研究塔

ドドリア砂漠はホルフル蟲森に近づくほど岩場になっていく。岩場にはやがて苔が生えたものが混じり、胞子植物が増えていく。そしてホルフル蟲森へと変わる。

砂丘と岩場の境にある小さな天然の洞窟。その一つを利用して作ってもらったのがアスベルの研究塔だった。塔と言っても洞窟に平屋を付け足したような小さな建造物。

今ではセリムのものである。

数十分も歩けばホルフル蟲森へ行けるその研究塔でアスベルは必要な植物を育て、薬を調薬した。

神経系を侵し、やがて石のように動かなくなる蟲森病に効くバルツールという薬剤。

蟲森でしか得られない材料を探すために貴重な飛行船を借りられたのも、赤鹿を譲り受けられたのも、信頼されたからである。

アスベルはそれに報いる結果を出して、レストニアに奇跡の薬をもたらした。定期的な供給のために援助を受け塔を得た。故郷を失ったアスベルに新たな住処と役目が産まれ、荒んだ心は満たされた。

しかし、暫くしてそれだけではたりなくなった。

自らの大陸が蟲森に飲まれ、蟲森病で人々が死んでいったその体験を各地で伝え蟲森へ害をなすことの危険を警告する。バルツールを普及させる。この二つの目的を果たすためにアスベルはレストニアを離れ旅立った。

その際、国へ研究塔の管理はゆだねられた。

レストニアの誰もが恐れ、躊躇う場所にあるこの塔へ訪れる者は滅多にいないらしい。そもそも交通手段が乏しい。

赤鹿と共になら山や谷を越えなくてはならなく1週間はかかる。風凧ならば半日とかからないが、そこまで風に乗ることが出来る者は両手の指の数より少ない。

バルツールに必要な植物の栽培を喜んで引き受け、かいがいしく世話をするのはセリムで、それが自由奔放な王子の冒険を野放しにせざるを得ない理由の一つ。想像は容易い。


「お前1人でここまでしたのか。」

「城叔父達やケチャ姉様とパズーにも手伝ってもらいました。最初だけでしたけど。手狭になったので少しずつ増築して、それからオルゴーを置いておく場所も欲しくて。」


研究塔は昔の面影を残していなかった。目立つのは大きな風車。洞窟の上に建てた石造りの小さな懐かしい塔は増築され2周りは大きく見えた。円筒状に作られた建築物の外周には木で足場と階段が造られている。

屋上はオルゴーを固定する立派な凧台が設置してあった。セリムはそこに慣れたように着地してするりと機体から降りた。アスベルも後に続いてオルゴーから体を下ろした。


「レストニアの風車塔を模しているのか。」

「水をくみ上げたり、上の階に物を上げるにはこれが便利なんで。パズーが上手く設計してくれました。怖いのに建築も手伝ってくれました。」


誇らしげだった。良い友を持ったなとアスベルも頷いた。気の毒にとも思ったが口にはしない。あの臆病なパズーもなんだかんだ野心家で己の腕を振るいたくてウズウズしているのも知っている。セリムに頼まれたという口実を盾にこの風車を作りたかったのだろう。塔と繋げた木でつくられた小さな小屋まで増えている。


「あれは最近増築したんです。もうあれで最後、絶対に手伝わないってパズーに言われてしまいました。先生、早く中へ入りましょう。見てもらいたいものが沢山あるんです。」


アスベルの背中を押して階段を下りると二階部分へ繋がる扉の前でセリムは咳ばらいをした。わざとらしく会釈をしてから扉を開いた。


「泊まれるように作りました。囲い火の消毒部屋です。狭いので一人づつということで、先生が先に。レストニアの物と同じです。」


中をのぞくと足元に牧草と発火石が置いてあった。傍には海水が入っているのだろう水槽も設置されていた。中に入るとセリムが扉を閉めた。囲い火を焚いてアスベルは火の輪の中で軽く飛び跳ねた。毒胞子が落ちてちりちりと音を立てて燃えていく。何時までも慣れなくて熱い作業だ。

手袋に帽子、防具服と脱いで棚に置いてあった霧吹きで海水を吹きかけた。


「先生、終わりました?」


ノックと同時に声がかかる。アスベルは終わったと声をかけて部屋を出た。閉めた扉の向こうで物音がするのを確認しながら、アスベルは目の前の部屋を観察した。

蟲森の辺りで生身でいることに違和感を感じる。シュナの森の木を使用したのだろう。隙間は丁寧に埋められている。レストニアと同じように作り上げるには相当苦労しただろう。

薬は大事な物とはいえ、必要以上の設備は、セリムが相当な我儘を押し通したのだろう。自然と苦笑いが溢れた。

真ん中に置かれた大きな机にはアスベルが使用していた顕微鏡と薬草入れの棚が置いてあった。顕微鏡を挟んだ反対側にはもう少し大きな棚。ガラス器具や調薬道具が綺麗に並んでいた。

窓際に二つ並んだ本棚にはきちんと本が収まっており、部屋床に置いてある大小さまざまな木箱も大きさごとに分けてある。

片付けは苦手だったと思ったが。

けれども、ところどころに出しっぱなしの道具や乾燥した植物が転がっており懸命に整頓したのだなと口元が綻んだ。


「先生、何笑っているんですか。」

「いや、綺麗にしているからな。」

「そりゃあ整理整頓ぐらいできるようになりましたよ。」


苦笑いをしてセリムは本棚からいくつか本を取り出した。それらは不格好で手作りのものだった。一冊受け取ってめくるとそこには胞子植物のスケッチに説明がびっしりと記されてあった。成分やレストニアでみられる植物との共通点。胞子を飛ばさない条件。中には恐ろしい事に食べた感想まで書いてある。

セリムが更にもう一冊差し出すので、今度はそれを見てみるとこちらにはバルツールの研究がびっしりと記されていた。成分分析に始まり使用植物を変えての実験の数々。よくこんな環境で調べたと驚くような内容まであった。


「よくこんなに。」

「皆の為になると思って。実際新しい薬も出来ました。」


何故かセリムの瞳が曇った。大きなため息を吐いてセリムは机に重ねた本を撫でた。


「皆、蟲森を恐れている。だから先生、僕一人では全然足りないんです。知識も時間も閃きも全く。」

「セリム、蟲森に深く関わるようになればどうなるか、私の考えを知っているだろう。蟲森に踏み入れる者は少ない方がいい。この十年、大陸を回って更にその気持ちは強くなった。些細なことで森は、蟲は人類に牙を向ける。小さな村が飲まれた姿はそれはそれは悲惨だった。」


植物学者の台頭、そして蟲森への浸食。結果として人は滅びの一途を辿った。荒れ果てた失われた祖国を思い浮かべる。命からがら海へ飛び出し、嵐に巻き込まれて仲間とはそれきり。

幸運にも生き残り、レストニアという強大な庇護も得られた己の強運には感謝しかない。


「良く理解してます。でも僕は救える命は救いたい。それには蟲森に寄り添わないとならない。僕らはまず蟲を知らなければならないのではないのでしょうか。何故僕らに怒りを向けるのか、それを考えた事がある人が一体どれだけいるでしょう。答えを見つけた人間はいるのでしょうか。」


セリムは更に別の本を差し出した。表紙をめくるとそこには植物ではなく蟲が描かれていた。めくっていくと全て蟲について記されている。見た目の特徴だけでなく生態や食生活まで詳しく。先ほどの資料を見た時よりも驚きは大きい。


「私は蟲を知りたいなんて思えない。たった一匹誤って殺してしまっただけで国を飲み込む獰猛な生物だ。言葉は通じず、謝罪も伝わらない。どうやって理解しろと。それに蟲は所詮、昆虫が巨大になったような存在だ。」


強い眼差しでアスベルの方を見つめるとセリムは首を横に振った。


「彼らはもっと知的です。だからこそ感情も激しい。」

「蟲と仲良く暮らすのがお前の望みなのか。」

「違います!先生、彼らとは生きる世界が違う。きっと共には生きれない。でももっと歩み寄れれば僕らの世界は変わる。不用意に蟲森を侵すのは勿論、必要以上に警戒したりしなくて済むようになる。」


今度はアスベルが首を横に振った。


「それは理想だセリム。人はそんなに穏やかな生き物ではない。」


互いの瞳が交錯した。どちらも一歩も引かない。セリムはますます悲しげに眉を顰めた。泣き出すのではないかという程悲しい表情を浮かべてセリムはアスベルから目を背けた。アスベルの返事を分かっていて、それでも言わずにはいれなかったのだろう。

故郷が蟲に脅かされる事が無かったセリムと、生まれ落ちた大地を踏み荒らされ二度と戻れなくなったアスベルとの違いは決して埋められない。

本当にそうだろうか。


「済みません先生。でも僕は……。」


頭の良い子だ。人の本質も周囲がどう思っているかも承知している筈。あまりにも無謀な理想に、得られない賛同者。無論アスベルがどんな反応を示すかなど百も承知のはずだ。それでも口にせずにはいられなかった気持ちを考えると胸が痛んだ。


「いや、私こそ頭ごなしに」

「たとえ拒絶でも、先生に考えてもらいたくて。」

「お前が私の過去を踏まえて、それでもそういう意見を発したんだろう。分かってる。私も過去に縛られているだけではいられないから旅に出た。セリム、今一度聞く。私と共に行くか。それが一番良い。」

「いえ、僕はこの国で生きていきます。まずはレストニアから変えたいんです。それにバルツール用の植物栽培に風詠の仕事を投げ出すなんてしません。」


先日、何のためらいもなさそうに笑顔でレストニアで生きると言い切ったのと同じだった。自分に求められている役割を理解して、それを誇りに思っている。

そして何より国を愛しているのだ。

たとえ圧倒的に孤独でも。


「二兎を追うものは一途も得ずと言ってな、険しい道を行くならそれ相応の覚悟がいるぞ。」

「先生の弟子ですから。知っていますよ、相当危険な目にも合っているってこと。弟子ですから、似たんですよそういうところ。」


さらりと軽口を零したセリムの悪戯っぽい笑顔が可笑しくて、思わず大笑いしたアスベルはセリムの肩を叩いた。


「よし、ならとりあえず徹底的に議論だな。腹を割って。」


もう自分の後ろをついて回って真似ばかりしていた少年でも、ただ好奇心の強い子供っぽい青年でもないというのが心底嬉しかった。

たとえ歩む道や信念が正反対でも、それでも自分と対等な目線に立つ立派な大人に成長したということが喜ばしい。

暫くはこの弟子とともに日々を過ごそうとアスベルは決意した。僅かな時間では足りない。

たとえ行き着く答えが今と同じで彼の考えを拒絶することになっても、それは辿ってみなければ誰にも分からない。


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