揺れる模造風凧
緩い坂道を断崖に向かってゆらゆら揺れる模造風凧。子どもたちの合間でテパとセリムが甲斐甲斐しく声を張っている。その手前でひっくり返って墜落したアシタカが、苦笑いを浮かべて再度挑戦しようと模造風凧を持って坂を登っていった。基礎中の基礎も出来ないアシタカの先生は、風詠候補のリノに定着したようだ。
セリムよりは無邪気さや幼さはないかと思ったが、夢中になって模造風凧に挑戦する光景は、幼かったセリムの姿を思い起こさせた。二人は纏う雰囲気が良く似ている。
でも壊滅的にセンスはない。
「セリムもあんな風に練習していたの?」
「そうよ。でも最初からとても上手で、すぐにトトリ様と風凧に乗ってたわ。」
「風の子だよ、セリムは。それか鳥の化身か何かかもな。」
「その例え、ぴったり。トトリさんってセリムのお師匠様だったかしら。」
「そう。孫みたいに可愛がっていつも風凧に乗せていてね。今日はお休みだったみたいだけど帰郷する前には会えるわよ。セリムが紹介するに決まっている。」
変な気分だ。突然セリムが連れてくると言い出した少女。世話になった砂漠の民で友人、だなんて言われたが、すぐピンときた。
女なんてまるで興味が無くて、研究に夢中だったセリムの心を奪った女の子。へらへら見たことの無い笑みを浮かべて作っていた髪飾りの送り相手。
最近の酷い表情。葬式くらいでしか浮かべない陰鬱で、泣き出しそうだったのもきっとラステルに関する何かだ。どんな魔性の女かと心配していたら、冷徹そうな美女ラファエが現れて背筋が凍った。
遅れて現れた、宝物のように扱われて登場した本物のセリムの想い人。そがラステルで心底安堵した。品のある仕草でそれなりの育ちをしていると覗わせるけれど、気さくで良く笑い、人懐こい。特に邪気のなさはセリムと似た者同士に感じられ、アシタカとはまた異なったセリムとの共通点。アシタカがセリムの伴侶と間違えたのも当然だろう。
つい数時間前に初めて会ったばかりだというのに、以前から知り合いのような気さえしている。羊の世話や糸紡ぎという同じ職務だったこともあって、テトともすっかり打ち解けて女同士会話に花を咲かせている。
「ねえ、パズー。」
「え?」
「聞いてなかったでしょう。明日は家の牧場を手伝ってくれるって。」
「収穫祭の案内をするんじゃないのか?セリムが。」
「明日はエルバから国賓が来るんでしょう。セリムから頼まれたの忘れたの?夜の祭事は案内するってはりきってたけど、昼間は頼まれているでしょう。」
「そうだっけ?」
釣り目をさらに上げて、もうっとテトが背中を叩いてきた。力仕事の多いテトの力は結構強い。本気で痛いっと恨めし気に告げると、ラステルが大丈夫?と背中を撫でてくれた。細い滑らかな指の感触に、少しゾクリとしたのは内緒にしておこう。
「色々準備があるんでしょう?同じ羊飼いとしてきっと役に立つから。」
「いいのかな、そんな事させて。」
「後でセリムの許可を取るわよ。」
「でもさ、テト、それって俺も手伝うって事だよな?」
「当然!」
豪快で恰幅の良いテトの父親は苦手だ。機械ばかりいじって鍛えられていない自分とは正反対の肉体派。思い浮かんできて、つい首を振って頭から追い出す。
「当事者同士できちんと決めたんだもの、許可なんて必要ないわ。」
さらりと告げてラステルが立ち上がった。悪戯っぽく笑うと、胸元で小さく手を振りながら、その仕草とは正反対の大きな声でセリムの名を呼んだ。気が付いたセリムは眩しそうな、こっちが恥ずかしくなるような、満面の笑顔。
「私も模造風凧使わせて貰ってくるわ。」
言うや早いがラステルは走り出した。大人しそうに見えて結構行動派なんだなと大胆に揺れるスカートに目を奪われる。
「ラステル!その格好では無理よ。」
テトがワンピースの下に履いたズボンを脱いで後を追った。もちろん下着など見える訳なかったが目のやり場に困っているうちにテトも走り出した。
相変わらずアシタカは転びまくり、なおも挑戦を続けている。その横を通り過ぎていくラステルに、彼女を抱き止めようとするかのように両手を広げるセリム。風にズボンを靡かせながらラステルを追うテト。
茜色に変わり始めた明かりに照らされる子どもたちに、揺れる模造風凧。
ラステルがテトから受け取ったズボンを穿いてなにやらセリムと話をしている。それからセリムから離れて、模造風凧をアシタカから譲り受けていた。セリムが手取り足取り教えるのかとおもったが、ラステルはリノと真剣な表情で話をしている。
坂を上がってしまったラステルを面白くなさそうに拗ねているようなセリムにテトが背中を叩いていた。 子どもたちにも足を軽く叩かれ、からかわれている。その光景に、思わず吹き出した。
程なくしてラステルが第1飛行を試したが、数メルテも進まずに横倒れになった。慌てたセリムが駆け上がって手を差し出す。ラステルは手を借りて立ち上がりはしたが、またセリムを置いてリノと坂を掻け上がって行った。セリムが苦笑いしながら坂を下って行く。
後方で何が起こっているか気が付いていないアシタカが手を振ってこちらに向かってきていた。
「全く平和だな。」
砂漠の民に遠国ペジテ、明日にはエルバ連合の数国からも来賓がある。ほとんど来訪者など居ないレストニアでは珍事件である。でも、こういうのならば何度あってもいい。祖父の代には突如現れる異国の者と争う事もあったというが、昔の話だ。
「難しいね。」
「模造風凧は慣れですよ。」
「風凧は違うのかい?」
「延長線にはあっても、ほとんど別物ですよ。」
隣に座るとアシタカは白い衣装の汚れを手で払った。見たことの無い黒い髪についた草を取ってやる。あまり日に焼けてはいないのにも、模造風凧に翻弄されてたことにも親近感を抱いていたが、はだけた胸元や腹が良く鍛えられていて筋肉がしっかりついているのが見えて感情は萎んだ。
「ありがとう。それで、どう別物なんだい?」
「ああいう風にぶら下がることもしますけど、基本は腹ばいになって飛ぶか、立ち飛びするかですからね。自分の体が空気抵抗になる分、揚力を強く得るようにしないならない。だから少しでも判断や操作を誤るとあっという間に墜落する。だから緊急時用にエンジンやパラシュートを内蔵していますけど、そのせいで重たいし余計に難しい。」
「あの簡単そうなオルゴーも難しいのか。力強いし小回りもきく。空中に静止したかと思ったら、急降下のあの速度。驚いたよ。」
「あれこそ国一番の暴走凧です。風凧はもっと優雅というかウミネコみたいな感じです。でもオルゴーは鷲。速度があって空を切る、遠距離飛行に耐え、立飛びで二人乗り可能。セリム以外使いこなせないじゃじゃ馬です。セリムに改造しているから余計にそうなってしまったんですけどね。」
ほうっとアシタカがセリムに黒い目を向けた。不思議そうにじっと揺れる模造風凧を追っている。
「風を詠む、この民はそうだど聞いた。」
「あ、はい。皆、何となくは。セリムのように鋭敏な者が風凧を自在に操ります。」
「持ち帰るには難しい技術だ。」
「ペジテには巨大な飛行船や、様々な飛行機があるんでしょう。アスベル様から聞いたってセリムが目を輝かせていましたよ。乗ってきたあの飛行機も。あんな風にある程度は誰でも乗りこなせる物の方が価値があると思います。」
「いや、自然と共に生きる。我がペジテが求めてやまないのはこういうものだ。」
近寄りがたい、険しさが現れたのでパズーは黙った。太く一直線の凛々しい眉毛が眉間による。何かを思い出しているように、ゆらゆらたなびく模造風凧の向こうを眺めている。
セリムが見本のように模造風凧で急上昇した。つられるようにアシタカも空を見上げた。まるで鳥のようにはるか上空を散策して、ゆっくりと落ち葉のように降りてくる。その様子にアシタカがふっと口元を緩めた。弛緩された雰囲気にパズーも安堵の呼吸をこぼした。
この異国から単身やってきたアシタカが、何故セリムに似ていると感じたのか少し理解できたような気がした。
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