第10話 かまちょな彼女とともちん

 艶のある長い黒髪。

 どこか愁いを帯びている端正な顔立ち。

 すらりと伸びる四肢。

 可愛いというよりも美人と形容したほうが当てはまる女子高生、滝ノ沢千寿はそんな少女だ。

「だーれだ」

 登校してきた千寿が教室に入ろうとしたとき、不意に背後から首に腕を回される。

 その声には聞き覚えがあった。

 いや、聞きなれているものだった。

「おはよう。ともちん」

 フックされた腕をほどきながら振り返る。

 そこには八重歯をのぞかせながら快活そうに笑う少女がいた。

 ショートヘアと健康そうな小麦色の肌。

 彼女は大場巴、千寿の小学校からの親友だ。

「おっはよう、千寿」

「なんか久しぶりだね」

「そうなのよぅ。最近部活が忙しくって。千寿の背中見えたから思わず抱き着いちゃった。ビックリしちゃった?」

「ううん。こういうの好き」

「うむうむ。千寿は愛いよのぅ」

 巴がまたハグしてくる。

「あ、そうだ。ともちんにこの前のことお礼言わないと」

「ほ? あたしがじゃなくて? 千寿に感謝することはあっても、されることは思い当たることないんだけど」

「そんなことないってば。ほら、“かまちょ”教えてくれたでしょ」

「かまちょ……あー。そんなこともあったっけね」

「あれ、すごくいい……っ」

 大したことなさそうにしていた巴に、千寿はずずいっと身を乗り出す。

「近い近い。じゃあ、例の人とはうまくいってるってことね」

「うん。かまちょは魔法の言葉……かまちょを使ってない人は人生の八割を損してると思う」

「大げさだなぁ。でも」

 巴が頭を撫でてくる。

「千寿が楽しそうであたしは嬉しいよ」

 巴と千寿は小学校からの付き合いだ。

 そんな彼女だからこその言葉だった。

 ともちん……。

 巴が本当に自分のことを大切に思ってくれていることを感じ、千寿は胸のあたりが温かくなった。

「……うん。ありがとう。あ、でもこの話は内緒でお願い」

「へ? 別に言いまわったりはしないけどなんで?」

 千寿は宙に視線を向け、先日の幸重の言葉を思い出す。

 ――「学校ではさ、俺のことあまり話すなよ」

 シゲくん、なんであんなこと言ったんだろ?

 千寿は巴にそのことを説明する。

「うーん。それは謎だねぇ」

「でも別に変ったところとかないんだよ」

 ふたりで頭をひねる。

 そのとき、

「大場!」

 突然、声がかけられた。

 ふたりが弾かれたように振り向く。

 そこにはジャージ姿のいかつい中年女性がいた。 あれは巴の所属する水泳部の顧問だ。

「朝練が終わったってのにずいぶん元気が余ってるじゃないか。もしかして手を抜いてたんじゃないだろうね」

「そ、そんなことは……」

「先輩たちを差し置いて県大会に出るんだ、気合入れなおしな! 今日は授業終わったらすぐにプールに来るように!」

「ちょ、先生、いきなり!?」

「返事は?」

「は、はいっ」

 顧問の先生は「それでよし」と満足げに頷くと、豪快な高笑いを響かせながらのっしのっしと去っていった。

 その背中が見えなくなるまで石のように直立していた巴が、がっくりと肩を落とす。

「うう……今日は厄日だ。でも先生の言う通り、先輩たちのためにも県大会は負けられないからなぁ」

「ともちん。頑張って」

「あ! そう言えば今日は理科準備室の掃除当番だった! さいあく~~~~」

 へなへなとへたり込み、頭を抱えてしまう。

「ともちん。掃除当番、私が代わるよ」

「千寿……いいの?」

「うん。私、部活に入ってないしっ。暇だしっ」

 決して意気込む場面ではないのだが、千寿は両手をぐっと握って言って見せる。

「そう言えば千寿って部活とか入らないの?」

「うーん……今は考えてないかな」

「せっかく運動も出来るのに勿体ない気がするけどなぁ」

 キーンコーンカーンコーン。

 そのとき、始業のチャイムが鳴る。

「おっともうこんな時間。じゃあねっ。あたしのほうがひと段落したら例の人のこと聞かせてよねっ」

 身をひるがえして颯爽と走っていく巴に、千寿はゆるゆると手を振って見送った。

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