第1話 レックスマン家の仕来り

 『世界信仰化オプシション』の成功により、フラミンゴス教会によって世界が統括され、信仰だけではなく、言語、文化、習慣までもが統一された世界に、突如として、神の啓示が降ってきた。

 

 『終わりの日』と称されたそれを、フラミンゴス教会の四人の教皇と、それに続く枢機卿達の判断により、人々は神の啓示をそのまま受け入れることとなった。


「『神』からの啓示は従順に受け入れること。ましてや、それに逆らうことは不道理」

 つまりは、

「『神』によって『終わりの日』を定められた人類は、その日が訪れるまで、慎ましく穏やかに過ごしましょう」

 と言うことだ。


 その日から、人々は眠ることが出来なくなった。

 世界の終末への不安からなのか、不眠症の症状が世界中の人々に広まっていき、あっという間に、全人類から睡眠という本能が失われていった。


「――眠れなくなっても、身体に不調はないな」

 

 かれこれ、半年程眠りに就いていない。


 僕、ヴァン・サリー・レックスマンは、弟のウォーズと二人で、屋敷の裏の森へと続く道を歩いている。僕もウォーズも、他の人々も、目の下には大きなクマがあった。


「そーお? オレは結構疲れてるけど……」

 ウォーズが大きな欠伸と背筋を伸ばして、そのまま僕の背中にもたれ掛かってきた。


「うぉ! ちょ、重いって! ウォーズ!」

「えぇー? ちょっとくれー、いーじゃんよ!」

「ムリだって! オマエ、僕より重いだろっ!」

「ヴァンがヒョロヒョロ過ぎなんだよ~。ちーっとは肉食え! レバーにほうれん草、それから何と言ってもシジミ! 食えないなら、エドワード特製の造血剤大量に送ってもらうか?」


 ウォーズの手にパープル瓶に入れられた毒薬……いや、医学生エドワード兄さんのクソまずい造血剤が握られている。その背景に「AHAHA~」と悠長に笑う兄さんが見えた。


「いや、……ちゃんと食うから大丈夫だよ」

 気休めに笑ったのが分かったのか、突如としてウォーズの足が止まった。それにつられ、ぐぐっ……と僕の足も止まる。

「ウォーズ?」

 振り返った背中に、不貞腐れたウォーズがいた。その瞳はエメラルド色で、日の光に透ける緋色の髪が綺麗だ。


「……ただでさえ、ウチは『血』を必要としているんだぞ?」

「ああ、そうだな」


 ウォーズが言わんとしていることを理解して、僕は体重を掛ける弟を引きずったまま、森の奥へと進んでいった。


 僕は、

 僕達は、

 自分が生まれた家に、

 縛られている。


 『西の教皇』が統治するこのジェノレープ地方で、名門とされるレックスマン家。先祖代々領主として広大な土地を有し、領民達に借用させた金で、財を築き上げてきた。


 そのレックスマン家の、最大の秘密――。

 遥か大昔に受けた、先祖の忌まわしい呪い。その詳細は時代の流れと共に、代々当主だけが受け継いできた。

 

 父、リオネス・ミルヴァ・レックスマンには、四人の息子がいる。

 

 長男、エドワードは、世界首脳都市キャベル・シティのリオ大学で医者を目指している。

 

 次男、ケルヴィンは現在、スモック鉄道の機関士をしている。

 

 三男の僕、ヴァン・サリーは、神学校セミナリオに在学中。

 

 そうして四男、ウォーズは、弱冠13歳にして、フラミンゴス教会の司祭試験に受かった、超エリートだ。


「――今日は僕がする」

 森の奥を真っ直ぐに進んで、日の光を浴びる場所に、一本の大木がある。その木に同化しつつある、一つの物体。クシャクシャの老婆が眠ったまま、一寸も動かない。

 

 “寓話の婦人マダムグース”と呼ばれるそれが、生きているのか、死んでいるのか、それはレックスマン家の当主にしか知らされていない。僕達は末の息子で、次の当主はエドワード兄さんと決められているから、この風習の詳細も意味も知らない。


 だが、これは呪いだ。

 レックスマン家が代々苦しめられ続けた、呪縛。

 

 僕は左手のレザーを外した。

「ヴァン……」

 隣から聞こえた弟の声には答えずに、僕はそれの前に立った。ベルトに挟んでいたナイフを取り出し、左の掌に、すぅっと切れ目を入れた。

「……っ」

「ヴァン!」

「大丈夫だ。……ほら、レックスマン家の『血』だ。これが欲しいんだろ?」

 滴る鮮血をそれに注ぎ、搾り取るように掌を握り締める。大分深く切れ目を入れたせいで、滴る『血』はいつもより多かった。


「ヴァン、もう十分だろ」

 顔を顰めながら、ウォーズは根本のそれを見下ろした。

「けど、コレ、最近乾き気味だろ?  乾燥させるのは良くないって、じいちゃんも言ってたし……」

 僕はありのままの状況を告げた。


『血』を捧げても、何の変化も見られない。いつもそうだった。まるで砂漠に水を撒くような無意味な仕来りが、いつだって一族の心を蝕んできた。

「……コイツが乾いているのは元からだろ?  コイツが生きてんのか死んでんのか分かんねーけど、世界が終わりを迎えようとしている今も尚、コイツに養分をやり続ける意味が分かんねーよ」

 ウォーズのブツクサな物言いは昔からで、だけどそれが大方的を射ている。兄弟で一番賢明なのはエドワード兄さんだが、兄弟で一番聡明なのは、末弟のウォーズだ。

 

 この世の不条理も、

 レックスマン家の呪縛も、

 本当は誰よりも真実が見えているに違いない。

 そのくせ、彼のレザーの下には、僕以上の傷がある。


「それがレックスマン家の仕来りだろ……?」

 僕はポケットから取り出したハンカチで止血しながら、それをじっと見つめた。

「ヴァンは親父や兄貴達から、コイツを押し付けられたんだぞ?」

「ウォーズ?」

 その横顔に翳が落ちた。

「……それからオレも、結果としてヴァンに、何もかも押し付けることになっちまった」

 ああ、と僕は目を細めた。


 ウォーズは僕よりも先に神学校セミナリオを卒業し、フラミンゴス教会の最年少司祭として、ミーフ地方の教会に勤めることが決定した。生まれ育った地を離れ、ジェノレープより遥か北の地で、この世界の上位である聖職者の地位を高めていく、一族の誇りだ。

 

 僕は俯いたまま微笑んだ。

「父さんはずっとレックスマン家の仕来りを守ってきたし、エドワード兄さんやケルヴィン兄さんも、小さい頃からこの役目を担ってきた。お前だって、僕の分を補う為に、血管切れるまでコレに『血』を注いできただろ?  大丈夫だよ。これからは僕がレックスマン家の仕来りを守っていくから」

「仕来りじゃなくて、呪いだろ」

「……そうだな、呪いだな」

 そう言ったところで、ぐらっと目の前が眩んだ。

「ヴァン!  ほら、言わんこっちゃねーな」

 ウォーズに支えられ、「大丈夫だ」と笑った。

「大丈夫じゃねーだろ!  結局、兄弟で一番ひ弱で、造血機能が著しく低いアンタが、その呪いを一身に受け継いじまった。……ヴァン、オレ、やっぱり――」

「ダメだ。お前は司祭にならないとダメだよ、ウォーズ。神学校で一番の成績はお前だ。信仰心だって、他の聖職者よりもずっと厚いだろう?  それを認められて、晴れて最年少司祭になれるんだ。胸張ってくれよ、そうでないと、僕が惨めだろう?」

 

 僕達は、同じロザリオを首から下げている。

 三日月に、逆さ剣が刺さったロザリオ。

 それが、フラミンゴス教会の信仰心の表れ。


「ヴァン、オレ……、オレな……」

 何かを言いたそうにして、ウォーズが押し黙った。

「大丈夫だ。血ぃ増やす為に、エドワード兄さんのクソまずい造血剤飲むからさ。それから、レバーもほうれん草も、ちゃんと食べるよ」

 僕は、ニッと笑った。それに安堵したのか、2歳下の弟ウォーズが、まだ幼さの残る微笑みを浮かべた。

「それからシジミもな!」

「お、おう……!」

 シジミ好きだな、コイツ……。


 僕は止血した左手を広げた。その瞬間、みるみる内に傷が塞がれていった。

 

 これはレックスマン家特有の体質で、傷跡は残るものの、一滴たりとも『血』を無駄にしたくないと言う、“寓話の婦人マダムグース”の呪いの代償でもあるように思えた。

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