エリンジウム

透水

エリンジウム

 男子高校生というものは時に考える。

「あー、パンツ見えないかなー」

 夏期補習帰りのこと。

 暑さにより少し乱れている女子高校生の制服を見てそんなことを思ってしまった。

 そんな格好で前を歩いているのが悪い。俺は悪くない。

「変態!死ね!」

 うっかり漏らした独り言により、後ろから来た女から脇腹に回し蹴りを食らった。

 かなり効いたが、これは計算の内だ。

「…白か」

「!!」

 次の瞬間。俺の視界も真白になった。


 しばらくしてから目が覚めた。

 あれ?俺はどうしてこんな道端で寝ていたんだろうか。

「やっと起きたかクズ男」

 そういいながら俺の頭を叩くのは幼馴染みの阿須加奈子。

 アズとは小学校からの腐れ縁というやつである。

 中学から空手をやっているため無駄な肉がない強い身体を持っていた。

 俺を壊すには十分過ぎる身体だ。

「加減を知れゴリラ」

「もう1発欲しいのか?」

「素晴らしい蹴りでしたアズさん」

 俺もそろそろ学習するべきなんだろうが、どうしても減らず口を叩いてしまう。

 そして叩かれ、殴られる。

 このゴリラ…もとい、アズは女子高校生としては長身の、170もの背丈がある。そのため、男子高校生で小さい部類に入る俺は、目の高さがアズよりも少し低い。少し、な。

 だから俺がアズと並ぶ時は反り返るほど胸を張る。それをアズは自分の胸囲の貧しさをからかっているのだと思って俺を攻撃する。

 ここ数年でやっと一撃目を避けられるようになってきた。しかし、余裕ができて軽口を言ってまた拳をくらう。

 減らず口はどうしても減らない。

 俺達はそんなやりとりをする仲である。

「そういえば、カズあれ知ってる?」

「あー、あれか。あれは驚いたよな」

 音楽を聴きながら歩いてて、アズが何を言ってるのかぼんやりとしか分からなかったが、とりあえず返事だけはしておいた。

「聞けーーー!」

「痛ってぇ!!!」

 アズの拳で耳が頭蓋骨にめりこんだ。

 最近のイヤホンは耳の形に合うようにできているから洒落にならないほどイヤホンが耳の穴にはまって痛い。

「$€°#=!!」

 殴られた時に音が上がったらしく、頭に直接音楽が流れてくるみたいで何も聞こえない。

 洗脳されそうな気分だ。

 聞いていた曲がバラードじゃなくてロック系だったら鼓膜が破れたかもしれない。

 いや、まだその可能性は残ったままである。

「○*×>?」

「何言ってるのか聞こえねーよ!」

 アズが俺の前に回りこんだ。

 次の瞬間、アズが思いっきりイヤホンを両耳から引き抜いた。

「うお!」

 心ではなく鼓膜を震えさせていたバラード曲は消え、かわりに蝉の鳴き声や鈴虫の音色が耳にいっせいに入ってきた。

「サ、サンキュ。死ぬかと思った」

 こいつの拳が俺に致命傷を与えたことは置いといて、一応お礼はしておいた。

 マッチポンプさえ許せるほどに安堵していた。

「それで何て言ってたんだ?」

「だから、『犬のフン!』って言ったんだけど、もう遅いよね」

 足元を見る。

「…」

 思いっきり踏んでいた。靴の端から少しはみ出すほど踏んづけていた。

 最悪だ。

 せめてもの救いはこれが夏期講習の帰宅途中ってところだな。

 それ以外は救いなんてない。むしろ全てが罠で陥れられていると言っても過言ではないほどの(いや、過言である)状況だ。

 全く、なんて不幸だ。

「それで何だって?」

「…?だから、私は『犬のフン気にならないの?』って聞いたの!」

「そのことじゃねーよ!というか、気になる箇所は他にもあるからな!横っ腹は蹴られて痛いし、耳はジンジンするし、足元にはクソ付いてるし…」

「あ、私がカズを助ける前のことね!」

 俺の不満を聞いたうえであくまでも助けたと主張するのか、こいつは。

 もういい。話が進まないからここは大人の対応で流しておこう。

「で?何の話?」

 そこまで気になっていたわけではないが、ここまで引き延ばされたら知りたくなってしまうのが人間というものだ。

「カズってあの噂知ってる?」

「何の噂?」

「え、知らないの?」

「さっぱりだな。いいから教えろよ」

 どこまで広まっている噂なのかは知らないが、俺は数少ない、噂を知らない人らしい。

 噂を教えることができてよほど嬉しいのだろう。かなり溜めてから誰にも聞かれないように、声量を落として言った。

 周りには蝉以外誰もいないが。

「この街に、不老不死の男がいるんだって」

「…」

 こいつと話しているといつものことだが、俺はどうやらまた時間を無駄にしたらしい。

「何が不老不死だ。そんなのが噂として広まってるのか」

 そうだとしたら俺の住むこの街の情報網を疑うし、何よりこんなことが広まる街の平均偏差値を考えさせられる。

 違う意味で不安になってきた。大丈夫かこの街。

「馬鹿を見る目で見るな!」

「大体、そんなの誰から聞いたんだよ。どうせ情報源は女子高校生だろ」

「私は最初ハルから聞いたけれど、近所のおばあちゃんも言ってたよ」

 ほう、それは興味深い。

 アズの言う近所のお婆さんと言えば柳瀬さんのことだろう。

 柳瀬さんはいわゆる、口うるさい現実主義のお婆さんで今年で53になる。

 かなりきつめな性格だから好んで近寄りたい存在ではないが、アズとは気が合うらしくよく話をするらしい。

 そんな柳瀬さんが不老不死の存在を口にするなんて驚きだ。

「ほんとに柳瀬さんも言ってたのか?」

「おばあちゃんも昔から知ってるんだって。その時からその男の歳は変わってないって」

 こういう噂は何かしらのきっかけがあるはずだ。

「その男はどこにいるんだ?」

「うーん。その人は住む家が無いらしいの」

「ホームレスってことか」

「そう、それ!そのホームレスの、不老不死の男が今人気になってるの!」

「ホームレスが人気者か…」

 女子高校生の話題っていうのは感覚がよく理解できないことがある。

 可愛くない気持ち悪いキャラクターも可愛いと言ったり、つまらないことでも笑ったりする。

 しかし、これが女子高校生という枠にとらわれず、街という単位で噂になっているのが不思議だ。

「何がそんなに人気になっているんだ?」

 待ってましたとばかりに口角を上げてスマイルを作った。

「その男は人の悩みを食べるんだって」


 俺の方に固定した扇風機で涼んでいた。

 手にはアイス。

「悩みを食べる」か。

 話半分で真に受けてはいないが興味のある話だった。

 悩みの多い、思春期な高校生という人種にとってはそんな存在は救いなのだろう。

 悩みを食べられることが根本的な解決になるかは分からないが、精神的に楽になることは確実だろう。

 アズが言うには、その男はこの街にいるがなかなか姿を現さない。本当に悩んでいる人の前にだけ姿を現す。らしい。

 抽象的すぎてそんな奴いないのと同じだろう。

 スマホにメッセージが来ていた。アズからだ。

 どうやら、家に着いたのはいいが玄関は閉まっていて、鍵も持っていないから俺の家に来てもいいかという内容だった。

 相変わらずの馬鹿だ。

 俺は軽く嘆息をついてから返信した。

 返信はすぐきた。5分で来るらしい。

 付き合っているわけではないが、昔からの近所付き合いだ。断っても来るだろうし、それで来たら母さんが喜んで迎え入れるだろう。

 結局同じ結果なら俺が恩を売っておいた方がいいだろう。

 食べ終わったアイスの棒を捨てて手を洗う。

 今年は夏休みの宿題が無いに等しいから、ただただ受験勉強をするだけで楽だ。

 そんなことを思いながら勉強を始めようとしたのが駄目だったのか。あるいはアズの嫌がらせによるものなのか(俺は後者だと思う)。

 どちらにせよ、タイミング悪くアズが来た。

「お邪魔しまーす」

「タイミング悪すぎかよ!」

「何が?」

「今から勉強しようとしてたんだよ」

「またまたー。私に嘘つく必要ないよ?

 私達長い付き合いじゃん」

「…」

 長い付き合いのくせに信じないのか。

 俺は少しばかりのショックを受けつつも馬鹿には理解されないのだと心を広く持つことにした。

 俺のモットーは心の平和。

 冷静になろう。Be cool。

「お前なー。いい加減、鍵を持つことを覚えろよな」

「そんなの私の勝手だろ」

「それで俺の家に来るのは勝手にするなよ!」

「別にいいじゃ〜ん。というか、カズがいいって言ったんじゃん!」

「それはそうだけど、俺は恩を売っておこうと…」

「アイス貰うね〜」

「聞け自由人!」

 まるで我が家のようにアイスを咥えてソファに座ってテレビを見始めた。

 対して俺は床に座って、どっちが住人か分からなくなってきた。

「お前、受験勉強は?」

「推薦だからいーのー」

 そういえばこいつはスポーツ推薦があるんだった。

 夏休みの宿題も無く、受験勉強もする必要が無くて最高の夏休みを送っている高校三年生が目の前にいた。多分、同じ学校で悩みが無い高校三年生はこいつくらいだろう。

 "悩みがない"?

「そういえばこの前"悩みを食べる不老不死男"がいるって言ってたけれど、間違ってもお前の前には出てこないな」

 テレビに夢中になっていたアズはそのまま適当に応えるのかと思っていたが予想は外れた。

 俺の皮肉に敏感に反応して睨んできた。

「私にだって悩みくらいあるし!」

「どうせ、最近腹に贅肉が付いてきたとかだr…」

 鋭いアッパーが顎にきまった。

 舌の先を噛んで超痛い。

 というか、こいつがやってるの空手のはずなのに何でアッパーなの?

 いつボクシング始めたんだよ。きれいに入りすぎて頭のてっぺんまで衝撃がきたぞ。

「乙女心を知れカス!」

「カズです…」

「黙れカス!お前に私の不幸が癒せるのか!?お前に私の悩みを救えるか!?」

「わからぬ。だが共に生きることはできる!」

「え、嫌だー」

 わざわざジブリネタで返したのに素で嫌がられた。

「お前がふってきたんだろ!それで、悩みって何?」

「教えないよーだ」

 そう言うとアズはまたテレビに向き直った。

 こいつにはよくあることだが、テンションの切り替えが早い。

 聞いてどうなるわけでもないが、なんとなく知りたかった。どんな悩みなのか。

 それは昔のことと関係があるのか。

「俺は本当に勉強始めるから邪魔すんなよ」

「んー」

 こういう時は本当に、邪魔せず静かにしているから楽だ。

 しかし、これを学校でもやると周りから夫婦だなんだとからかわれて恥ずかしいから、なるべく学校では話しかけないようにしている。俺は。

 アズは周りの目というものが気にならないらしく、容赦なく話しかけてくるから俺の小さな努力は今ではただのツンデレのようになってしまっている。

 最悪だ。

 ツンデレというのは、可愛い女子が照れ隠しとしてツンデレ要素を持っているのは全然いい。むしろウェルカム。

 しかし可愛くない女子や男のツンデレを誰が見たいのだろうか。

 ただ気持ち悪い奴としか見られない。

 俺はそんな風に見られたくないから(既に遅いかもしれないが)普段はアズから離れている。

 なぜこんなことをつらつらと考えているのかというと、そうさせる人間が来たからだ。

「あら〜。加奈子ちゃんいらっしゃい。今日はどうしたの?」

「お邪魔してます。鍵を忘れて家に入れなくて…」

「それは困ったわね〜。加奈子ちゃん今日泊まる?いや、今日から夏休みの間うちに泊まっちゃう?」

「何言ってんだよ母さん!とっとと洗濯物取り込んで来いよ!」

「あ、えーと。私は…」

「え〜。折角なんだからいいじゃない。カズ!洗濯物はあんたに頼んだでしょ!」

 仕事から帰って早々、問題発言をかましている母さんはアズのことを気に入っている。親同士の仲の良さもあるが、アズのことは性格から顔まで好きらしい。 一人息子の俺よりも。

 ことあるごとに母さんが「加奈子ちゃんはいつうちに嫁ぐの?」と聞くのは本当にやめてほしい。

 アズはその度に赤くなるし(まさかそんな事はないと思うが)、何よりも俺が恥ずかしい。

 これが家の中だけならいいが外でも関係なしにやるから困る。

 小学校の時の授業参観は俺とアズにとって一番休みたい日だった…。

 そんな俺とアズにとって困ることを延々として、最後は夕飯も一緒に食べることになった。もちろん、その後は俺とアズの必死の努力によってアズは帰ったが、母さんは本気で泊まらせようとしていて大変だった。

 今日もアズに蹴られたり殴られたりして身体中が悲鳴を上げていた。

 俺は布団に入ると気絶するように眠ってしまった。


 なにか悲しい夢を見た気がする。

 起きたら枕が汗ではなく涙で濡れていた。

 とても印象的だったはずだが思い出せない。

「カズ!早く起きて!」

 母さんの切羽詰まった声が聞こえる。どうやら家には母さんだけではなく、アズのお母さんも来ているようだった。

 朝から騒がしいな。

「おはようございます、アズのお母さん。どうしたんですか?」

「加奈子ちゃんがいないんだって!」

「カズ君、加奈子がどこに行ったか知らない?」

 アズがいない?

「いないってどういうことですか?」

「昨日の夜中に家を出たらしくて、それから帰ってきてないの」

 あのアズが?

 破天荒とはいえ、あいつが親に心配させたことは一度も…いや、何度かあったな。

 しかし、夜な夜な誰にもどこに行くか言わずに家を出るなんて有り得ない。少なくとも俺のことも誘って虫取りなどに行くはずだ。

 既に何度も誘われて虫取りや夜釣りなどに行き、その度に補導されている。

 今回はいつも誘われるレギュラーの俺が誘われていない。

 イレギュラーである。

「俺もあいつがどこ行ったか分からないです」

「カズ君も知らないのね…」

「文さん、加奈子ちゃんを一緒に探しに行きましょう!」

「俺も行く」

「ありがとう、カズ君」

 俺の支度を玄関で待ってくれて、俺達はすぐに別れて探し始めた。

 母さん達は車で遠めの所に行き、俺はアズに関係のある場所を探すことにした。

 公園。スーパー。コンビニ。ゲーセン。カラオケ。アズのよく泊まる女友達の家。

 そして、学校。

 着信がきた。母さんからだ。

「加奈子ちゃんが行きそうな所を周って今加奈子ちゃんママに合流したんだけれど、カズはどう?」

「色々行ったけれどいなかった」

「そんな…」

「今から学校に行…」

「どうしたの?カズ!」

 スマホを取り落とした。

 通話をしながら学校へ向かっていたのだが、校門の所に来たところで衝撃的な光景を目のあたりにした。

 今は朝早い時間だから校門は施錠されていたのだが、その奥。校舎に沿ってある生垣の上でアズが倒れていた。

「アズ!!」

 門をよじ登って敷地内に入り駆け寄った。

「おい、アズ!しっかりしろ!」

 反応が無い。

 しかしアズの身体に外傷は無く、呼吸も正常のようだ。

 アズは生垣に咲いている一輪の花を握りしめていた。

 倒れているアズを見て最初に連想したのは屋上からの投身自殺だったから、その可能性が消えたことでひとまず安心した。

 落としてしまったスマホを校門の外まで拾いに行った。

 落として画面はヒビが入っていたが、未だに通話中になっていた。

「母さん、聞こえる?」

「どうしたの!何があったの?」

「アズが学校の敷地で倒れてたんだ!」

「加奈子ちゃんがいたの!?」

「すぐ学校に来て!」


 地元の病院。

 電話をして30分もせずに母さん達は学校に来てアズを病院に連れて行った。

 医者によると、身体に異常は無いが精神が不安定な状態で、しばらくすると落ち着くということだった。

 アズがこのまま植物状態になってしまうのかという危惧もしていただけに、みんなほっとしていた。アズのお母さんについては号泣していたほどだった。

 ベッドで眠っているアズを見ながら思ってしまう。

 一体、こいつに何があったのだろうか。

 こいつは自殺するような弱いメンタルを持っていないし、何かあったら逐一言ってくるしな。

 何かの事件にでも巻き込まれたか?

 まあ、それはあまりにも現実離れしている。

 現実離れで思い出した話があったな。

 "悩みを食べる不老不死男"の話。

 呼び名が長ったらしいからこれからは"例の男"と呼ぶことにしよう。

 実際に呼ぶことはないと思うが。

 "例の男"の話をしたのが昨日で、翌日に学校で発見される。

 これは偶然だろうか。

 いやしかし、こいつが話したのが昨日だったからと言って、こいつも昨日知った訳ではないだろう。それで何か起きるならどちらかというと、こいつではなく俺に起こるはずだ。

 しかし、そうなると何が理由でこんなことになったのだろうか。

 医者はしばらくしたら落ち着くと言っていたし、理由はその後でもいいかもしれないな。

 俺はそんな勝手な結論を出した。

 結論を先延ばしにした。

 時間はまだ昼の11時であった。

 午後の補習に間に合いそうだと思ったのが失敗だったかもしれない。

 ひとしきり涙を流したアズのお母さんがやっと落ち着いてきた。そして落ち着かせていた母さんが俺の方を向いた。

「まだ補習は間に合うからあんたはもう行ってらっしゃい」

 超能力かよ。

「いや、俺もアズを看病するよ!」

「いいから行きなさい」

「そうよ、カズ君。ぐすっ。加奈子もそうしてくれた方が嬉しいと思うわ」

 いや、死んでないし。

 その後もなんとか粘ったが、どうやら大人だけで話をしたかったらしく、敏感に察知した俺は引くことにした。

 病室から家に行き、時間を置かずに学校へ向かった。

 仲間外れにされた気分で、子供っぽく拗ねながら学校に向かった。

 登校する人が多く見えてきたところで、俺はそいつを見た。

 校門の付近にできた人混みの中で生徒一人一人に話を聞きながら回る男を。

 さながら、ポケットティッシュを配る塾講師のような。

 しかし、その男は明らかに塾講師とは言えない目立った格好だった。

 その男は紋付羽織袴の姿のコスプレ姿で、何か質問をしているようだったが聞こえない。

 校門に近づくにつれて声が鮮明に聞こえてきた。

「阿須加奈子はどこにいるか?」

 アズを探している?

 俺は人混みをかき分けて中心部に行き、コスプレ男に言った。

「アズがどこにいるか知ってるぞ」

 つい勢いに任せてタメ口になってしまった。

 周りのからかう声を無視して俺は続けた。

「アズが今朝倒れていたのはお前のせいなのか?」

「ふむ。貴様が"カズ"という男か」

 男は低い、ゆったりとした声で口を開いた。

「貴様」なんてそうそう呼ばないよな。

 こいつ、結構失礼な奴だな。

 俺も言えた口ではないが。

 失礼な口だが。

 俺は少し苛つきながら男に問い詰めた。

「そうだ。それより、どうなんだよ!お前は一体何だ!?アズに何をした!」

 周りの生徒の顔が強張るほどの声だったが、男はそんなことはものともしない様子で答えた。

「これは失礼。拙者の名はフジワラノ キョウスケ」

 "フジワラノ キョウスケ"?

 なんだか昔の人みたいな名前だな。

「阿須加奈子から悩みを消した者である」

「え!?」

 "悩みを消した者"?

 つまり、こいつは最近噂の"例の男"なのか。

 そのことに気付いたのは俺だけではなかったらしく、周りもざわめきだした。

「ここでは目立ち過ぎるからどっか別の場所に行こう」

「ふむ。それは良い案だ。案内頼む」

 そうして俺とコスプレ男は、学校から徒歩15分ほどのファミリーレストランに入った。

 絶対に動きづらそうな草履を履いているのに、俺の早歩きにコスプレ男は余裕で付いてきた。

 むしろ何度か抜かれそうになった。

「俺はドリンクバー頼むけど、あんたはどうする?」

「拙者は何もいらぬ」

 注文をしてから俺がコーラを(コスプレ男には水を)取って戻って来ると、コスプレ男から話を切り出された。

 しまった。主導権を握られた。

「単刀直入に申す。阿須加奈子はどこにいる?」

「その前に、何でアズを探しているんだ!?アズの悩みを消したっていうのは本当か!?」

「うーむ。どこまで話したものか…」

「理解できるように説明しろ」

「拙者の信用に関わるので詳しくは話せぬが、昨晩、阿須加奈子の依頼で阿須加奈子の悩みを消した」

「そしてその事後処理。現代で言うところのアフターケアまでをやって今回の拙者の仕事は終わりなのだ。しかし問題が発生し、そこまで出来なかったので阿須加奈子を探しているのだ」

 そこまで言うと、コスプレ男は水を飲んだ。

 つまりその話を信じるとするならば、アズは自分から悩みを消して欲しいと依頼したのだろう。

「その悩みっていうのはなんだったんだ?」

「答えぬ」

 即答だった。

「じゃあ、その悩みの解決ってどうやってやるんだ?やっぱり噂通り食べるのか?」

「どうにも、噂で聞いたことのあるあんたは嘘くさくて信じられない」

 俺は違う角度から聞いてみた。

 少し間を置いてからコスプレ男は説明しだした。

「いかにも。拙者は信じ難い存在なのであろう」

「悩みは解決はしない。"消す"のだ。あと、悩みを食べるというのは噂だ」

「ん?それはどういうことだ?それに、"信じ難い存在"とまでは言ってないからな」

「いやはや。貴様には、拙者のことを一から話す必要があるようだ」

「…一からって?」

「貴様が拙者のことをどのように聞いているか知らぬが、大体合っているのだと思うぞ」

「…」

「拙者は平安生まれの、今で言うところの侍である」

「え…?」

「富士の不老不死の薬を飲んだ効能により、不死身の妖怪となった」

「いやいやいや。ちょっと待って。じゃああれですか。あなたはコスプレとしてそういう格好をしているんじゃなくて、本当の侍だと言うんですか?」

「やっと理解したか」

「してないです!」

 衝撃の事実により敬語で話し始めてしまった。

 こいつは何を言っているんだ?

 通報した方がいいかな。

「証拠は?」

「ん?」

「あなたが侍だという証拠は無いんですか?それがあったら信用しましょう」

 しばしの沈黙。

 いきなり立ち上がったかと思ったら(テーブルがあって真っ直ぐに立てず)また座り、こう提案した。

「ここでは目立ち過ぎるゆえ、どこか人目のつかない所で見せよう」

 俺のお金は炭酸の抜けたコーラを買っただけだった。


「ここなら人通りが少ないです。平安の侍だか妖怪だかの証拠を見せて下さい」

 ファミリーレストランから少し離れたアパートの裏の空き地。

「よろしい。とくと刮目せよ!」

 そう言うといきなり肩の高さに腕をあげた。

 するとどこからともなく、黒い漆塗りらしい鞘に収まった帯刀と小刀が現れた。

 まじかよ…。

「…」

 俺は絶句してしまった。

 そんな俺のことは気にせず、正座して上の着物をはだけて上裸の状態になった。

 そしてそのまま切腹しだした。

「え!?うおっ…」

 吐きはしなかったが、目の前で切腹をしだすとは思わなかったから不意をつかれた。

 よく分からないが、作法通りっぽい感じで小刀を動かしていた。

 手捌きはまるで魚を捌くかのようなてきぱきとした動きだったが、男の顔は苦痛に歪んでいた。

「お、おい!もう分かったからやめとけよ!」

 男は腹から声を絞り出して答えた。

「そうは、いかぬ…。一度始めた、作法は、やりきるのが、侍という、もの!」

 男は死んだ。

 しかし一秒もしないで傷一つ無い身体で生き返った。

 本当だった。この侍は本当に本物だった。

「疑ってすいませんでした!今でもまだ驚いてますが、信じます!えっと…侍、さん?様?」

 生き返った侍は身なりを正しながら正座から立ち上がった。

「うむ。身を削った甲斐があったようだな。切腹だけに!ふはははははは」

 笑ってはいたがあんな苦痛な、それこそ身体を張ってくれた行為に対して、さすがに笑えなかった。

「拙者のことはフジと呼んでよい」

「そんな友達みたいに呼べないですよ!」

「ふはは!そうか知らんかったか」

「…?」

「拙者の氏名の表記は『不死身』の『不死』に『戦場ヶ原』の『原』。『叶』え、『助』けるで叶助だ」

「昔は『藤の花』の『藤』に『草原』の『原』で藤原だったが、藤原家が衰退してきた時に改名してやった」

「…」

 不死原叶助。

 名は体を表すとはよく言ったものだ。

「洒落だ!」

 …本当に、よく言ったものだ。

「は、ははは…。ではフジさんと呼びますね」

「うむ」

「それでフジさんはどうやって悩みを解決するんですか?」

「ふむ。それも説明せねばな」

「お願いします」

 フジさんはまた刀を、今度は帯刀だけを出した。

「カズ、そこに正座するのだ」

「はい」

 俺は素直にその場で正座した。

「これから悩みを消す。消されていい悩みは何だ?」

「消されていい悩み」と言われても、ぱっと思い浮かばないな。

 軽く後悔していることにするか。

「…さっきのドリンクバーでコーラしか頼まなかったことです」

「ふはは!小さい男だな。いいか。いくぞ!」

「え?え??」

 言うが早いか、フジさんこと不死原叶助は侍として完璧なフォームで、鞘から抜いた太刀を振りかぶった。

 そしてそのまま俺に向かって下ろした。

「うわぁぁぁぁぁ…あれ?」

「痛くなかろう」

 あれ?俺は確かに切られたと思ったのに何故生きているのだろう?

「はい。全く」

「カズ、拙者と先程ファミリーレストラン行って何を頼んだ?」

「え?えーと…頼んでないですよ」

「絶対に本当か?」

「うーん。そこまで言われると頼んだような頼んでないような…」

 何か頼んだっけか?

 思い出せない。

「この妖刀『天ノ川』に斬られた者は、外傷などは一切無いが、斬られる瞬間に思ってたことを斬られ、その想いや思い出との縁を切られる」

「歴史の裏で使われていた代物であり、拙者はこれをとある聖域で手に入れた」

「すげぇ…」

 不死身な上に妖刀とか、最強じゃんか。

 じゃなくて!

 目的を忘れかけていた。

「つまり、フジさんはアズの悩みを解決したんじゃなくて、悩んでいたことを忘れさせたということですか」

「その通りだ」

「じゃあ何故、一度斬ったアズをまた斬ろうとするんですか?アズがどうして学校で倒れていたんですか?」

 やっとこの質問までたどりついた。

 さあ、何故!

「人は忘れる動物なのだ。しかし、それは知識などには当てはまるが、体験したことや感情などは例外である」

「拙者は想いや思い出との縁を切ることが出来るが、稀に、何度か斬らなければ切れない縁もある」

「そして阿須加奈子の想いの縁は例外の中でも厄介なのだ」

「それでアフターケアが必要なんですか」

「いかにも。何故学校に赴いたのかは拙者にも不可思議」

「その悩みに大きく関わっているのかもしれんな、その場所は」

「そう、ですか…」

「そういうことで、拙者はまた阿須加奈子の想いの縁を切らねばならぬ。場所を教えろ」

 俺は病院の場所とアズの病室番号を教えた。

 その後俺達は別れ、俺は病院に向かった。

 アズは起きてはいたが寝ぼけているような状態らしい。

 俺と顔を合わせてからも変なことを言っていた。

「どこ行ってたの〜。寂しいじゃんか」

「ねえねえ。退院したら一緒にサッカーしようね」

「むーわー!!!!」

 まるで酔っ払いだった、というのが本音である。

 なんだこの幼児は。手がつけられない。

 そう思った俺は、アズのお母さんと、仕事後のアズのお父さんにお辞儀をして病院を出た。

 家に帰って母さんと話しながら夕飯を食べたが、何を話したのか覚えていない。

 フジさんの『天ノ川』で斬られた訳ではなく、ただずっと、今日のことを考えていた。

 あまりにも有り得ないことが起きた後なのに、俺はそれよりも違うことを考えていた。思い出していた。

 アズが倒れていた場所。倒れていた状態。

 たしか、アズは一輪の花を握って倒れていたな。

 俺はあの花を見たことがある。

 ある時に調べた花言葉がとても胸に刺さったんだった。

 刺さったはずだったのに、なぜだが思い出せない。

 俺は椅子に座ったまま意識が虚ろになるのを感じた。


『ごめんね。こんな所に呼んじゃって』

『別にいいけど、どうした?』

『…』

『暑いからさ、教室に戻ろうぜ』

『あの!』

『ん?』

『私、ずっと前から好きなの!』

『わり『この花が!』』

『…あ、あー。この花か』

『そう、これ。この花が…、好き』

『この××××××は夏の花で、ヨーロッパや南米アメリカが原産なんだよ』

『さすが、環境委員は詳しいな』

『まあね。カズも詳しくなりなよ』

『そうだなー。せめて学校に咲いてる花の名前と花言葉は覚えようかな』

『うん。そうだね』

 …。

 悲しい夢を見て、また泣いていた。

 今度は、覚えている。

 俺はなんということをしてしまったのだろうか。

 時計の針は午前2時過ぎを指していた。

 椅子で寝ていたから背中が痛いが、着替えて外に出た。

 行く場所は決まっている。

 俺は走った。走って、走って、走って、全力で走った。

 過去に戻れるんじゃないかというほどに走った。

 そして俺はようやく着いた。

 夢にまで出てきた学校の生垣の前に。

 約束も何もしていない。

 それでも、一昨日のあいつの行動を考えれば確信があった。

 あいつは必ず来る。

 俺が来てから十数分後。

 アズは来た。

 着替えてきたらしくアズも制服だった。

 俺と違って歩いて来たから、案外、同じタイミングで出たのかもしれない。

 病室を抜け出すならまだしも、病院を抜け出すなんて、やっぱりこいつはアズなんだと改めて思わされる。

 アズは校門の手前で驚いた顔をしたが、そのまま、おそらく一昨日と同じように校門を乗り越えた。

 そして俺を見ながら歩いてくる。

 笑顔で、けれども泣きながら。

 俺は目を逸らさずにアズを見て立っていた。

 制服の男女が二人、夜明けの学校に立っていた。

「お前も制服なのか」

「うん。カズこそ制服なんだね。汗かいてるよ」

「これくらいどうってことない」

「ふーん」

「…」

「…」

「ねえ!」「あのさ!」

「ごめん」

「悪い」

「ううん。先にいいよ」

 俺は一呼吸置いてから話した。

「あのさ!お前、悩みを消すなんてやめろよ」

「どうして?」

「それは、お前が嫌なことだと思うから」

「…ねえ。私が二年前に言おうとしたこと、分かったの?」

「思い出したよ」

「そっか…。私が悩みを消してもらうことは嫌?」

「ああ。嫌だ」

「…」

「もう一度、また。今度は俺から言わせてくれ」

「…うん」

「あの時はあの関係が心地よくて、変えることが恐かった。それに、お前も同じだと思ってた」

「けれどお前は、そうじゃなかった。それなのに俺は、無かったことにしてしまった。ごめん」

「…」

 ここで言わなければ、また後悔する。

 悲しませてしまう。

 言おう。

 言わなければ!

「ずっと前からアズが好きだった!今でも好きだ!」

「付き合って下さい!!」

「うん。ありがとう!」

「私も、好きだよ。花よりもカズが」

 見事ハッピーエンド。

 俺達はお互いに、知っていながら知らない振りをしていた関係を、ついに終わらせた。

 そしてお互いに、答え合わせをした。


 その後アズは精神的に安定し、退院することとなった。

 フジさんに記憶を消してもらうために想いを強くしたら、それが逆効果で、好きという気持ちが止まらなくなってしまい学校に行ってしまったらしい。

 告白未遂とも言える学校に。

 俺が忘れていたのは、その時のあまりの衝撃で記憶に蓋がされたらしい。その蓋が開いたのはやはり、アズのことが好きだったからだと思う。

 アズは翌夕にまた来たフジさんに、依頼を取り消してもらったそうだ。

 あの人は子供からは金は取らない主義だそうで、ボランティアとしてやっていたからあっさり承諾したらしい。

 俺はというと、アズを病院に送った後、またあの花の花言葉を調べた。

 改めて、あの時は失敗したと思った。

 花言葉は「秘密の愛」「秘めた想い」

 そして「傷ついた恋心」

 まだ他の地域では咲いてはいるが、この学校は咲き始めが早かった。

 生垣のその花はもう咲いてはいなかった。

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エリンジウム 透水 @tousui

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