ペジテ戦役【蟲の王との対話】
セリムは
〈テルムよ降りてくるがよい〉
セリムは命じられたので素直に下降した。突風が吹くと予想したと同時に、背中から強い風。セリムの体は宙に投げ出されて落下しかけた。首元の服が引っ張られて急に浮遊感に襲われる。誰かがセリムの落下を止めた。見上げると
「ありがとう」
セリムを助けた
「ホルフル蟲森から来たのか。助けてくれてありがとう」
若草色の三つ目がじいっとセリムを見つめた。以前は一度も見なかったラステルと同じ色の瞳。ここのところ、この色ばかりに遭遇する。
〈人の王よ。ホルフルではお前をそう呼んでいた。子らはテルムと呼びはじめ、今はセリムと呼ぶ〉
「人の王とは身に余る光栄です。僕はセリム。セリム・レストニア。崖の国のセリムです」
軽く会釈すると彼も頭を下げた。
〈人の王セリム。ホルフルの民と姫を助けてくれ〉
「どういう事だ?」
〈セリムもアピスの輪に入ってきている。だから伝わるはずだ〉
また目眩がしてセリムは倒れそうになったが、バツ印の
***
ゴヤの子蟲がホルフルの巣へ落下してきた。可哀想だと助けた。困ってるものは助けなければならない。育てようにも分からなかった。その子蟲は何故か
すくすく育った子蟲は、どの蟲の輪からも外れていていつも寂しそうだっだ。そこでアピスの仲間にしてあげた。子蟲は
突然いなくなった姫が人の王が
人の王が人間に殺された。人の王は姫の
姫は掟に抗った。
ホルフルの民は大掟を破る。姫と共に破る。どうなるか分からない。しかし家族は共に生きる。
***
まるで自分が見聞きしたように、自分の感情のようにホルフルアピス達のラステルへの強い想いが伝わってきた。
--蟲はラステルを
イブンが言っていたのはこれだ。何年経っても一度も脱皮していない子どものまま、巣のあちこちを歩き回るお転婆蟲。人に育ててもらうしかなく、家族と離れて心細い思いをさせていた。蟲の意思疎通の輪に上手く入れない落ちこぼれ。心配してもし足りない。子ども達にも心配されて世話される一番下の子。手のかかる可愛い
「家族の誓いに贈り物をくれてありがとう。あれは死んだアピスの子の心臓だったのか」
教わらなくてもセリムにはもう分かる。聞かなくても伝わってくる。これが意思疎通の輪。ラステルが何となく蟲の気持ちが分かると言っていた意味。ラステルは落ちこぼれ。蟲にこんなに心配されているなんて夢にも思っていないだろう。
〈人が蟲を食べると仲間になれるという。大抵死んでしまう。子が勝手に食べさせてしまった〉
早逝してしまった仲間の体を甘く漬けて未来を担う子達の栄養にする。命は無駄にしてはならない尊いもの。蟲は死ねば他の蟲に食われ、残りも土に還り、やがて木となり実になり巡る。脱皮するうちに生き方を学んでいく。だから蟲は理由もなく殺されるというのが一番腹が立つ。無駄死には尊厳を踏みにじる。
「知っていたら食べなかったかもしれない」
〈人の王は食べた。いつも腹を空かせていたのを知っている〉
--僕たちは知っているよ。人間の感情が何となく分かる。
セリムは苦笑いしかできなかった。ついつい蟲森の植物はどんな味がするのか、食べれるのかと観察していた。それを「腹を空かせていた」と蟲に思われていたという事実。まるで食いしん坊。他にも誤解があるのだろう。彼らがセリムをへんてこ人間と呼ぶのは誤解の積み重ねであろうか。
「君たちの子は怒りたくないと言っていた。頼まれたよ。レークスには僕から話そう。テルムは死んでいない。まだ許してくれと請う。人の誤解も僕が解く」
バツ印の
〈古い記憶。大事な伝統。刻まれた想い。紡がねばならない。ホルフルの民は姫と同じく人を諦めない〉
すうっと
--愛するものの愛するものを受け入れる尊い生命。人よりも幸福に自由に生きよ。共に生きて欲しい。
父の願い。蟲の父は未来に願いを込めた。蟲の父とは誰なのだろう?セリムはいつの間にか泣いていた。人間は蟲を拒絶してきた。しかし蟲はずっと受け入れてくれている。巣で暮らすことを許し、人の過ちにも過大な報復はせず、人間の為に決して巣から出ない。何故人間は……。
〈忘れたのではない〉
重厚な声が響いてきた。蟲の大渦の中心でラステルを抱えていた大きな
「レークス。人の王、そして一のテルムとして頼みにきました」
ラステルが一番愛するもの。
〈棄却する。テルムにその権利はない〉
白銀の世界から
「ラステル!」
セリムが一歩踏み出した瞬間、風に舞うラステルの落ち葉色の長い髪が威嚇するように広がった。吹雪が大人しくなっても凶暴な風がラステルを包んでいる。次々と
彼らはホルフルの民ではない。殺気立っているラステルの心に寄り添おうにも撥ね付けられた。ラステルもホルフルの民ではなく彼らアシタバの民に奪われている。
〈そうだ。お前はもう姫の心に入れない〉
元々そうだ。人は他人の脳みそを覗く事なんて出来ない。でも
「レークス。ラステルが死んでしまう!」
レークスもセリムを拒絶している。蟲の言う「意思疎通の輪」から外れる事が出来るから王だというのが、周りの蟲から伝わってきた。姫は死なない。子蟲の器が用意されると蟲達が口々に伝えてくる。
〈姫はテルムを選んだ。そして蟲の頂点、王として君臨しようと決意し反抗した。我は人の心を閉じさせて鎮圧した。姫に王は務まらない〉
--人の心を閉ざした蟲姫はテルムが生きてるって信じない。もうすぐ完全な蟲になるんだって
「ラステル!僕は生きている!帰ってこい!」
真紅に燃え盛る瞳がセリムを睨みつける。降り注ぐ雪と同様、真っ白な肌。浮かび上がる唐紅の激情。周りの
「レークス。テルムは姫が愛するものなんだろう?ラステルがテルムを選んだとはどういう事だ!王になろうとしたって?ラステル!ラステル!僕を見ろ!」
セリムがラステルに近寄ろうとすると蟲が一斉に脚を上げた。一歩でも動いたら殺すという脅迫が押し寄せてくる。
〈テルムは王が愛する人間の大切な人間。姫の一のテルムは大狼を愛する者。伴侶の友人で同じ誇りを抱くと信じた〉
「大狼?ティダか?」
セリムの居ない間に二人に何があった?最後にセリムが見たのはラステルとパズーが空から地面へと落下していく姿。あの後から今までどのくらいの時間が経過した?ラステルは誰と何処にいた?パズーはどうした?ラステルはいつティダと再会した?
〈王の血を引く姫には王になる資格がある。蟲の意思の輪から姫と共に抗う家族を守るために、姫は王を望んだ〉
ホルフルアピスの子が助けてと言っていたのはこれだ。おこりんぼになりたくないというのがラステルにも伝わっていたのだ。ラステルは憎しみと戦うと決意した。何故セリムはその時隣に居なかった。
〈姫の大義では王は務まらない。我儘と傲慢な姫に王は譲れない。ホルフルの民は裏切り者。姫が全部背負うからホルフルの民を許せと嘆願した。それならばと我らは許した〉
大掟を破ったら何が起こるか分からないと言って怯え、セリムに救いを求めたホルフルの民。
〈ホルフルの民は気高くなった。我を憎んでも許す。姫を救いたくても争いにはこない〉
「そうだ。その許しと忍耐に免じてラステルを、姫を返してくれ!ホルフルの民の家族だ!家族の代表として人を殺させるなんてやめてくれ!」
〈断罪は執行猶予となった。今残るのはアシタバの民からペジテへの成敗。決めるのはアシタバの民だ〉
「ならラステルを解放しろ!」
〈ホルフルの民の裏切りへの代償。姫はか弱い。最後尾で見ているしかできない〉
違う。それでどれ程ラステルが傷つくか王は分かっている。ラステルの傷の深さがホルフルの民を酷く傷つける。
〈何より姫は
「
〈
「僕は生きているだろう!」
〈一のテルムはセリム。人が殺しかけて蟲も勘違いで殺しかけた。そこで判決材料は二のテルムへ移行した。今尚そうだ。二のテルムが死んだ時に人は裁かれる。共生を捨てたとして滅びを与える〉
人の世界に蟲が住んでいるのではない。蟲の世界に人間が住まわせてもらっている。セリムの血が熱となりふつふつと沸き上がる。取り込んだ蟲の血が騒いでいる。愚かすぎる人間を許すにも限度がある。互いに誓いを立てたのに人は忘れている。蟲はそれでも誓いを守り従ってきた。王が愛するに相応しい人間が幸福である限り、人の未来を許す。ずっと許し続けてきた。
「二のテルム?」
蟲の血と人の血がぶつかり合うのを感じる。嘔気を堪えて両足を踏ん張った。押し寄せる感情の渦と、頭痛と目眩でまた気を失いそうだ。
〈姫の友人。ホルフルの民の巣にいる友と姫を迎えにきた者。二のテルムは二人だ〉
テトとパズーのことか。何故ラステルの父やラファエではないのだろう。
〈姫は人としての人生を望んでいた。巣ではそれは叶わない。誰も受け入れてくれないと思っている〉
セリムはレークスの心から撥ねつけれているが逆は違うらしい。言葉にしなくてもレークスには伝心している。
〈人の王よ。二のテルムの存在が判明したので三のテルムが産まれるだろう。テルムは人に知られてはならない。それまで猶予だ。先程から古きテルムの子がずっと
「僕らを許すと言うのか?いや、君たちはずっと許し続けてきた!こうやって色々と理由をつけて!裁く気なんてないんだ!」
〈勘違いするな人の王!!!古きテルムの子が誓いを破るかテルムが死ねば必ず滅ぼす。お前の先生の国は滅ぼされただろう。忘れるな〉
何もかも見透かされている。アスベル先生がこの事実を知ったらどう思うだろう。たった一人が殺されたから人間は滅ぼされたなんてとてもじゃないが伝えられない。
「人も蟲も同じ命だ!一方的に監視されて一人が死ねば全員死ぬなんてそれこそ傲慢の極みであろう!」
〈我らと違い意思疎通出来ない出来損ない。同種同士に留まらずに他を巻き込む愚かな人間。同等とは認めない。二千もの月日見てきた。人間は変わらない〉
「僕らは蟲とは違くとも想いを伝え合うことは出来る!真心を持ち許すことが出来る!」
〈想いは巡り、愛は伝わる。姫は殺されても許せという。目には目で、牙には牙で償う。それが我らの掟。姫は人間として蟲の王に君臨しようとした。我らの殆どが姫への譲位を棄却した。それが解答である。下等生物よ口を慎め。生き様で見せてみよ〉
「ならば……」
言いかけた時に飛行機のエンジン音が聞こえてきた。
〈古きテルムの子の息子。次世代の古きテルムの子。あれは未熟過ぎてヌーフとは違い過ぎる。人の王よ共に去れ〉
セリムのずっと後方で爆発音がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます