芙蓉の庭

八重土竜

白一輪

 美咲のおうちは古いです。でも、美咲はこのごろこのおうちに来ました。前のおうちよりもうるさくなくて美咲は好きです。あまり来る人がいません。車も来ないです。お庭が広いので、そうたろうをいっぱい走らせられるからこのおうちが好きです。

 お庭はとても広いです。はしの方に竹の林があります。この間宝物を見つけたので、代わりに美咲の宝物を埋めておきました。次は誰が見つけてくれるのか楽しみです。お庭の真ん中に大きな芙蓉の木があります。大きいです。美咲よりも、そうたろうよりも、お母さんよりも、お父さんよりももっともっと大きいです。夏には真っ白なお花が咲くんだって言っていました。朝は白いけど、夕方になると、恥ずかしがって赤くなっちゃうんだって。病気みたいだってきつねが笑っていました。芙蓉の木の下にきつねがいるんです。

 赤いおうちに住んでいるきつねです。でも、最近はおうちにいません。美咲たちのおうちにいることが多いです。でも、恥ずかしがり屋さんだから美咲とそうたろうとしか会ってくれません。

 でも、いいきつねさんです。

 美咲が疲れるとそうたろうと遊んでくれます。

 いいきつねさんなんだと思います。





 多少は覚悟をしていたつもりだったが、これが日課となって体に染み付くまでは結構辛いものだ。

 日本家屋。特に古いものは管理が大変だと、代香三代ダイカ ミシロは思った。

 ちょっと硬い雨戸を力いっぱい押し開けて、軋む廊下に朝日を取り込む。

 日が昇った途端に鳴き出した蝉の声がやけに近くで聞こえているなと思えば、庭にある大きな芙蓉の木に張り付いて求愛行動をしていた。

 芙蓉の木にはまだ無垢な白い花が何輪もついている。芙蓉の木の下には埋もれるようにして稲荷が一つ。春のうちに業者を呼んで古ぼけた社の塗装を塗り直したばかりだったが、勢いよく茂る芙蓉の葉に負けてしまっているようにも見えた。

 三代が水の入ったコップを持って庭に降りる。社の前にそっと置くと、しばらくその前でしゃがんだままでいる。足を二箇所ほど蚊に刺されてからようやく立ち上がった。

 彼女にはまだ仕事が残っている。飼い犬の颯太郎に餌をやってから、残り二人、夫と娘を起こしてこなければならないのだ。颯太郎はどうせ娘の美咲と一緒に寝ている。夫の康介は朝刊を取りに行ったに違いない。

 何の変哲もない家庭の朝だった。

 犬の餌の皿を手にして調子外れな歌を歌いながら犬の名前を呼ぶ。

「そっそっそっそそーたろー、ごっごっごっごごーはんだよー」

 フラフラと歩きながらドッグフードを器の中に入れていく。老犬用の物に変えてから二年ほど経っているが、彼に衰えは見えない。それどころかこの家に引っ越してきてからさらに元気になったようにも思えた。

 体力の有り余る十歳の娘と毎日のように庭を走り回っている。

 ドッグフードをこんもり盛った器を所定の位置に置くと、背後からちゃっちゃかちゃっちゃか、と軽快な足音が聞こえる。娘よりも体重が重いはずであるのに、どうしてこんなにも足音が静かなのか、彼とは十二年一緒に生きているが、それが今までもこれからも疑問のままに違いない。

 灰色っぽい毛並みの大型犬が器に顔を突っ込んでドッグフードを食べ始める。

 三代はちょっと笑って颯太郎のふさふさの尻尾を触った。

 居間にたどり着くと買い換えたばかりのテレビの前に康介がぼんやりと座っている。未だに家電量販店で康介が「こんなに薄いテレビならサーフィンできそうだね」と波に乗るまねをしていたのを思い出してしまう。画面の中では最近行われた音楽イベントのレポートが流れている。画面越しからでも熱気が伝わって来るようである。

「おはよう、康介さん」

「ああ、三代か。おはよう」

「すぐに朝ごはん作るね」

「美咲は?」

 三代が台所に入る直前にそんな問いが投げかけられる。起こさなければ平気で昼ごろまで寝ているような子供なのだ。

「颯太郎にご飯あげておいたから、多分起きてくると思うわ」

「あと十分してこなかったら起こしに行こうかな」

「そうしてあげて」

 三代がクスクス笑った。

 美咲は少し不思議な子供だった。幼い頃の三代に似ている。見た目も、性格も。裏を返せば四十を越えようとしている三代にもあのような無邪気な時代があったということだ。この家に引っ越してくる前は、あまり外に出してやることができなかったが、こちらに引っ越してきてからというもの庭の中でなら遊んでいいという約束をしたら、毎日庭で転げまわっている姿を見かける。あまり外が好きでないと思っていたのは親の勝手な妄想だったというのを思い知らされていた。

 連日庭で色々なものを見つけてくる。セミの抜け殻だとか、割れた陶器の破片だとか、不思議な色をした石だとか。彼女が秘密基地として使っている屋根裏には何がしまい込んであるかわからない。一度彼女の城に招待されなければいけないと三代は思っている。

 ベーコンを下に敷いて卵を三つフライパンに割り入れる。少ししたら水をいれてフライパンのフタを閉める。その間に美咲が康介と選んだという食器を戸棚から出した。

 居間の方で犬の足音と子供のふんわりとした声が聞こえてきた。


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