六章 途絶神話の再生露呈
風詠セリムと大鷲姫シュナの真の誓いと協定
ドメキア王国無血革命翌日、早朝
***
ラステルの雪のように白く、滑らかな肌とは少し違う。わずかにそばかす混じりの色白さにまだ少し荒れている肌。しかし、それは働き者の崖の国の女と同様に見える。日焼けしていないというのが異なる点。セリムは改めて見ると二人の姉の丁度中間のような顔立ちだなと感じた。目元は姉クイ、口元は姉ケチャ。キツさがまるでない顔立ち。
甘ったるい。その形容が似合う。
「生まれ落ちた私はまだ病が軽かったのですよ。カールは私に似ているから影武者として買われてきました」
セリムの腕に上品に手を添えるシュナが微笑んだ。反対の手には純白の質素な日傘。豊かな胸元
「彼女は僕の父母同じ姉上によく似ています。それに城の廊下の天井に描かれた絵画にも似たような女性がいました」
城を出てからシュナは面白そうに国民に手を振り続けている。
「そうです。私に似ているのではなく。
シュナがため息を吐いた。本人は見るからに苦悩と不安から息を吐いただけなのに、なんて
嘘を見抜ける者には信頼寄せる。そんな気もした。
「それは見つけて連れてきて欲しいということで良いですか?」
シュナが少し目を丸めてから、嬉しそうにセリムを見上げた。
「ヴァル様は嘘や建前、本心を見抜くのが本当に上手い。わざとらしく頼みましたが気がつかないものも多いです。誰が何と言おうと本能に従った方が良いかと思います。
シュナの名前を呼ぶ民衆にかき消されるような音量の声。それなのにセリムの耳に届く不思議な声色。セリムを見つめるシュナの瞳が切実な願いだと訴えていた。
蟲の意思疎通の輪の何処かにカールがいる。もしかしたらハクも見つけられる。
「これ以上?僕は今回全然役に立たなかった。名誉挽回、汚名返上。これは僕にしか出来なさそうだ。それに僕の民も行方知れずで心が重かったんです。互いの為になる。今のところはねつけられてますが、ちょくちょく探してみます」
シュナが突然止まった。気がつくと貧困街まで来ていた。しかしそれにしては人が多過ぎる。身なりの良い者も多く、老若男女が大勢集まっている。ワッと人が集まりそうになり、シュナが日傘を高々と空に、ゆっくりと掲げたので止まった。シュナに集まる民衆の視線。あっという間に場をシュナが支配した。
シュナがセリムから離れた。ぐるりと人の輪に囲まれ、セリムとシュナの場所が高さのない舞台ようになっている。シュナが優雅な所作でセリムの前に座った。広がった深紅のドレスがふわりと広がる。
シュナが日傘を閉じて背中側に置いた。物腰柔らかで気品に
「
美声により場が音が無くなったかのような、異様な静まりが作られた。それからワッと騒がしくなった。シュナとヴァナルガンドの名前が叫ばれる。惜しみない感謝が注がれる。ここはシャルル王子とセリムが、空から降ってきた海産物を配った場所。建造物の位置からして、今まさにここがその場所。セリムがシュナを連れていたはずなのに、いつの間にかこの場所。気がつかなかった。
これは中々真似出来る事ではない。求められている役割を的確に演じ、言葉を紡ぐ。そして何もかもで人を掌で転がす。
「反乱の
シュナがセリムに祈るように両手を握った。次々とシュナの発言に対する否定の言葉が巻き起こる。戸惑う民衆の中には、泣き出した者までいる。
「これは真の誓いです。いつでも、どんな支援でもします。心臓に剣を刺されようと破らぬ誓いです。このように既に血塗れ。刺しても傷など見えません。命の恩人、人生の恩人。私は紅の宝石として至宝を飾り、風に愛されるヴァナルガンド様が愛する全てを守りとうございます。私が焦がれてやまない光の一番頂点はヴァナルガンド様です。どうかそれを否定せず、忘れないで下さい。代わりに
目を開いたシュナの大空を閉じ込めた瞳にセリムは放心した。全身の血が騒ぐ。体が熱い。動悸激しく、熱視線に
シュナがセリムにこれだけは話せと頼まれた台詞を言う合図をした。日傘を背中側から右脇に移動。
「蟲は人を食べません。草食です。争いを嫌うのに、怒りを中々抑えられない。しかし僕と妻が森へ帰しました。蟲は操れない。道具にならない。愚かな人が勘違いして利用しようとして
これではまるで神の使いを
シュナの頭上に風が渦巻いた。稲穂のような
何故かシャルルではなくセリムを慕ってくれている、周りの者達を利用しているというのは明らか。しかし嘘ではないと伝わってくる。この魅了させる力が、策が、そして信じさせる容姿がシュナの武器だと言わんばかりに、シュナがわずかに口角を上げた。興奮している民の中に、気づく者はいるのだろうか。いるだろう。わざと爪があるぞとチラリと見せつけたようにも感じた。
シュナがセリムを引っ張り、背伸びをして額にキスをした。セリムが茫然としているとシュナがそっと耳元に顔を寄せた。
「誓いはティダの真似です。本心からです。蟲の民とは険しいでしょう。
シュナの巨大な感謝が伝わってくる。だから魅せられたのか。曇りがなくなった透明な信頼。ティダが愛娘と呼ぶ意味。
「何て光栄なんだ。分不相応だと思いますが、シュナ姫の価値観でそこまで言ってもらえるならば僕は胸を張って良い。父や兄上達はいつも褒めてくれますが、姉上達は厳しい。今回のことはきっと褒めてくれます。一度帰国しますから、共に来てください」
勿論です、とシュナが
「シュナ姫。僕はラステルの尻に敷かれたくない。そんな情けない男にはなりたくありません。この誘惑的な武器はラステルに教えないで下さい」
シュナは返事をしなかった。くすくすと笑っているかのように小さく体を震わせた。しまった。シュナに仕返しをされる。弱点を教えてしまった。
コツンとシュナのこめかみに小石が当たった。油断し過ぎていた。セリムは誰だ?と探した。
水を打ったように場が静まった。シュナのこめかみから血が流れた。途端に疑心と不振で場が騒がしくなった。シュナが目を大きく見開いて、自分のこめかみをそっと指で撫でた。
「感謝してもし足りない方ですが、奥様がいる方に馴れ馴れし過ぎました。悪因悪因と申しまして、風の神からの
何て健気なんだ。多くの者がそう思っただろう。国を荒らした以上に、シュナは国へ真心捧げてきたと昨日の演説で国民は知らされた。裏切ってきた国民ではなく、アシタカに奉仕するというのが伝わっているはず。一国の王ではなく、より高みが欲しいと教えてくれた。このシュナの強欲と尊大な自己評価を知らないと、単に健気で終わる。知ってるセリムでさえ騙されそうだ。
シュナがセリムに目配せした。ドメキア城の最外層の砦に
「過ぎたるは
セリムだけに聞こえるように告げたシュナの笑顔は、とても
「シュナ姫!遅いと思って来てみれば何てことだ!ヴァル!なぜ放置している!感染でもして、悪化して、傷でも残ったらどうする!女性の顔というのは尊いのだぞ!」
前方から一目散に駆けてきたアシタカが、シュナをセリムから奪った。アシタカがシュナの右手を握ると、大歓声が巻き起こった。昨日の演説で、シュナはアシタカを心底愛していると国中に宣言した。国に人生を捧げると言いながら、王にはならずにアシタカを支えたいという切望。それに応えたアシタカ。当の本人は全く気がついていない。アシタカが突然の歓声に不思議だ、と首を斜めにした。アシタカが一番不思議な存在だ。
おとぎ話の恋愛に重ねたのは、シュナ本人が「身近な恋愛の方が共感を得る」と考えたからだろうと推測している。この雰囲気が正解だと物語ってる。違くても、とにかく二人の絆は強調された。沈黙していた覇王の御曹司がいきなり独裁に躍り出た。フォンが言う「人類愛」より「シュナに惚れた」という人間臭さの方が信じやすい。シュナはそこまで策を練って話をしたのだろうか?
それなら食わせ者過ぎる。
「アシタカ様に手当てしていただきたくて、そのままにと
聞いているこっちが恥ずかしくなるような、甘ったるいシュナの声。それに切なそうな表情。一瞬アシタカが固まった。それからみるみる真っ赤になりよろめいた。
「また熱か。数年分の体調不良が一気に
当然と言うようにアシタカがシュナと手を繋いで歩き出した。また歓声が大きくなった。
この様子で家族?
セリムとアシタカは医師アスベルの兄弟弟子だというのを忘れたのか?セリムもそこそこ医学知識はある。
アシタカは珍妙過ぎる。
シュナが振り返って、嘘偽りなさそうに呆れ顔をセリムに投げた。置いていかれると追いかけて、セリムはシュナの隣を歩いた。
「ヴァナルガンド様。熱のあるアシタカ様を支えて下さい」
シュナが労わるようにアシタカをセリムへ渡し、それからアシタカと反対側のセリムの腕を両手で握った。アシタカが恐ろしく不機嫌になった。
「息がしにくいのも困ったものだ。気管支に異常か?健康は僕のとても強い味方だったのに。それにしてもシュナ姫、とても似合っているが、そのドレスの形状はあられもない。病が良くなり見せたくなるのも分かるが、
歩きながらアシタカがブツブツ文句を言い出した。「
「
涼しい顔でシュナが告げると、アシタカが
「そんなものなくても分かるだろう?この絶世の声。それに骨変形までしていた体型はともかく、顔は元々と骨格に変化なし。病が治ればこのような顔だと、誰でも知っています」
シュナが目を丸めた。セリムは
アシタカの台詞が聞こえた者たちが、気まずそうになったり、感心したりと
「シュナ姫も風邪かもしれない。上着をどうぞというと、ご自愛をと言われそうだ。困ったな。ヴァル、彼女に貸して……。いや、肌寒いし君にも上着は必要か。ヴァルはシュナ姫に何もしなくて結構。大技師一族の礼服に
この世の宝というように、アシタカはシュナへ熱視線。セリムには
「まだ知り合って間もないのに、
シュナがアシタカの顔を覗き込んだ。まるで今すぐキスしてとねだるように軽く唇を半開きにして、小首を傾げた。何故かアシタカが体を少し
セリムはまた反省した。こんな情けない姿を自分も振りまいていたという事実に、寒気がした。尻に敷かれる兄クワトロより情けなく恥ずかしい。
絶対にティダの余裕振りを見習おう。そしてラステルの「はしたない」にも耳を貸すべきだ。
「年月?そんなことはない。とても強い親近感。血の縁というのは中々侮れないものだと痛感してます。シュナ姫、貴方がいるととても落ち着きます。母上や姉上達と同じ、いやそれ以上です。年が近いからかな?まあ少し緊張感もありますが、慣れるでしょう」
にこにこと告げたアシタカの台詞に、シュナが大きくため息を吐いた。セリムも頭が痛いなとこめかみを揉んだ。
「
ツンッと澄ましたシュナがセリムを引っ張り、早歩きになった。アシタカが真っ青になって硬直している。
「シュナ姫、今のはやり過ぎでは……。今のアシタカだと絶対誤解……」
セリムが振り返ると、アシタカが今にも噴火しそうな程こめかみに血管を浮かべて、わなわなと震えている。ひっ、とセリムはパズーのように息を飲んで顔を前に戻した。穏やかで、優しいアシタカのあのような姿は怖過ぎる。
「大狼が
大変不満というように、シュナが頬を膨らませた。それから、ふふふ。あはははは。とシュナが軽やかに笑い出した。
「シュナ姫、ラステルに手練手管を教えなければ僕はいつでも君を援助する」
シュナが今度は頷いてくれた。ふと、ティダの声がして振り返る。いつの間にか現れたティダがアシタカと
シュナとアンリ、二人揃って自分のものだと自分の方が上だと自慢合戦。シュナとアンリは呆れ果てたのか、素知らぬ顔でラステルとずっと遊んでいた。セリムは間に挟まれ大変だったのに!
セリムはティダも見本にはならないかもしれないと、思い至って大きなため息を長々と吐いた。
「あら、
今までで一番納得出来る案だった。シュナはアシタカに対するよりも、全身真っ赤で恥ずかしそうだった。それから心底嬉しそうにしてくれている。ラステルが一方的に懐いているわけではない、ヒシヒシと伝わってくる。セリムはシュナと向き合って右手を差し出した。
「ラステルも貴方が大好きですよ。寝室を別々にされシュナ姫に奪われるし、四六時中貴方とアンリさんの話。しかし僕は夫で、シュナ姫とアンリさんの大親友。妬くのではなく丸ごと包み込むように励みます。あの二人のように、鼻の下を伸ばして情けない大恥晒しは最悪です。断固拒否」
シュナが目を丸めた。それからクスクス笑い出した。かなり
「これも協定、誓いにしますよ。馬に蹴られたくないので誓いの口付けはこれで最後ですが、たまに親愛示してラステルをからかってあげましょう。このような暮らし、とても憧れていたんです。セリム様、誰よりも貴方が私の恩人です。だから耐えられた。それを覚えておいて下さい。崖の国は私が何がなんでも
シュナがうんと背伸びしてセリムに耳打ちした。それから耳に軽くキスした。アシタカが今日から滞在する天空城下のテントまで、黙って見守ると約束させられたラステルの姿を群衆に見つけた。かなり不機嫌そうで、アンリに肩をポンポンと叩かれている。
即座に離れたシュナがラステルにしたり顔をして、セリムと手を繋いで走り出した。ラステルの口が「まあ」と形を作り、それからむくれた。
シュナが走りながら「あはははは」と無邪気に笑った。
それがラステルそっくりな無邪気な姿へ変わった。
自由。
もう自由だと言わんばかりの軽やかさに、セリムも楽しくなった。
シュナの幸せそうな様子に、一際大きな歓声が上がった。それから泣き声も混じり、いつの間にか盛大な拍手が巻き起こってた。セリムはシュナを横抱きにして、一目散に走り出した。強風が二人を避け、更には優しく包むように過ぎていった。こんな風の道は人生初めてだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます