探偵、桜井明日香2

わたなべ

プロローグ

 男はマンションに到着すると、外側の非常階段を上り始めた。

 このマンションは、中には防犯カメラが有るが、非常階段には付いていない。

 男は階段を3階まで駆け上がった。

「はぁ、はぁ……」

 3階まで上がっただけで、こんなに息が切れるとは、日頃の運動不足が悔やまれる。

 このマンションは8階建てだが、あの男の部屋が3階で良かった。

 7階や8階だったら、とてもじゃないが、部屋にたどり着く前に自分の方が死んでしまう。

 人を殺しに来て、逆に自分が死んでいては、シャレにならない。もちろん、本当に自分が死ぬことは、ないだろうが。

 そう、男は人を殺す為に、このマンションにやって来たのだ。

 男は非常階段の扉を開けると、中に入り込んだ。

 廊下には防犯カメラが付いているが、ギリギリ廊下の端までは写らないのを、男は知っていた。

 それでも念のために、帽子をかぶり、サングラスをかけて、顔が見えないようにしていた。

 あの男の部屋が、301号室で良かった。

 男はなるべく防犯カメラに写らないように、廊下の端の方から手を伸ばして、チャイムを押した。

 ピンポーンと、室内にチャイムの音が鳴り響くのが聞こえた。

 早く出てこい……。

 しばらくすると、チェーンを外して、カギを開ける音が聞こえた。

「今日は、ずいぶん早いじゃないか」

 あの男は、誰が来たのか確認することなくドアを開けた。

 男は、強引に、あの男を肩を押さえつけると、部屋の中に入り込みカギを掛けた。

「なんだ、お前は?」

 男は、帽子とサングラスを外した。

「お前か。そんな格好で、なんの用だ?」

「頼む!記事を公開するのは待ってくれ」

 男は、頭を下げて頼み込んだ。

「その事なら、先週も言ったはずだ。今日の昼過ぎには、原稿を出版社に持って行くと。たった今、書き終わったところだ。もう諦めるんだな。お前も、これで終わりだ」

「金なら払う。だから、お願いだ! あの記事が世の中に出たら、私たちは、終わりなんだ!」

「しつこいぞ。俺は、金が欲しいわけじゃない。お前の正体を、国民の皆様に知ってもらいたいだけだ。お前たちがどうなろうが、俺の知ったことではない」

 くそっ!

 殺さずにすめば、そうしたかったが仕方がない。もう時間がない。早くしないと、人が来てしまう。もう、殺るしかない。

 恨むんなら、金で解決することを拒否した、自分を恨むんだな。

 男は一度この部屋に来て、玄関に、ある物が置いてあることを知っていた。

「分かったんなら、もう帰ってくれ。もうすぐ昼飯なのは、お前も知ってるだろう?」

 そう言うと、あの男は、部屋に戻っていった。

 男は、玄関に置いてあったある物をつかむと、靴を脱いで上がり込んだ。

 あの男は、後ろを向いている。

 今だ!


「はぁ、はぁ……」

 殺った……。

 男は、しばらく動けなかった。まだ、手に鈍い感触が残っている。

 だが、こうしてはいられない。早く、原稿を持って逃げなければ。

 あの男が、どこで原稿を書いていたか、一度来たときに確認済だ。

 あった!

 男は机の上に置かれた、原稿とノートと写真とネガをつかむと、自分のカバンに入れて、急いで部屋を出た。

 あの男は、パソコンやスマートフォン等の機械が使えない。だから、この手書きの物以外は無いはずだ。

 よし、後は、もうすぐ訪ねてくる人物に疑いがかかるように、凶器を玄関に置いておこう。ここに置いておけば、必ず触るはずだ。

 男は以前来たときには、どこにも触らなかった。ドアも、あの男が開けた。

 そして、今日は手袋をしている。だから、男の指紋は、どこにも残っていない。

 そして、この後にやって来る人物の指紋が、凶器に付く。

 まあ、仮に、うまくいかなくても、自分に疑いがかかることは、ないはずだ。

 男は、にやっと笑うと、再び帽子とサングラスを身に付けて、玄関を出た。

 男は非常口から出ようとしたが、カバンを引っ張られる感覚がして振り向いた。

 なんだ、このガキは?

 いつから居たんだ?

 4~5歳くらいの子どもが、男のカバンをつかんでいる。

「何をしてる。離せ!」

 男の剣幕に、子どもは驚いて手を離した。

 くそっ、見られた。

 どうする?

 殺るか?

 いや、いくらなんでも、そんなことはできない。

 まあ、いい。

 こんなガキに恐れる必要はない。男は、急いで非常口から出た。

 男が非常口から出てすぐ、あの男の部屋の隣の部屋から、女性が出てきた。

「お母さんより先に出ないでって言ったでしょう。さあ、行くわよ。あら、さっきまで持っていたのは、どうしたの?」


 男は車に乗ると、自宅へ急いだ。ちょっとしたアクシデントはあったが、ほぼ予定通りだ。

 帰りは、このまま真っ直ぐ戻り、仕掛けを止めて消してしまえば完璧だ。

 もし、警察が来ても、自宅に待たせている人物に証言させれば、アリバイは成立だ。

「ふっ」

 男は思わず笑みがこぼれた。

 後は、これらを処分するだけだ。

 ……。

 今すぐにでも処分したいところだが、今は早く帰らないと、アリバイ工作が失敗する可能性がある。もしも、自宅に待たせている人物がよけいなことをして、アリバイ工作が失敗したら、まずいことになる。

 男はアクセルを踏み込むと、自宅への道を急いだ。

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