陰謀の幕開け

無邪気に喜ぶラステルに罪悪感が湧きあがる。ラファエは悟られまいと笑顔を作り優雅に茶を口に運んだ。


「ええ、協力するわ。だからやめてちょうだい。」

「分かったわ、姉様。」


ラファエが小さく頷くとラステルは溜息を吐いた。


「セリムにまた会える。きっと無茶しているわ。良かった。」


甘ったるい声。心底嬉しそうな微笑み。ラファエはその白々しさに嫌悪感を抱いた。そうさせたのは他ならぬ自分だが、まさか蟲森散策以外では我儘1つ言わない女との駆け引きに根負けしたのが悔しい。

ラステルがボーについていこうとした事件がラファエを後押しするきっかけになった。村人はラステルの計画に気がつかなくても、ラファエにはすぐ分かった。この子は諦めていない。偶然を装ってあの男と会うつもりだったのだろう。いや、ひとまずラファエへの警告だ。

帰宅したラステルの刺さるような視線。

村を歩けば役立たずの穀潰しと非難されても、しおらしく耐えている。それでさえラファエへの挑戦状。

か弱い見た目に反して、強情だった。知らない一面に辟易したし、見知らぬ他人のようにも感じる。

まさか村の生活を人質にまでして、そこまでセリムという男に固執するとは予想してなかった。

おまけに滝の村の一件と合わせて蟲姫の噂が広がりつつある。ラステルの存在が徐々に村の外へ出ているのだ。

その対策やラステルを使った政治手段も練られている。グリークはラステルを利用して周辺の村を統合しようと目論み、血脇踊ってほくそ笑んでいた。集団が大きくなるほど蟲に襲撃される確率は大きくなるが、ラステルがいればその危険は零に等しくなる。

滝の村が滅し、属していた集落は混乱の最中。頂点に坐するには今がその好機。

それをラステルが知れば、駆け引きの材料になるのは想像に容易い。

可愛さ余って憎さ百倍。

忌子に1番親しくしたのは乳兄弟のラファエなのに、どうして付き合いの短い男に溺れる。

我ながら非道な事を思い付いたと思う。だが躊躇いはない。


「唄子としてきちんと働く事。」

「はい。」

「それから、もう分かったからセリムさんの話はしない事。」

「はい。」


嘘だ。

どれ程信頼できる人物であろうが信じてはならない。繰り返し聞かされた話にうんざりしていた。

ラステルを守るために、村を守るためには最も安全な選択をしなければならない。それが族長の娘である自分の役目だ。他の雑念は取り払って、冷静にそれを果たす。


「父への外交の説得は時期をみて私がします。貴方は何もしない事。」

「はい。」


心の底から嬉しそうに笑ってラステルは髪留めを触った。幸せそうな横顔。セリムに会うまで見せたことが無かった表情。これほど心を開いたラステルを見た事など無かった。

赤ん坊の頃からずっと傍にいたというのに、ラファエよりもずっとセリムを慕っている。悔しさが込み上げる。


「そんなに……。」

「どうかした、姉様?」


言われて自分が酷く落ち込んだ表情をしているのだと気が付いた。

慌てて繕ってみたがラステルは眉を顰めた。ラファエは泣いていた。

隠しきれない罪悪感と痛みを想像したら堪えきれなかった。

今なら間に合う。

今ならまだ間に合う。


「ごめんなさい。私、やりすぎたわ。泣かないで姉様。酷いことして悪かったわ。」


傍に寄ってきてラステルが背中を摩った。彼女が自分を憎むようになる。 それで良いのか、繰り返してきた自問をラファエは己にもう一度問うた。これで最後、と何度迷っただろう。


「平気よラステル。貴方が嫁にいくかもなんて考えたら寂しくって。貴方に見合い話がきているのよ。」


涙を誤魔化すには丁度良い話だ。ラステルがぽかんと口を空けて固まった。驚きが顔に張り付いている。ラファエを撫でていた手が止まった。


「私に縁談?」

「ねえラステル。会うだけでも会ってみて。」


渋い顔でラステルは俯いた。それから小さく断って欲しいと呟いた。


「厳しい事を言うけれどセリムさんとは住む世界が違うのよ。」


首から耳まで染め上げてラステルは目を丸めた。それから首を傾げてどうしてセリムの名前が出てくるのと呟いた。


「ここまでしておいて、否定するの?」

「でも姉様、私の事を知ったら誰も嫁に欲しいなんて言わないわ。だからこのまま……。」

「セリムさんだって自国でそういう話があるはずでしょう。ずっと一緒になんていられないのよ。」


悲しげに目を伏せてラステルは分かっているわと溜息を吐いた。


「それでもいいの。セリムはずっと森に来るわ。」


会えればいいと言うように微笑んでラステルは髪飾りを触る。

ラステルは何も理解していない。自分の立場も、ラファエの悩みも、何もかも。


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