ペジテ戦役【蟲の王との対話】

 セリムは大鷲凧オルゴー蟲の王レークスに呼ばれるままに飛んだ。たたひたすら、来いとだけ声がしている。一度晴れた視界はあっという間に雪で白く変わって、風の後押しと蟲の王レークスの声を頼りに進む。


〈テルムよ降りてくるがよい〉


 セリムは命じられたので素直に下降した。突風が吹くと予想したと同時に、背中から強い風。セリムの体は宙に投げ出されて落下しかけた。首元の服が引っ張られて急に浮遊感に襲われる。誰かがセリムの落下を止めた。見上げると多羽蟲ガンの大きく緑色の目。


「ありがとう」


 セリムを助けた多羽蟲ガンがそっとセリムを積雪に降ろした。鉛色の体にバツ印がついている。


「ホルフル蟲森から来たのか。助けてくれてありがとう」


 若草色の三つ目がじいっとセリムを見つめた。以前は一度も見なかったラステルと同じ色の瞳。ここのところ、この色ばかりに遭遇する。


〈人の王よ。ホルフルではお前をそう呼んでいた。子らはテルムと呼びはじめ、今はセリムと呼ぶ〉


「人の王とは身に余る光栄です。僕はセリム。セリム・レストニア。崖の国のセリムです」


 軽く会釈すると彼も頭を下げた。


〈人の王セリム。ホルフルの民と姫を助けてくれ〉


「どういう事だ?」


〈セリムもアピスの輪に入ってきている。だから伝わるはずだ〉


 また目眩がしてセリムは倒れそうになったが、バツ印の多羽蟲ガンが体でセリムを支えた。閃光弾が破裂したようにセリムは光に包まれた。


***


 ゴヤの子蟲がホルフルの巣へ落下してきた。可哀想だと助けた。困ってるものは助けなければならない。育てようにも分からなかった。その子蟲は何故か人の形・・・をしていて育てられない。アピスは人に子蟲を託した。


 すくすく育った子蟲は、どの蟲の輪からも外れていていつも寂しそうだっだ。そこでアピスの仲間にしてあげた。子蟲は末蟲すえむしとなった。雌雄同体ではない珍しいアピスの末蟲すえむしをいつの間にかホルフルの民は姫と呼ぶようになった。


  突然いなくなった姫が人の王がつがいだと帰ってきた。とてつもなく心配していたのに姫は幸せそうだった。人の王は蟲を恐れ疎みながらも敬意を示し、アラクランを助けた偉大な人間。人の王は姫と仲良くなり、殺されかけたゴヤアピスを助けようとし、誘拐されたホルフルアピスを救った。だからホルフルの民は喜んだ。いつまで経っても脱皮せず子どものままで、意思疎通が苦手な手がかかる姫でも安心して任せられる。


 人の王が人間に殺された。人の王は姫のつがいとなりホルフルの民となった。家族殺しは許さない。


 レークスが現れた。姫は本当に姫だった。王の娘。テルム姫の愛するものが死に断罪の時。姫の為に戦えという。我らが姫を守るのは家族だから当然であるが、王に従うのも当たり前。それが蟲の大掟。


 姫は掟に抗った。レークスと対等かもしれない。意思疎通の輪から自ら外れ、ホルフルの民にも同じ道を望む。大掟を破り、死んだ人の王の為に争わずに憎しみを許せという。姫は得体の知れない何かだが、ホルフルアピスの末蟲すえむし。ホルフルの民。家族は守らねばならない。


 ホルフルの民は大掟を破る。姫と共に破る。どうなるか分からない。しかし家族は共に生きる。


***

 

 まるで自分が見聞きしたように、自分の感情のようにホルフルアピス達のラステルへの強い想いが伝わってきた。


--蟲はラステルを人の形をしたガン・・・・・・・・だと思っている。だから愛しているんだ。子供で仲間。


 イブンが言っていたのはこれだ。何年経っても一度も脱皮していない子どものまま、巣のあちこちを歩き回るお転婆蟲。人に育ててもらうしかなく、家族と離れて心細い思いをさせていた。蟲の意思疎通の輪に上手く入れない落ちこぼれ。心配してもし足りない。子ども達にも心配されて世話される一番下の子。手のかかる可愛い末蟲すえむし


「家族の誓いに贈り物をくれてありがとう。あれは死んだアピスの子の心臓だったのか」


 教わらなくてもセリムにはもう分かる。聞かなくても伝わってくる。これが意思疎通の輪。ラステルが何となく蟲の気持ちが分かると言っていた意味。ラステルは落ちこぼれ。蟲にこんなに心配されているなんて夢にも思っていないだろう。


〈人が蟲を食べると仲間になれるという。大抵死んでしまう。子が勝手に食べさせてしまった〉


 早逝してしまった仲間の体を甘く漬けて未来を担う子達の栄養にする。命は無駄にしてはならない尊いもの。蟲は死ねば他の蟲に食われ、残りも土に還り、やがて木となり実になり巡る。脱皮するうちに生き方を学んでいく。だから蟲は理由もなく殺されるというのが一番腹が立つ。無駄死には尊厳を踏みにじる。


「知っていたら食べなかったかもしれない」


〈人の王は食べた。いつも腹を空かせていたのを知っている〉


--僕たちは知っているよ。人間の感情が何となく分かる。


 セリムは苦笑いしかできなかった。ついつい蟲森の植物はどんな味がするのか、食べれるのかと観察していた。それを「腹を空かせていた」と蟲に思われていたという事実。まるで食いしん坊。他にも誤解があるのだろう。彼らがセリムをへんてこ人間と呼ぶのは誤解の積み重ねであろうか。


「君たちの子は怒りたくないと言っていた。頼まれたよ。レークスには僕から話そう。テルムは死んでいない。まだ許してくれと請う。人の誤解も僕が解く」


 バツ印の多羽蟲ガン、いや人の罠で傷つけられた人が嫌いな大蜂蟲アピスがセリムの兜に前脚を乗せた。自分だけは人の王を信じないと子や親を説得していたが、もう認める。その気持ちがとても嬉しかった。


〈古い記憶。大事な伝統。刻まれた想い。紡がねばならない。ホルフルの民は姫と同じく人を諦めない〉


 すうっと大蜂蟲アピスの瞳が澄んだ夏の空の色に変化した。安心と平常心。緑は親愛と孤独の色。末蟲すえむしはいつも緑。だから心配だった。


--愛するものの愛するものを受け入れる尊い生命。人よりも幸福に自由に生きよ。共に生きて欲しい。


 父の願い。蟲の父は未来に願いを込めた。蟲の父とは誰なのだろう?セリムはいつの間にか泣いていた。人間は蟲を拒絶してきた。しかし蟲はずっと受け入れてくれている。巣で暮らすことを許し、人の過ちにも過大な報復はせず、人間の為に決して巣から出ない。何故人間は……。


〈忘れたのではない〉


 重厚な声が響いてきた。蟲の大渦の中心でラステルを抱えていた大きな多羽蟲ガンだと思っていたレークス。王は唯一無二の存在。種族はない。金色のたてがみが吹雪で揺れ、バツ印の大蜂蟲アピスが飛び立った。


「レークス。人の王、そして一のテルムとして頼みにきました」


 ラステルが一番愛するもの。レークスがそう決めたのなら話くらい聞いてくれるだろう。殺されることはない筈だ。


〈棄却する。テルムにその権利はない〉


 白銀の世界からレークスの隣へ白い人が現れた。真っ赤な瞳のラステル。セリムが今一番会いたかった者。駆け寄ろうとしたが、様子がおかしい。まるで人形みたいに無表情で生気がない。冷気で赤くなっている手足の先。薄い肌着のワンピースだけのあられもない姿。この寒さは絶対に体に障る。


「ラステル!」


 セリムが一歩踏み出した瞬間、風に舞うラステルの落ち葉色の長い髪が威嚇するように広がった。吹雪が大人しくなっても凶暴な風がラステルを包んでいる。次々と多羽蟲ガンが現れた。大蜂蟲アピスだけではない羽のたくさんある蟲達をセリムはそう呼ぶしかない。レークスを半円に囲んだ蟲はセリムを憎悪の赤い瞳で睨みつけた。


 彼らはホルフルの民ではない。殺気立っているラステルの心に寄り添おうにも撥ね付けられた。ラステルもホルフルの民ではなく彼らアシタバの民に奪われている。


〈そうだ。お前はもう姫の心に入れない〉


 元々そうだ。人は他人の脳みそを覗く事なんて出来ない。でもそれが・・・どうした。


「レークス。ラステルが死んでしまう!」


 レークスもセリムを拒絶している。蟲の言う「意思疎通の輪」から外れる事が出来るから王だというのが、周りの蟲から伝わってきた。姫は死なない。子蟲の器が用意されると蟲達が口々に伝えてくる。


〈姫はテルムを選んだ。そして蟲の頂点、王として君臨しようと決意し反抗した。我は人の心を閉じさせて鎮圧した。姫に王は務まらない〉


--人の心を閉ざした蟲姫はテルムが生きてるって信じない。もうすぐ完全な蟲になるんだって

 

「ラステル!僕は生きている!帰ってこい!」


 真紅に燃え盛る瞳がセリムを睨みつける。降り注ぐ雪と同様、真っ白な肌。浮かび上がる唐紅の激情。周りの多羽蟲ガンが威嚇の鳴き声をけたたましく響かせた。


「レークス。テルムは姫が愛するものなんだろう?ラステルがテルムを選んだとはどういう事だ!王になろうとしたって?ラステル!ラステル!僕を見ろ!」


 セリムがラステルに近寄ろうとすると蟲が一斉に脚を上げた。一歩でも動いたら殺すという脅迫が押し寄せてくる。


〈テルムは王が愛する人間の大切な人間。姫の一のテルムは大狼を愛する者。伴侶の友人で同じ誇りを抱くと信じた〉


「大狼?ティダか?」


 セリムの居ない間に二人に何があった?最後にセリムが見たのはラステルとパズーが空から地面へと落下していく姿。あの後から今までどのくらいの時間が経過した?ラステルは誰と何処にいた?パズーはどうした?ラステルはいつティダと再会した?


〈王の血を引く姫には王になる資格がある。蟲の意思の輪から姫と共に抗う家族を守るために、姫は王を望んだ〉


 ホルフルアピスの子が助けてと言っていたのはこれだ。おこりんぼになりたくないというのがラステルにも伝わっていたのだ。ラステルは憎しみと戦うと決意した。何故セリムはその時隣に居なかった。


〈姫の大義では王は務まらない。我儘と傲慢な姫に王は譲れない。ホルフルの民は裏切り者。姫が全部背負うからホルフルの民を許せと嘆願した。それならばと我らは許した〉


 大掟を破ったら何が起こるか分からないと言って怯え、セリムに救いを求めたホルフルの民。レークスにこれ以上逆らえないと本能的に感じているからだ。ラステルがにえとなったと知ったらきっと嘆き悲しむだろう。


〈ホルフルの民は気高くなった。我を憎んでも許す。姫を救いたくても争いにはこない〉


「そうだ。その許しと忍耐に免じてラステルを、姫を返してくれ!ホルフルの民の家族だ!家族の代表として人を殺させるなんてやめてくれ!」


〈断罪は執行猶予となった。今残るのはアシタバの民からペジテへの成敗。決めるのはアシタバの民だ〉


「ならラステルを解放しろ!」


〈ホルフルの民の裏切りへの代償。姫はか弱い。最後尾で見ているしかできない〉


 違う。それでどれ程ラステルが傷つくか王は分かっている。ラステルの傷の深さがホルフルの民を酷く傷つける。


〈何より姫は人形人間プーパであり、それが知られた。人として生きるには過酷すぎる。蟲を選んでもらう〉


人形人間プーパとは何だ?」


人形人間プーパは蟲を使役する道具。古きテルムの子は姫を使った。二度と同じ過ちは繰り返さないという誓いを破った。そしてテルムを死に追いやった。断罪の時である〉


「僕は生きているだろう!」


〈一のテルムはセリム。人が殺しかけて蟲も勘違いで殺しかけた。そこで判決材料は二のテルムへ移行した。今尚そうだ。二のテルムが死んだ時に人は裁かれる。共生を捨てたとして滅びを与える〉


 人の世界に蟲が住んでいるのではない。蟲の世界に人間が住まわせてもらっている。セリムの血が熱となりふつふつと沸き上がる。取り込んだ蟲の血が騒いでいる。愚かすぎる人間を許すにも限度がある。互いに誓いを立てたのに人は忘れている。蟲はそれでも誓いを守り従ってきた。王が愛するに相応しい人間が幸福である限り、人の未来を許す。ずっと許し続けてきた。


「二のテルム?」


 蟲の血と人の血がぶつかり合うのを感じる。嘔気を堪えて両足を踏ん張った。押し寄せる感情の渦と、頭痛と目眩でまた気を失いそうだ。


〈姫の友人。ホルフルの民の巣にいる友と姫を迎えにきた者。二のテルムは二人だ〉


 テトとパズーのことか。何故ラステルの父やラファエではないのだろう。


〈姫は人としての人生を望んでいた。巣ではそれは叶わない。誰も受け入れてくれないと思っている〉


 セリムはレークスの心から撥ねつけれているが逆は違うらしい。言葉にしなくてもレークスには伝心している。


〈人の王よ。二のテルムの存在が判明したので三のテルムが産まれるだろう。テルムは人に知られてはならない。それまで猶予だ。先程から古きテルムの子がずっと釈明しゃくめいしている。ホルフルの民も後押ししている。アシタバの民はきっと許すだろう。執行猶予は続く〉

 

「僕らを許すと言うのか?いや、君たちはずっと許し続けてきた!こうやって色々と理由をつけて!裁く気なんてないんだ!」


〈勘違いするな人の王!!!古きテルムの子が誓いを破るかテルムが死ねば必ず滅ぼす。お前の先生の国は滅ぼされただろう。忘れるな〉


 何もかも見透かされている。アスベル先生がこの事実を知ったらどう思うだろう。たった一人が殺されたから人間は滅ぼされたなんてとてもじゃないが伝えられない。


「人も蟲も同じ命だ!一方的に監視されて一人が死ねば全員死ぬなんてそれこそ傲慢の極みであろう!」


〈我らと違い意思疎通出来ない出来損ない。同種同士に留まらずに他を巻き込む愚かな人間。同等とは認めない。二千もの月日見てきた。人間は変わらない〉


「僕らは蟲とは違くとも想いを伝え合うことは出来る!真心を持ち許すことが出来る!」


〈想いは巡り、愛は伝わる。姫は殺されても許せという。目には目で、牙には牙で償う。それが我らの掟。姫は人間として蟲の王に君臨しようとした。我らの殆どが姫への譲位を棄却した。それが解答である。下等生物よ口を慎め。生き様で見せてみよ〉


「ならば……」


 言いかけた時に飛行機のエンジン音が聞こえてきた。


〈古きテルムの子の息子。次世代の古きテルムの子。あれは未熟過ぎてヌーフとは違い過ぎる。人の王よ共に去れ〉


 セリムのずっと後方で爆発音がした。

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