六章 途絶神話の再生露呈

風詠セリムと大鷲姫シュナの真の誓いと協定

 ドメキア王国無血革命翌日、早朝


***


 ラステルの雪のように白く、滑らかな肌とは少し違う。わずかにそばかす混じりの色白さにまだ少し荒れている肌。しかし、それは働き者の崖の国の女と同様に見える。日焼けしていないというのが異なる点。セリムは改めて見ると二人の姉の丁度中間のような顔立ちだなと感じた。目元は姉クイ、口元は姉ケチャ。キツさがまるでない顔立ち。


 甘ったるい。その形容が似合う。


「生まれ落ちた私はまだ病が軽かったのですよ。カールは私に似ているから影武者として買われてきました」


 セリムの腕に上品に手を添えるシュナが微笑んだ。反対の手には純白の質素な日傘。豊かな胸元あらわで、胸の下でリボンを結んだだけの簡素な深紅のドレス。揃いの長い手袋も慎ましく、刺繍も飾りもない。それがかえってシュナの美しさを際立たせている。左鎖骨下に掘られた紅薔薇くれないばらの入れ墨がないと、最早彼女が誰なのか分かる者はいないだろう。


「彼女は僕の父母同じ姉上によく似ています。それに城の廊下の天井に描かれた絵画にも似たような女性がいました」


 城を出てからシュナは面白そうに国民に手を振り続けている。


「そうです。私に似ているのではなく。買われてきました。私に足りない容姿。王族よりも王族に見える。それがカール。でも母はカールにも真心込めた。私と二人、姉妹のようにこの恐ろしい城で生きれるようにと。カールは胸に飼う獣が凶悪で、戦場を愛しましたが、彼女を人として繋ぐ私がいます。帰ってきたら私が人生かけて恩を返して、もう少し穏やかにしたいです。放っておくと憎まれているアシタカ様やペジテが食われてしまうわ」


 シュナがため息を吐いた。本人は見るからに苦悩と不安から息を吐いただけなのに、なんてはかない。手助けは当然するが、大丈夫だ、心配するなと思わず抱きしめそうになる寄る辺なさ。愛する妻がいるセリムでこれだ。手練手管で覇王ペジテ大工房の御曹司を後ろ盾にした。すでに流れている噂があっという間に嘘から真実になってしまいそうだ。それにしてもシュナの語りは真偽混じって判断し辛い。


 嘘を見抜ける者には信頼寄せる。そんな気もした。


「それは見つけて連れてきて欲しいということで良いですか?」


 シュナが少し目を丸めてから、嬉しそうにセリムを見上げた。


「ヴァル様は嘘や建前、本心を見抜くのが本当に上手い。わざとらしく頼みましたが気がつかないものも多いです。誰が何と言おうと本能に従った方が良いかと思います。真贋しんがんと並外れた共感は貴方の強力な武器。私が全く違うと言っても、ヴァル様は私を酷く刺したと言いそうなので頼むことにしました。カールの義手義足は蟲に食われた、いや怒らせて千切られたのです。よく幻聴がすると言っていました。だからヴァル様なら居どころ掴めるかと思いまして。これ以上助けてもらうのは気が引けてましたので、遠回しでごめんなさい」


 シュナの名前を呼ぶ民衆にかき消されるような音量の声。それなのにセリムの耳に届く不思議な声色。セリムを見つめるシュナの瞳が切実な願いだと訴えていた。


 蟲の意思疎通の輪の何処かにカールがいる。もしかしたらハクも見つけられる。


「これ以上?僕は今回全然役に立たなかった。名誉挽回、汚名返上。これは僕にしか出来なさそうだ。それに僕の民も行方知れずで心が重かったんです。互いの為になる。今のところはねつけられてますが、ちょくちょく探してみます」


 シュナが突然止まった。気がつくと貧困街まで来ていた。しかしそれにしては人が多過ぎる。身なりの良い者も多く、老若男女が大勢集まっている。ワッと人が集まりそうになり、シュナが日傘を高々と空に、ゆっくりと掲げたので止まった。シュナに集まる民衆の視線。あっという間に場をシュナが支配した。


 シュナがセリムから離れた。ぐるりと人の輪に囲まれ、セリムとシュナの場所が高さのない舞台ようになっている。シュナが優雅な所作でセリムの前に座った。広がった深紅のドレスがふわりと広がる。


 シュナが日傘を閉じて背中側に置いた。物腰柔らかで気品にあふれている。これをずっと隠して生きていた。そのことに胸が詰まる。


わたくしの容姿があわれで悲しいと手を差し伸べてくれた蟲の民ヴァナルガンド様。聡明さを即座に見抜き、支援者を用立ててくれた。慈悲深く、誰よりも人を見る目がある方。病に苦しむわたくしを治し、見た目で分かりにくい兄の病も治したお方。命を救い、平和とはなんたるかを教えて下さいました。天は蟲の民の素晴らしさに奇跡を与え、この苦街へ手を差し伸べました。至りませんが国民を代表して感謝します。ありがとうございます」


 美声により場が音が無くなったかのような、異様な静まりが作られた。それからワッと騒がしくなった。シュナとヴァナルガンドの名前が叫ばれる。惜しみない感謝が注がれる。ここはシャルル王子とセリムが、空から降ってきた海産物を配った場所。建造物の位置からして、今まさにここがその場所。セリムがシュナを連れていたはずなのに、いつの間にかこの場所。気がつかなかった。


 これは中々真似出来る事ではない。求められている役割を的確に演じ、言葉を紡ぐ。そして何もかもで人を掌で転がす。


「反乱の謀反人むほんにん。張本人。苦街を作った罪深いわたくしへの慈悲。それなのに国を豊かにするだろうという、信頼という重圧。せめて石でも投げられたいのに、今ここにはヴァナルガンド様をならおうという貧しくも心豊かな者しかいません。この深紅のドレスは血染めの象徴。許されるまで身にまとい、この国へ心血注ぎます」


 シュナがセリムに祈るように両手を握った。次々とシュナの発言に対する否定の言葉が巻き起こる。戸惑う民衆の中には、泣き出した者までいる。


「これは真の誓いです。いつでも、どんな支援でもします。心臓に剣を刺されようと破らぬ誓いです。このように既に血塗れ。刺しても傷など見えません。命の恩人、人生の恩人。私は紅の宝石として至宝を飾り、風に愛されるヴァナルガンド様が愛する全てを守りとうございます。私が焦がれてやまない光の一番頂点はヴァナルガンド様です。どうかそれを否定せず、忘れないで下さい。代わりに傲慢ごうまん過ぎる約束を受け取って下さい」


 目を開いたシュナの大空を閉じ込めた瞳にセリムは放心した。全身の血が騒ぐ。体が熱い。動悸激しく、熱視線に目眩めまいがした。セリムが愛する女性はラステルなのに、罪悪感がこみ上げる。それ程までに魅惑的な目。静寂なのに得体の知れない熱気に包まれるような空気になった。すすり泣きが一番聞こえてくる。


 シュナがセリムにこれだけは話せと頼まれた台詞を言う合図をした。日傘を背中側から右脇に移動。


「蟲は人を食べません。草食です。争いを嫌うのに、怒りを中々抑えられない。しかし僕と妻が森へ帰しました。蟲は操れない。道具にならない。愚かな人が勘違いして利用しようとして激昂げっこうさせました。次は無理かもしれません。この地ではペジテ大工房と同じ事は起きません。異形の蟲さえ死ぬのは哀れだとシュナ姫が庇った。そして命を愛した。侵略するべからず。隣国の至宝アシタカの信念も背負ったからです。全ての命を愛でる国には天が必ず味方します。健気な民に恵みをもたらしたのがその証拠です」


 これではまるで神の使いをかたるようなもの。しかし熱心に頼まれた。蟲の民のためにもなると。シュナがゆっくりと立ち上がった。それからセリムの両手をうやうやしそうに握った。体が上手く動かせない。表情を確認したい。感覚がなくてふわふわする。


 シュナの頭上に風が渦巻いた。稲穂のようなつややかな髪がふわりと舞い上がった。くるくると揺れる髪が一瞬、ティアラだと錯覚さっかくさせた。


 何故かシャルルではなくセリムを慕ってくれている、周りの者達を利用しているというのは明らか。しかし嘘ではないと伝わってくる。この魅了させる力が、策が、そして信じさせる容姿がシュナの武器だと言わんばかりに、シュナがわずかに口角を上げた。興奮している民の中に、気づく者はいるのだろうか。いるだろう。わざと爪があるぞとチラリと見せつけたようにも感じた。


 シュナがセリムを引っ張り、背伸びをして額にキスをした。セリムが茫然としているとシュナがそっと耳元に顔を寄せた。


「誓いはティダの真似です。本心からです。蟲の民とは険しいでしょう。わたくしはラステルをこの国に一生とどめておきたいほど好きです。惜しみない信頼という鋭い大鷲おおわしの爪。裏切らない私への最強の兵器でした。しかし何て清々しく、楽しく、心が軽い、鮮やかな未来への道。わたくしの師匠と呼ばせて下さいね。セリム様。何処へ行こうとたまにはラステルと遊びに来てください」


 シュナの巨大な感謝が伝わってくる。だから魅せられたのか。曇りがなくなった透明な信頼。ティダが愛娘と呼ぶ意味。


「何て光栄なんだ。分不相応だと思いますが、シュナ姫の価値観でそこまで言ってもらえるならば僕は胸を張って良い。父や兄上達はいつも褒めてくれますが、姉上達は厳しい。今回のことはきっと褒めてくれます。一度帰国しますから、共に来てください」


 勿論です、とシュナがささいた。うなじにぞわぞわと、それで気持ち良い感覚が通り過ぎていった。声の音色だけでこのようになるとは、他者との違いを調べる方法はないのだろうか?とても知りたい。


「シュナ姫。僕はラステルの尻に敷かれたくない。そんな情けない男にはなりたくありません。この誘惑的な武器はラステルに教えないで下さい」


 シュナは返事をしなかった。くすくすと笑っているかのように小さく体を震わせた。しまった。シュナに仕返しをされる。弱点を教えてしまった。


 コツンとシュナのこめかみに小石が当たった。油断し過ぎていた。セリムは誰だ?と探した。


 水を打ったように場が静まった。シュナのこめかみから血が流れた。途端に疑心と不振で場が騒がしくなった。シュナが目を大きく見開いて、自分のこめかみをそっと指で撫でた。


「感謝してもし足りない方ですが、奥様がいる方に馴れ馴れし過ぎました。悪因悪因と申しまして、風の神からの叱責しっせきでしょう。それに今まで国を荒らした天罰。早く働けということでしょう。生き様で示せばいつか石も降ってこなくなる。許すのは簡単ですが、許されるには理由が必要です。まずは熱を出しているのに、勤しむアシタカ様の手伝いと看病をしようと思います」


 何て健気なんだ。多くの者がそう思っただろう。国を荒らした以上に、シュナは国へ真心捧げてきたと昨日の演説で国民は知らされた。裏切ってきた国民ではなく、アシタカに奉仕するというのが伝わっているはず。一国の王ではなく、より高みが欲しいと教えてくれた。このシュナの強欲と尊大な自己評価を知らないと、単に健気で終わる。知ってるセリムでさえ騙されそうだ。


 シュナがセリムに目配せした。ドメキア城の最外層の砦に王狼ヴィトニルが座っていた。シュナがさりげなくセリムと腕を組んだ。穏やかな微笑み浮かべて、日傘を差した。さあ歩けというように引っ張られる。


「過ぎたるはなお及ばざるがごとし。たまに石くらい投げてもらおうかと思いまして。わたくしに先に手を出す方がいると、何となく出鼻をくじかれるでしょうね。わたくしもたまには怒りをあらわにしたい。我慢できないと泣き喚いて国を出てみたり、とかね。逆に駆け付けてもらって、わたくしの至宝になってもらい仲良く紅茶を飲みたいなとも」


 セリムだけに聞こえるように告げたシュナの笑顔は、とても妖艶ようえんだった。


「シュナ姫!遅いと思って来てみれば何てことだ!ヴァル!なぜ放置している!感染でもして、悪化して、傷でも残ったらどうする!女性の顔というのは尊いのだぞ!」


 前方から一目散に駆けてきたアシタカが、シュナをセリムから奪った。アシタカがシュナの右手を握ると、大歓声が巻き起こった。昨日の演説で、シュナはアシタカを心底愛していると国中に宣言した。国に人生を捧げると言いながら、王にはならずにアシタカを支えたいという切望。それに応えたアシタカ。当の本人は全く気がついていない。アシタカが突然の歓声に不思議だ、と首を斜めにした。アシタカが一番不思議な存在だ。


 おとぎ話の恋愛に重ねたのは、シュナ本人が「身近な恋愛の方が共感を得る」と考えたからだろうと推測している。この雰囲気が正解だと物語ってる。違くても、とにかく二人の絆は強調された。沈黙していた覇王の御曹司がいきなり独裁に躍り出た。フォンが言う「人類愛」より「シュナに惚れた」という人間臭さの方が信じやすい。シュナはそこまで策を練って話をしたのだろうか?


 それなら食わせ者過ぎる。


「アシタカ様に手当てしていただきたくて、そのままにと我儘わがままを申したのです」


 聞いているこっちが恥ずかしくなるような、甘ったるいシュナの声。それに切なそうな表情。一瞬アシタカが固まった。それからみるみる真っ赤になりよろめいた。


「また熱か。数年分の体調不良が一気におそってきているらしい。そうですかシュナ姫。十日は何をしても許すなど、何て恐ろしい宣言を。確かに家族の方が安心するでしょうね。僕が医学をかじっていると言う話もしましたし」


 当然と言うようにアシタカがシュナと手を繋いで歩き出した。また歓声が大きくなった。


 この様子で家族?


 セリムとアシタカは医師アスベルの兄弟弟子だというのを忘れたのか?セリムもそこそこ医学知識はある。


 アシタカは珍妙過ぎる。


 シュナが振り返って、嘘偽りなさそうに呆れ顔をセリムに投げた。置いていかれると追いかけて、セリムはシュナの隣を歩いた。


「ヴァナルガンド様。熱のあるアシタカ様を支えて下さい」


 シュナが労わるようにアシタカをセリムへ渡し、それからアシタカと反対側のセリムの腕を両手で握った。アシタカが恐ろしく不機嫌になった。


「息がしにくいのも困ったものだ。気管支に異常か?健康は僕のとても強い味方だったのに。それにしてもシュナ姫、とても似合っているが、そのドレスの形状はあられもない。病が良くなり見せたくなるのも分かるが、慎みを持つべきでしょう。ララ達と揃いでサリーも用意したいが、あれもなあ。とても綺麗だろうが、あれも肌が出過ぎ」


 歩きながらアシタカがブツブツ文句を言い出した。「はばからずに胸を見るとは恥を知れ」「僕の家族に何て目付き」「下衆野郎が」しまいには単に「死ね」などとブツブツうるさい。口が悪過ぎる。シュナが苦笑いをセリムに投げた。それから、ふて腐れたように唇をとがらせた。これは演技にはとても見えない。本気で困り、無自覚なアシタカへ怒っている。


紅薔薇くれないばらの王族入れ墨を見せるためですよ。この様変わり、替え玉偽物と言われ続けるかもしれません」


 涼しい顔でシュナが告げると、アシタカが怪訝けげんそうに眉根を寄せた。


「そんなものなくても分かるだろう?この絶世の声。それに骨変形までしていた体型はともかく、顔は元々と骨格に変化なし。病が治ればこのような顔だと、誰でも知っています」


 シュナが目を丸めた。セリムは驚愕きょうがくした。。アシタカの視界と思考はどうなっているんだ?シュナが顔を真っ赤にさせて、幸せそうにはにかんだ。泣きそうにうるんでいる。奇跡が起こらなくて美しくならなかったとしても、シュナは今の幸福を手に入れた。それがたまらなく嬉しいのだろう。


 アシタカの台詞が聞こえた者たちが、気まずそうになったり、感心したりと交々こもごもな表情となった。噂広がれば、アシタカへの羨望せんぼうや信頼が増すだろう。新たなおとぎ話が出来るかもしれない。


「シュナ姫も風邪かもしれない。上着をどうぞというと、ご自愛をと言われそうだ。困ったな。ヴァル、彼女に貸して……。いや、肌寒いし君にも上着は必要か。ヴァルはシュナ姫に何もしなくて結構。大技師一族の礼服に淑女しゅくじょに相応しいものを加えなければな」


 この世の宝というように、アシタカはシュナへ熱視線。セリムには威嚇いかくするような鋭い目線。


「まだ知り合って間もないのに、わたくしをそこまで身内と扱ってくださり、感謝します。しかし家族とは月日が築くものです」


 シュナがアシタカの顔を覗き込んだ。まるで今すぐキスしてとねだるように軽く唇を半開きにして、小首を傾げた。何故かアシタカが体を少しそらした。どこからどうみても見惚みほれた様子なのに。ポーッとして焦点が定まらない。後でまた、気を失ったと言い出すのだろう。変すぎる。


 セリムはまた反省した。こんな情けない姿を自分も振りまいていたという事実に、寒気がした。尻に敷かれる兄クワトロより情けなく恥ずかしい。


 絶対にティダの余裕振りを見習おう。そしてラステルの「はしたない」にも耳を貸すべきだ。


「年月?そんなことはない。とても強い親近感。血の縁というのは中々侮れないものだと痛感してます。シュナ姫、貴方がいるととても落ち着きます。母上や姉上達と同じ、いやそれ以上です。年が近いからかな?まあ少し緊張感もありますが、慣れるでしょう」


 にこにこと告げたアシタカの台詞に、シュナが大きくため息を吐いた。セリムも頭が痛いなとこめかみを揉んだ。


難儀なんぎな方にうっかりしてしまいましたこと。最後の勇気が出ませんので、待つしかありませんね。憧れもありますし。はあ……アシタカ様、ララさん達と違って生娘きむすめでもあるまいし、放っておいてくださらない?手袋の裏地は羊毛。ドレスもそうです。とても温かく、風邪など無縁です」


 ツンッと澄ましたシュナがセリムを引っ張り、早歩きになった。アシタカが真っ青になって硬直している。


「シュナ姫、今のはやり過ぎでは……。今のアシタカだと絶対誤解……」


 セリムが振り返ると、アシタカが今にも噴火しそうな程こめかみに血管を浮かべて、わなわなと震えている。ひっ、とセリムはパズーのように息を飲んで顔を前に戻した。穏やかで、優しいアシタカのあのような姿は怖過ぎる。


「大狼がわたくしを道具にしようと、人道外れた方法を取った天罰です。嘘よ。あれはあれで、女としての自尊心が作られました。悔しくて刺してやりたいですけどね!けばティダのように、対抗心で燃え上がらないかと。あれでです、とは心臓に悪い方。家族ではない、も無駄。心より愛してますと言っても無駄。仕事を恋人にします。丁度そこに絶対アシタカ様がいて、がれ死か、らされ死にされるかもしれませんけどね!」


 大変不満というように、シュナが頬を膨らませた。それから、ふふふ。あはははは。とシュナが軽やかに笑い出した。


「シュナ姫、ラステルに手練手管を教えなければ僕はいつでも君を援助する」


 シュナが今度は頷いてくれた。ふと、ティダの声がして振り返る。いつの間にか現れたティダがアシタカとにらみ合っていた。シュナが心配で何処かから見ていたのだろう。大歓声で会話が聞こえないが、恐ろしく穏やかな冷笑なので、互いに嫌味でののしっているのだろう。昨晩も酷かった。


 シュナとアンリ、二人揃って自分のものだと自分の方が上だと自慢合戦。シュナとアンリは呆れ果てたのか、素知らぬ顔でラステルとずっと遊んでいた。セリムは間に挟まれ大変だったのに!


 セリムはティダも見本にはならないかもしれないと、思い至って大きなため息を長々と吐いた。


「あら、わたくしのこのお喋りと自由さ、あと明け透けない親愛の示し方はラステルの模倣もほうです。女は愛嬌あいきょうだと教わったので。セリム様なら堂々として澄ました顔をすれば、望み通りになりますよ。逃げれば追いたくなるものです。病を辛抱したあとには、完治の喜びがある。恋とはきっと忍耐です。あのような二人、一人では怖くて耐えられません。夫婦円満でいて助けて下さい。代わりにずっとラステルの大親友です。あのような娘、大好きでなりません」


 今までで一番納得出来る案だった。シュナはアシタカに対するよりも、全身真っ赤で恥ずかしそうだった。それから心底嬉しそうにしてくれている。ラステルが一方的に懐いているわけではない、ヒシヒシと伝わってくる。セリムはシュナと向き合って右手を差し出した。


「ラステルも貴方が大好きですよ。寝室を別々にされシュナ姫に奪われるし、四六時中貴方とアンリさんの話。しかし僕は夫で、シュナ姫とアンリさんの大親友。妬くのではなく丸ごと包み込むように励みます。あの二人のように、鼻の下を伸ばして情けない大恥晒しは最悪です。断固拒否」


 シュナが目を丸めた。それからクスクス笑い出した。かなり愉快ゆかいそうだが、何故だろう。


「これも協定、誓いにしますよ。馬に蹴られたくないので誓いの口付けはこれで最後ですが、たまに親愛示してラステルをからかってあげましょう。このような暮らし、とても憧れていたんです。セリム様、誰よりも貴方が私の恩人です。だから耐えられた。それを覚えておいて下さい。崖の国は私が何がなんでも庇護ひごします」


 シュナがうんと背伸びしてセリムに耳打ちした。それから耳に軽くキスした。アシタカが今日から滞在する天空城下のテントまで、黙って見守ると約束させられたラステルの姿を群衆に見つけた。かなり不機嫌そうで、アンリに肩をポンポンと叩かれている。月狼スコールの尾にも背中を撫でられていた。


 即座に離れたシュナがラステルにしたり顔をして、セリムと手を繋いで走り出した。ラステルの口が「まあ」と形を作り、それからむくれた。


 シュナが走りながら「あはははは」と無邪気に笑った。悪戯いたずらっぽい花が咲いたような歯を見せた笑顔。


 それがラステルそっくりな無邪気な姿へ変わった。


 自由。


 もう自由だと言わんばかりの軽やかさに、セリムも楽しくなった。

 

 シュナの幸せそうな様子に、一際大きな歓声が上がった。それから泣き声も混じり、いつの間にか盛大な拍手が巻き起こってた。セリムはシュナを横抱きにして、一目散に走り出した。強風が二人を避け、更には優しく包むように過ぎていった。こんな風の道は人生初めてだった。

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