

 羽織るマントはこれまでの旅で少し砂埃に汚れていたが、まだ新しい肩当てを付け、鎧ではないが立派で丈夫そうな刺繍の服を着ている。魔除けらしい模様が丹念に織り込まれていた。おそらく故郷で、旅立ちのために土地の魔法使いか長老か、もしかしたら親が編んでくれたものなのだろう。

 腰には、短めの剣を差している。まだ長剣を振り回せそうな力があるようには見えない。

 

 しかし、彼は礼儀正しく、ミコシエらを前におどおどしたりする様子はなく、しっかりした口調で話しかけていた。

 

「現在この町に滞在されている方で、戦える人を探しているんです」

 

 ホリルの後ろには、他に同じくらいの年と思しき軽装の少女と、ローブの男がいる。

 一行とはこの三人なのだろうか。他にも仲間がいるのかはわからない。

 

「てえと、例の龍を討ちに行くのかい」

 ハガルが答えた。

 

「はい。しかし恥ずかしながら、我々だけでは困難な事情がありまして……うちの魔術師のヨッドが、力のある方々が新たに町へ来たようだと魔法で察知しまして、こうしてあなた方を訪ねさせていただいた次第です」

 

 ローブ姿の男は、頭には魔術帽を深く被っており、半ば顔が隠れてはいるが、血色の悪い病的な印象を与えた。

 

 ヨッドと呼ばれたその男は、

「ホリルの言った通り、失礼ながらあなた方を探知させていただいた。強い力が三つ……各々方手練れのようだな」

 と告げる。

 

「三つだけじゃないみたいよ。ほら」

 と、その横にいた少女がミコシエの脇にたっと駆けしゃがみ込んで、ミコシエの後ろに隠れている魔狼の仔においでおいで、とする。

 

「やめておけ。そいつは、魔狼の仔だ。人には懐かんぞ」

「えっ。本当? 魔狼? 初めて見た。この仔じゃあこの七、八倍は大きくなるの?」

 

 少女は無邪気に魔狼の仔に近づき手を伸ばす。魔狼の仔は噛み付きはしないが、唸っている。

 

「何故、あなたは魔狼の仔なんて連れているんですか? この仔、なんて名前?」

 

 矢継ぎ早に問う少女に、ホリルは、

「クー。失礼だろう」

 と言って止めようとする。

 ミコシエは、

「エルゾッコだ」

 と呟く。

 

「エルゾッコ?」

 

 クーと呼ばれた少女だけでなく、レーネ、ハガルもミコシエに聞き返す眼差しを送る。

 

「ああ……エルゾ峠にいた魔狼の仔だからな」

 

「それって今決めたの?」

 レーネがきょとんとした顔で聞く。

 

「いや……私の中では最初からそう決めていたが。魔狼の仔、では呼びにくいし名がないのも可哀想だからな」

 

「魔狼の仔、エルゾッコ、どっちもどっちじゃない。呼びにくいわよ」

「ひでえネーミングセンスだな」

 と言い、レーネとハガルは笑った。

 

 クーも「おかしなお方」と言い、微笑する。

 

 エルゾッコと名付けられた魔狼の仔はきょとんとして周りの皆を見つめ、またミコシエに隠れて低く唸るのだった。

 

 ホリルは咳払いをし、用件を続けた。

 

「それで、龍はですね、砂漠の墓所をねぐらにしているらしいことはわかっています。墓所には、ここの人たちの話によると、龍以外に、もともとは悪霊が住み着いているということです。そこで、戦える方の中でもとくに聖職の方を探しているのです」

 

 そう言って、ホリルはミコシエらを見渡す。

 

「実は、私達のパーティの僧侶が熱病に倒れてしまったため、悪霊を退ける手立てがなく、龍の前に悪霊を何とかできないと墓所へ行ったとしてもどうにもできないのです」

 

 今度はハガルがレーネ、ミコシエを見比べて、

「何だぁ。見ての通りだぜ」

 とホリルに告げた。

「探しているのが僧侶じゃ、残念だが。しかしどうだ、悪霊がこの手斧でぶった斬れる相手なんだったら、俺が行ってやらないでもないのだが」

 

「そうですか……」

 ホリルは、落胆した様子だ。

「おそらく、いかにあなたが怪力の勇士であっても、悪霊はその手斧では斬れない」

 

 だがここでヨッドが、待ったをかけた。

 

「ホリル待て。……いるな」

「なっ。ヨッド、ど、どこに? 悪霊か?」

 

 ホリルは急に慌てて、剣の柄に手をあてる。

 ハガルやレーネもきょろきょろと見回す。

 

「な、何がいるってんだよ。おい」

 

「木こりの旦那、あんたの隣のその細い男……」

 

 ヨッドが指差したのは、ミコシエだった。

 

「あぁん?」

 ハガルは一瞬、怪訝そうに目を細めた後、大笑いする。

 

「はっはっは。こいつは傑作だぜ。おいミコシエ、おまえ悪霊だとよ。ま、見えなくもないぜ。少なくとも、悪霊を引き寄せそうな縁起の悪い人相では、ある」

 

「ちょ、ちょっとハガル。言い過ぎじゃない? でも、わからないでもないけど。うふふ」

 

 レーネも可笑しそうにしている。

 

 ホリルはきょとんとしたまま。

 ヨッドは、至って真面目に、続けた。

 

「そうではない、その男……あんた、」

 ヨッドはミコシエに呼びかける。

 

「聖騎士だろう」

 そう、はっきりと言い放った。

 

 レーネは、はっとして、ハガルも一瞬笑いを止めた。

 場が静かになる。

 ミコシエ自身も、一瞬、驚いた表情を見せた。

 何故、この男それを見抜いた、と。

 

「あっはっは」

 ハガルが再び、吹き出す。

 

「なんだって、おまえ……」

 

 しかし、隣のレーネの反応を見てすぐに笑いをやめ、

「本当に、聖騎士、なのか?」

 彼も真剣な面持ちでミコシエに問いかけた。

 

 ホリルはミコシエが答える前に、すでに表情を嬉々としており、

「ほ、本当なのですか! まさか、ちょうどタイミングよく、しかも聖騎士のお方にここで会えるなんて」

 光栄です! と言い、ミコシエの手を握る。

 

「む、むう」

 

 ミコシエは思わぬ展開に少々困り顔だ。

 レーネはそんなミコシエを面白がるようににやにやと見学を決め込んでいる。

 

「是非、是非とも、このホリルに、力を貸していただけませんか?」

 

 ミコシエは、ホリルを見る。

 

 勇者として選ばれた、ミコシエから見ればまだ幼いとさえ見えるほんの少年。

 かつて、聖騎士として自らが選ばれたときのことが少し思い出される。

 世間の希望を託され、世界のために戦う勇者。

 それとは全く異質な、余人に知れぬ探求の旅を行う聖騎士。そうであった自分……そうであった、か。ミコシエは思う。

 今はどうなのか。

 もう、探すべき物すらわからなくなっているのではないか。

 自分ははたして今、聖騎士なのか。

 あの魔術師の男、そのように言ったが……

 

「へえ。おまえ、まあただ者じゃねえのはわかっていたが。まさかな」

 ハガルが改めてミコシエをまじまじと見る。

「見栄えからはわからんもんだ。むしろ、ならず者の類だぜ」

 

「ミコシエすごいじゃない。勇者様から、そう言っていただけるなんて?」

 レーネもミコシエを茶化す。

 

「けど、さ」

 しゃがみ込んで、すでにエルゾッコを撫でているクーが言う。

「聖騎士ってからには、何らかの使命を帯びている人でしょう。いいの? それを逸れて、あたし達に協力なんてしてもらって」

 

 ミコシエは少女の問いに少しぎくりとする。

 そもそもすでに、使命から逸れている……逸れすぎているのだ、と思う。

 

 ホリルは、クーを遮って、

「一時だけ、でいいのです。それ以上は、あなたの使命の旅を妨げるつもりはありません。今、あなたの力が、必要です」

 と強調した。ホリルは、真剣だ。

「ここで立ち往生しているのは、私達だけではないですし」

 

 ミコシエは、そのようなことは聖騎士であったこれまでの自分にならば、関係のなかったことだと、思い馳せる。

 起こる物事の全てが、探求に関わることでしかなく、他人や世間といったものとは、無関係であったはずだった。

 それが今、いつしか全く逆で、誰か他人や世間のための、旅や戦いに巻かれようとしている。

 

 じっと押し黙っているミコシエに、ホリルもさすがに少し戸惑う表情を見せた。

 それに助け舟を出してかハガルが、

「おいおい。勇者様の頼みを断るおつもりかい? 聖騎士様は」

 と皮肉っぽく言う。

 

 ホリルは、

「そんな驕りはないのです。無理でしたら、これ以上は……」

 と返した。

 

 クーが立ち上がり、ミコシエの隣に立って、

「聖騎士さんも砂漠を越える必要があってここへ来たのでしょう? 龍を何とかしない限りは足止めなのだしね。それとも聖騎士さまなら、空を飛べる?」

 そう言っていたずらな笑みを投げかけてくる。

 

「失礼だぞ、クー・メリッサ。おまえはもう、僕の後ろにじっとしててくれ」

 ホリルが叱ると、

「あなたのお願いの方が、ほんとは失礼で不躾なのよ。聖騎士さまだってほんとは龍や悪霊は怖いかもしれないのによ、無理に付いてこさせられるのじゃ、たまったもんじゃないでしょう」

 とクーが返す。

 

 二人は仲が良さそうだ。同郷の昔馴染みだろうか、とミコシエは思った。

 

「馬鹿な。聖騎士が、悪霊など愚か龍さえ、怖いものか」

「いや……怖い」

 

 皆がはっとそちらを見る。

 言ったのはミコシエ自身だ。

 皆には確かにそう、聞こえた。

 

「えっ。今なんと」

「ほ、ほらあ。まさかだけど、ね。聖騎士さまだって」

 

 ホリルは驚いた様子で、クーもそう言いつつ、まさかといった表情で言うと、ミコシエは「いや……冗談だ」とぽつりと付け足す。

 

 これを聞いてホリルは安心したように、クーやハガルはぷっと吹き出し、笑うのだった。

 

「おかしな聖騎士さま」

 

「あの……どうでしょうか。確かに、クーの言った通り不躾であるとは思います。しかし、礼は尽くさせていただきます」

 

 ミコシエは一度、ふーと小さく溜め息付いた後、わかった、とだけ答えた。

「まあ少しだけ怖いのだけどな。本当は」と、皆に聴こえない呟きで呟く。

 

 ホリルは、狭い宿ではあるが自分らの取っている宿に来ないか勧めたが、ミコシエは野宿でかまわないと断った。

 ホリル一行はまた明日(みょうにち)、改めて訪問させていただくと言って、今日は引き返していった。

 レーネはもちろん、何故せっかくの誘いを断ったのか、今夜のお風呂はどうするのか、ミコシエを責めた。

 

「しかし、なんだ。なかなかの好青年だったじゃないか。腕の方は甘ちゃんかもしれんが、礼儀はわきまえていたぞ」

 ハガルは、ホリルの印象をそのように述べた。

 

「そう……ね。健気な若者だったわ」

 レーネはどこか遠い目をして独り言のように言う。

 

 ミコシエも、実際、ハガルが言ったのと同じで、彼らに好い印象を持っていた。

 ただ魔術師の男、ヨッドに関してはホリルやクーのような若者ではなく、どうやってパーティに加えられたのかその経緯はわからないが、どちらかと言うと自分達と同じような熟練の猛者と思えた。

 ミコシエの身分を聖騎士とまで暴いた。

 余程の特殊な力に関わっている者とも思えた。

 

「あの、おまえのことを細い男。とか言った、おまえよりもっと細い痩せ男のことな。不気味だな、あいつは。骸骨みたいで、おまえに劣らず墓所がお似合いだと思うが」

 ハガルはそう語った。

 ミコシエは、ヨッドについては口に出して語ることはしなかった。

 

 そう話しているうち、街は日が暮れ、砂漠椰子の林の周囲あちこちに街路灯が燈り始めていた。

 野宿をしながら飲んでいる旅人もいるが、街の警備兵が巡回しており、治安は保たれている。

 この街の中に危険は感じられなかった。

 

 砂漠椰子の林から、中央通りの建物が立ち並ぶ方角を見ると、四、五階建ての宿らしい建物にも次々と灯かりがついていく。

 多くの旅人が足止めされているここで夜を過ごすのだ。

 もどかしい思いをしている者もいるだろう。

 そう思いミコシエはレーネの方を見る。

 レーネは、風呂を得られずに不満そうだ。

 林の向こうには、茫漠とした砂漠が広がっている。

 そこを超えればオーラスがある。

 レーネの夫が眠る地、オーラス。

 

 

 *

 

 一方、ホリル達の滞在する宿の上階からは、街の周囲に点在する林が見えている。

 

「あの辺りだったかな。聖騎士さまがいるのは。今頃、もう眠っている? それとも……」

 そうだ、あの女の人と、恋人同士なのかな、聖騎士さまは?

 そんな風にクーは言っている。

 

 馬鹿だな、とホリルは返す。

 

「聖騎士は、女人の肌に触れることは禁じられているだろう。僧侶と同じで。だから、聖職なのだから」

「ってことはぁ……ええっ」

 

 クーはもう一度、えっと声を上げて、

「じゃ、あのお方、今までに……経験ないってこと? もうそこそこいい年よ。私達より一回りは上でしょ」

 少し楽しそうに言う。

 

「おまえは、そういう話になると途端に楽しげになるんじゃない」

 ホリルは呆れたように言って、

「でも年なら、少し上なだけに見えたけど」

 と付け足す。

 

 クーは、あははと笑って、

「ホリルは若輩だから、まだ人を見る目ができてないのよ。こないだだって、キャレルの街で泊まった夜、踊り子が沢山いた通りでさ、化粧のお姉さんに騙されてたじゃん。きれいなお姉さんだな、えへへ、とか言ってたけど、あんなのもう四十超えたばばぁよ」

「だっ、騙されてって、僕は、何もしていない! 夜だったから、暗くて、よくわからなかったんだ!」

「ふぅん」

 

 クーはしかし尚、ホリルをちょっと見下したような目付きで見て微笑している。

 

「く、クーなんかよりはいいだろ。おまえだって、何がわかるんだ。僕より二つも下の世間でいういわゆる小娘ってのじゃないか」

「ふふふ。あたしはだって、この年にして、色々修羅場を抜けてきてんだもの」

「盗賊の首領の娘だもんな」

「レンジャーって言ってくれる?」

 

「おまえの出自を知っていたら、勇者の一行には加えなかったのだが」

 

「運命、ってやつよ。世間知らずの勇者に、机上の空論ばっかりの魔術師に、自分で治癒できない熱病に倒れる僧侶。あんたらだけじゃ、困難な旅は切り抜けられない。実戦経験豊富なあたしが必要でしょ?」

 

 クーは存在を誇示するようにない胸を張って、ホリルに接近してみせる。

 

「ち、近寄るなって」

「ふん。勘違いしないでよ」

 

 クーは窓際に戻り、窓の外を見て、

「じゃあ、あたしあの聖騎士さま……ミコシエ、だっけ。変な名前。ミコシエさまのいいひとになっちゃおうかしら」

 と呟く。

「けどあの横にいたおばさん……って言ったら悪いか、あの女の人って、恋人かしら?」

 

 ホリルは、また言ってる、とますます呆れ顔になる。

 

「……あのでっかいおっさんの方とできてるとも思えないし。あ、できてるって女の人と、でっかいおっさんとが、ね。ミコシエさまとでっかいおっさんとができてたら、……想像したくないわ。でも意外と、あのお方そっちのけがあったりして」

「おいクー」

「えっ、な、何」

 

 今度はホリルがクーの方に詰め寄る。

 

「いいか、聖騎士の身分の方に幸運にも出会えて、一時力を貸してくれるだけでもありがたいんだ。本当に僕は、迷惑かけて申し訳ないと思ってるんだ。いいか、絶対ミコシエさんを惑わせたりするなよ」

 

「ま、冗談だけど? あんたは人がいいねホリル。こっちは勇者様ご一行なんだから、聖騎士だって巻き込んじゃえばいいのよ」

「おい」

 

 ホリルは表情を険しくする。

 

「きゃっ……じょ、冗談よ。もう、ホリルは真面目すぎるわ。面白くないし、勇者なんかじゃなかったら友達できないタイプだし、絶対彼女できないし……ぶつぶつ……」

 

「僕は、勇者だからって、絶対に思い上がるようなことはしない。全ての人全てのことに感謝し、謙虚な気持ちを忘れてはいけないんだ」

 

 クーは、はいはいわかりました、と言い、この線からこっちには入ってこないでと言って床に就くのだった。

 

「そう言えば、ヨッドはどこ行ったろう」

「夜の街ほっつき歩いてんでしょ。知らないあいつは。もうあたし寝るから、話しかけないでね」

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