深紅の怒り
滝の村は既に見る影もなかった。
蟲の群れ。
なぎ倒された大木。破壊された家々も原型が分からない。どこもかしこも蟲で埋め尽くされている。ガンの群れが村を旋回し更に蟲を呼んでいた。
ヴァルはその様を呆然と眺め、そのうち蟲で一足分の苔さえ埋めつくすのではないかと身震いした。
伝承では聞いたことがあるが、ここまで大規模な蟲の暴動に生きているうちに遭遇するとは誰も思っていなかっただろう。
緑連の唄子は絶望に打ちひしがれ、目の前の惨劇に無さすべもなく立ち尽くす。
「ここまでとは。最早、滝の村は再興出来まい。」
「どうしましょうヴァル様、駄目元で蟲宥めを行いますか?」
「いや、火に油を注ぐことになるかもしれん。余所もその判断だろう。避難の手助けに徹底し蟲には一切関与しないように。ラステルが到着次第、再度蟲宥めをするのか考えよう。」
唄子連が頷いた時だった。後方からざわめきが押し寄せ、唄子連が左右に分かれた。
そこに蟲服を纏わぬラステルが現れた。悲壮な顔で蟲に飲まれる村を凝視する。愛らしい緑色は失われ、紅の目をしている。
どうやってこの短時間に到着できたのか不思議だった。後続の唄子連もいない。
「酷い…。」
「ラステル?落ち着け。」
そっと近寄って、広がる惨状から視界を遮るように立つ。
「ラステル、ラステル。」
ゆっくりと何度も呼ぶ。お前は蟲とは違う。呼びかけに応じて、何時ものようにラステルが返ってくる。
「お義父さん。」
「宥められそうか教えてくれ。」
「やってみます。」
けれども唄いだす前にラステルは今にも泣きだしそうな表情を浮かべて崩れるように座り込んでしまった。その瞳は虚ろであった。緑と深紅が交互に現れる。
「駄目だ、感化されてる!」
「おい、蟲姫。こういう時こそお前の!」
「止めておけ、憑かれている。」
「そうだ、蟲姫を刺激するな!」
「ヴァル様、早く蟲姫をどこか遠くに!」
緑連がざわめき、ラステルを取り囲んだ。誰も近寄らずに様子を見る。こういう状態のラステルにはもう迂闊には近づけない。なにがきっかけで蟲が現れるか分かったものではない。
だがこのままにしておくわけもいかなかった。
「役に立つかと思っていたが。」
「蟲姫。お前は村を、人を見捨てるのか?」
「だから止めた方がいいと!」
糾弾と擁護が交差する中、ラステルは蹲り体を強張らせた。戸惑いが唄子連を包み、全員口を閉ざした。
滝の村が蹂躙される音と、不気味な蟲の鳴き声は益々大きくなっている。
「他の村も集まっている。この姿でいられても困るな。誰か、予備の森服を。」
俯いて小さく座るラステルの腕をヴァルはそっと掴んだ。出来るだけ優しく触れたが、物凄い力で振りほどかれた。こちらを見上げる真っ赤な瞳には恐怖が滲んでいた。そして微かな怒り。
「落ち着けラステル。ラステル、私たちはお前に危害を加えたりしない。さあ村へ帰ろう。誰か、ラステルと村へ。蟲服は着せなくてもかまわん。見られないように囲んで早く村へ連れ帰れ。蟲から引き離さなければ。」
二人の唄子が前に出た。蟲姫と同期の唄子、ガイルとメイ。村の中では比較的ラステルと仲の良い二人ならば無事に村まで連れて行ってくれるだろう。ヴァンは恐れを克服して踏み出してくれた2人がいてくれて、胸を撫で下ろした。
「こんな時ほどラステルの力を使えたらと思ったが……。」
更に蟲は増えていた。筆頭は蟲の中でも好戦的なニカで、巨大な鋏を振り回している。その間を司令塔のように飛ぶガン。ソーサが巨大な尾を振って瓦礫を薙ぎ払う。蟻大蜘蛛があらゆるものを噛み砕き、ニオの一角が大地を掘り地下住居を蹂躙していく。
渦巻く狂気。
温厚なボーまでも集まってきていた。丸い体を這わせて建築物をなぎ倒していく。幾百もの細い足が倒したものを粉々にしていく。こんなボーの姿を見るのは生まれて初めてだった。これほどまでに蟲は怒っているとなるとラステルの様子も頷ける。
ヴァルは思わず舌打ちをした。
「襲撃ではなくもはや災害だな。一体滝の村は何をしてしまったのだ。」
劈くような悲鳴が上がった。振り返るとラステルが全身を震わせて立っていた。嫌がるように首を横に振り心底おびえた表情を浮かべている。
「どうした⁈」
「蟲姫を連れて行こうとガイルが体を支えてやったら物凄く嫌がって。」
「大丈夫だ、ラステル。帰ろう。ラステル。」
ヴィルが手を差し出すとラステルは怯えて後ずさった。その瞳に灯り始めたのは、紛れもなく憎悪の炎だった。
「取り押さえろ。本格的に蟲に感化されている。」
その言葉で唄子連が一斉にラステルを取り押さえた。彼女の悲鳴が森に轟く。ガンの群れがこちらを凝視したのに気が付きヴァンは焦った。
同調が続けばどうなってしまうのか。
蟲は更に数を増し、残り少なくなった滝の村の住居を次々となぎ倒していく。
「ごめんね、ラステル!」
誰よりも早くメイがラステルの腕にトトの針を刺した。ガイルが意識をなくし崩れるように倒れるラステルを支えた。ヴァルは後方を見上げた。ガンは最早こちらの事を気にしていないようであった。
それぞれが別の方向を見て薄気味悪い蟲声を奏でていた。唄子連に安堵の息が漏れる。
「ヴァル様すみません。勝手な判断で。ラステルは私達が連れて帰ります。」
メイが頭を下げた。ヴァルは首を左右に動かして礼を告げる。ガイルがラステルを抱き上げ、メイはガイルの荷物を抱えた。
「ヴァル様、待ってください。蟲姫を村へ連れて行って大丈夫なんでしょうか?」
「そうだよな。村に蟲が来たら……。」
「蟲に村が襲撃されるんじゃないか?」
不安げな様子で緑連の面々がラステルを見つめる。ヴァルにも判断できなかった。意識さえなければ蟲に憑かれる事もない筈だが、これだけの蟲の怒り、確信を持てない。
「ガイル、メイ、少し離れたところでラステルを監視していなさい。」
「しかしヴァル様。」
「決してラステルを起こさぬように。」
物言いたげなメイとガイルを目で制しヴァルはラステルから目を逸らす。
「これより滝の村への避難補助を開始する。前方の地区は手遅れだろう。被害の少ない地区から回り込み避難支援を。必ず班で行動するよう事。私は他の村との連携と今後の確認に本部と合流する。何人かついてきてくれ。」
「はい!」
唄子連は五つに分かれ東西へ散った。正面では一際大きい古木がボーにへし折られ地面に倒れていく。
大地が揺れ、爆炎が上がった。
火薬庫からの出火なのか爆発音が連続して続き黒煙が立ち上がる。それでもボーは動じず更に滝の村を踏み荒らしていく。他の蟲達も紅蓮の炎に身を包まれながら突撃を止めない。火柱に身を燃やされながらも、一様に怒りの真紅の目をした蟲が空間を埋め尽くしていく。
「憤怒は蟲の瞳を染め、真紅が大地を覆う……。」
ヴァルはそっと呟いて瞳を真っ赤に染める蟲の大軍を見つめた。そして振り返ってちらりとラステルの姿を確認した。あの閉ざされた瞼の向こう、普段なら翠緑の瞳。
ラステルが蟲姫と呼ばれる理由。
娘を蟲に奪われた日に森で拾った赤子。大切に育てたというのに、蟲が娘を再び奪おうとするのをヴァルは指を咥えて見ることしか出来ない。
目の前の厄災を目の当たりにして改めて蟲を心底恨んだ。その蟲に魅せられるラステルもやはり受け入れられない、閉じ込めてきた真実にヴァルは慄いた。
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