第2章 勇者レオと魔王アルル

 半年前まで世界中に魔物と呼ばれる生物がたくさんいました。魔物はとても凶暴な獣で、人間に襲い掛かってきます。数え切れない程の人々が魔物によって命を落としました。人間は魔物の恐怖を世界から無くすために、協力する事にしました。このままではやがて人類は魔物に滅ぼされてしまうと考えたからです。

 どうやって世界を魔物の手から取り返す事が出来るか。それは魔王を殺す以外に考えられない、と人々は思いました。

 魔王とは、魔物を束ねている存在の事です。不思議な術、魔術を使うための強力な魔力を宿していると言われており、全ての元凶だと考えられていました。魔王が魔物達を操って村を荒らし、人々を殺し、世界中に恐怖を与えていると。

 たとえ魔物を駆逐しても、その魔王を殺さなければ世界はずっと平和にならない。そう考えた人々は、魔王を殺すために強い人間を捜しました。その代表として選ばれたのがレオなのです。レオは幼い頃から体を鍛え、またよく勉強もしていました。彼は力と知恵を兼ね備えていたのです。そして何より、魔物に立ち向かう勇気を持っていました。そこでレオは人々を代表する勇者として、仲間達と共に魔王を殺すための旅に出ました。

 旅の途中には様々な試練がありました。複雑に入り組んだ真っ暗闇の洞窟、入ると皮膚が腐ってしまう毒の沼、そして次々と襲い掛かってくる魔王の手下の魔物達……。

 幾多もの困難を乗り越え、レオはついに魔王の元へ辿り着きます。しかし、その時はもう、レオひとりしかいませんでした。他の仲間達は、皆それまでの間に命を落としてしまったのです。怪力自慢の武闘家も、剣術に秀でた剣士も、仲間の傷を癒していた魔導士も、皆魔王や魔物が仕掛けた罠によって次々に死んでいってしまいました。

「魔王! 俺はお前を殺しに来た勇者、レオだ! 俺と戦え!」

 魔王が住む城の一番奥にある部屋のドアを開けて、レオは高々と叫びました。

 そこにいたのは、まだ幼い少女でした。

「……あなたが勇者様……ですか……」

 少女は冷たい目でレオを見つめて言いました。

「! ……何だ……お前は……! まさか、まさかお前が……魔王……!?」

 レオは魔王の見た目に驚きました。凶暴で獰猛な魔物を従わせるのだから、てっきりもっと大柄な、獣の様な見た目を想像していたからです。しかし、彼の前にいる魔王は、紛れも無くただの人間の女の子の様にしか見えませんでした。

「魔王……そうですね、あなた達人間からはいつの間にかそういう風に呼ばれていますね」

「……み、見た目に騙されるものか! お前は魔物共を操って、罪も無い人々をたくさん殺した! 俺の……俺の仲間だって……!」

「そうですね。殺しましたね。でも、それはあなたも同じ。あなたは罪も無い私の仲間達をたくさん殺してきた」

「なっ……それは! 魔物が今までにたくさん人間を殺してきたから……!」

「私だって同じですよ。あなた達人間が今までにたくさん私の仲間の獣達を殺してきた。だから私も人間を殺すんです」

 やがて、ふたりは殺し合いを始めました。魔王の強さは圧倒的です。今までにレオが戦ったどの魔物よりも強いのです。

 しかし、戦いの途中に、魔王は突然口から血を吐きました。

 その隙を見てレオはすかさず猛攻撃を仕掛けます。魔王には反撃する瞬間を与えませんでした。

 そしてついに、魔王は大きく体勢を崩したのです。

「……これで終わりだな……」

 レオは倒れた魔王の喉元に剣を突き付けました。

「これでお前は死ぬ」

「……どうやら私の負けの様ですね……ごふっ!」

 その時再び魔王の口から血が溢れてきました。

「……お前のその吐血……何なんだ? 病気か?」

「……これはおそらく……毒です」

「毒? そんな物、すぐに解毒出来るだろう。お前ほどの魔力があれば」

「そうですね……以前なら出来たのでしょうが、今の私にはどうやら不可能の様です」

「どういう事だ」

 それから魔王は自分が毒にかかった経緯を説明し始めました。ある日彼女が城から少し離れた森の中を訪れた際、人間が魔物を殺すために仕掛けた罠にかかって逃げられなくなっていた小鳥を見付けました。助けてやろうと罠を外すと、今度は毒の塗られた矢が彼女目がけて飛んで来たのです。罠は二重に仕掛けられていたのです。小鳥は無事に逃がしてあげましたが、毒は彼女の体内に残ったまま。すぐに魔術で毒を抜く事も出来たのですが、彼女はそうしませんでした。

「なぜだ」

 レオは問いました。

「近くに傷付き倒れた仲間がたくさんいたからです。私は彼らを助けるためにそこに向かっていたのです」

 その後、彼女は仲間の元へ行き、その傷を癒してあげました。しかし、その間に毒はどんどん彼女の体を蝕んでいったのです。

「気付いた時には解毒は不可能でした。体中に行き渡った毒が私の体内の魔力と何かしらの反応を起こしたのでしょう。私は悟りました。この病はもう治らない。おそらくこのまま私は死ぬのだと」

「……」

 レオは黙って魔王の顔を見つめていました。

「どうしました、勇者様? 私を殺すのではなかったのですか」

 この時レオの頭の中には、なぜか魔王を「生かす」という選択肢が浮かんでいました。どうしてかはわかりません。少女の様な見た目に惑わされているのでしょうか。わかりません。

「……もし、もし俺がここでお前を殺さずに生かしたとするならば、お前はこれからどうする?」

 突然こんな質問をぶつけます。

「……不思議な質問をするのですね。憎悪の対象でしかない私に対して……そうですね……またあなたと戦った所で、勝てないのはもうわかっています。もし存える事が出来るのなら……静かに暮らしたいですね」

「……静かに暮らす?」

「はい。私はもう疲れました。あなた達人間との戦いで。世界の半分どころか全部をあなた達にあげますから、願わくばその世界で静かに暮らしたいです。そうして残りの短い生涯を終えたい」

「……」

 レオはじっと考えていました。

「ですが、私としては、ここで生き存えるよりはいっその事死んでしまいたい。一瞬でこの命を閉ざして欲しい。他の誰よりも憎らしいあなたのそのつるぎで」

「……」

 レオはゆっくりと剣を引き、鞘に納めました。

「生きろ」

「?」

「お前は、生きろ。ここで死ぬな」

「……生きろ……? 私に……言っているのですか……?」

 その時、魔王の瞳から涙がつう、と流れました。

「戦いに疲れて、毒が蝕み、憔悴しきったこの体を抱えたまま、生きろと。そうあなたはおっしゃるのですか? 何て、何て残酷なのでしょう、あなたは。何て残酷な勇者様。あは、あははは……」

 魔王の涙は止まりません。

「でしたら、でしたらあなたは、私のお願いを叶えて下さるのですか?」

「ああ、叶えてやる。俺の家に来い。そこで静かに暮らせばいい。その命が尽きるまでな」

「……ああ、何てお優しい勇者様……涙が止まりません……どうしてでしょうねえ、私、今、物凄く嬉しいのです。憎むべきあなたに慈悲を向けられ、これほどまでに嬉しく、歯痒い事はありません」

「お前、名は?」

「……アルルガノ……」

「魔王、アルルか……」

 それからしばらくして、魔王アルルはありがとう、とぽつりと言いました。

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