一陽来復の第二歩と連光昂然

 丘の上から眺める光景は、ノアグレス平野の七色の空と同じように美しく輝いて見えた。何もないのに光って見える。反乱が勃発したのに開戦しなかった。いつか突然現れる激動も挫かれた。嘘と偽りも時に必要なのか?正しかったのか?決めるのは後の世だ。


 暴力で解決しなかった。そして先行き明るい道筋がある。現時点では最善だったそういう風に感じる。


 お前はここで見守れという、ティダや王狼ヴィトニルの進言。未熟なセリムの出番など、全く必要なかった。


「シュナ姫……きっと辛いわ。嘘をたくさんついてた」


 ラステルが涙を流しながら、セリムに寄り添った。


「憎しみで殺すより信じて刺されろ。僕はこの言葉の意味の重さを理解しきれていなかった」


 セリムが許してきた内容のなんて小さなこと。だから刺されても大した傷ではなかった。シュナはなんて強いのだろう。セリムの手助けなんて必要なかった。突然ラステルがセリムの腕を強く引っ張った。見下ろすとラステルがぶんぶんと首を横に振った。


「セリム、今自分は大したことをしていないから手助けなんて要らなかった。シュナ姫は素晴らしい。そう思ったでしょう?」


 気配がするなと思ったら、パズーがセリムにおぶさってきた。シッダルタもいる。


「そうだラステル!もっと言え。それもあるが付け足さないとならない。自分なんて大した許しをしてこなかったから、シュナ姫の苦痛を理解してあげられなかった。むしろ簡単に許せと言って、追い打ちをかけた。セリム、お前はそう思ってるだろう?」


 ラステルとパズーはセリムについてこんなに理解してくれている。あまりにも嬉しくて胸が詰まった。そして、二人には分かったのに、セリムは気づくのが遅過ぎだった。アシタカに叱責しっせきされなきゃ道を踏み外し続けていた。


 いきなりパズーがセリムのこめかみに拳を当てた。何故かシッダルタが大きく目を丸めて固まっている。


「全然違うセリム。その目を止めろ!いや、こんなにも正しいらしいから止めるな!どうせ無自覚、どうせ変わらない!セリムの周りが変わるからな!」


 こめかみをグリグリされながら、セリムはパズーの言葉の意味を考えた。人をさとす目ではなく、人の長所を先に見つける方だろうか?使い方を覚えたい。お前には無理だということか。どうせ無自覚とは悔しくてならない。使い方を覚えて、有効活用ささないとならない。


「駄目よパズー!セリムには分からないのよ!変なのよ。へんてこりんなのよ!」


 ラステルがポカポカとセリムの胸を軽く叩きはじめた。また変だと言われた。アピの真似か?ラステルがセリムを叩くのをやめて、両手を握ってくれた。セリムを見上げる若草の瞳が、太陽を反射して美しい親愛を映してくれている。


「セリムは何よりも宝物を奪われたのに蟲を許したわ!おまけに家族になった!大陸中を、セリムの愛するものごと理不尽に破壊しようとした蟲もあっさり許したわ!おまけに家族になって共に生きよう!今のシュナ姫の比じゃない。こんなの誰も真似出来ないわ!セリムの真似はひどく辛いけど大丈夫なのよ。だってセリムがいる!一番強い許しと、その先の鮮やかな世界をセリムが一度見せてくれてる!」


 セリムは首を横に倒した。ラステルは壮大な勘違いをしている。


「何を言っているんだラステル。蟲達は自分達の宝物を守ろうとしただけだ。僕から奪おうなんてしてない。理不尽じゃなくて、あれだけ怒ったのにはそれなりの理由がある。君には話をしただろう?許したのは蟲達で僕は何もしていない。僕の……」


 パズーがセリムの頭を叩いた。話を遮られて少しムッとした。


「人の話を遮るな?遮るね。お前は時々息苦しいんだよ!俺は目付だけど、そこまで励みたくない!まだまだ手前の段階だ。無理やり背中を押すな!ラステル、言っても無駄だ。しかし言おう。お前はそうやって自分の憎しみよりも蟲の憎しみに寄り添った。こんなの普通じゃない!許すどころか、憎しみすら抱かなかった。いつもそうだね。セリムが変なのはその懐の深さだ。深過ぎて訳が分からない」


 ラステルがセリムを抱きしめてくれた。


「そうよ。セリムは相手を憎むことが少ない。小さい。それより相手の気持ちに寄り添ってくれる。だから皆がセリムのことを大好きになるのよ。怒ったって、憎んだって仕方ないのに、セリムは相手の気持ちを推し量って悩んで苦しんでくれる。こんなの中々出来ないのよ」


 今度はパズーがセリムにおぶさって、のしかかってきた。


「何の話だ?ああ、僕は人を見る目がある。パズーが教えてくれた。人より先に見つけてしまうから、相手を疲れさせるって。でも肯定してくれた。グスタフ王のことは少し見誤ったが、アシタカが人は変わると機会を与えてくれた。僕の人を見る目を信じてくれたからだ。僕はグスタフ王はシャルル王子とシュナ姫といつか仲良くなると思う。そういう予感がするんだ。子が先にうんと成長して手を引くから」


 パズーとラステルが顔を見合わせて笑い始めた。


 愉快ゆかいだというように、ラステルが歯を見せて笑った。


「パズー、君が言う通りだな。ヴァル殿は不思議な方だ。うちの皇子も変だがそれ以上だ」


 また増えた。変ならどう改善すれば良いと言うのだ。ティダより変?いまいちパズーとラステルの言葉が飲み込めないが、とてもめられて好かれているというのは分かる。複雑な気持ちだ。


『さあ殺せ。殺してみろ。殺せるものなら殺してみろ。さあ、ほら!ふははははははは!最も王に相応しい者が、自由という大空高く舞い上がった』


 突然、ティダの高笑いと嫌味な声が丘に響いた。音響収集機スピーカー


「何だ、シュナ姫と正反対じゃないか。しかしシュナ姫の後押しか?」


 シッダルタがセリムの腕を掴んだ。


「ここまで真心込めて生きてきた。何もかも許して国の為に生きる。殺してみろ。天罰が下る。見てる人は見ている。殺された後に誰かに刺されるからな。俺にはシュナ姫の演説はこう聞こえました」


 へえ。同じ光景を見て、同じ内容を聞いていて全然解釈が違う。シッダルタが一瞬ひるんだ。


『そんなに辛いなら見捨てて逃げればよいものを。まあいい、我が愛娘が天寿全うしなければ、大狼が食い殺してくれる!』


 ティダの国民、いやこの声は丘周辺にしか伝わっていなそうなので反乱軍への脅しか。「殺してくれる!」という怒声にシッダルタは驚いたのか。


「この世の全てはセリムの教師。シッダルタ、目をつけられると厄介だぞ。まあ、俺達二人はティダに目をつけられた。どっちが大変なんだ?俺達は蹴飛ばされて、背中を押され続ける。それもこいつら走りながら押してくる」


 パズーが情けない声で呻いた。ラステルがパズーに向かって気合十分というように拳を繰り出して、パズーの腹に軽く当てた。


「私達、ひよっこを卒業するのよ!負けないわパズー!」


 セリムはラステルの張り切っている愛くるしい笑顔に寒気がした。励まないと尻に敷かれる。


『娘が激怒しているので訂正する。シュナは何もかも全て許すという。。しかし大狼は許さん。こんな娘だ。疑い、罵ののしっても構わん。俺が守って国まで返した紅の宝石。空高く自由に羽ばたく誇り高い大鷲おおわし姫。我が愛娘が天寿全うしなければ、大狼が食い殺すからな!大地も揺れて破滅もする。ふはははははは!今夜は月見酒だヴィトニル、ヴールヴ、スコールよ!命短し、されど尊い。紅の宝石をきちんと見定め信じ抜いた、俺の部下とは共に生きてくれ!』


 単に大切だから必死に守った。だからドメキア王国の民もシュナを大切にして欲しいと素直に言えばよいのに、殺すなどと脅すなんて。シュナも激怒するはずだ。


「視点が違うと解釈が違う。だから意見が食い違うというのを僕は胸に留めておく。しかしティダはもっと己に相応しい態度を取るべきだ。こんな脅迫だなんて。それに、僕だって大狼に選ばれた。何故ウールヴの後に名前を呼んでくれない。スコール君の後ろでもない。直下じゃなくなったのか?何になるんだ?ティダの横並びから庇護ひごされる弟分だしな……」


 毎日成長しようとしているのに、空回ってばかりだから更に未熟になったのかもしれない。人の王から人の王子へ転落。大狼ティダの直下からも転落。最低だ。情けなくて恥ずかしいが仕方ない。


 ティダがアンリの肩を抱いて、威風堂々と丘を上がってくる。アンリは頬を赤らめながらティダに親しみ込めた目を向けていた。


 突如シッダルタが腹を抱えて笑い出した。


「ねえセリム、悔しいの?」


「顔に出てる?感情を正しく表現できているか鏡で確認したいが無いな。そうだラステル。僕は自分なりに日々いそしんでいる。方法が間違っているのかもしれない。成長したとおごっていたのだろう。またクイ姉上達に叱責しっせきされるかもしれない」


 シッダルタと目が合った。ティダが期待している男。


 ティダがアンリから離れて勢い良く走ってきた。それから飛び蹴りしてきた。稽古けいこをつけてくれるのか?全く本気ではないのでヒラリと避けた。腕が伸びてきたので、横へ避ける。生温くて稽古けいこにならない。


 ティダが呆れたように大きな溜め息を吐いた。それからセリムを手招きした。近寄ったら羽交い締めにされた。力が強過ぎて逃げられない。いきなり髪の毛をぐしゃぐしゃにされた。


「良くやった。俺をぶっ壊したなヴァナルガンド。この破壊神め。しかし清々しい。俺はより高みに登る。もっも破壊しろ。しかし弱きを潰すな。シッダルタはお前の下。随分下だ。弱きをしいたげるな!シッダルタに余計な真似をするな」


 これはめられているのか?けなされているのか?


「無駄だよティダ。セリムは崖の国皆の末っ子。人の良いところばかり見て、全部根こそぎ奪おうと貪欲。何故何なぜなに王子の由来は研究心や好奇心だけじゃないんだ」


 パズーもセリムの髪をぐしゃぐしゃにした。


「やめてくれ!何なんだ。僕は落ち込んでいるんだ。これ以上ラステルの前で情けない男だと言わないでくれ!なあティダ、僕は大狼に選ばれたのだろう?何故ウールヴの後に名前を呼んでくれない。スコール君の後ろでもない。直下じゃなくなったのか?何になるんだ?まさか群を追放されたら戻れないなんてないよな?僕ははげむし戻る。一度招かれたならきっと戻れる」


 不安な気持ちを押し退けて、胸を張った。自分なりに頑張っていた。方法が間違っていたなら、改善点を教えてもらえれば大丈夫だ。


 ティダの目が点になった。あまりの無防備さに驚いた。ティダがこれ程無防備なのは初めてかもしれない。


「ふはははははは!訳が分からない男だ。パズー、お前はやはりセリムの隣に必要だな。しかし足りんな」


 目付が必要だという追撃。足りないというさらなる追撃。パズーのように項垂うなだれそうになったら、ティダがいきなり足を踏み鳴らした。


「良くぞ俺の部下に追従できない背中を見せた。俺には無かった選択肢だ。永久とこしえに大狼である永狼えいろうヴァナルガンド。俺以外に大狼の名がある人間は居ない」


 面食らっていると、ティダが再び足で地を鳴らした。


 俺以外に大狼の名がある人間は居ない?


「良くぞ我が愛娘に生き様教えた。俺にもシュナにも、そしてアシタカにも、誰にも教えられなかった道だ。そしてシュナを守る為に良くぞはげんだ」


 セリムは瞬きした。途轍とてつもなくめてくれている。さらにもう一度ティダが大地を踏み鳴らした。


「この国を全て背負い、良くぞ守り通した。アシタカの支援となった。俺はお前の信念で殺されるところだったがな。しかし許そう。何とかなった」


 信念で殺される?何の話だ。


鬱陶うっとおしいからその目を止めろ。さてこの辺り全員これで闘志とうしを燃やすな。三度吠える時に理由を告げるのは大狼の最大の敬意也。ヴァナルガンドとはで月見酒だ。人だが劇薬至宝を呼ぶのは許そう」


 見渡すとティダが部下だと言った騎士達がセリムに注目していた。それも熱視線。


「大親友の旦那様。親しみを込めてヴァルと呼ばせて下さい。お互い未熟同士ですがだからこそ肩を並べて頑張りましょう。今はヴァルより随分下ですが、私は負けません!」


 ラステルと可愛らしく歓談していたアンリが、いきなりセリムの正面に躍り出て高らかに宣言した。やはりアンリはクイ姉上に似ている。なんとなくそう思った。どことなくティダの荒々しさも感じる。今の低めの声や凛々りりしさがそうだ。


「アンリ、俺の妻だけある。しかし女は並び方が違うんだがな。まあ許そう」


 ティダが背中がむずがゆくなるような甘い声を出して、それからアンリの頭を優しく撫でた。アンリが頬を赤らめてはにかんだ。これはラステルのように可愛らしい。アンリは不思議な女性だ。


「ここまで言ってもらえるという事は、僕は直下のままだ!また転落したのかと思った!全く身に覚えがないが、僕はすごく嬉しいよティダ!それにアンリさんも親しみを込めてって、良かった。ラステルの友が僕を認めてくれる。僕は誇らしくてならない。しかし……」


 ティダはもうセリムを見ていなかった。アンリをぼうっと見つめている。ラステルに見惚れるのは気をつけないとならない。ティダはもうアンリの尻に敷かれているかもしれない。これは見習うべき姿じゃない。


 ティダはそのままアンリの肩に腕を回して歩き出した。アンリが親のような視線でティダを見上げている。二人の両脇に王狼ヴィトニルとウールヴが寄り添った。


 沈みかけている夕陽を浴びるたくしく、美しく、気品さえ感じられる大狼二頭にはさまれるという圧巻の光景。うらやましい。


「なあパズー、僕の信念で殺されるところだったって何か分かるか?ナイフでわざと刺されたことだろうか。許して刺されろは許される為に刺してもらうではない。ティダに無茶はしないようにと教えないとならない」


 問いかけるとパズーは一心にティダの背を見つめていた。兄クワトロが時折見せる父ジークや兄ユパへの視線と同じ。あまりに偉大な背中にひるみながらも、絶対に追いつくという決意込もった目。セリムもいつか弟子リノにこの目を向けられたい。


「セリム。その件じゃない。ティダは今日、自分では絶対に考えない、そして可能なら実行したくない方法を選んだ。あんな顔してたから、二度としないかもな」


 パズーは一心不乱にティダだけを瞳に映している。さらに男らしくなった精悍せいかんな横顔。


「ティダは勝算がなきゃ実行しないだろう?それに機転も利くし、度胸や……」


 パズーがゆっくりとセリムへ顔を移動させた。一度も見たことがない獣のような面構えに、セリムは思わず一歩後退しそうになった。男として負ける。何にかは分からないが、本能がそう告げたので足を踏ん張った。


「そうかもな。裸に腰巻でお前の真似かと思った。あいつは銃弾をさり気なく避けた。放たれた弓を外套マント一枚で吹き飛ばした」


 シッダルタがパズーの隣に立ってセリムを見据えた。パズーと同じような決意を秘めた高熱の視線。何か分からないが堂々と受けるべき種類の感情だろう。


「無血革命でなければ、報復するなら高らかに宣言し、ドメキア王国領土は焼け野原。悪因悪果。俺が死ねば天が許さないだろう。三度目はない。そんなに信じたくないならば好きに生きろ。次はお前達の為に死のう。その時、少し地が縦に揺れた」


 裏切りには反目。セリムのうなじの毛が逆立った。平和を祈り続けろと言いながら脅した。やはりティダは勝算あって実行に移した。


「ティダは死ぬ気だった。絶対にそうだ。俺達に申し訳ない、すまないって顔しかしなかった。アンリさんを大狼ウールヴにたくした。余程の決意だったはずだ」


 ラステルがセリムの腕を抱きしめた。


「アンリが言っていたの。ティダ師匠は失うことの、引き裂かれるような苦痛を知っている。ここまでして守り抜かれたシュナ姫に、ティダの死を贈るなど彼の矜持が許さない。きっとパズー達を巻き添えにして不幸を残すことが申し訳なかったのよ……。誰も幸福にしたことがない、そんな訳が分からない事を言っていたって聞いたわ」


 ラステルの頬に涙が伝った。


 誰も幸福にしたことがない⁉︎それは確かに訳が分からない。酒の席なら教えてくれるかもしれない。勘違いを正してやらないと、これはティダの為にならない。多くの年長者や友が指導してくれているセリムと違って、ティダは教えてばかり。自身の偉大さの認識が偏っているのかもしれない。


「ティダは勝算があった訳じゃない。必死に全力で成そうとして、結果が伴ったからすごいだけ。セリムの信念はそういう危なっかしい道だ。俺なんかがしたら、すぐ死ぬ」


 そんなことはない。今日、多くの者が踏み出して明るい未来を築いた。


「後ろに守り抜きたい、大好きで偉大な部下がいたら底力も出る。シュナ姫やアシタカが支援してティダを守る険しい道を切り開いた。シャルル王子も変わろうと必死だ。僕は今日どちらかというと不甲斐なかったけれど、ティダがそうではないと言うのなら、僕は胸を張る。やはり僕はティダと横並びではないな」


 パズーとシッダルタが同時に目を丸めた。


「過信でなくて本当に力がある男でも一度に沢山は守れない。手からあふれる。一人でも多くの人を鼓舞して導く。皆で手を取り合って築き上げる。パズー、君が僕にそう教えてくれたんだ。だから精一杯はげんだ。僕はシャルル王子が勇気を出す手助けをした。きっとそれがティダを守った。君達がティダの後ろで信念背負って並んだ。それがティダを守り抜いた。君達の身も守った。僕はティダや父上や兄上のようになりたい。前に立つんだ」


 セリムはパズーに右手を差し出した。


「パズーの信念は僕の信念を後押しする、いや両方揃わないとダメだということだろう?僕はティダを見習って教えるということも学ぶ。リノの師匠だから見せるなら特大の背中がいい」


 パズーがセリムの右手を払った。唖然としているとパズーがしたり顔をした。


「お前はやり過ぎる。無自覚なところが多過ぎるからな!俺は長年付き合って、実力以上を求めらて息切れした!お前の目はうんざりなんだ!俺はティダを見習う。その前にティダの下の奴らだ!あとアシタカ!アシタカもなあ、あの悪態あくたいだけはなあ……。まあ、そう言うことだ。目付は辞める」


 あまりの衝撃にセリムはよろめいた。親友だと思っていたのに、本気で嫌がられていた。ラステルが言うそれこそ。しかも目付を辞める?完全に見放されたのか?


「おいセリム!お前は本当に妙ちくりんだな!目付なんていらない男だって言ってるんだ!俺の考察が間違ってたって思っただけ!大親友の心配より、大親友の隣に並べるように、恐ろしく遠い背中を嫌々じゃなくて自分の意志で歩こうと考えただけ!自分の器に似合う、けれども最大限のところまでゆっくり頑張るんだ!」


 放心していたがパズーの怒鳴り声で我に返った。パズーが真っ赤になって怒っている。


「どうしてここまで言わないと伝わらないんだ!あーあ、ティダの気持ちがよく分かるね。こんなの恥ずかしくて最低最悪だ。まあいい、兎に角俺はお前の背中は追わない!ラステル、先にひよっこを卒業するから見てろよ。次は一番庇護される場所じゃない。一歩前にいく。夢は大きく、ラステルを任されるような男になる!」


 ぷんぷん怒りながらパズーが丘を下りて行った。ティダとは正反対、シュナに敬礼し続けている騎士達の元へと向かっていく。突き放されたのか、認められているのかパズーは難し過ぎる。セリムではなく周りが変なのではないかと思えてきた。そうか、そういうことだ。蟲とは違って一人一人違うから、相手が変わっているように見える。新しい、有意義な認識だ。何より、これで変だと言われた時に説明出来る。


「セリムさん。恐れ多くもセリムと呼んでも?」


 シッダルタがセリムの右手を両手で握ってくれた。


「偽名を使っておかないといけない。だからヴァルでお願いします」


 シッダルタが首を横に振った。


「セリム・ヴァナルガンドだよな?だからセリムだ。祖国のことは聞かない。パズーとは正反対で俺はセリムを見習う。そうすれば絶対にティダを楽にしてやれる。手一杯というから、ティダの手から飛び出したい。それにはセリムだ。見習うというよりは共に学ぼうかな?」


 優しい風が祝福のようにシッダルタを取り囲んでいる。珍しく人を中心に風が吸い寄せられているような流れ。風の神がセリムとシッダルタの友情が多くの人の為になると言ってくれているような気がした。


「そうだセリム・ヴァナルガンドだもんな。勿論だとも!熱なんて出して船で君達と交流を持てなくて残念だったんだ。龍の民の由来とか、あの歌とか、大狼の生態とか聞きたいことが山程あったのに」


 周囲を見渡すと誰もいなかった。ラステルがちょんちょんとセリムの袖を引っ張った。目が訴えている。シッダルタが屈託無く笑ってくれた。奴隷という身分なのに、憎しみを超えて奮い立った、ティダに認められた部下だという男。そして風の神の加護があるように感じる人物。


 あとセリムには人を見る目がある。


「ラステル、僕と背負ってくれるかい?僕はシッダルタには風の神の加護があるように見える。君の大親友と肩を並べ、先に追い越すように頑張るという男。ラステルの師匠の部下。大切な祖国の民」


 シッダルタが首を横にして、不思議そうにしている。


「私はセリムの妃よ。セリムの愛するものを愛し信じるものを信じる。千人力のセリムがいるから大丈夫。何があっても絶対に諦めないから何があっても平気よ。それに嫌よ。信頼出来る人に心を閉ざすなんて絶対に嫌!でもティダ師匠と誓わされたから、私の判断は危ないみたい。でもセリムが決めるのは良いって言ってたわ」


 胸が喜びで高鳴る。ラステルからの愛情の深さと、可愛い笑顔に危うく見惚れそうになった。危ない。気をつけないと。不服そうな表情なので、見惚れて良かったのかとラステルの肩を抱いたら手の甲をつねられた。


「セリム、ここは崖の国ではないわ」


 ラステルがセリムに「後でね」と耳打ちした。それからシッダルタへ早く話せというように目配せした。シッダルタが気まずそうにしている。ティダは公衆の面前でアンリに激しいキスをしたが、あれは見習いたくない。そもそもラステルのそんな姿を見せたくない。ラステルがセリムの背中をトントンと叩いた。


「シッダルタ。祖国は聞かないと言ったが是非色々聞いて欲しい。帰国の際は共に行こう。案内するよ。僕は自分の国をとても誇らしく思っている。僕はセリムだ。セリム・レストニア。崖の国レストニア前王ジークの息子にして現王の弟。上から五番目の末の子で、第三王子。崖の国は東のエルバ連合に属している小国だ。あと蟲の民テルムは僕一人だけ」


 驚いているシッダルタの右手を取って握った。


「蟲に蟲と間違えられているセリムの妻ラステル・レストニア。ラステルと呼んで。故郷は……」


「ラステルの故郷は蟲森にある小さな村だ」


 セリムはラステルに目配せした。よく考えて自分で決めて欲しい。


「いつか村のことを教えます。まだセリムも案内していないんだもの。セリムが先だわ。次は家族。そして大親友のパズーよ。いつか崖の国と交流を持つからきっとシッダルタも案内出来る」


 予想外の言葉にセリムは目を見張った。拒絶だが、セリムを立ててシッダルタも立てている。真心込めた言葉だ。ラステルがセリムに可憐かれんなウインクをした。クワトロのウインクの仕方に似ていた。短い期間に教わったのだろう。嬉しくてならない。もとからラステルは相手を気遣えるので、より美しくなって欲しい。


「蟲森の村。ティダもそんなことを教えてくれた。あいつも殆ど教えてくれないから、何か隠すべき理由があるのだろう。だから聞かない。しかし、蟲に蟲と思われている?」


 シッダルタが上から下までラステルを観察して首を傾げた。


「そう。人なのに蟲に間違えられている。出自が謎だから分からない。僕が連れている蜂のような蟲アピスの家族なんだ。アピスの小蟲の中でも一番末っ子だからお姫様扱いされている。ラステルのつがいとして認められたから僕も蟲の家族。それで蟲の民。僕だけが光栄にもアピスの家族として認められたんだ。崖の国は無関係。だから隠しておきたい」


 セリムの背中にしがみついていたアピがラステルの頭の上に移動した。


「そう言うことか。セリムの話振りを総合すると何となく承知した。この秘密は必ず守る。そうだ。二人に誓おう。ティダに倣った真の誓い。俺は自分で選んだ人を今度こそ信じ抜くと決意している。シュナ姫に倣ったのは裏切らないということ。君達は二人の恩人。信じ抜いて裏切らない。俺の人生が豊かになる」


 シッダルタが握手に力を込めてくれた。真っ直ぐな少し茶色い瞳が何処と無くアスベルを思い出させた。悲しみを乗り越える強い瞳。


「セリムって変なのよ。私のことを追い越して蟲とお喋り出来るの。多分蟲に好かれる人間はセリムだけよ。だって私は蟲に間違えられているから、セリムとは違うもの。話せないし」


 ラステルがころころと音を立てるように笑った。それから頭の上のアピを腕に抱きしめて可愛いというように頬を寄せた。無意識なのか見せつけようとしたのか分からなかった。ラステルが悲しそうにアピの産毛をなでたので前者だ。自分も蟲と話したい、切なさが伝わってくる。


「シッダルタ。蟲には蟲の掟や考え方がある。人とは大きく違う。感情や言葉を共有してみんなで一人というような事も多い。その意識から離れるのは難しい。僕やラステルが変だったらその事を思い出して欲しい。あと名前を呼んでくれ。僕達は人だから、人として蟲と学び合って生きる。いつか他の者にも伝えたい。アシタカが目指す鮮やかな未来に、蟲も入れるんだ。それが僕が蟲の民テルムと名乗る理由」


 ラステルがびっくりしたように大きな瞳をますます大きく見開いた。言わなくても伝わるのかと思っていたがそうではないらしい。やはり人は言葉をつむぐべきだ。真心を込めて、相手を敬って。


「セリム、その道は険しすぎるな」


 シッダルタがセリムから手を離した。少し寂しかった。しかしラステルと二人ならば大丈夫だ。千人力と言ってくれるだけで力強く歩いていける。シッダルタが恐々とアピに手を伸ばした。目を黄色くしたアピを見て、シッダルタが手を止めた。


「シッダルタ、アピは怖がっているだけだ。大昔に人から嫌な事を沢山された。本能が覚えている。刻み込まれている。挨拶をしてやって欲しい。僕の近くだと人の言葉がはっきりするらしいから」


 シッダルタが悲しそうに眉毛を下げた。


「ベルセルグ皇国奴隷層のシッダルタだ。しいたげられる苦痛は多少知っている。いつか仲良くなれるかい?僕は君の家族セリムとラステルがとても気に入った。友の信念を背負うことにしている。自分が選んだものは決して裏切らないように相手を信じぬく。君が僕に何をしようと構わないよ。例え突然噛んでもね」


 手を伸ばそうとしたシッダルタに対して、ラステルの腕からもがいて飛び出たアピが、目を真っ赤にして前脚で威嚇いかくした。シッダルタはビクリとしたが逃げはしなかった。


〈トムは失礼だ!アピスの子は偉い子だから噛んだりしない!お行儀良いんだ!〉


「あはは。シッダルタ、アピが怒っている。アピスの子は偉いから人を噛まない。特に僕の家族は噛むより逃げるよ。優しい子たちだから。そもそも草食だしね。アピ、怖くて動いたのは分かるが人を威嚇いかくしているように見える」


 シッダルタがへえ、と感心したようにその場でセリムを見上げた。


〈セリムが言うしロトワの匂いもするから我慢する。偉いから大丈夫〉


 セリムはアピの産毛をさわさわと撫でた。


「アピ、人は蟲とは違う。一人一人違う。君達は全面的に僕を信頼してくれているが、僕はいつも間違う。人は偉大な成蟲と繋がっていないからすぐ間違う。ああ、そうか中蟲なかむしに似ているんた。匂いで嗅ぎ分けられるなら一人ずつ嫌な奴が判断しなさい。挨拶をして、威嚇いかくされてもアピが噛んでも気にしない。化物なんかじゃないって信じてくれたからだ。アピスの子達ははシッダルタを今すぐ信じなくて良い。いつか僕くらい信じてくれる時がくる。何でもかんでも信じてはいけないよ」


〈セリムの教えは難しい。また親に怒られたら追放される。アピスの子は聞かない。トムだから仲良くする。アピスの子は偉いからトムとトルとは仲良くする〉


 不満そうに告げるとアピが目を青くしてからシッダルタの頭の上に乗った。体をビクつかせたがシッダルタは黙って受け入れた。


「青い目は穏やな時。僕が一度教え方を間違えて追放されかけたからそっぽを向かれた。セリムの友達トムとラステルの友達トルとしか仲良くしないって。このトムとトルの基準がさっぱり分からない。ティダだけヘンテコトムでヘトムらしいし。名前を言っても無駄なんだ。アピスの子はアピスの子。一匹ずつ名前を付けようとすると怒る。アピスの子は気を抜くと大音量で遊べと迫ってくるし、親はほとんど沈黙。ちっとも自由には喋れない」


 セリムはラステルに前途多難だろう?と肩をすくめた。最後の台詞はラステルへの真心。伝わるといい。セリムはシッダルタも見つめた。何か考えているような様子なので、黙って待った。


「蟲の民の王子には蟲の民が必要だ。一人じゃ王子?となる。ティダが蟲の民の王子と名乗れと言ったんだろう?セリムの堂々たる姿や指導者としての雰囲気や言動が隠せないからだ。王族として厳しく育てられたんだろう。大国シャルル王子よりもセリムの方が余程大国の王子、それも王太子のようだ。君はそんなことないと言うがそうなんだ。自覚していい。俺は蟲の民となるよ。蟲とは語り合えない。セリムから聞いて共に考察しよう。俺の人生も歴史に残したい。奴隷達への希望になる。奴隷層は虐殺ぎゃくさつが多い。死ぬ人生だったんだ。僕は危険でもこの偉大な誉れ高い道を選ぶ」


 セリムはポカンと口を開いた。シッダルタはセリムの思考をよく読んでくれている。さらにティダの考えもセリムに伝えてくれた。自分が大国の王太子のようだとは思えない。そこまで読んで否定された。蟲の民の険しさを短い間に熟考した。何を理由にかが分からないが的を得ている。シッダルタが意気揚々と言うようにセリムに右手を差し出してくれた。セリムは飛びついた。それからシッダルタの髪をぐしゃぐしゃにすることにした。ティダの真似だ。セリムはこれをされるのが密かに嬉しい。シッダルタにも伝わるだろう。


「シッダルタ!君こそが僕の唯一無二の大親友になるよ!絶対そうだ!パズーはずっと僕を変だと突っぱねてた!みんなそう言う!僕はこの美しい世界のあらゆる命と共に生きたい!根っからの研究者で何でも知りたい!僕の本能なんだ!その方が楽しいし単に生物が好きだ!特に話せるなんて素晴らしいだろう?君の考察力が必要だ!絶対楽しいよ!よろしく頼むよ!」


 セリムはラステルを抱き上げてぐるりと回した。


「聞いたかラステル!君と二人じゃない!三人だ!シッダルタは死んでもいいって!1人で死ぬのは勝手だが、叶わぬ理想に他者を巻き込むなと言われたからいつも胸が重苦しいんだ。ラステルがいてくれるとそれこそ千人力。でも、そうだ、アスベル先生はこうも言っていた!たった1人で何が出来る?ラステルが千人力でシッダルタが千人力なら僕と合わせて三千力だ!三千だラステル!アスベル先生に世界は広いって教えてあげたい。リノに僕の背中を見せるんだ!」


 何度かセリムはラステルを回した。アピが遊ぶの楽しい!と騒いだ。上手く閉じれなくてホルフルアピスの子どころかアシタバアピスの子と何故か縁のないゴヤアピスまで「ずるい、遊べ」の大合唱。頭が痛過ぎる。


 セリムはラステルを地面に下ろして、深呼吸した。蟲の意識を一気に叩き込まれてふらふらする。興奮してはしゃぎ過ぎたと反省していたら、ラステルが飛びついてきてキツく抱きしめてくれた。それからシッダルタがお返しとばかりにセリムの髪をぐしゃぐしゃにした。屈託無いシッダルタの笑顔が心底嬉し過ぎて、セリムはラステルとシッダルタを二人揃って抱えて一回転した。


 セリムはそのままナムリスの丘にひっくり返った。日も暮れていて、空には満天の星空がきらめき、流れ星がまさかの三回、流れていった。


〈セリムお祭りだ!アシタバアピスと遊んでくる!〉


 ん?


 セリムは二人の体ごと起きた。それから、まさか?とアシタカの姿を探した。シュナが上に乗ってアシタカに抱きついている。アシタカは真っ赤な顔で放心状態。フォンが何やらわめいている。周りを騎士団達が囲っているのでセリム達の方面からしか見えなさそうだ。ラステルがパァっと顔を明るくさせて、わくわくした様子で駆け出した。


 セリムとシッダルタは顔を見合わせて、首をひねった。それから移動した。騎士達はアシタカを、いやシュナを庇うように二人に背を向けている。


 シュナ姫がアシタカの足の上に横坐りしてアシタカの首に手を回した。更には愉快ゆかいそうに微笑んでアシタカの頬をつつきはじめた。シュナもほんのり頬が赤らんでいる。涼しい顔だが、やはり恥ずかしいのだろう。


「アシタカ様!しっかりして下さい!こんな姿では後世にじくれて伝わりますよ!」


 フォンがアシタカの肩を揺らしても無反応。


じくれて?美女に手練手管でかどわかされた王子様が国を救いました?それなら最後はこう締めれば良い。本当の姿を知っても王子様は心変わりしませんでした。みにくく戻ってもお姫様は幸せに暮らしました。王子様はお姫様の胸の中で輝く紅の宝石に惚れたのです」


 シュナが歌うように告げて、アシタカの鼻をつついた。無反応。フォンがパクパクと口を上下させた。


「そういう問題ではありません!アシタカ様はそもそも人類愛でこの国を救いに来たんですよ!」


 シュナに寄り添うようにしゃがんでいるラステルがつまらなそうな顔になった。


「若き者よ。そんな珍しいものよりも、恋愛の方が人の胸に響くと思わないか?誰もが恋をする。それに本当のところはアシタカ様しか知らない。昔々あるところにみにくい姫がいました。いつも一生懸命民の為に働くお姫様の為に、優しく真心溢れる、そして見る目がある騎士達がいます。しかし少なくて苦労していました。国は貧しく争い耐えない。か弱きお姫様と共に国を支える王子様が必要です」


 シュナがまた歌うように喋り出した。若き者といってもフォンはシュナと年が同じくらいだ。魅惑的みわくてきな微笑とウインクを投げられてフォンがボッと赤くなった。隣でシッダルタがポーッとしている。


「騎士達は二手に分かれました。お姫様を懸命に守る騎士達を、民やいじわる王子達が笑い者にします。みにくい姫など化物だ。一方旅に出た勇敢な騎士達は苦労して見つけた強いのに心優しい王子様に言いました。どうかお姫様を支えて下さい。命を懸けてお守りします」


 いつの間にか騎士達が振り返っていた。シュナがゼロースを見据えた。


「信じるものは救われる。真心には真心が返ってくる。貴方達の名誉を守り、いっそ誇張するのも私の仕事です。何でもしますよ。歴史書、劇、歌、おとぎ話、美術品。美しいものには何でも騎士の名を付ける。そうやって我が盟友と無血革命目指して散ろうとした最も矜持ある騎士達は子々孫々残されるべきなのです。わたくし、口が達者なのよ」


 シュナは話し方や雰囲気まで変わった。上品で穏やか。軍の主という肩の荷が降りて清々しい。そう伝わってくる。ラステルが勢いよく座った。それからシュナの手を握った。


「私も考えるわ!そういうのなら得意よ!私、おしゃべりだもの。あちこちで話すわ。崖の国でお祝いするのよ。その時も皆に自慢するわ!」


 セリムはしゃがんでフォンの肩に手を置いた。


「フォン、君は君の真実を記録して残せばいい。ノアグレス平野を虹色に輝かせた本当の理由を知らない者は多い。未来の支えになる美しいものは何だっていいんだ」


 フォンが感心したようにうなずいてくれた。君も真実を知らない、とはとても言えない。


「しかしアシタカ、アシタカ。仕事があるんだろう?しっかりしろ」


 セリムがアシタカの頬をペチペチと叩くと、アシタカの焦点が定まった。


「気を失っていた。健康には自信があったのだが無理がたたったのか。高熱に悪寒おかんとは困ったな」


 シュナがその場の全員に苦笑いして肩をすくめた。本気で困っているというように。


「テントを張って民を待つのですよね。高熱でしたらベッドに寝たままでも許してくれるでしょう。私が看病しますので頑張りましょう。それに弱った姿の方がそこまで自分達の為に……と胸を打ちます。私の泥だらけのドレスのように。立てますか?」


 一同目を丸めた。どうみてもアシタカは風邪でもなんでもない。血色は良いし、片腕をしかと大地に置いて半身起している。シュナの体を支えるように、どうみても力強い様子。それに宝物のようにシュナの腰に手を回している。あと見ていて恥ずかしくなるような熱視線。


「ええ大丈夫です。僕が運びましょう。具合が随分良いです。やはり僕の体は病には強い。しかし油断は禁物。どうか近くで見守っていて下さい」


 アシタカがシュナを抱えて立ち上がった。シュナがラステル、セリム、そしてフォンと顔を見てまた呆れたような、途方に暮れたような顔をした。


「手練手管?こんなの無理そうです。でも諦めないわ」


 アシタカは首を傾けるだけだった。シュナがラステルへ大きく歯を見せて大輪の花のように笑った。ラステルの屈託ない笑顔に似ている。ラステルとシュナがくすくすと肩を揺らして笑い合った。


「凄いな……流星群に彗星すいせい?それに雪が赤っぽい」


 アシタカの呟きで見上げた夜空に、いくつもの流星。今度は蟲の毒消しではない。本物の星達。これぞ大自然だ、元々美しいのになんて美し過ぎるとアシタカが大感激して涙を流しはじめた。


 虹色のような一筋の光が横切っている。あれが彗星すいせい?星にはあまり興味を持ったことがなかった。調べてみよう。


 雲は薄く少ないのに降り注いでくる紅色の光が、粉雪のような紅のきらめきが、少しばかり。


 祝福したい者達が、大きく羽を羽ばたかせて紅の塩をいて風に乗せている。セリムは家族を通して風を詠んだ。


 エリニース塩湿原えんしつげんから遠いドメキア王国の天空城まで届くようにと、大きな風の道を探す。



ーートムじゃなくてシッダルタ。覚えてあげよう。お祝いしよう。セリムが待ってた友と遊んでもらおう。遊んでくれるよシッダルタなら



 あとでセリムが何をしたのかラステルにも教えてあげよう。そして祝われている張本人シッダルタ。これは、たった一人への壮大な贈り物。セリムがもう孤独ではないという大祝祭らしい。セリムには大勢の友がいるのにこんなの初めてだ。蟲はやはり変だ。


 三人だけの秘密。


 一刻後、本格的に降り出した雪のように大量の紅の光がドメキア王国を照らした。


***


 天空城の司令塔。


 特別な場所なのでそこを選んだ。


 かつて、ドメキア王国は王族派閥争い激しく、時に反乱を繰り返して毒蛇の巣とまで呼ばれた。


 そこに彗星が現れ、神の啓示けいじを受けたという紅旗の戦乙女。歴史上類を見ない無血革命は、大陸自体をも新たな時代へと移行させた。


 歴史学者はこぞって研究している。


 なんて、とシュナはアシタカの隣で国を照らす紅の宝石に感謝を捧げた。きっと蟲達からの祝福だと目を閉じて一心不乱に平和への誓いと祈りを捧げた。


 しかし、眼下がやたらうるさい。月見酒はどうした。同じような場所を選ぶな、静かにしろ!と、時々雑念にかられた。


 ついには名を呼ばれ、大合唱。穏やかで静かなのが好きなのに。頭が痛い。仕方なしにと目を開いて立ち上がると、アシタカも同時に立った。以心伝心?と喜びが湧き上がる。


 それなのに、邪魔するようにやかましい。馬に蹴られろ。


 シュナの黄金の艶やかな髪に、赤い宝石が降り積もっている。宝石の方がかすむ髪だ、と言ってもらった。母からペジテ人男は滅多に女性を褒めないと聞いていたが大嘘ではないか。それかアシタカは突然変異。それにしても手練手管に反応するのに、家族だとは困った。懐に入りすぎたのかもしれない。


 アシタカの鳥羽とば色の髪へ同じように降り積もったはずの紅の塩が、なぜか虹色。


 至宝と紅の宝石の王冠のようだと静かに笑い合った。


 シュナとアシタカは互いの頭上の祝福を、足元へとそっと流した。あまり風は吹かず、紅と虹は混ざって七色の光となって吸い込まれるように宴の場所へと届いた。



***章 後書き***


40話孤影悄然

孤影悄然

一人ぽっちで寂しそうな様


89話一陽来復の第一歩

一陽来復

冬が終わり春が来ること。新年が来ること。また、悪いことが続いた後で幸運に向かうこと


連光昂然

造語。仲間がいて自分の能力や生き方に自信・誇りが湧いて意気が盛んになれること。

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