グリムノーツ! エクスの勇気とシンデレラの馬車
れなれな(水木レナ)
第1話僕、カオステラー!
記述したその『運命の書』に従い、僕たちは生まれてから死ぬまで、『運命の書』に記された役を演じ続ける。
それがこの世界のひとびとの生き方。
だからさ、教えて欲しいんだ。
空白の頁しかない『運命の書』を与えられた人間は、いったいどんな運命を演じて生きていけばいいのだろう?
☆☆☆
僕はエクス。カオステラー。
シンデレラが大好き。昔から……。
だから、君にあげる。『導きの栞』を。
君が君であることの意味を教えてくれる。
そして僕は壊れる……。
「シンデレラ! ねえ、シンデレラ! 憂鬱の顔だね、どうしたの?」
「ああ、エクス。なんでもないの。今日はお洗濯日和でなによりだわ」
シンデレラは空を仰ぐ。あたたかな光がその白い頬を紅色に染めていく。エクスはその輝く姿を目に焼き付ける。
しかしはっとして、その袖を引く。
「シンデレラ! どうしたんだい? そのアザは! また継母にぶたれたの?」
「そんなことないのよ? お義姉さんのパニエがはじけて骨が当たっただけ。エクスは心配性ね」
「だってねえ、君の物語には、そうとういじめ抜かれるって書いてあるよ」
「そういう役割なのよ」
「そんなのってない! シンデレラはもっと幸福に暮らせるはずさ」
「ありがと、大丈夫なのよ? それでも私はしあわせ」
なにかを紛らわせるように、シンデレラは歌う。エクスは自分の無力さに、幸福であるはずのシンデレラの未来に、胸を痛める。
僕は知っている。シンデレラが幸せになれず、カボチャの馬車もドレスも靴もなく、魔法使いの助言さえなく、一人寂しく死んでいく未来を。だから、エクス。遠慮なんていらないんだよ。
シンデレラを自分のものにしていいんだ。自分のためだけに、自分のしあわせのためだけに。そうしなければ、シンデレラはずっと一人ぼっち。ずっとずっとさ。
毎日働いて、みじめになるだけなんだよ。
どうしてそんなことがわかるかって? だって僕はカオステラーだから。
僕はエクス。もう一人の君だから……。
夕刻、エクスは一日の仕事を終え、木桶を持って戸口の横に置いた。白い月が映る。木桶の中にそっとまじないの呪文をかけて水を張ると、シンデレラの住む屋敷の屋根裏を見つめた。彼女はもう、眠っていることだろう。
すると静かな歌声が聴こえてくる。
『大丈夫。いつかきっと王子様が現れて、ここから連れ出してくれる。私を抱きしめて大好きさとささやいてくれる。だから私は……』
「だから、しあわせ」
エクスはその声にあわせて、そっとつぶやいた。何とも言えず穏やかな気持ちにさせられる。
その時、シンデレラの歌声を遮るように、夜の悲鳴がとどろいた。
「な、なんだ!?」
空気がうなりをあげ、大気が震える。
木製の屋根がぎしぎしと軋み、家の中ではクローゼットの中身が飛び出し、木机の上で食器がはねた。
遠くで聞いたこともないような高音域の叫びがした。
「くおらー! カオステラー!! 出てきなさい!!!」
エクスはえっと思って目をむいた。小柄な女の子が走ってくる。それだけではない、闇色に濡れる髪を高く結った美少女と、月明かりに照らされて光る鋼の刀剣をふるう少年とが、お付きの者よろしく駆けてくる。
「えっと、えっ!?」
そして彼らは、弾む息を数瞬で整え、エクスの家の前に立ったのだ。
「もう逃がさないわよ! おまえがカオステラーね!! 許さないから!!!」
あぶない人が来た!
「夜も更けましたね。それではおやすみなさい!」
エクスが引っ込もうとすると、腹立たしいことに先頭に立つ少女の手が襟首をつかんで離さない。
「わあ、なにするんですか!? 僕、ただのモブですよ。用があるなら、明日にしてください、明日に!」
「そういうモブの心の闇につけ込むのがカオステラーよ! 気配を感じたんだから、絶対間違いないのよ!! 神かけて誓うわ!!!」
それはもはや呪いではないのか? しかし元来が素直な性質のエクスは、慌てて近辺を見回しつつ、息を整えて対応する。なにせ相手は神様を信じているらしいから。
「……その男、違うです」
落ち着いた低音で、ぼそりと別の少女が言った。
「え? シェイン、わかるのか? おまえ」
ややハイトーンな少年の声がして、エクスはようやっと息をついた。
「え!? こいつがカオステラーじゃないの? だって気配を感知したもん!! 絶対そうよ!!!」
「……似ているが、違うです」
「ってさー! お嬢、おまえなんにも言わずに飛び出すのやめろよなー。ばっさりやっちまってから人違いじゃすまされねーぞ」
「いいえ、違いません!」
「……違うです」
「俺ぁ、シェインに一票!」
「タオは黙ってて! リーダーに逆らうなんて、あいかわらずね、あんたたち」
「お言葉ですがね、沈黙の霧もないところでは、俺たちの方がまっとうな判断つくんだぜ? ええ? ポンコツ姫さんよ!」
「あ! 手がすべった!!」
「「「え?」」」
ばしゃあ! と勢いよく桶の水をふっかけた。エクス以外、三人ともびしょ濡れだ。
「すみません。今火を熾しますから、どうか家に入ってください。あ、もしなんでしたら、夕飯の残りですがシチューがありますよ?」
「あー……」
「入ります! ありがとう!! 少年よありがとう!!! 私はレイナ。いろいろあって巫女をしてます。どうぞよろしくね!」
レイナと名乗った少女は月明かりに瞳をきらきらさせて、態度を変えた。見事にころりとひっかかった少女に、いかにも善良ですと言わんばかりに、こちらも名乗る。
「僕はエクスです。森を抜けてきたんですか? たいへんでしたでしょう? すぐあたためますから」
レイナはさっさと入って、狭い家ねえ、などとつぶやく。
「ポンコツ姫に飯とくりゃ、カオステラーもなんのその、だ」
「鬼に金棒、猟師に鉄砲……」
「そのたとえは自虐的だぜ、シェイン。第一俺ぁ、お嬢なんかをリーダーに掲げたつもりもねえ」
「ハトにハト豆……?」
「そりゃいい」
「お三方がた、宿はもう閉まっていますし、泊まってゆかれますか?」
「もちろんよ! ああ、はやくシチュー出てこないかなー」
レイナがすっかりなついている。
「お、ひょっとして、おまえってイイヤツ?」
「納屋は狭いですけど……」
「……根にもってんな? 水ぶっかけておいて、カオステラー呼ばわりしたのをまだ、怒ってるだろう!?」
「いいえ! 僕、カオステラーってなんなのか知らないし、かろうじてセリフと名前があるだけのモブですし」
「「「ほんとに!?」」」
「はい」
にっこりと、自称モブキャラのエクスは微笑んだのだった。
真夜中。また家をガタピシさせて、重量のある物音がした。エクスは剣を持って音のした納屋に駆け込んだ。
ソレは人の形をしていた。
しかし緑色の毒々しい光を纏って、こちらを見返った。
「えっと、これは……僕、なのかな?」
レイナがギャン! と吠えた。
「なにをとぼけているの! この「想区」のカオステラーがあわわわわ!」
納屋の寝藁に下着姿で寝ていたらしい、レイナが羞恥に顔を染めている。それも、緑の光に染められて蒼ざめて見える。
エクスはそっとソレに語りかけた。
「君が、カオステラーなの?」
「……」
相手は胸に痛いほど真剣な顔をして、天井を仰ぎ、そこから見える月を眺めた。
そして応えた。
「そうさ。僕はカオステラー。エクス、君の哀しみ、君のいたわしさ、君のシンデレラへの想い。みんな、知っているよ」
「なっ!?」
「なぜなら、僕は君だから」
そう言って、片手に余るような長剣をふりかざす。
「いつも祈っていたね。強くなりたいって。いつも心に誓っていたね。きっとだれかを救うんだと……今、やって見せるんだ!」
カオステラーの目はらんらんと光り、エクスを誘った。
「さあ、僕と戦ってみたまえ」
スウッとソレは長剣の先をレイナたちに向けた。
「冗談じゃないぜ!」
タオが天井から熊手で、カオステラーの脳天を直撃! しかしダメージを与えられない。
「おまえはもっと立派な武器をもっているだろう」
残忍さをにじませたその声に、タオは一瞬だけひるむ。
「シェイン!」
妹分の名を呼ぶ。
(こんな時にまで……仲良しなんだな)
てんで方向違いの感想を抱くエクス。
「だらああああ!」
寝藁の中から、現れたシェインが棒でもって、カオステラーののどを突きにいくが、するりとかわされてしまった。
シェインは棒を鳴らして三節棍にチェンジ!
「おにい!」
言うとタオに渡す。自分は新しい武器を手にしている。トンファーか!?
(これは……)
「おい、エクス。ひっこんでな。うちのポンコツ姫が正装になるまで、俺らが時間稼ぎする。結界を張ったから周辺には気づかれまい」
「で、でも……」
(彼は僕にかかって来いと言ったんだ……)
勇ましく息巻いてトンファーを操るシェインが跳ね飛ばされた。そのまま向こうの、たいして広くもない小屋の壁に直撃した!
「シェインさん!」
叫ぶエクスの胸の鼓動が激しくなる。
(僕は、この世で生きる役目を負ってない。逆にいつでも死んで良い存在。僕は、なんのために生まれ、なんのために生きていく?)
その答えが、腕の中にある気がした。
「僕が、やる!」
カオステラーの目が獣のようにこちらを見た。エクスの手には長剣が握られていた。
「そうだ……待っていたぞエクス。君か、僕か……勝った方がシンデレラを手に入れるんだ」
「シンデレラは僕らのどちらでもない。王子様のものになるんだ。決まっているだろう?」
「さあな。僕はまだ、エンドマークを書いてない。この物語は始まってすらいない」
「そこまでよ!」
「お嬢!」
「姉御!」
「カオステラー。あなたは純でやさしい人。いつも他人を気にかけて、その不幸と幸福を取り除こうとしている。でもね……!」
レイナは燃えるような赤い衣をまとい、その瞳から閃光を放つ。藁や熊手の散らかった納屋に、眩しいまでの御光が宿る。
「不幸を取り除いたら、幸せになるわけではないわ。強くならねば、その剣を振り下ろすこともできはしない!」
カオステラーは唾を吐きながら怒声を発する。
「聞いたふうな口を……生意気をいうなあ!」
だが、レイナはひるまない。
「だって、私はカオステラーをストーリーテラーに直す、巫女ですもの」
胸の前で両手を組んで、祈りをささげるレイナに、カオステラーの魔手が迫る!
「レイナさん、危ない!」
エクスが走りこんで、カオステラーの眼前に長剣をむける。
「ぬう!」
「どうした。僕と一戦交えるんだろ?」
「表に出ようじゃないか……」
「いいや。外は俺の結界で閉鎖されている」
「タオさん……」
懇願するようなエクスの目に、タオはうっと息をのむ。しょせん人の子。だが、男だ。タオはカオステラーとの決着を長引かせるわけにはいかない、と真剣にエクスを見つめた。
エクスは横に首を振った。
「わかったよ」
タオは三節棍を鳴らして、三つに分かれた棒を一本にする。
「はあっ」
タオが棒を両手に掲げて気合を入れると、閉鎖された空間が元に戻り、空には月光が満ちた。
「さあ、やろうじゃないか! エクス」
「その前に。君は、君はエクスなんだろ? どうしてこんなことが起きてしまったの?」
「君がシンデレラを好きだからさ。モブのくせに彼女と話したい、触れあいたい、守りたい、そんなことを願うからさ」
「どうして……君が、それを?」
カオステラーの目に光るものがあった。
「僕は、僕が不幸のまま終わるのが嫌なんだ!」
「それが運命なら仕方がないじゃあないか!」
「イレギュラーだ! 君の存在自体。本来君の役割は無為、無意味なはずだった。なのに、君はナイトよろしく剣の腕まで鍛えて」
「!」
エクスには覚えがあった。誰にでも、決められた役割、運命があるように、その運命をすべて書き留めた書を持って、人は生まれてくる。だが、エクスの書は……。
「僕には決められた運命など、ないんだね?」
「ああ、そう言ったろう」
「じゃあ、僕が君を切ることはできない」
「……なぜ?」
「僕が、そうしたくないからさ!」
さああ! と風が吹いて、エクスたちの前髪をさらった。
「どう……して?」
「僕の書にはそんなこと、書かれてないし、やりたくないんだ。レイナさんやシェインさん、タオさんたちを傷つけないって約束して」
「それで君は、満足なのか!?」
「それも、僕が決めることだ」
「!」
ちゃり、とカオステラーは長剣の切っ先を地面に着けた。彼は泣いていた。
「お願いだ……シンデレラを助けて! 君が、エクスが止めないと、誰も彼女を救えない。カボチャのお化けと魔女に操られて……」
「なんだって!?」
「君にしか止められないんだよ! お城の舞踏会にシンデレラが行かずにすむように、君が彼女を捕まえててほしいんだ!」
「え?」
「シンデレラは壊させない。壊れるのは僕一人でいい。だから、エクス。僕を切れ!」
「そんな……」
「そうよ! 切りなさいエクス!」
エクスは背後をふりかえる。レイナたちがいた。こちらを見守っている。
「できない!」
「いやだとは言わせない! だって、この世で一番、シンデレラを愛してるのはエクス、君なんだから!」
「君だってエクスなんだろ?」
「だからだ! 僕は僕の運命を決めたくない。僕はあらゆる手を使ってでも、この世から消えてしまいたい。真っ白な運命の書のように」
「なんだって、そんなに切羽詰まっているの?」
「君が動きださないからさ! いつまでたってもシンデレラを見てるだけ、挨拶をかわすだけ、慰めるだけ!」
「だって僕はモブだから」
「だったら、僕の言うとおりにしろ! それが嫌なら、自分で決めろ。自分の……運命を」
「そんなこと、できるの?」
「だから、僕を壊せと言っているんだ!」
「わからないよ。そんなこと、僕には」
「僕は君だ!」
「君は僕じゃない。そうさ、君は僕なんかの知る世界のなにかじゃない」
「じゃあ、なんだっていうんだよ」
「もっと大きな運命を抱えて、もっと悲しい結末を知っていて、それを止めたいと思ってる」
カオステラーはうめいた。
「そうだ……僕が決めた。エクス、君は優しくて、素直で、愚直で、なんでも他者のことを受け入れ、信じ、共感する。そういう子だ」
「僕は何をしたらいいの?」
「王子を殺せ!」
「えっ?」
驚愕するエクスの前から、カオステラーは消えた。風の中に溶けこむように、涙をにじませて……。
これが第一の夜である。
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