蟲の民セリムの激昂からの反省

 轟音がしてセリムは内心恐怖におののいた。遥か遠い地に土煙が上がっている。


〈ふんっ。やはり我が民に傷をつけたな。では心置き無く絶滅ぜつめつさせるか小蛇蟲の王ココトリスよ〉


〈いや、大蛇蟲の王バジリスコスよ我等の民は逃げた。お前は辛抱が足りん。人は幾人か死んだのか?この距離、分からんな〉


 この声は何処まで聞こえているのだろうか。国民に届いているのならば、セリムの声も伝えられるのか?アシタカがペジテ大工房から持ち出した科学技術のように。


--このような大事な会談。開かれている方が良い。


 アシタカのように平和的に話合いで解決したい。


大蛇蟲の王バジリスコス小蛇蟲の王ココトリスよ会談したいです。名をセリム・ヴァナルガンド。人と異文化を繋ぎたいという欲深い人間です。シュナ姫の友人にして彼女の盟友ティダとも友人です。蛇一族と語れぬドメキア王国新国王ルイと誓いを立てた為に貴方達とルイ国王の仲介者となりたいです〉


 遊べとうるさ大蜂蟲アピスの子の意識から逃げるのと逆で、思いっきり意識の海に出た。蟲も大狼も蛇も、繋がれと願いを込めて。


〈人も蛇一族も両者決して傷つけ合うな!会談にて平和的に解決する!〉


 叫ぶと激しい目眩めまいと頭痛に吐き気がした。


 漆黒の大渦。


 違う。見つめるべきはそこじゃない。


 人が何か言っている。何だろう?


 人が何か言っているが、憎い相手の言葉など聞きたくない。


 憎い。


 憎い。


 何て憎い。


〈お兄様、シュナはお母様と同じ道を生きます。死して尚、永遠に生きるのです。止められるのはきっとわたくしだけです〉


 大好きな、澄んだ大空色の瞳。


永劫えいごう守ろう!お前が守るもの、残すもの、愛するこの世の美しいものを死して尚守る!すまないシュナ……〉


 大好きな、深く広い母なる海の瞳。


「ーー-ーーー!」


「--ム!----ア!」


 どうする?


 甘い甘い蜜の香がする。以前蜜を食べた。どこで食べたのだっけ。そうだ、美しい景色の中で食べた。


 突風。


 風が吹いている。


「風が届けてくるくる巡る」


 強風の中を優しい風がさらさらと大地の色の髪がなびかせている。


 どこまでも駆け抜けた広大な地。


「大丈夫よセリム。セリムだもの」


 美麗びれいな銀世界のような肌。


 深紅の瞳。


 真紅ではない。激怒も憎悪も閉じ込める 深い紅の瞳。決して消えない、この世の希望の象徴しょうちょう


「セリ--!」


 人が何か言っているが、憎い相手の言葉など聞きたくない。


 憎い相手?


--そうだ、中途半端な理解不能な伝承も撤廃てっぱいしよう。やり甲斐しかない人生だ!


--やり甲斐しかない人生だ!


 人だ。憎い相手じゃない。肯定してくれた、幸福をもたらしてくれた人。


--人よりも幸福に自由に生きよ。共に生きて欲しい。


 大切な想いの結晶。


「おい、セリム!」


 痛みにおそわれた。帰ってきた。何処から?底なし沼のような場所でキラキラとした光を見た気がする。


 誰に殴られた?ああ、自分か。


 左側でラステルが微笑んでいた。泣きそうに涙を浮かべて、小さく歌ってくれている。これだ、この祈りがセリムを引き戻した。右側にはシッダルタ。そうだ、シッダルタが孤独に過ごすと思っていた研究人生を彩ってくれる。


 今、どうなっている?土煙が上がっているが増えていない。大蛇蟲の王バジリスコス小蛇蟲の王ココトリスが地にピタリと体を沿わせている。頭部まで地につけていた。


 無抵抗という敬意か。


醜態しゅうたいさらしました。大蛇蟲の王バジリスコス小蛇蟲の王ココトリスよ会談したいです。名をセリム・ヴァナルガンド。人と異文化を繋ぎたいという欲深い人間です。シュナ姫の友人。彼女の盟友ティダとも友人です。蛇一族と語れぬドメキア王国新国王ルイと誓いを立てた為に貴方達とルイ国王の仲介者となりたいです〉


 セリムも無抵抗という敬意を示そうとその場に座って両手を挙げた。武器は持っていない。ラステルがすぐに同じように座ってくれた。シッダルタを見上げる。伝わるかと思ったが言葉にしようという約束を思い出してセリムは口を開いた。シッダルタはもう兜を脱いでいた。シッダルタがセリムの前に兜を置いた。


「無抵抗という敬意に、同じものを返すべきだと僕は思う」


 セリムがシッダルタを見上げると、シッダルタが大きくうなずいてくれた。


「俺は王の方針に従う。あと尊敬する兄貴分も見習うことにしている」


 シッダルタが後方に武器を投げようとした。その時、シッダルタの頭に小石が当たった。


「借り物を投げるな。と、王の目が訴えている。あと王なのか兄貴分なのかはっきりしろ。男が揺れるな。嫌なようだから今日が最後だシッダルタ。餞別せんべつに俺の矜持をやろう。ヴァナルガンド、アシタカの機械のようには不可能だ。俺と蛇の王と、蟲の王レークス。あとこの地の大狼関連らへんだろう」


 ティダがシッダルタに手を伸ばして、触れずに腕を下ろした。ティダの誤解にシッダルタが悲しそうに眉毛を下げた。ティダは気がついていない様子。ティダはシッダルタが告げた「兄貴分」の言葉がティダにかかっていると考えていないらしい。鋭く、多くのことを見抜くのに変な男だ。


 人から借りている装備を投げるのは良くない。ティダには伝わったというよりも、同じような考えを持っているのだろう。


 ティダがセリムの前に立ち、それから進み始めた。


 大きな背中。


 並ぶべき、並びたい背。


大蛇蟲の王バジリスコス小蛇蟲の王ココトリスよ!このヴァナルガンドは俺の弟分。手を出すなら全面戦争だ!しかし我が友ヴァナルガンドは何もかも守りたいという我儘わがままで強欲。俺はこれを無下に出来ん。ヴァナルガンドの何もかもを許すことにしているからだ。ヴァナルガンドは分かるように少々不安定なのでこのティダが代わりになる。これから告げる発言は俺の矜持ではなく、ヴァナルガンドの矜持の推測也〉


 少々不安定なので。ティダはセリムの今の状態を良く理解してくれている。気を抜くと蟲の憎悪に意識を持っていかれる。蟲?今怒っているのは蟲ではなく蛇一族。蛇の記憶に触れたのか?


〈まずは聞こう。セリム・ヴァナルガンドとは話したいと思っていた。しかし今は難しそうだな。我等ものぞけない絶望を飲み込む、下等生物から生まれし尊敬するべき人間。決して傷つけてはならない相手。不思議な人間だな。ふむ、ティダ皇子ならば代理だと認めよう〉


 ティダが大地に大きく踏み鳴らした。ルイを睨んでいる。セリムが立ってルイを連れて行こうと思った時には、シッダルタがルイの腕を掴んで連れて行った。ラステルが「セリムは私とここで落ち着いているのよ」と小さく告げた。


 ラステルの瞳は深紅に染まっている。


末蟲すえむしは脱皮するかもしれない。遊ぼうセリム。遊べばおこりんぼにならない〉


〈蛇の子セリムが怒ってる。遊ぼう〉


 セリムの頭上に大蜂蟲アピスが集まり、大蛇蟲アングイス小蛇蟲セルペンスの子が周囲に集まってきた。


 末蟲すえむしは脱皮するかもしれない?ラステルか?何の話だ?


 問いかけようとしたらブツリと意思疎通の輪が途切れた。


「セリムはお仕事なの。私はラステルよ。セリムの奥さん。つがいで通じるかしら?私と遊びましょう?遊ぼうってことよねセリム?幼生は遊ぶことばかり考えているもの。蛇さん達もかしら?歌って踊りましょう」


 ラステルが立ち上がって大きく手を広げた。大蜂蟲アピスの子が大騒ぎというよう縦横無尽に飛び回り出す。小蛇蟲セルペンスの子が上下に跳ねはじめた。ラステルの瞳は相変わらず深い紅色をしている。


 雰囲気がいつもと違う。表情がいつもよりも全然無い。しかし、言動はいつものラステル。


「ラステル、蛇達ではなくアングイスとセルペンスだ。一緒にすると怒る。君の言葉が通じているようだが……。僕は急に大蜂蟲アピスの子も、大蛇蟲アングイス小蛇蟲セルペンスの声も聞こえなくなってしまった」


 ラステルが「まあ」と手を口に当てた。やはり表情に乏しい。


「ごめんなさいアグスにセルスさん達」


 大蛇蟲アングイス小蛇蟲セルペンスの子がさらに高く上下に跳ねはじめた。


「ラステル、アングイスとセルペンスだ」


「アングンスとセルペイスね」


 セリムは首を横に振った。


「アン君とセル君ね。大蜂蟲アピスの子はアピ君だもの。大人は難しくて大変な話をするの。だから私と遊びましょう?セリムがいて、セリムのことを良く理解しているティダ師匠がいるから大丈夫よ。遊びながら挨拶の練習をしましょうね。そのうち人と仲良く出歩く、出飛ぶ?出這う?そういうことをするんだもの」


 一同がラステルを見つめているが、ラステルは別段気にする様子もなくセリムから離れていった。大蜂蟲アピスの子に大蛇蟲アングイス小蛇蟲セルペンスの子を引き連れて遠ざかっていく。まるで親が子を遊びに連れ出すように。


〈何だあの生物。蟲の王レークスが隠していて分からないな。あれが伝承に残る人形人間プーパだろうが、分からんな。蟲の子と我等の子を根こそぎうばっていった。セリム・ヴァナルガンドは相当変だと思ったがあの人形人間プーパいてこそか。匂いがよく似ている。蟲とつがいとはセリム・ヴァナルガンドは相当変だな〉


 小蛇蟲ココトリスの発言にセリムは目を丸めた。


〈子らに悪影響だからとセリムを子らから無理やり意思疎通分断したら姫がセリムの地位に君臨した。おまけに大蛇蟲アングイス小蛇蟲セルペンスの子まで巻き込んだ。我らの姫だがさっぱり分からない。奇想天外出鱈目でたらめ過ぎる。我はホルフルの民に呼ばれているのでこの場はセリムと大狼人間、そして覇王に任せた。大蛇蟲の王バジリスコス小蛇蟲の王ココトリスよ、我の代理セリムとしかと話し合え。セリムは今難しそうなので不本意ながら大狼人間に委ねる〉


 蟲の王レークスの声がして、あっという間に気配が消えた。子供達とは話せないが、他は別のよう。この話す方法は不思議過ぎる。


 覇王とは誰のことだろうか?


〈ラステルの奴、何をしたんだ?変な扉を作りやがって。まあ後でにするか。大蛇蟲の王バジリスコス小蛇蟲の王ココトリスよ。確認の為にもう一度告げる。俺の矜持ではなく、ヴァナルガンドの矜持の推測也。守護神の誓い終了の要求は伝わった。しかしこのような脅迫きょうはくまがいの行為は偉大な蛇一族の誇りがけがれる。民が傷つくとしたら王の判断が誤りであったからである。下等な人に過剰な力を見せつけ挑発をすれば、恐怖に飲まれた人に反撃されると容易に想像つくはず。申し開きはあるか?〉


 変な扉?聞きたいことが山程あるが、ラステルが遠くに行くと一気に不穏な空気が周りを支配した。


 小蛇蟲の王ココトリスが前方に進み出た。


〈それがセリム・ヴァナルガンドの主張か。ティダ皇子よ。同じ手段を使った者として意見が欲しい〉


〈あくまで推測也。俺は行動に常に矜持抱く。目的の為ならば手段を選ばずに己の最善を尽くす。しかし先程このヴァナルガンドに説教された。大蛇蟲の王バジリスコスを投げ飛ばした件だ。先に脅迫したのだから謝り、己を省みて二度とするなと忠告された。それからもっと己に相応しい言動を取るべきだと注意された。俺がどうしたかは知っているな?して、小蛇蟲の王ココトリスよ、貴方はどうする?〉


〈そのように言われたら引くしかあるまい。大蛇蟲の王バジリスコスよ、我は民を巣へ帰す〉


 頭部を上げた大蛇蟲の王バジリスコスがセリムを見つめた。それからルイに視線を移した。


〈我も民を巣へ帰そう。怒りで判断を間違えた。いきなりおどすような真似をして申し訳ありませんでした〉


 ティダが再び大地を足で踏んだ。先程よりも大きな音が立った。


〈申し訳ないが人は意識の共有が出来ない。そちらの民を追いかけ傷つけようとする者がいれば敵対してもらって構わない。今の状況の前、決して蟲に手を出すなという話をドメキア王国の民にしてある。王の命令としてだ。民は蛇一族を蟲の仲間だと思うはずだ。王の忠告を聞かない者はかばえない。殺されても気にしない〉


 ティダが振り返ってセリムを見た。セリムは首を横に振った。参加しようにも言葉発しようとすると泥沼に引きずられそうな、恐れを感じてなにも言えない。


〈ふむ間違えた。代弁とは難しいな。殺すよりも逃げよ。無理なら説得しろ。それでも駄目な時にようやく拳を振り上げる。生きている尊さを愛し、命を愛でよ。憎悪では誰も従わない。それがヴァナルガンドの矜持である。許せないのならば安易な死ではなく、罪に相応しい償いを提示して欲しい。今、俺達は言葉通じぬ相手ではないからだ。もう冷静なようなのでまずは怒りの理由を説明して欲しい。国王ルイに伝える〉


 今度のティダは振り返らなかった。ティダはセリムの意見を分かっていてわざと自分の意見を述べた。セリムはそこまで理解されているとは思っていなかったので驚いた。それからティダは分かっていてセリムの考えを基準に行動してない。指摘したことが恥ずかしく思えた。言わなくてもティダは知っていた。それでもセリムとは別の道を行く。しかし謝ったのはセリムの考え方を尊敬しているからだ。


ーー現実を見ろ!理想じゃなくて夢だ!手に入らねえ虚構!具体的に何をするつもりなんだよ!阿呆か!


 あれだけ激しく反発された。


ーーこの俺が背負ってやるから、好きに生きろ


ーーこのヴァナルガンドは俺の弟分。手を出すなら全面戦争だ!しかし我が友ヴァナルガンドは何もかも守りたいという我儘わがままで強欲。俺はこれを無下に出来ん


 今はここまで受け入れられている。ティダは考え方を変えてはいない。なのに最大限、セリムを尊重しようとしてくれている。


 ふと見ると、大地に伸びていた蛇の柱が消えていた。


〈はははははは!聞いたか小蛇蟲の王ココトリスよ!同じ人の王でもこれ程違う!人の王とは伝承通り奇妙だな。ティダ皇子よ、何故わざと二つの意見を告げた?理想論……。記憶叩き込んでくるとは人間か?蟲の王レークスは大狼人間と呼んでいたが、ふむやはり妙だ。どう見ても人間。匂いもだな。そもそも蛇の子でもないのにズカズカと入ってきて変な生物だ〉


 ティダは三回目の音は鳴らさなかった。それどころか何故か期待外れというように肩を揺らした。大蛇蟲の王バジリスコス怪訝けげんそうに目を細めた。


 ティダが大蛇蟲の王バジリスコスを無視してシッダルタからルイを奪った。


「蛇の王は共に民を引いた。話したいことがあるなら話せ。向こうには伝える。逆も通訳しよう」


 ルイが進み出ようとするとシッダルタがルイの前に立った。それから片手を差し出した。


「本来ならば絶滅ぜつめつさせられていた。一旦許し、話し合うという相手に敬意を示してこちらに武器を渡して下さい。先に見本を提示したのに、自ら気づかなかったことは後で反省してもらいます。あまりの出来事で気が動転しているのでしょう。ですから進言しました」


 ルイが慌てたようにシッダルタへ剣を渡した。ティダがシッダルタに呆れたような顔を向けたが、シッダルタは気がついていない。セリムはシッダルタが両手できちんと剣を受け取らないというのが不満なので、ティダも同じことを考えているのだろう。ルイも片手なのが気に食わない。こんなでは人に礼節がないというのが蛇一族へ伝わってしまう。


「おいルイ。仲立ちする俺とヴァナルガンドに泥を塗るな。恥をかかすな。背中に負う民を守るのに何が最善か見極めよ。成せると思えるところがあるから手を貸すんだ。それを覚えておけ」


 ティダが柔らかく微笑んでからルイの背中を軽く叩いた。三回。それからルイの背中を押して送り出した。ティダがセリムの方へ振り返って、かなり嫌な顔をした。「最悪だ。お前の為だからな」という声が伝わってきた。ティダとしてはルイを後押しするのは嫌でならないらしい。


 ルイが蛇の王二匹へと近寄った。恐怖が伝わってくるほど、顔色が悪い。おそいかかってくる訳でもないのに過剰過ぎないか?おそうどころか引いてくれた。


 そういえば蛇一族は肉食なのだろうか?人に人工的に造られた生物だからか、蟲はみんな草食だ。人になるべく害が無いようにと設計されたのだろう。セリムはそう推論している。蛇一族が蟲と親戚関係ならば蛇一族も草食か類似した生態。そんなに恐れなくても良いだろうに。


「ル、ルイと申します。大蛇よ、かつてこの命……」


 大蛇蟲の王バジリスコスが大咆哮してルイが身を縮めた。


〈否。蛇の子とはいえ末の末の末蛇すえへび。巨大な器の人の王が二人もいるから比較してしまう。余計に下等に思える。こんな奴と会談など拒否する。化物ねえ、どっちが化物だか〉


大蛇蟲の王バジリスコスよ遊ぶのはやめないか。ティダ皇子、そしてセリム・ヴァナルガンドよ、我等はこの蛇の子と話すなどとは一言も口にしていない。下等な人の中でもマシだが傲慢ごうまんで身の程知らず〉


 セリムは思わずルイのところへ駆け出した。ティダに止められた。その時、強い圧迫感がして振り返った。


「やりたい放題だな俺の弟子は」


 ラステルがゆっくりと手を動かしている。白いショールを旗のように振って、風になびかせていた。やはり表情が殆どない。大蜂蟲アピスの子も、大蛇蟲アングイス小蛇蟲セルペンスの子もラステルの動きに合わせて移動する。まるでショーだ。


 セリムはティダの呆れたような顔をのぞき込んだ。


「分からないのか。開いたり閉じたり本当に変な奴だな。訳してやろう。セリムがみんなを仲直りさせるから、お祝いの練習をしましょうね。蟲はもう怒っていないみたいだもの。蛇さんもそうなるわ。うんと可愛い綺麗きれいな姿を見せるのよ。夜空に緑の灯りに星のような体。とても素敵だと思うわ。虹の空と同じくらいになるのよ。だってよ。蟲と蛇の子、どことも切断されている。ラステルの総取りだ。子の女王ってところだな。俺もほぼ入れねえ」


 蟲の女王。ティダがそう小さく呟いた。


〈早くお祝いしたい、ねえ。こんな脅迫きょうはくがあるとは大蛇蟲の王バジリスコスよどうする?〉


〈どうするも会談はティダ皇子、セリム・ヴァナルガンド両名。それから我等の姫へ最終確認。ふむ、セリム・ヴァナルガンドよ我等の女王戴冠たいかんに前祝いとは貴方の妃は愉快ゆかいだ。伝承の人形人間プーパとはあまりにも違う〉


 蛇の王が両者向かい合ってうなずき合った。


「なんで後方から来るんだあいつら。それも蟲と一緒とは何している。シュナの格好は何だ?劇薬と結婚式でもするつもりか?にしても俺との偽りの婚姻時の衣装を選ぶとは趣味が悪い。俺に未練でもあるのか?」


 ティダがルイをセリムに押し付けて遠くを凝視した。大蜂蟲アピス数十匹と大蠍蟲アラクランらしき蟲が近づいて来るのが見える。遠すぎてセリムにはアシタカとシュナの姿は確認できない。


「ティダ、君の怪力や嗅覚や視力はどうなっている?大狼人間ということは人ではないのか?それとも大狼の輪に入るとそうなるのか?ならば僕もいつか君のようになれるのか?」


 ティダが鼻を鳴らした。


「聞きたきゃその怒涛どとうの質問癖を直せ。いや、しばし我慢して答えてやろう。他にも多くの疑問があるだろう?例えば蛇一族。俺とはいつでも語り合えるが、二匹の王はどうだろうな?王だからきっと多忙だ。今の様子だと話せそうだからやってみろ。深淵しんえんに飲まれないように隣で見張っててやる」


 ティダが顎で大蛇蟲の王バジリスコス小蛇蟲の王ココトリスを示した。セリムは大きく深呼吸した。目眩も頭痛も気を失いそうな感じもない。何より恐怖や絶望というどうしょうもない感情が吹き飛んでいる。大丈夫そうだ。自分のことながら一体どういう状態なのだろう?


大蛇蟲の王バジリスコス小蛇蟲の王ココトリスよ、若輩で未熟なのをお許しください。僕としてはルイ国王と話をして欲しいです。守護神の誓い、そもそもそれが何なのかも知りません。前王グスタフの視力と声を僕が奪ったので、そのせいです。そのせいで引き継ぎがきちんと出来ていないのです。僕に責任があります〉


 爆音が鳴り響いた。いや、幻聴。


〈この大地と残る命を残し続けよう。大蛇蟲アングイス小蛇蟲セルペンス大蠍蟲アラクランよ……俺はシュナが守り通すものを必ず守り続けてみせる……死んでも残るように励む。シュナの名を永遠に平和の名として残すんだ〉


 エリニース。


 エリニースが号泣している。


〈泣くなエリニース。共に守り続けよう。ずっと忘れずに受け継ぐ。必ず。人とは違って残せる〉


〈みんな大丈夫よ。セリムがいるもの〉


 ラステルからの惜しみ無い信頼が流れてくる。キラキラと七色に輝きが見えるような気がする。


〈怖いのによく頑張ったな。おこりんぼにならなくて偉い。またセリムが言ってくれる。遊んでくれる〉


 ラステルと同じ気持ちが届いてくる。


 ティダがセリムの髪をぐしゃぐしゃにした。


「だから止めろ。ほら、なあヴァナルガンド、蛇一族の生態は気にならないのか?相手を知らずに会談すれば誤解により軋轢あつれきが増すかも知れんぞ」


〈ティダ。ありがとう、大丈夫だ。何だかんだ僕が平気な理由はラステルだ。きっとそうだ。ラステルはやはり僕の誇りオルゴー。それから蛇一族の記憶を見つけた。大蛇蟲の王バジリスコス小蛇蟲の王ココトリスよ、芝居か。この地の神に愛される姫。シュナ姫を担ぎ上げるつもりか。だから脅迫きょうはくまがいの行動に出た!〉


 大蛇蟲の王バジリスコス小蛇蟲の王ココトリスがぐるりとセリム達を囲った。


〈我等の記憶とは聞きたい。我等は掟を守る。古き時代にドメキア王族から永劫返すべき恩を得たと残っている。故に守護神として守り続けてきた。時代が代わり、王が代わり、我等もドメキア王族も色々と伝承を失った。しかし残っているものもある。グスタフも我等との掟を知っている。ドメキア王族に人の王が生まれれば死守する。必ず守る。それが古き時代から続いてきた大掟也。理由は知らない。しかし大掟というからには決して破ってはならないだろう。担ぎ上げる?我等の民だと見せつける。我等の民にも教えるために我等王と並ぶ蛇の女王の地位を与える〉


大蛇蟲の王バジリスコスは手段を選ばない。我は過剰だとは思ったが、久しく人に姿を見せていなかったからな。姿が見えなくなると人は直ぐに忘れる。多少死のうが、国が変わろうが、この地に住まう我等や蟲一族と人とが共に暮らすというのは古き時代からの伝統。殲滅せんめつなどはしない。我はもっと静かに穏便にシュナ・エリニュスと謁見したかった。しかし大蛇蟲の王バジリスコスに派手だと後世にも残ると説得されて納得した〉


 セリムはティダを見つめた。大蛇蟲の王バジリスコスはティダに似ている気がした。


〈今更気がついたのか?本気で絶滅させるつもりなら宣言なんてしない。この地は地割れで崩壊ほうかい。ここにいる子の数に対して大地に現れた蛇の数も少な過ぎる。人からの攻撃に対してもすぐに撤退したしな。しかしお前に注意されて取りやめた。反省して謝罪したという訳だ。で、ここまでされる程のシュナが到着だ。ここに来いと言われていたのに劇薬とどこで何してたんだか。人の王ね。それは何なんだか。お前もシュナもまあ似たような人種。考察はし易い〉


 大蛇蟲の王バジリスコス小蛇蟲の王ココトリスが移動し始めた。二匹並んで大蠍蟲アラクランへと向かっていく。


〈王よ、借りるぜ体〉


 ティダの発言の前に小蛇蟲の王ココトリスが振り返ってセリム達の前に頭部を下げた。


戴冠式たいかんしきに参列せよ。ティダ皇子、セリム・ヴァナルガンド。従者のようなので隣の下等生物も認めよう。それから蛇の子四名。乗るのを許す。セリム・ヴァナルガンドのつがいは呼べるのか?あの子蟲を姫は大変気に入っている〉


 セリムは一瞬言葉を失った。


 


〈待て!僕の妻は人だ!誤解だ!〉


〈人?人はあのような匂いはしない。ふむ、蟲の王レークスにも人形人間プーパは蟲だと聞いているのだがな。蟲でも人でも構わん。呼んで来くるがよい。我等の言葉は全く聞こえないようだ。子の意識が離れるなどこんなの初めてだ。何をするつもりだ?〉


 セリムが見るとラステルはいつの間にか空に居た。大蜂蟲アピスの子の群れの上に立っている。大蜂蟲アピスが一匹ラステルの手を背に乗せて、支えになっていた。


 大蛇蟲アングイス小蛇蟲セルペンスの子が地表でラステルの従者のようについていく。


「とんでもない嫁だなヴァナルガンド。お前もとんでもないから似合いだな。俺も全く扉を開けられん。こんなに固いのは初めてだ」


 ティダがしけしげとラステルを見上げている。成蟲せいちゅう大蜂蟲アピスが恭しいというようにラステルの前に現れて、大蜂蟲アピスの子がラステルを成蟲せいちゅうに乗せた。


「扉というのは意思疎通の輪か?僕も大蜂蟲アピスの子達と話せない。大蛇蟲アングイス小蛇蟲セルペンスの子もだ。うるさいくらいだったのに……」


 大蠍蟲アラクランが止まった。セリムにもようやく背中にシュナとアシタカが乗っていると見えた。シュナは純白のドレスと黄金稲穂の髪を風になびかせている。頭上に銀色の宝飾が煌めいて、夜空を輝かせていた。


「セリム、これはどういうことだ?」


「僕にもさっぱり分からないよシッダルタ」


 シッダルタがラステルを凝視している。その隣でルイが興味深そうにラステルを見つめていた。ルイは好奇心強そうだなと感じた。


 ラステルを乗せた大蜂蟲アピスが徐々に高度を下げていく。ラステルがショールを手にした腕を挙げた。それからくるりと一回転した。


 空に光が上っていく。大蜂蟲アピスの子が小蛇蟲セルペンス大蛇蟲アングイスの子の尾を持って空高く飛んでいく。


 セリムはようやくラステルがどうなっているのか分かった。単に子蟲達に感化されているだけ。セリムと遊びたい、怒っているのを止めたいという子蟲達に飲み込まれた。セリムと蟲を繋ぐラステルが蟲寄りになるとセリムは蟲から遠ざかる。いや、分かったのではない。ホルフルの家族からそう伝わってきた。


 そもそも親の忠告聞かずに巣から出ている。色々あり過ぎて気に留めるのが遅くなった。


〈セリムを想う気持ちが大き過ぎて無下に出来ない。ここは安全だと思って様子見していた〉


〈そもそもセリムが阻害するからだ。なんという恐ろしい遊びを考えついた〉


 大蜂蟲アピス成蟲せいちゅう中蟲なかむしが一直線に飛んでくる。大蛇蟲の王バジリスコス小蛇蟲の王ココトリスも動き出した。地面から次々と蛇一族が現れた。セリムは大蛇蟲の王バジリスコスに飛び乗った。ティダもシッダルタとルイを抱えて小蛇蟲の王ココトリスの上に乗ってきた。


「光の柱か。よくもまあこんなの思いついたな」


 感心したというようなティダをセリムは殴ろうとしたらヒラリと避けられた。もう一度背中を殴ろうとしたが無駄だった。


「避けるなよ!あれは花火だ!」


 ラステルも、大蜂蟲アピスの子も、大蛇蟲アングイス小蛇蟲セルペンスの子もいくら呼んでも返事がない。


 誠狼ウールヴがゼロース、パズーを乗せて小蛇蟲の王ココトリスに乗ってきた。王狼ヴィトニルはアンリを乗せているが、そのままラステルの方へ駆けて真下で止まった。


「ヴィトニルめ、アンリと結託しやがって」


 ティダが舌打ちした。


 瞬間、それが合図のように上空で大蜂蟲アピスの子が霧散した。


 やはり花火だ。


 流れ星のように落ちてくる光。


 夜空に咲いた光の花。


 美しい。誰かがそう口にした。シッダルタだ。ルイが涙ぐんでいて、ティダは相変わらず感心している様子。


大蛇蟲の王バジリスコスよ粋な祝いだな〉


〈そうだな小蛇蟲の王ココトリス。花火というのか。珊瑚礁の産卵のように綺麗きれいだ〉


 暴風の気配がしてセリムはおののいた。


「どいつもこいつもなってない!あんな危険なの、注意しろ!」


 セリムは思いっきり怒声を吐いた。大蜂蟲アピス成蟲せいちゅうがセリムの脇まできたのでセリムは飛び移った。


〈そのような危険を犯すな!子らよ戻ってきなさい!このセリムが全員追放するぞ!おこりんぼと会談は違う!セリムは憎悪に飲まれたりしない!〉


 反応無し。


「ラステル!ラステル・レストニア!君は子蟲ではなく人だ!子蟲になってないで戻ってこい!ラステル!」

 

 こちらも反応無し。側まで移動してくれたので、セリムはラステルが立つ大蜂蟲アピスへ飛んだ。


「まあラステル、美しい景色ね。しかしとても危険そうだったわ。気をつけてあげないと」


 鈴が鳴ったような声にセリム叫ぶのを止めた。声が届く距離まで大蠍蟲アラクランに近寄っていた。


 途端にセリムに大蜂蟲アピスの子の声が襲撃しゅうげきしてきた。


〈嘘だ!嘘だ!嘘だ!姫は末蟲すえむしだ!人もどきだけど兄弟だ!バリム!嘘つき!〉


〈セリムがおこりんぼだから姫も遊んだんだ!おこりんぼバリム!〉


 またバリム。この子達をたしなめるのは頭が痛くなる。


 大蜂蟲アピスの子が飛び回りながら脚で掴む大蛇蟲アングイス小蛇蟲セルペンスの子をブンブンと振り回した。


「あら、アピ君達にアグ君とセル君達とても楽しそうで綺麗きれいね。お祝いよ!お祝いをしてくれているんだわ!シュナ、セリムのおかげでみんな仲良くなったのよ!だから大はしゃぎしているんだわ!セリム!みんな偉い子ね!でも確かに危なそうね。みんな怪我しないくらい低いところを飛んだ方が良いわ。私達、それで見えるもの」


 ラステルがセリムに抱きついて花が咲いたような満面の笑みを浮かべた。もう話せると親が子を呼んで地上の方へと降りていった。蛇一族が自分達の子を迎えている。セリムとラステルも丘に降ろされた。シュナとアシタカも大蠍蟲アラクランに降ろされてセリムとラステルの前に立った。


〈セリムはおこりんぼだから偉い子を怒った。嘘つきバリム!真心には真心しか返ってこない〉


 


 大蜂蟲アピスの親達がセリムに教え方を間違え続けるからだと非難した。教えるならきちんと教えろ。それか、しっかりと領域を保って意思疎通の輪を乱すな。勝手に子の王子という地位に君臨するなと責めてきた。


 何の話だ!


 分からないのに誰も教えてくれない。


「セリムのおかげね」


 ラステルの信頼の眼差しが突き刺さった。


「いやラステル……僕は何も……」


 シュナとアシタカが顔を見合わせて首を傾げた。ラステルがハッとした顔をしてセリムの体を揺すった。


「違うわセリム。結婚式よ!だってシュナを見て!おめでとうよ、おめでとうって言っているんだわ!だってこんなに楽しくて喜ばしいんだもの!」


 セリムはラステルの発言に頭を抱えた。この様子、まだ子蟲に微妙に飲まれている。


「僕は何もしていない!何もかも失敗して迷惑かけて大蜂蟲アピスにも怒られた。僕がまだあまりにも未熟だから何も成せないんだ。蟲の民の国の国王などと傲慢ごうまんだった。僕は学び足りない。全然足りない。アシタカのようにこの地に平穏をと立ち上がったのに右往左往しただけだ……。ラステルが支えてくれていたのに何て情けない……」


 自然と体が崩れ落ちた。悔しい。悔しくてならない。セリムはゆっくりと立ち上がった。


「アシタカが蟲の王レークスと交渉してくれた。その間僕は何をしていた?自分で一杯一杯だった。こんな大恥は最悪だ。励み方を間違えたんだ。アシタカ!背中を見せてくれ!僕は父上のように立派な王になりたいんだ!」


 セリムがアシタカの両腕を掴むと、アシタカが頬を引きつらせた。


「何でだアシタカ!僕はそこまでなってないのか。そうだ、君は偉大過ぎる。そうだよな、遠過ぎる。真似をしようとしたこと自体がおごりの証。しかし……」


 セリムはシュナを見た。


「シュナ姫も手本にならない。アシタカと同じく遠い」


 セリムは振り返った。すぐ近くに大蛇蟲の王バジリスコス小蛇蟲の王ココトリスがいて、ティダが降りてこちらに向かってきていた。


「ティダと並びたいのにどうして離れて行くんだ?考え方が違い過ぎて理解出来ない。そのせいか?僕があらゆることで間違えているのか?しかしティダのやり方は時々気に食わない。それにティダは僕をめてくれる。大丈夫だ。僕は学ぶし励む。誰を手本にするか考えるところからだ。初心だ。初心忘れるべからず」


 背中に気配を感じて体を向けるとシュナが眼下に立っていた。少し怒ったような表情に面食らっていると、シュナがセリムの頬をペチペチと叩いた。


「自己認識が不思議な方。セリム様、随分ずいぶんと追い詰められて気負っているようですね。あまり頑張られるとこちらが息切れします。それからわたくしに責任を負わせたくないという優しさは有難いですが、わたくしは紅の宝石となるので仕事をくださる?セリム様、わたくしにどんどん仕事を下さいね。強欲なので全て成せるように努めます」


 シュナがセリムの手を取って両手で包んでくれた。小さな手。左手の薬指に指輪が煌めいている。深紅の薔薇を模した宝石の中央が虹色の宝石。


 至宝を飾る紅の宝石。


「セリム様、わたくしとアシタカ様を助け支えて欲しいのでどうかご自愛ください。可愛いラステルも心配しますよ」


 背中に気配がしたがセリムは振り向かなかった。髪をぐしゃぐしゃにされて、誰だか分かった。


「任せろと言ったのに励み過ぎだ。何が大丈夫だ、だ。蛇一族に質問しろと言ったのに無視しやがって。シュナの言う通り気負い過ぎだ。ったく。先が思いやられるな。まあ許そう。何もかも許す。好きに生きろ。お前は楽しくてならないからな」


 ティダの大きな手に胸を打たれる。アシタカが穏やかに、とても優しく微笑んでくれた。


「僕の真似とは驚きだなセリム。僕がセリムの真似をしようとしている。さて、蟲に蛇一族と人よりも偉大な文明があると発覚したので僕の大陸和平の交渉相手が増えた。セリム、君の願いにすっかり感化されてしまってね。至宝を飾る紅の宝石はそこらへんの宝石とは格が違うので僕は人類の至宝を目指さないとならなくなった。重過ぎる。セリム、君が必要だ。助けてくれるかい?」


 セリムは目を丸めた。


「まあセリム。また増えたわ。アシタカさんとシュナがいると千人力が十人分よ。二万人力ね!」


 ティダがラステルを見据えた。


「ふむラステル、俺は何人力なんだ?」


「師匠は大狼力よ!特別力よ!」


 ティダが高笑いした。それから突然アシタカにデコピンした。軽いデコピンを三回。


「っ痛!何をするんだ!」


 アシタカが赤くなった額を抑えてティダを睨んだ。ティダがセリムの肩を抱いた、


「俺の弟分を盗もうとするんじゃねえ。有能な大駒を掻っさらい、ヴィトニルを奪い、まだ俺から簒奪さんだつしようとはこのハイエナめ。ヴァナルガンドはやらん。絶対にやらんからな。こいつは疲弊ひへいしている。よくもまあ倒れないと感心しているところだ。まったくもって言うことを聞かないので、全力で抑える。よってこの場をお前とシュナでまとめろ」


 ティダがセリムの襟首えりくびの服を掴んで引っ張った。


「行くぞヴァナルガンド。ラステルよ、良くやった。夫を良く守った。しかしもう少し頑張ってもらう。しがみついて離れるな。見守るぞヴァナルガンド。動くな、喋るな」


 いつの間にか王狼ヴィトニルがそばにいた。ティダがラステルを抱えてセリムに渡した。それからセリムをラステルごと抱えて王狼ヴィトニルの背に横向きに乗せた。ほぼ同時に王狼ヴィトニルがアンリを尻尾で抱えて背中から離して、ティダがセリムの隣に座るとアンリを渡した。


 妻を横抱きにして隣同士。


「大狼に良い男二人。それに美しい妃。さぞ絵になるだろう。神話の端の脇役な上に見てる者が少なく残念だな。しかし伝承者がいないと神話は残らん。俺達の姿を絵に残し、こう残してやろう。蛇神と至宝と紅の宝石を仲立ちした偉大な大狼とその妃。頭上には太陽だ。ソアレの名を刻む。嘘でもなんでも残したもん勝ちだ。同じ目的なのだからアシタカにやらせて横取りし続けるぞ。大国の御曹司。支援者、権力、大駒、そして血脈。あいつは何でも持ってるからな。腹立たしいから一生俺が蹴り上げる。お前は好きに生きろ。それが兄の仕事だ。仕事を奪うんじゃねえぞ」


 ティダがまたセリムの髪をぐしゃぐしゃにして高笑いした。アンリとラステルが顔を見合わせて肩を竦めた後にクスクスと笑い声を立てた。ラステルが「私達もっと大家族よセリム。嬉しいわね」と耳打ちした。セリムはぶんぶんと首を縦に振った。


「俺の五感や筋力が優れているのは大狼との鍛錬たんれんによるものだ。蟲の体を埋め込まれ、大狼の血を取り込んでいるから体の構造が特殊かもしれんが、元々は普通に人の男女から生まれている。他に聞きたいことはあるか?」


 ティダがセリムに破顔した。


「ある。山程あるさ!」


「話ながらのんびりとながめるぞ。お手並み拝見って奴だ。アシタカなら脅迫するだろうな。俺とは別のやり方でな。多分お前は好きだ。何せあいつはお前の真似をしようと必死だからな」


 セリムにはティダの言葉からアシタカがどう出るか想像出来なかった。

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