血塗れの戦乙女と木偶人形3

 シュナ達から十分に離れると、カールはハクの腕から降ろしてもらった。


「ゼロース、ペジテ大工房から帰還し何があったのかおおよそを知りたい」


 空き部屋だろう、客間を親指で示した。


「ティダ様から聞いたのでは?」


「あの男、私に謝罪してきた。それだけ。恩を着せてくるのかと思ったら何だあの男。意味が分からない。ゼロース、お前から聞きたい。あと唯一信頼する部下として話がある」


 カールはハクの背中に手を回した。それから寝室の扉を開いて中へと入った。


「分かった。しかし部下ではなく兄だ」


 カールは振り返ってゼロースをにらんだ。


「そもそもラーハルト様の兄弟弟子。弟だと思って下に甘んじていたが、このゼロースは兄だった。そしてカール不在時に最も頼りになる騎士となった。ふははははは!残念だったなカール!俺は今やシュナが認める元帥げんすい。バースが引退して政治方面でシュナを後押しするので、お前は護衛親衛隊長とする」


 室内のソファにゼロースがどかりと座ると満足そうに微笑んだ。笑い方がティダそっくり。シュナから離れたカールと、ずっと側で護衛していたゼロース。反論出来ない。


「紅の騎馬隊長はどうした」


 そのまま昇格ならビアー。あんな小者、ゼロース不在では役に立たない。カールはゼロースの向かい側にハクと共に腰を下ろした。


「素直にビアーだ。育て上げる。カール、この国は大きく変わる」


 ゼロースが今日まで何があったのかを語り始めた。


 嘘としか思えない話が次々と現れた。



***



 状況と人間関係はおおよそ把握したが、カールはまだ混乱していた。


 約半月。


 こんなにも変わるものなのか。


 ゼロースは泣いていた。


「アシタカ様とシュナ様は大陸和平に踏み出す。含まれるのは人だけではない。矢面に立って恩人であるセリム様とラステル様、崖の国を隠すそうだ。ティダ様はお二人の見張りと護衛につくという。セリム様は上手く丸め込まれて、故郷と近隣の蟲森から外交を始める。アシタカ様とシュナ様の後押しになるように偉大な民になると大張り切り。そもそも背を押したのはセリム様なのに不思議な方だ」


 オルゴー国。


 領土はない。必要なのは誇り。命を慈しむ気持ち。人と他の生物の誤解を解いて住み良い世界を作る者は全て国民。蟲と語り、蛇と語り、大狼とも語るから常に中間に立つ。その為の仕組みを作る。


 ノアグレス平野の雪原で、蟲を森へ返すと言ってきた男は、セリムという男はそんなとんでもない発想をする人間だったのか。


 生き様で国民にしたのは異次元の大国ペジテ大工房御曹司アシタカ、外界一の歴史と武力誇るドメキア王国の聖女という地位を確立させたシュナ。


 そしてベルセルグ皇国の犬皇子。本性はハイエナだと睨んでいたが本当に犬だった。アンリの指摘通りらしい。個人的な戦闘能力、護衛という点においては最強だろう。巨大な蛇の王を投げ飛ばすとはどれだけ怪力。人なのか?そして常に遠くを見て計画を練っている。シュナと同様だ。機転も利くようなので予想外の事態でもすり抜けていくだろう。


 最強の護衛。シュナではなく、アシタカでもなく、セリムが選ばれた。


「俺達は今まで通りシュナを守ろう。それが絶対にセリム様やラステル様の為になる。二人にはティダ様がついている。カール、お前がずっとシュナを裏切らず支え続けた結果だ。お前が帰ってきたら見せたい、教えたい、しきりに話している。人として正しく生きられたのは、勇気を持てるのはずっと心身共に味方だったカールのおかげだそうだ。殺人狂みたいなお前でも人を救う。俺はこの先なるべく命は奪わないように鍛える」


 ゼロースの瞳が「お前もそうしろ」と訴えている。手にかけた命に後悔はない。しかしカールも涙が抑えられなかった。


ーーカール。貴方が私をめてくれるもの。それで十分よ。私は幸せだわ。この世で最も美しい宝を赤ん坊の時から持っているもの


 シュナがこの城からなんだかんだ出ていかないのは、カールがナーナや盟友の死に関与した者を激しく憎みシュナを王にしたかったから。そういう慕われ方ではなかった。


 カールを人殺しにしたのは自分だと責めている。だからこの城から出て行かなかった。多くの慈悲を民に与えようとした。容姿が良い方が人心掌握すると、カールを矢面に立たせていた真の理由。シュナならそういう考え方をする。何故今まで気がつかなかったのだろう。


 密かにルイを支援していたことなんて知らなかった。ヴラドの兄ハルベルとかいう男も知らない。王座の裏側についても、シュナは王になる気などさらさらなかった。無血革命の過程はシュナの予想と大きく違うだろうが、下地は長年シュナが作り上げてきたもの。みにくく馬鹿な振りをしている自分ではなく、王に相応しい者を祭り上げる。


 新たな王がカールを殺すよりも使うように、シュナはカールをずっと祭り上げていた。現にカールは自身の心根とは真逆の評価を受けてきた。ゼロースのようにカールを「殺人狂」などと呼ぶのは、人を見る目がある者だけ。


「同じように育ったのに、いやシュナ様の方が辛かったのに私とは違い過ぎる……なんて尊い……姉だなと恐れ多過ぎる……。守らねばならない。私はずっとシュナ様を刺してきたというこどだ……。ついにシュナ様は逃亡という選択肢も捨ててしまった。シュナを囲うもの全てを守らねば……」


 ハクがカールの肩を優しく叩いた。それから自分の胸部を叩いた。自分もシュナを守る、そう言ってくれる気がした。


「そうだ。敵にすきを与えるな。俺達、シュナを囲む者が評判を下げてはならない。騎士として高みに登ろう。俺はティダ様のように、守るべき者を守る力ある者を育てる。共に成そう。シュナを守りながら、守ってくれる者をもっと増やす。それに戦場が減れば我等騎士団は治安維持という本来の責務を担う。やる事が膨大だ。あとシュナが喜ぶから姉らしく振る舞え。まあ、今まで通りで良いだろうが様だけは止めてやれ」


 カールとは違って、ゼロースはスラム出身という悪評跳ね除けて、叩き上げで第四軍の花形である騎馬隊隊長まで登りつめた。カール不在時では他の師団長押しのけて元帥げんすい。第四軍でのカールの求心力は、ゼロースがシュナの忠臣でカールに絶対的に従ったからという理由が最も大きい。


「お前と双子だなんて信じられん。ゼロース、貴方はシュナに似てる。指摘通り殺人狂で、人らしく生きるなど中々困難。腹立たしく悔しいが、見張ってさとしてくれ。シュナの為なら何でも受け入れる。あと兄上とは絶対に呼ばない」


「帰還する際の船でセリム様に力比べを申し入れて、力を誇示するなと説教食らった。俺達のような人種は戦場が無くなるとむなしくなるかもな」


 カールとゼロースは攻撃的な所は同じ。そう言ってくれているのが伝わってくる。昔から憎たらしかったが、こういう人の気持ちに寄り添おうとする所はシュナそっくりだ。事実を知ればカールとゼロースは顔立ちも良く似ている。


「アンリという娘がこう言った。我が国では毎年治安維持部隊が武道等の競技を行う。戦う高揚感も勝利の優越感も得られる、らしい。内容聞いて取り入れたらどうだ?少しはマシだろう」


 ゼロースが目を丸めてから破顔した。


「ティダ様が言うように毒気消えたな」


 カールはハクを見つめた。グルド帝国への報復、実験施設だろう場所の破壊。出直してやり遂げようと持ちかけても一度も首を縦に振らなかった。タルウィ個人ならともかく他は別。何とも言えない気持ちになり、道中考えさせられた。


 筆談で言われた、こんな姿でも生きている。中身まで化物にはならない、その言葉。


 カールを人らしくさせるシュナと重なった。命の恩人というのもあるが、見捨てたらシュナを捨てるのと同意義に感じられてならなかった。


「ゼロース、このパストュムというのはグルド帝国の妙な技術で人から作られる」


 ハクが立ち上がって拳振り上げた。カールはハクの殺気のなさから殴らないだろうと無視した。


「この者、名はハク。セリム殿の近衛兵だ。拷問ごうもん耐えぬき、主の秘密を守り抜いてこのようにされた。何故か私を助けたが、主の生き様背負ったからだと分かった。この件、ティダが見抜き、盗み聞きしたアシタカ殿とアンリが知っている。そしてこの件、アシタカ殿が預かった。ハク、我等家族と生きていこう。シュナは目ざとく観察力が優れているが詮索せんさくしたりしない。パストュムが人から作られているという情報がなければ流石に正体には気づかないだろう。慈愛にあふれている妹だ。側にいればそこらの人間よりも幸福になれるぞ」


 ゼロースが愕然がくぜんとした。それから勢いよく立ち上がった。


「騎士の鏡中の鏡!そして敗北の恥と屈辱も分かる。分かるぞハク。いや、オルゴーか。オルゴー、決してお前の不名誉は口外しない。主を守り通した名誉を語れば主に苦痛与える。カールの言う通りシュナはセリム様とラステル様のような方だ。そのような姿で故郷は辛い。この地で俺達と誇り高き騎士として生き、面白楽しく過ごそう。蟲に蛇に大狼、シュナだけでなく我が直属の部下は何でも受け入れる」


 ハクがカールとゼロースを交互に見た。カールは部屋を見渡して紙とペンを探した。その間にゼロースがハクの体に手を回した。三回背中を叩くとゼロースがハクに向き合った。


「男は生き様や背中で語る。喋れなくても問題なし。文字を覚える振りが終われば語り合うことも出来るしな。特注で鎧作らせよう。よし、三人揃いで紅の甲冑だな。オルゴーよ、俺の部下にはパズーが居る。セリム様と離れて独り立ちしたいという。共にきたえてやろう。根は素晴らしいが、弱過ぎる。この先の激動で生き残れるようにせねばな!よし、部下の所に行こう」


 ゼロースがいきなり床を足で踏み鳴らした。


「決して裏切らないという矜持。見事也!」


 またゼロースが床を踏んだ。先程よりも大きな音が出た。


「主を害した者さえも救うという矜持。敬意に値する。よってこのゼロース、常に貴方の味方となろう。但しシュナと家族にあだなさない限りだ。優劣動かない限りは家族と横並びだ。そこらの友や部下では貴方の上には立てないだろう」


 ハクの体がゆらゆら揺れた。ゼロースがもう一度床を踏んで、三回の中で一番大きな音を立てた。それからハクの腕を両手で掴んだ。


「憎しみで殺すよりも許して刺されろ。今の貴方は主人の信念に従えば豊かな人生歩めると証明出来る。よくぞ覚悟した!シュナはセリム様を信じて突き進み、結果あらゆるものを手に入れた。貴方がカールを助けたから、シュナが後ろ盾。その後ろにアシタカ様がいる。この件預かったということはそういうことだ。ペジテ大工房は技術大国。元に戻る道もあるかもしれん。奇跡起こればひょっこり帰って来たということにするだけだ。この世界、奇跡がよく起こる」

 

 ハクが腕を大きく広げてゼロースの手を離させた。大きく体を揺らしてから、ゼロースの肩に手を回した。反対側の手で拳を握ると突き出した。空気を切り裂く音がした。


「その正拳、腰も入っていないのに何と鋭い。ティダ様の顔に傷をつけられるとはうらやましい限り。ティダ様は不敗神話築いている。俺はヴィトニル殿という大狼に鍛えて貰って負けをつけたい。共に学ばないか?オルゴーならば俺より先にティダ様に届くだろう」


 ハクがやる気満々というように両手で突きを繰り出した。もっと悲壮感抱いているかと思ったら、心配する程でもないということか?それともゼロースの鼓舞や、ペジテ大工房なら元の体に戻れる技術があるかもしれないということに希望抱いたか?


 ゼロースが高笑いしながらハクと部屋を出ていこうとした。ハクが部屋を見渡して、ゼロースから離れた。紙とペンを見つけて、何やら書いて持って来た。


【シュナ姫に救われた。国に戻りたくないがセリム様とラステル様の支援も出来る。呼び止めてくれてありがとう。こんな姿、独りで生きていくつもりだった。助けて良かった】


 ハクがカールにメモを見せてからゼロースにも見せた。カールはメモを受け取ってビリビリと破って投げ捨てた。


「恩には恩を返す。裏切りは万死匹敵。これで借りは返した。あとは好きに生きよ!我が妹シュナにあだなせば首をねる。シュナの全てを信じ決して裏切るな。他はいざという時は殺して構わん」


 ゼロースがため息を吐いた。


「カール、雰囲気変わったか?と思ったら全然変わってないな。オルゴーよ、シュナという妹はとても素晴らしい。セリム様と同等程に守るに値する。しかしカールという妹は狂犬。口より先に手が出るから共に見張り止めて欲しい」


 カールは肩をすくめた。手を汚すのに躊躇ためらえば命危ういというのは身に染みている。経験で積み上げてきた最早もはや本能。見る目を養い、見定める力をつけるしかない。それまでは自重するつもりではある。これだけでも激変、自分ではそう感じている。


「いくぞゼロース、オルゴー。軍では強ければ正義。弱く愚図な上官では死ぬからだ。ゼロース、全軍統一なら余計に有象無象になる。我等三人で頂点に立つぞ。シュナに反目する者を嗅ぎ分けて首をね……追い出してやる、だな。難しいな。殴るくらいはいいか?」


 ゼロースが高笑いした。やはりティダと似ている笑い方。ゼロースが相当ティダを気に入っていると伝わってくる。


「何だ、変わる気があるのか。まあ、俺も加減が分からん。時代が進み騎士など廃れるか、逆行して戦場で大活躍か。それとも別の道か。命短し、まばゆく生きよう」


 ゼロースが扉を開きながら告げると、ハクがまた拳を突き出した。


「やはりゼロースには話したかカール。そしてゼロースよ、俺の口癖真似るのは良いが借り物ではなく己の言葉を使え。大物にならぬぞ」


 部屋の向かいの壁にティダがもたれかかっていた。背中を離して近寄ってくる。何もかも見透かしているような目が嫌だが、目を逸らすのも腹が立つ。相変わらずの地獄耳。扉越しでも聞こえていたのだろう。


「いえティダ様。良い言葉や生き様は伝えてなんぼです」


 ティダがゼロースに満足げに笑みを浮かべてからカールに視線をずらした。


「話が残ってたのできた。ゼロース、オルゴー、聞かれて困る話でもないのでそのままでかまわん」


 どんな男か知ったが、最初の印象が最悪なのでやはり憎々しい。追いかけて何の話だ?しかもどうやって居場所を見つけた?


「カール、先程見聞きしたようにアシタカは頭がイカれている。訳が分からん。本気でシュナにれたせいで失うのを恐れて逃げている。アシタカの阿呆が己に向き合うまでか、シュナが呆れて袖にするまでシュナから常に離れないで欲しい。護衛ではない。姉として支えるべきだ。それがシュナの為だ。お前の代わりにラステルという女が居たがもう帰国する」


 アンリと同じ内容。カールはどういう態度を取って良いのか分からなかった。それからラステルという少女。みにくい化物と呼ばれてきたシュナと、本物の化物のように見えた少女。共に中身は純潔な心を持つ娘。親しくなるのはあっという間だった気がした。


「アンリが同じ内容のことを私に話してきた」


「ふむ、やはりな。流石気配り上手の我が妻。その顔、承知したんだな」


 ティダがもう用はないという言うようにカール達から離れた。


「待て。少し聞きたい。ラステルという娘について。先程少しだけ会った」


 ティダが振り返った。


「ふむ。その顔、話を聞く価値がありそうだ。ゼロース、我が騎士団にオルゴーを挨拶させておけ。話が終わったら手合わせに行く。パストュムの力、能力、把握しておきたい」


 ティダがスタスタと部屋に入っていった。。ゼロースが誇らしげに語った、ティダが選別した騎士のことだろう。


「我が騎士団ね……」


「捨てると言ったり、我が騎士団と言ったり好き勝手。何と表現して良いのか分からない雰囲気。カール、言えば殴られると思っていたので言わなかったがお前に似ているぞ。色々折り合いつけるとカールはティダ様のようになるかもな」


 さあ行こう、とゼロースがハクと歩き出した。これで二人目。


ーー俺は裏切りが1番嫌いだ。誓った通り愛し抜くさ。やっと真実の情も知れた。見習うよ


 白白しい。


 そう思った。


「何が真実の情も知れただ。最初から知っていたくせに」


 一人、こぼしていた。扉を開くとティダがソファにもたれかかっていた。座っているだけで絵になる。この姿が憎たらしい。世界は自分中心で回っていると言わんばかりの態度。カールの世界のど真ん中はシュナ。シュナを押しのけて君臨しようというのが気に食わなくてならなかった。疑ったが、結局ティダはあっさりとこの国から去る。嵐のように人も国も変えて、破壊して、消える。ゼロースからティダが何をしたのか聞かされても、目的や底が未だ見えない。


 眠れぬ晩の、バースとの会話を思い出した。


ーー何故私に従う。この小娘に。血塗れの鬼の化身に


ーー美しいからです。その忠誠心。恐ろしいのに惹かれる。見目の麗しさも拍車をかけていますよ。誰よりも真っ先に戦場へ飛び出す勇猛果敢さ


ーー恐ろしいのにかれる


 本日二度目の、理屈ではなく本能で何となく理解した。ゼロースの言う通り「何と表現して良いのか分からない雰囲気」はあらがい難い魅力のことだろう。


「そんな経ってないのに随分昔のようで懐かしいな。俺は裏切りが1番嫌いだ。これはまこと。誓った通り愛し抜く。休戦の為にドメキア王国シュナ姫に誓い立てた。休戦破れるか王国の姫で無くなれば終了。やっと真実の情も知れた。大嘘。俺には唯一無二の親友ヴィトニルがいた。嘘と真実を織り交ぜると中々見抜きにくい。シュナは全部看破したぜ」


「その上で捨てられた婿むこ殿ね」


 皮肉に言い返すかと思ったらティダは楽しそうに笑った。


「まあその通りだな。れた癖にこの俺を自ら投げ捨てた。おまけに俺に別の女を当てがって真心込めて嫌がらせ。とんでもない女だ。見た目も美しくなり、この世のどんな男も望めば手に入るようになった。選び放題。そうしたら一番良い男を手に入れた。俺を負かした男。俺はシュナに負い目がある上に、アシタカとは因縁付き。一生二人の犬だ」


 肘置きに肩肘ついて頬杖ついたティダが舌打ちを三回した。それから思いっきり嫌そうな顔をした。


「ゼロースからおおよその話は聞いた。シュナがしているようだから私からはびも礼も言わん。ただ自分で聞いておきたい。何故助けた?」


 カールはティダの向かい側のソファに腰掛けた。近寄ると圧迫感が押し寄せてくる。初対面からこうだった。絶対的拒否。一方、シュナには軟化した態度。


「手駒として使える上に、死なせるべきではない良い女だったからだ。そしてその女が真っ先に庇ったのはカール、お前。俺は庇われるのが大嫌いだ。まさに恥。カール、お前と似た立ち位置になる予定だった俺はシュナに傾倒すれば地獄。だから逃げられるうちに逃げた。シュナも俺なんぞ本質的には好みではないから捨てた。折角逃げたのに別の女に捕まってあきらめたがな。結局地獄だ。俺とお前は良く似ていると思うぜ。だからお前も俺も互いに反発する」


 ティダが髪を掻き上げた。自信なさげで、恐れ抱いているという態度に面食らった。


「アンリ、不思議な方だ。あのような女性がシュナの側にいれば良かったと本気で思った。なのに負けず嫌いで凶暴そうでもある。私と張り合ってきだぞ」


 ティダの瞳に愛おしそうな光が浮かんだ。微笑みもそう。こんな顔が出来る男だったのか。カールはまた驚いたが、顔に出さないように力を入れた。


「アンリはシュナと離れるがシュナを相当気に入っている。アシタカとも懇意こんい。ペジテ大工房には良い飛行機も、通信機器もあるから仲は続くだろう。アンリも優劣つけて選ぶ女だから俺やヴァナルガンドよりもシュナやアシタカを守るべきと判断したらこの地に戻ってくる。常に前に立ち、剣と盾になりたい女、俺にとっては恐ろしい妻だ。シュナで手を打っておけば良かった」


 吐きそうという仕草をしてから、ティダが項垂うなだれた。こんなに人間臭い表情をする男ではなかった。高圧的で能面みたいな笑顔か、他者を見下すような冷めた顔だった。


「変わったな。というか本質がこれか。まるで見抜けなかった。そこそこ人を見る目があると自負していたが粉々だ」


「ああ?お前は正しかったぜ。俺をぶっ壊したのはヴァナルガンド。この国に来た時はシュナを懐柔し、祭り上げ、伴侶としてドメキア王国を乗っ取りベルセルグ皇国を叩きつぶすつもりだった。めそやして女としても扱えば駒になるだろう。城なら遊ぶ女はそこらに大勢いる。俺はそう思ってた」


 ティダがまた愛おしいというような微笑みを浮かんだ。先程とは少し毛色が違う。ナーナがシュナやカールを見る目、メルビンやラーハルトがシュナやカールを見る目。そういう種類の視線と笑み。


「シュナは偽りになどだまされない。そして王たる資質あった。貴方は見抜いた」


「俺は人を見る目はある。一方で女の本質を見抜く目はない。この一月、最悪だ。次から次へと俺や友を庇うような、それどころか危険な高みに登りたがる、ひ弱なのに強情でかたくな女が三人も現れた。俺の大駒を次々と配置しないとならなくなった。俺が増やした駒がなくなっちまった」


 三人。アンリ、シュナ、そうくれば残り一人はラステルだろう。ここからが本題だというようにティダが頬杖を止めた。ティダが膝に肘をのせて手を組んであごを乗せた。上手く話を誘導されたのか。


「一人はシュナだな」


「言わずもがな。アシタカがやってきて、俺が作る神話をぶち壊し、この国を颯爽さっそうと救世。シュナの純情をさらい俺の大駒を簒奪さんだつ。後で俺が仲立ちしてシュナに恩を売りつけるつもりが勝手にまとまりやがった。シュナめ、俺にアンリを与えて逆に首輪付けやがった。その結果、我が唯一無二の親友ヴィトニルをうばわれた」


 ティダが大きくため息を吐いた。


「小気味良いわ。シュナに一生こき使われろ。初夜からの横暴が過ちだったな」


「痛いところを突くな。アシタカの阿呆、嫉妬しっと深過ぎる。俺を働かせる材料は減らさねばならん。お前ならシュナの名誉があるから話さないな。添い寝一つしなかったことにしてあるのでつらぬけ」


 カールを追い出し、シュナの部屋に居座り続けていた男のくせにしたり顔。心底腹が立ったが、シュナなら犬に食われたと忘れると言うだろう。ティダは負い目としてシュナに贖罪しょくざいし続けそうなので、蒸し返しても仕方ない。アシタカの怒り方は中々迫力あった。この件は闇に葬ろう。但し、ティダ本人には使ってやる。


「シュナと同じように使おうとすると我が妻が怒るぞ。俺の為でも嫉妬しっとでもない。道具がなくてもお互い支え合う仲だろうという真心で突き刺してくる。何も気にしてませんという涼しい顔しかしない最悪な女だ。護るべき者を護るのが生きる意味という図太い矜持。俺が生きていく地獄をさらに奈落へ突き落とした」


 最悪だ、と呟いてからティダが「あはは」と呑気そうな笑い声を上げた。あきらめたという清々しい表情。全身から発する雰囲気が柔らかい。アンリへの気持ちの大きさが伝わってくる。


「シュナ、アンリ。そしてあの娘だろう?ラステル。セリムの妻だと聞いた。ゼロースからこの夫婦は蟲の民とかいう者だと聞いた。蟲と懇意で夫は蟲と語る。貴方も蟲と話すと聞いた。シュナの病を治したのが蟲だなどと信じられなかった。しかし、ついさっき確信した。蟲ではない、あのラステルだろう」


 ティダの眼光鋭くなった。カールは続けた。


鎧義手アルフィシャル義足アーマーの人体実験で脳みそイカれて幻聴起こるようになったと思っていたが、蟲の声だ。ラステルと目が合った瞬間、あの娘の目が真っ赤になった。そして憎い、殺すという言葉と感情が押し寄せてきた。まるで化物……」


 ティダは黙って聞いている。探るような視線に背中に汗が伝った。強い殺気からして、カールの推測は当たっている。


「化物……そう思った。この私がシュナを置いて逃げたかった。ひどい体調で動けなかった。この世の憎悪を凝縮したようなものが全身包んで、動けなかった。その時……聞こえた……。あの娘の声、さあ許そう、そういう声だ。気がついたら蟲の声は聞こえない。本人の目は元の緑色。何も知らなそうに、私の具合を気遣ってきた……」


 体が震えた。また込み上げてくるこの感情は畏敬いけいと呼ぶ。ナーナが死に際に見せた、笑顔を思い出して泣きたくなった。殺される憎しみや恐怖ではなく、残していく娘の心配しかなかった。


ーー強く生きて。どんなに辛くても人には優しくするのよ。母の教えを守って。そうすれば私の可愛い子供達は守られるわ


 ゼロースから聞いたグスタフとナーナの関係から考察すると、ナーナの最後の言葉はグスタフへの信頼だ。許しを選んで夫を信じて斬首された。シュナは真実知らなくとも正しくナーナの意思を継いで、ついにナーナの正しさを証明した。


 一歩でも誤れば死んでいたのに、シュナには慈悲しかない。いや、敬愛か。母親をひたすら尊敬して生きている。


「蟲の血を取り込むと、死ぬか蟲とつながるかどちらからしい。人によってつながり方も違うという。ラステル、あの娘は蟲だ。正確には蟲人間らしい。蟲に蟲と思われている人間、もしくは人の姿をした蟲。今の所、正体不明。分かっているのはラステルが子蟲に兄弟として扱われていること。雌雄同体ではない珍しい兄弟だから姫」


 ああ、やはりそうか。言われる前からそんな気がしていた。


「蟲姫……。シュナと同じだと思ったよ……。タルウィが探していたのはラステルだろう?ハクがあんな姿になってまで守り通した。化物に間違えられて刺されてしまう、非力で優しい娘。力があるからと利用され、狙われるあわれな娘……」


 ティダが手を組むのを止めてソファにもたれかかった。


「流石シュナの忠犬。見る目があるではないか。お前は決してラステルを売れない。殺せない。違えば俺が食い殺す。俺の直下、ヴァナルガンドの愛妻。俺の中ではアシタカやシュナより上だ。ヴァナルガンドは妻を愛し過ぎて、蟲も大好きになり、子蟲の王子という訳の分からん地位を手に入れた。人を激しく憎悪する蟲の本能と子蟲の間に堂々と君臨し親達よりも強く阻害している。ラステルはぬくぬく守られて、カールお前が聞いたように輝いて兄弟と清らかに育ち新たな未来を築くだろう。妙な夫婦だ」


 ティダが立ち上がった。カールはうなずいた。色々な過去が蘇り、涙を抑えるのに必死で声が出せない。去り際、ティダが三回肩を叩いた。


「信頼したから話した。ラステルはすっかりシュナの妹分。シュナと姉貴面してやれ。あの娘、お喋りで脳みそ足りない阿呆だ。しかし愛嬌あいきょうはたっぷり。シュナと足して割ると互いに女に磨きがかかる。女はぬくぬく幸福に酔いしれて笑っているのが一番美しい。アシタカが大馬鹿野郎なのでシュナの自尊心をラステルやアンリと守ってやれ。この大国がヴァナルガンドとラステルを国ごと守るだろう。個人的には俺が護衛するしな」


 ティダが部屋から出て行くとカールは嗚咽おえつ漏らした。余計なことなどしないで、シュナの指示通り進んでいればハクはあのような姿にならなかった。


ーーセリム様ならば、貴方の主を庇護するだろう!剣を納めよ!懺悔ざんげの為に戻れ!それが必ず主の為となる!


 一歩間違えればカールの独断がシュナを刺していた。


【シュナ姫に救われた】


 ラステルだ。


 シュナの埋められないどうしょうもない孤独を埋めたのはラステル。


 見目美しいカールでは決していやさなかったシュナの虚無。


ーーカール。貴方が私をめてくれるもの。それで十分よ。私は幸せだわ。この世で最も美しい宝を赤ん坊の時から持っているもの


 シュナはもうあの言葉は言わないだろう。


 きっとこう言う。



***



 化物で良いわ。貴方がいるもの。私が美しいということを本当に知ってくれている人がいるから、この世で最も幸せよ。

 


***

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