偽りの庭でティータイム1
暗い地下室でシュナが良く眺めていた絵本と似たような黄金の穂がさらさらと揺れる。奥の方にはラステルの瞳と同じ色の若々しい緑の草原。煉瓦造りの小さな平屋が点々としていた。鳥が羽ばたき、牛が歩き、馬が走る。シュナの前を兎が通り過ぎていった。他にも見たことがない獣がチラリと草原の隙間から現れては消える。
「これが偽りの庭……母上の故郷……」
地下を移動して地面から出てきた場所は大自然だった。
「崖の国の畑みたいだわ!見たことがない生き物が沢山いる」
ラステルが駆け出してくるりと踊るように回った。アピが釣られるように上下左右跳ねるように飛び回る。
「向こうの赤い屋根がお兄様のお家よ。今日は昼から会見だからまだいるはずです。さあ参りましょう」
会見?
ララが三つ先の丘の上を指差した。ラステルとアピとルルが先に進んでいく。シュナはリリに手を引かれて歩き出した。穏やかで美しい景色だが、見上げると半透明な屋根で蓋をされている。ここが何故"偽りの庭"なのか即座に理解出来た。
「風がほとんど無いな」
シュナが呟くとリリが寂しそうに微笑んだ。
「ええ、ここは偽物ですもの」
「ここで生きるものは全て本物だろう。偽りの庭など似つかわしくないな」
パァァっとリリの表情が明るくなった。
「ええそうです!ここにしか無いものもあります!」
「足るを知る者は富む。そなたたち姉妹が朗らかなのも頷ける」
リリが首を傾けたのでシュナは噛み砕いて説明してやった。
「満足することを知っている人は精神的には豊かだということだ。当たり前は当たり前ではなく誰かが欲しているものかもしれない」
難しそうに眉をひそめたリリはこれでも分からないらしくうんうん唸った。褒めるというのは難しい。赤い屋根の平屋前でララとルルが大きく手招きしているので歩く速度を上げた。
「お父様に招かれたということにしましょう」
「私たちお世話係よ」
「
口裏合わせは相当内容を練っても破綻しやすい。長々としても時間の無駄。
「聞かれた事に短く答えるだけにすれば良い。嘘を重ねれば
シュナの前で全員が首を縦に振った。彼女達は全くもって頼りにならなそうだ。
***
ノック後、
「お兄様おはようございます」
「お客様です」
「あら酷い顔よお兄様」
アシタカは三人娘を見ずにシュナとラステルを交互に眺めた。それからアピに釘付けになった。
「ラステルさん。……そちらはシュナ姫ですか?」
驚きを隠さずにアシタカがアピとシュナを観察した。取り立てて嫌な感じはしない。ラステルより少し背が高いくらいの少しずんぐりした体。太っているのではなく骨が太いのだろう。サラサラとした光沢のある黒い髪に黄色味を帯びた肌。切れ長の目。ティダと祖先が同じだから何処と無く容姿が似ている。しかしアシタカは上品でスマートな熊を思わせた。内面の違いと、凛々しい太めの眉毛以外のパーツが柔らかいからだろう。
「どういう事だ?ララ」
「お客様をお連れしました」
にっこりと微笑んだララをアシタカは腑に落ちないといった表情で見下ろした。それから腰を屈めてララと同じ高さになった。ララ、リリ、ルルと順番に見つめる。
「ララ、リリ、ルルどういう事だ?」
シュナは一歩前に進み出た。
「お招きいただきました。お初にお目にかかります、ペジテ大工房の至宝アシタカ様。お噂はかねがね伺っております。ドメキア王国のシュナと申します。眼前で戦を行なったにも関わらず温情と手厚い歓迎のお礼を述べにきました」
アシタカが背筋を伸ばしてシュナに向き合った。困惑を隠さずに頭を掻くとアシタカは玄関の扉を大きく開いた。それから室内に向かって苦笑いを浮かべた。シュナとラステルへ振り返ると柔らかく微笑んだ。
「こちらこそ初めましてシュナ姫。議会議員にしてペジテ大技師の息子アシタカと申します。散らかっていて申し訳ない」
アピが真っ先に部屋の中へ飛んでいった。アシタカが無防備に背中をシュナに向けて室内へと進んだ。玄関すぐに台所とダイニングテーブルと椅子四脚。散らかっていると告げられた通り、ダイニングテーブルに書類が山積みになっていた。
「お兄様、書類が倒れそうだわ」
「朝までお仕事されていましたの?」
「ルルが皆様にお茶を入れますわ」
アシタカは目尻を抑えるだけで三人娘に返事をしなかった。
「ソファへどうぞ」
リリがシュナの手を取って部屋へ上がった。狭い部屋だ。ダイニングテーブルの脇に敷かれた幾何学模様の絨毯。そしてその上にソファ一台と本が詰まった本棚。残りは人が二人寝れるくらいの広さしかない。外観の大きさ的にはあと倍くらいの面積がある。扉が一枚あったので別室があるか。大国ペジテ大工房の御曹司の住まいがこんなだとは予想外だ。別荘かもしれない。
アピが室内を旋回するのをアシタカは目で追いかけながらダイニングテーブルの上の書類を整頓した。ララとリリがきゃあきゃあ言いながら手伝いをし、ルルが台所に立つ。
「妹たちが騒がしくてすみません。ソファでくつろいでいて下さい」
シュナとラステルに目線を移してニコリと微笑んだアシタカはやはりとても穏やかだった。
***
三人娘はアシタカにやんわりと追い出された。意外にも三人はすんなりと去っていった。
ソファは柔らかくて座り心地が良かった。出されたティーカップに口だけ付けて、シュナは飲まずに手で包んだ。緑色で匂いも嗅いだことがない。まあないだろうが毒の有無が判断つかなかった。絨毯の上で胡座をかいているアシタカは飲んだ振りだと気がついた様子だった。
「すまない、来訪などないからその緑茶しかなくて。初めてだと苦いでしょう」
毒を盛られているのではないかといういつもの疑心暗鬼を見透かされていそうなのに、アシタカは素知らぬ振りをして頭を下げた。
「バム茶に似ているわ。美味しい」
ラステルがピリッとした空気に気がつかないのか呑気に緑茶を飲んだ。アピがラステルの太腿に止まり、彼女の膝を前脚をペチペチと叩きながら体を左右に揺らす。
「ラステルさん気になるから先に二つ聞きたい。セリムの調子はどうだい?定期報告ではまだ意識が無いみたいだけど君が来たということは目を覚ましたのだろう?」
シュナとティダ、セリムとラステルとパズーはペジテ大工房の砦にある護衛人の宿泊施設を提供してもらったが、少なくともシュナは二日間アシタカとは会っていない。セリムとラステルとも会っていない様子だ。
「ええ、おかげさまで目を覚ましました。少し話をしてまた眠ってます。顔色は良いしとても元気そうです。ありがとうございます」
アシタカは見るからにホッと胸を撫で下ろした。
「良かった。二つ目はその子蟲だ。あー、その、なんだいその蟲は?それによく入国させられたな」
シュナとティダの入国は護衛人にぐるりと囲まれてだった。かなり威圧的で捕虜同然とも感じられるもの。似たようなものなら蟲の入国などまず認められない筈だ。
「あられもないみっともない姿だったので毛布をいただいたの。とても良い子です。誰にも危害は加えませんから大丈夫ですよ」
それは密輸だ、そして全く根拠がなく説得力皆無。求められた質問に説明もしていない。それなのにアシタカはクスクスと笑い出した。
「そうみたいだな。不思議だ、声が聞こえるだけですんなり信じられるし可愛くも思えるよ」
ラステルが大きく目を丸めた。
「君もずっとそうだったんだろう?ラステルさん」
ラステルがぶんぶんと顔を横に振ったので今度はアシタカが目を大きく見開いた。
「セリムにアシタカさんまでアピ君と話せて羨ましい。私は今まで何となく分かっていた蟲の気持ちが、今はさっぱり分からないわ」
寂しそうにラステルがアピの産毛を撫でた。やはり羨ましいのか。シュナには全く共感出来ない。しかしラステルの膝の上で大人しくしている子蟲とカールの手足を食らい、群れをなして怒りで進撃しようとした蟲は別の生き物のように感じる。セリムによれば蟲には知性があるという。大きな昆虫にしか見えないので到底信じられない。
「アピ君。僕はアシタカという。初めまして」
手を振ったアシタカにアピはギギギギギと鳴いて体を逸らし
「あらどうしたのアピ君?」
アピがラステルの膝から飛び立ってアシタカの顔の前まで移動して空中静止した。アシタカが両腕を天井に挙げた。
「僕は声は聞こえるけど逆は無理みたいなんだ」
アピがぐるぐるとアシタカの周りを飛んでラステルの膝に戻ってきた。
「アピ君なんて?アシタカさん」
「怖いところにいたへんてこりん。へんてこ人間じゃないけど大丈夫か?怖いけど我慢だって」
心外だという風にアシタカは腕を下ろすと肩を上下に揺らした。ラステルがアピを抱きしめた。まるで赤ん坊をあやすように頬を寄せる。
「まあ偉いわアピ君」
「ラステルさん言いにくいけど"姫は警戒心が無さすぎて世話役は疲れて大変。先が思いやられる"だって」
ラステルの目が点になった。
「後でセリムに聞いてみよう。私そんなに世話が必要なのかしら」
「シュナ姫も先程から君を案じているようだよ。ラファエさんもそうだった」
アシタカがシュナへ笑顔を投げた。わざとらしくない自然な笑みだった。
「アシタカさん、姉様と仲直りさせてくれてありがとうございます。あの後一緒に収穫祭を見て回ったんです。とても楽しかったわ」
「それは良かった。ああ、そうだ、結婚おめでとうラステルさん。とても似合いの二人だと思うよ」
はにかんだラステルの白い頬が桃色に染まった。
「ありがとうございます」
幸せそうに微笑んだラステルに対してアシタカも破顔した。
「それではシュナ姫、改めましてアシタカです。中々会いに行けなくて済みませんでした。ずっとお会いしたかったです」
どう応えるか一瞬迷った。いや迷ってしまった、
「必ず力になります。誰が何と言おうと。なのでどうかもう少し肩の力を抜いてもらえると嬉しいです」
アシタカを"利用価値が無さそう"などと考えた自分が恥ずかしかった。シュナに手を差し伸べる方法を悩んでいるのは偽りではない。見るからに疲れ切った様子からヒシヒシと感じる。何より目だ。温和で親しげな鳥羽色の瞳には微塵も敵意がない。
シュナは思い切って緑茶を飲んだ。確かに苦い。
しかしとても美味しかった。
そうだ、ここには飲み物に毒を入れる者はいない。
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