訓練場にて

 アスベルがもたらしたペジテとの外交に関して、ユパは受けると決断していた。隣間の壁に聞取管を使って耳をつけて盗み聞きしていたが、あんな緊迫感溢れるような声がするとは思っていなかった。ペジテがどういう国なのか、そういう話を期待していたのに。

 そして、槍玉にあげられた自分の名前。それからエルバ連合への出征話。


「おっかなかった。アスベル先生がいるからと心のどこかで安心していたし油断もしていた。僕の街には王もいないしね。」


 両腕を頭の腕で伸ばすとアシタカが客間の椅子に腰を下ろして、大きく息を吐いた。


「ああ、済まない。つい本音が出てしまった。」

「いや、同じ立場だったらと考えてみても上手く出来そうにない。アシタカ様はどうして僕の名を出したりしたんだ。」

「アシタカでいい、僕もセリムと呼ばしてもらうよ。その方が今後自然だ。あんな風に転がされて本国に帰っても議会は疑心に溢れる。その点、君とは歳も近い。それに、嘘偽りなく関係を築けるって直感がしたからね。」

「そうか、これからよろしく頼むよアシタカ。ペジテにも招いてくれるんだろう。」


 砕けた口調になったアシタカにセリムも同じように接する事にした。


「そこの階段を上がって行くと城したの海岸上の崖に出る。いざという時は使ってくれ。廊下からの外への道順はこれだ。自由に散策してくれて構わない。ユパ兄様から国民に収穫祭の来賓と説明されているから。勿論、僕も時間がある時は国を案内するよ。」

「少し試されただけなのか。神経擦り切れたよ。」


 苦笑いを浮かべたアシタカに部屋に用意していた水をコップに注いで差し出す。一気にのみほしたので次を促すと、アシタカは手を横に振った。


「今日は休むかい。僕は約束があるんだ。元気があれば一緒にと思ってるんだけど。」

「さっきの模造風凧というやつかい。」

「そう。」

「疲れているけど、是非。君のオルゴーっていうあの機体も見たい。」

「なら少し休んでいてくれ。着替えてくる。慣れない正装、早く脱ぎたかったんだ。」


 客間を後にしてセリムは自室へ向かった。着なれた平服に着替えると、夜にはまた着ないとならない正装を丁寧に服掛けに掛けた。ターバンを外した頭にゴーグルを、腰巻にいいつものポーチと鞭を取り付ける。

 静かな笑顔には誠実さが滲んでいた。赤鹿にさらっと乗ったときから、それも滅多に懐かないヤクルが素直に跨らせたので、アシタカは信用に足る人物だと判断した。先に武器を手離し、誠意ある態度であろうと努めたのを後でハクに咎められたが、間違ってはいなかった。結果論ですと険しい顔をしたハクが脳裏に過って、こういう所は直した方がいいのかなと少し迷う。けれども、やっぱり合っていたではないか。

 

「行こうか。」


 待てなかったのか、廊下に出ていたアシタカに声を掛けた。


「座ってると寝てしまいそうで。」

「そういえば、今日はなにか口にしたかい?夕餉になるまでそれまで待てるか?」

「山脈の向こうの森、あそこは毒胞子が全然なかった。あそこで持ってきた食料を食べたよ。大丈夫だ。」

「なら行こう。日が沈む。」


 裏口から出ると太陽は西へと傾き始めていた。急がないと訓練場に着くころには夕日に変わってしまう。セリムは先に集まっているだろう子どもたちと、観光案内をしている筈のパズーに知らせるために緑色の信号弾を打ち上げた。

 それから城内に戻って、階段を上った。

 

「屋上から飛ぶ。僕の自慢のオルゴーを堪能してくれ。」

「あれ、二人も乗れるのかい?」

「そういう風に改造してもらったんだ。」


 屋上に停めてあるオルゴーの固定器具を外している間、アシタカは興味津々で機体を見ていた。飛行機とは違って剥き出しの乗船部の内部に整備器具と一緒に入れてある予備のゴーグルを引っ張り出して、アシタカに投げた。鳥を模した比翼を下から覗いていたけれど、アシタカは気が付いてそれを片手で受け取った。


「先に上に乗って。両脇の、そうそこしっかり掴んで踏ん張って。近いから立ち乗りで行く。」

 

 素直にオルゴーに立ったアシタカの腰紐に両側から金具を付けた。その間にアシタカがゴーグルを付け、指示通りに両腕を下ろして両柄を握りしめる。セリムはオルゴーの前方部の引き具を掴んだ。


「行くよ。」


それからゴーグルをグッと下ろしてオルゴーを台から引いた。台を滑らせ、短い滑走路からオルゴーが飛び出すと同時に、引き具を離してひらりとオルゴーに飛び乗る。アシタカの後ろに立つって右柄を掴むと、左手で素早く背中にワイヤー付きの留め具を付けた。

 目の前にある上昇気流に乗ってオルゴーが上空に舞い上がる。風車塔下にある訓練場へ吹く風を探し、足元の操舵ペダルを調整し機体を傾けた。その手前で丁度風の隙間を見つけたので子翼ペダルで空中静止してみせる。


「大丈夫だったか?」

「凄い、凄いな。これはまさに人工の鳥だ。足で揚力を操作してるのか。まさかこんな風に空中に止まるなんて。」

 

 比較的優しい風が吹いているが、ごうごうと耳元を過ぎていくので、自然と声は大きくなる。アシタカの声量はそれ以上に興奮で増している。


「エンジンは?搭載されているだろう。」

「そんなもの、基本的にはいらないさ。風さえ吹いていれば縦横無尽にどこにだって行ける。」

「あとで良く機体をみせてくれ。物凄く興味がある。」

「勿論。あそこが訓練場だ。急降下するからしっかり口を閉じて舌を噛まないように。」


 眼下で子どもたちが大きく手を振っている。少し離れた所に今すぐに会いたいその人の姿も見つけた。セリムはオルゴーを大きく傾けて速度を上げた。旋回するようにして風の道を辿る。着陸用の車輪を出して訓練場の一番端にオルゴーを下ろした。


「少し酔ったかも。」

「悪い、気がはやって。」


 オルゴーからアシタカが降りるのを手伝いながら、先ほどラステルが見えた方向に顔を向けた。風車塔から続くなだらかなくだり坂。パズーとテトに挟まれたラステルが歩いている。セリムは大きく両手を振りながら訓練場の中央へと歩き出す。足元にわっと子どもたちが集まってきた。


「セリム兄ちゃん遅い!」

「ごめん、ごめん。」


 口々に早くとはやし立てる子どもたちの頭を撫でて謝っていると、少し離れたところにテパが立っていた。アシタカを珍しそうに眺めている。引っ込み思案な子どもも何人かテパの後ろから彼をじっと見つめる。


「例のペジテからの来賓だ。」

「はじめまして。アシタカです。」

「テパと申します。セリム様と同じ風詠です。えっと、あの、遠い所からようこそいらっしゃいました。」

「彼女は僕の先輩で、今日は月に数度の模造風凧訓練日なんだ。」


 テパのところまでアシタカを連れて行く。恥ずかしがり屋のテパは目線を泳がせながら軽く会釈した。


「仕事中すまない。見学希望なんだが、良いかな。」

「えっと、セリム様。公務はもう大丈夫なんですか?その。」

「大丈夫、見ての通り僕もあとはテパと共に訓練に参加するよ。彼も体験したいだろうしね。」


 ほっとした様子でテパが小さく頷いた。アシタカが微笑んだのをみてテパは頬を紅潮させた。


「お兄さん、変な服。ペジテって皆こんな感じなの?」

「ああ。この国とは随分違うよ。」

「ペジテってどんな国なの?」

「ドームって分かるかい?」

「なあに、それ。」

「傘は?」

「かさ?」

「うーん、こういう丸い、そう屋根だ。丸い屋根。市街地はそれで覆ってある。」


 城でと言い、子どもに好かれる性質なのだろう。囲まれて次々と質問攻めにあうアシタカを置いて、セリムは駆けだした。訓練場の真上までラステル達が来ていた。


「国の話、してあげてて。すぐに戻ってくる。」


 ちょっと、という台詞を背中に浴びたけれど振り返らなかった。走っているからではなく、胸の鼓動が激しさを増す。昼前の事を思い出して気恥ずかしいが、それよりなによりまた話がしたかった。顔を近くで見たかった。


「セリム、えっとさ、とりあえず風車塔を見て回ったんだ。」

「ありがとう、パズー。テトも!」


 息を整えるために大きく深呼吸する。やっぱり羞恥があってラステルの方を簡単には見れない。奥歯を軽く食いしばって、ゆっくりとラステルへ顔を向けた。彼女も同じだったのが目線を彷徨わせた後にこちらをとらえた。目が合うと自然と笑みが零れた。


「二人ともとても親切で、楽しい方だから時間があっという間だったの。それにあの風車塔から見る景色、とても素敵だったわ。」

「夕暮れと星空は僕が案内するよ。風車塔の最上階には行った?」

「まあ、セリムったらあんな屋根裏に、おまけに危ないところに連れて行くつもりなの?」

「放っておけよテト。幻滅されても自業自得さ。」

「そんな駄目かな。」


 幼馴染二人から非難されて戸惑う。愉快そうにラステルが体を揺らした。


「セリムが連れてってくれるなら、どこも楽しいわ。きっと。私動き回るの大好きなの。」


 最後の言葉にセリムは惚けた。多分、そう見られてる表情だろう。口元は緩んだし、かあっと体が熱くなったのが自分でも分かる。ラステルも白い頬を赤らめて、瞼を伏せた。


「君の奥方かい?」

 

 振り返るとアシタカが子どもたちを連れて来ていた。ケチャの服を纏ったラステルは、崖の国の民に見えないこともない。ペジテ人のアシタカと比べればレストニアの民に良く似ている。


「えっと、あの。彼女はラステル。僕の。その。」

「愛らしい方だ。まだそんな予定のない僕には羨ましい限りだな。」


 僕の友人です。と言う筈だったのに、別の単語が浮かんでどもってしまった。勘違いしたアシタカがセリムを肘で小突いてくる。

 パズーとテトが呆気にとられた表情を浮かべている。ラステルを恐る恐る見ると、彼女は真っ赤になって俯いている。それが愛らしい方にかかっているのか、セリムの伴侶に間違えられていることに対してなのか測りかねる。


「あの、ラステルと申します。初めまして。」

「ペジテ大工房のアシタカです。お会いできて光栄です。」

「セリム!」


 その一声にパズーに視線が集まった。セリムは早く訂正しろ、というパズーの心中を察してパズーの横に移動しアシタカと向かい合った。


「セリム、俺の事早く紹介して。」

「ん?」


 小声で告げられて耳を疑う。今何て?


「だから、俺の事。ペジテの事聞けないじゃないか。」

「何で?」

「何でって当たり前だろう。技術大都市なんだろう。」

「え、ああ。そうか。でも。」


 今誤解をとかなくてはタイミングを逃す気がする。今度はパズーに肘で小突かれる。アシタカが不思議そうな表情でセリムの開口を待っている。


「アシタカ、彼は幼馴染のパズー。それから彼女はテト。パズーは機械技師なんだ。オルゴーの整備もしてくれている。」

「あの機体の?」


 アシタカが興味深々といった様子で目を見開いた。やっぱり、これでラステルが伴侶というのを訂正する暇はなくなりそうだ。後でしっかりと伝えないとと思いながら、あながち間違いでもないからいいのかと自問自答する。ズボンの裾を引っ張られた。子どもたちが早くしてくれと拗ねている。

 アシタカとパズーがオルゴーの話題で盛り上がり、ラステルは困惑した顔つきで、テトとなにやら話をしていた。頭を掻いて、セリムはパンパンと両手を叩いた。


「約束だから、僕も模造風凧訓練しよう。」


 わあっと子どもたちから歓声があがった。セリムはラステルの手を引いた。ごく自然に手を掴んでから、しまったと息が止まったが手を離しはしなかった。感触が違う、無骨で、大きくてと振り返ろうとしていると、手を払われた。驚嘆して振り返ると、間違えてるぞとアシタカが愉快そうに引き笑いして、ラステルの背中を押した。

 そんな事をされては、もう手を差し出そうなんてとても出来なくて、セリムは子どもたちに競争だと告げてテパや模造風凧に向かって走り出した。 








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