ただのポジティブでは足りない
◇前書き
前回の投稿からまたしばらく時間が空いてしまった。
エターナルになったわけでもなければ、死んでしまったわけでもない。この投稿を、当初目標に立てた話数を超えるまでは、死ぬわけにはいかない。
というよりも、文章(駄文)自体は、別の、辺境辺鄙なところで連ねてはいた。
ただ、コメントやらフォローやらを頂いて、「果たして、こんなことを書いてよいのだろうか」などという邪念が浮かんでしまい、投稿まで至らなかったのである。
しかしふと、最近思い出した。
ゼロはゼロである。
100点には程遠いかもしれない。しかし、ゼロとイチとは全く違う。
今後はもう少し、カクヨムへの投稿についても、もう少し気軽に行ってはどうかと思う。しかしその気軽さは同時に、「読んでくださった方」への冒涜なのではないかという気持ちも生じ……あああ、もう、そんなことを考えている暇があったら、とにかく書いて、投稿しろッ! と、内面の理性氏が妥協してくれたので、以下、よろしければ読んでいただきたい。
◇人はみな幸せに楽しく生きるべきである
僕はネガティブな人間である。
しかし同時に、ポジティブな人間である。
アンビバレンス(二律背反)が人の性質(さが)だと思っている。
最近読んでいる『工学的ストーリー創作入門』において、「人物」とは、「コンフリクト(葛藤・対立)」だと書かれていた。
まぁその、現実に葛藤がない人はいるかもしれないが、ストーリーとして人の心を打つのは、やはり葛藤があるものである。(――原則は。もちろん、主人公に必ずそれがあるわけでもなければ、必ず必要なわけではない)
表層的な面――すなわち、その人の言動や、癖、生活、趣味嗜好は、「第一の次元」である。
たいてい、友人でも会社でも、初期の恋愛関係においても、この第一の次元でふつう、皆付き合っている。
しかし、本来人は一次元ではない。
その一次元の面を生み出している、バックストーリー(背景)がある。それは長年の経験かもしれないし、印象的な出来事、時にトラウマかもしれない。これが第二の次元だ。
昨今、文章を書くというのが、一般の人でも珍しくなく、かつ公開も容易にできる構造(インフラストラクチャー、アーキテクチャ)が出来上がっているが、せっかく文章にするのであれば、SNSでもブログでもいいが、せめて、第二次元までは触れていただきたい。
え?
「そういうお前はどうなんだ?」って?
僕は、そうだな、なんというか、むしろ第二次元しか書いていない気がする(かっこわらい)。心の闇みたいな(かっこわらい)。
いや、ここは難しい表現だな。愚痴をかけば、第二次元というわけじゃあない。
「何故その表層的な反応が自分に現れるのか?」という問いをもってしないと、面白くないということである。
こんなことがあった → むかついた
これは、「むかついた」という内面を描いてはいるけれども、第一次元に過ぎないと思う。「むかついた」という感情的な、表層的な反応しか述べられていないからだ。
そこに、「何故むかついたのか?」という「WHY」が混ぜ込められると、少し面白くなっていく。
こんなことがあった → むかついた → (WHY)それは、過去にこういったことがあり、自分はそれをこう思うからだ → (WHY)何故そう思うかというと、自分はこういった経験をしたことがあり、そのときはこうだったからだ……
などと、「WHY」の多階層構造が出来上がっていくと、文章というか物語に深みがましていく。まぁもちろん、その「WHY」自体が、ある程度魅力的(気になるもの)でなければ仕方がないけれども……。
◇さらに第三次元を目指せ
だが、そもそも、第二の次元だけでも、まだ足りない。
その後、どうなるのか。どういった方向に向かっていくのか。
この視点があると、文章、物語は、さらに面白くなる。
僕の場合は、「結局みな死に向かっていくのだけれども、それでも(僕の)人生の意義とは何なのだろうか」という点である。
人が生きて、死ぬということに、何の意味もない。
当たり前だ。
意味とは、自ずからが創り出すものだからだ。
病気で苦しんでいる。
上司とそりがあわなくて心身疲弊している。
貧乏で明日が不安だ。
子供が反抗期でどう接していいか分からない。
40歳近いのに婚活がうまくいかない。
無為に生きてきてふと60歳を過ぎて虚無に襲われた。
いろんなテーマがあるだろう。
そのどれもが、実存的な苦しみである。そこに優劣もなければ、大きい小さいもない。主観において、それは絶対的である。
だが、いくら悩み苦しみがあろうが、唯一絶対普遍なのは、時間である。
その残酷な時間に対すれば、どのような悩み苦しみも霞む。
これは批判の的だろうが、「自殺」という手段だって残されているのである。「完全自殺マニュアル」は有害図書扱いのようであるが、それはそれで、救済だ。方法が述べられているだけだ。自殺の勧奨ではない。
方法の提示と実行には、隔絶たる差があるのだ。
だから――。
それゆえに、ネガティブは、ポジティブに反転せざるを得なくなる。
大事なのは、「せざるを得ない」という回りくどい表現部分である。
これが必然なのだ。
だから、僕は一元的にポジティブな人をそれほど好きではない(いや、この書き方は微妙だ。好きだよ。一緒にいるならポジティブな人の方がいいだろう、たぶん。そうではなくて、「面白いか面白くないか」という部分の話だ)し、だからといって、ネガティブ一辺倒だとそれはそれで面白くないのである。
そういうことを、二律背反(アンビバレンス)という表現をしているのだ。使い方があっているかは知らん。ただ、アンビバレンスって表現がなんかかっこいいっしょ(中二的)。
◇後書き的な
なんか偉そうな記事になったなぁ……これ、誰宛の文章なんだ。まぁ、いつものごとく、読者の一人は、未来の「俺」である。俺はいつもどこかしら、10年や、20年前の「自分」に対して語りかけている気がする。自己愛性パーソナリティ障害だ(かっこわらい)。いやまぁその、日記ってそういった面もあることはあるが、どちらかというと、未来に対しての意味がメインな気もする。もう過ぎ去った過去への言葉って、なんか意味があるのだろうか……「ある」、というテーマで、また一つ記事を書けそうであるのだが、なんかこう止め処がない。止め処ない故に、そういった文章を書くことはそれほど苦ではない(小説など、創作は別だ)。それこそ似たようなことは15歳ぐらいからやっていたから、もうそうすると止め処ない文章作成プロフェッショナル(笑)である(お金は一切稼げないが……)。いやまぁ、今こんなんになっちまったのは、それが原因じゃないかという反転すべてを無に帰すようなことも同時に浮かぶが、いやしかし、それをやめようとして、実際やめた時期も何度かあって、それもまたしばらくして結局戻ってきているのである。やはり必然、しかし……)
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