姫君の決意

ラステルの異質さは蟲を愛でることでも蟲森の毒に耐性があることでもない。

それだけならば良かった。危険がその身に村に降りかからないよう、ただ単に森服を着ないで森を歩かないように注意すれば良いのだ。

ラステルは蟲と人、異生物間に横たわるコミュニケーションの壁をやすやすと壊してしまう。蟲に襲撃されることのない安心感はどの村でも喉から出るほど手に入れたいものだ。

だから村はラステルを隠してきた。

けれどもそれ以上にラステルを隠してきたのは蟲がラステルを愛でているからだ。

彼女が酷く傷つけば蟲は怒り狂うだろう。滝の村を蹂躙したようにその身を憎悪にたぎらせて何もかもを破壊する。それが族長と婆様達の見解だった。

今迄、ラファエにはグリークの考えが理解できなかった。蟲の怒りと言うものに現実味が湧かなかった。

ラステルの話しぶりから、実際にあまり接触する機会がないから、蟲はもしかしたら穏やかで優しいところもあるかもしれないと考えていた。

だが煙と蟲で埋め尽くされた滝の村を見てその印象は百八十度変わった。

グリークや村人たちのラステルへの畏怖の本当の意味を知った。蟲姫という呼び方に含まれるどこか余所余所しい拒絶のような響き。

ラステルは諸刃の剣。使い方を誤れば恐ろしいことになる。ラステルを道具だと考えた事はただの一度もない。

しかし、この森に住まう以上そう思われてしまうのが必然なのだとようやく理解できた。

そして、ラステルもまた己の武器を自覚して抵抗している。


「どうですか、父上。」


汚物を見るような視線を覚悟していたが、光苔の青白い光に照らされたグリークの表情は愉快そうだった。そしてどこか誇らしげだった。


「それでこそわが娘。」

「反対するかと思っていました。」

「その共食いする双頭竜の紋様はドメキアのものであろう。かつて我らが民を森へ追いやった悪魔の部族。西の国から東の果てまでその血が流れていたとは。」


漆黒が憎しみに滾る。これがラステルの忌み嫌うものだ。蟲森の民は数百もの月日、外界も蟲も憎み生きてきた。

外界人にはこの死の森さえも手中にした征服感、蟲にはその身を踏みにじり利用している支配感を胸にたぎらせている。ひざまついた振りをしていきただけだ。

それがくだらない矜持であることを、負け犬の遠吠えであることをグリークは、いやほとんどの者が目を背けている。


「では全て私に任せていただけますか。」


ラファエは瞬きすらせずグリークを見つめた。父が頷くことはない。それは分かりきったことだ。しかし予想に反して父は首を縦に振った。


「良いのかラファエ、実の姉のように慕うラステルを裏切るような真似。」

「辛い思いはさせるでしょう。けれども今後を考えればラステルにとって最善の行為だと信じています。」


高笑いが寝室に響いた。


「まあ、育てた恩を忘れて裏切ったラステルも悪い。敵の姿も分からん。なるべく穏便にな。」

「場合によっては?」

「沈めろ、我らと同じ場所へ。」

「御意。」


あの日の青年の澄んだ深い青色の瞳に込められた誠実さと、冷静さを思い出してラファエはグッとこぶしを握りしめた。駆け引きをしようではないか。お互いの利害の一致の為に。


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