第39話 序曲
白み始めた空の下を、偵察ドローンの編隊が仰々しく駆け抜ける。 小さなものから大きなものまで、それらは地表を蠢く全てのものを注意深く記録し終えると、地平の丸みの向こうへ消えていく。
まるで何かを追っているかのように、その動きはただただ忙しい。 最も、遠方から伝わる緊急放送の内容を聞けば、その理由は自然と推測出来るものである。 脱走、逃亡、裏切り、射殺と物々しい単語が誰もいない荒野の中を虚しく駆け巡る。
だが、その言葉の矛先に立たされた人物は意外にも旧都近くに潜伏していた。
「人様が大人しく退いてやれば好き放題言いやがって」
金属がきしむ音と共に砂の中から現れたのは、体表の色と質感を岩そのものへ擬態させていたドラグリヲ。 その胸の中で、雪兎とカルマの他愛のないお喋りが木霊する。
『こんな大きな標的をアッサリ見失うとは、同じ機械として嘆かわしい限りです』
「馬鹿野郎見つからなくて良かったんだよ。 お前は一体どっちの味方なんだ」
『勿論貴方の味方ですよ。 しかしですねユーザー、始末に終えない同胞の醜態を見せつけられてショックを受けてしまうのは何も貴方だけではないのです』
「よく言うよ、同胞認定どころか眼中にすらなかったくせに」
主人をダシにして長々と言い訳するカルマの頬を揉みしだきつつ、雪兎は呆れたように肩をすくめる。 しかしカルマが述べた通り、始末に終えない馬鹿のせいで面倒な立場になってしまったのは紛れもない真実であった。 折角命を賭けて害獣を駆除したのにも関わらず、助けたはず味方に殺されかけては割に合わないと、雪兎は内心穏やかではいられない。
だが、たかが知れている人間の悪意よりも強く雪兎の記憶に刻まれたのは、死を目前にしたにしては余りに落ち着いたサンドマンの声。
「まぁ今はあの馬鹿共のことはどうだっていい。 今懸念すべきはあの砂野郎のほうだ。 奴はハッキリ残機と言っていた。 恐らく奴はまだ死んでいない」
『その推測は恐らく外れてはいません。本当に微々たるものですが、リンボへの裂け目が開かれた痕跡を検知しています。 ブレスに巻き込まれる瞬間、乗っ取った肉体を捨てて逃げたのでしょう』
「化け物の分際で小賢しい真似をする」
偉そうなことを言っていた割りには行動が伴わない野郎だと、不快そうに個人的感想を述べながら雪兎はカルマに提示されたデータを黙って眺め続けた。 あの状況からあっさり抜け出せるのなら、一体どうやれば殺せるだろうかと考えながら。
しかしカルマが小さく声を洩らしたのを聞きつけると、雪兎は一旦考えを保留しシートから背を離しながら問う。
「何だカルマ、一体どうした?」
『取りあえずユーザー、ご愁傷様です』
「ああ何だって?」
カルマの言っている事の意味が理解出来ず、思わず問い返す雪兎。 しかしカルマが返答するよりも早くドラグリヲの正面装甲が外部から無理矢理こじあけられ、強制的に答え合わせが実行された。
「おはよう雪兎! 今日もまた良い死に日和だな!」
「うわでたあああ!!!」
ニコニコと快活に笑う首領を目撃した瞬間、雪兎は往生際悪く逃走を計るも、流れるように仕掛けられた関節技の餌食となり、万事休すとなる。
「さて、人様の不安を試みない小僧っ子にはお仕置きが必要だと思わないかえ?」
「ごめんなさい! 許して下さい!! やめてやめてやめて!!!」
子供のように情けない悲鳴を上げて許しを乞う雪兎だが、終始楽しげな首領の可愛がりは途絶えることなく、常人なら体幹がねじ切れるような強制ストレッチが続く。 挙げ句の果て、哀れ雪兎は簀巻きにされると乱暴に地面へと放り投げられた。
「ん゛ん゛ーーーっ!」
「カルマ、この馬鹿の写真をウチの営業担当と海外のスカタン共に送っといてくれ。 例の坊やはアタシの管理下にあるから心配無用だとな。 これ以上騒ぐようなら帯刀してお邪魔するとも伝えておけ」
『了解しました』
普段雪兎にするような口答え一つすることなく従順な姿勢を見せ続けるカルマに対し、首領は軽く頭を撫でてやることで謝意を伝えると、再びコックピットから飛び出し、問答無用で雪兎をかつぎ上げる。
「ちょっ、一体何処に連れていくつもりなんです!?」
「何処も何も、楽しい楽しいドンパチの現場だよ。 ちょうど人手が足りなかったから助かったぞ」
また貧乏くじを引かされると足掻く雪兎を片腕で制する首領。 彼女はドラグリヲ内部に取り残されたカルマに向かって身振り手振りで追ってくるよう指示を出すと、自身は目的地に向かい、ドラグリヲにも匹敵するスピードで軽々と走り始めた。
「うぐっ……せめて行き先だけでも教えて下さいませんかね……」
「さてね、運がよければ沖縄近海辺り。 悪ければ鹿児島辺りだ。 あちらさんが愚鈍で間抜けな事を祈っておこうじゃないか。 台湾が陥落しちまった以上、遺されたアタシらが身体を張る他あるまい」
「何ですって!? そんな馬鹿な!!!」
まるで世間話をするような気楽さで首領の口から語られた知らせは、たちまち雪兎を仰天させ、くすぶっていた戦意に再び小さな火を灯す。
「あそこには選りすぐりの精鋭が集まっていたはず! 簡単に全滅させられるはずがない!」
『それに拠点が落ちたのならこちらにも早急に通達がくるはず。 何故何処からも連絡が来ないのです?』
列島中に飛び交う通信を片っ端から傍受するも、首領が語った事柄を証明するものが一件もなかったことを不審に思ったのか、通信用ナノマシンで話を聞いていたカルマが口を挟む。
すると首領は珍しく表情を軽く曇らせながら子細を静々と語り始めた。
「今回に限っては来るはずが無いのさ」
「……何があったんです?」
「中継地の沖縄が一方的に独立を宣言して、台湾を害獣共と一緒に挟み撃ちにしたのさ。 いくら精鋭と言えども、信頼していた相手に後頭部を撃たれては死ぬしかない」
「はぁっ!? 意味が分からない! バカげてる! その情報の出所は何処なんです!?」
「馳夫が身の危険も顧みず伝えてくれたよ。 ……さっさと深海に身を潜めて逃げればよかったものをな」
あの馬鹿者めと一言付け加え、首領は軽く目を伏せながら舌打ちをする。 普段の彼女からは想像できないような表情に雪兎がとてもイヤな予感を抱くと、雪兎の考えを察したカルマがいち早く情報を得て、無意識に残酷な現実を突きつけた。
『ユーザー、馳夫さんに接種されたナノマシンと交信出来ません。 生命活動の有無と関わらず機能するはずの物とさえ通信出来ないということは、恐らく遺体すらも残ってはいない証左でしょう』
「馳夫……嘘だ……」
ショックのあまり、情けない呻き声が喉元から上がってくるのも厭わず、雪兎はつい先日話をかわしたはずの友の名を呼び、強く牙を噛み締めた。 幼い頃からの思い出がリフレインし、強すぎる悲しみに打ちのめされ、雪兎は一雫の涙を零す。
だが、その気持ちが落ち着くと入れ替わる形で怒りが湧き立ち、やがてそれが殺戮の渇望へと身を変えるのに時間はかからなかった。
常人であれば認識しただけで発狂に追い込まれかねないほどのおぞましい殺意が、雪兎を中心にして野火の如く立ち昇る。
「さて、裏切り者には罰をくれてやるのが礼儀だがお前はどうする?」
「今さら聞かれるまでもありませんでしょう」
首領からの問いが下ると同時に雪兎は自ら拘束から脱出し、開けっ放しだったドラグリヲのコックピットに再び身を収めると、深い殺意を滲ませながら呟く。
「……殺してやる」
「良い返事だ、お前がそこまで言い出すのを聞くのは子供専門の奴隷商共を血祭りに上げたとき以来だよ」
比較的甘ちゃんのお前までをその気にさせたクズの言い訳と命乞いと断末魔は実に心地よかったと首領は豪快に笑うものの、雪兎は一切返事をしない。
雪兎の頭の中にあったのは、馳夫のみならず大勢の命を害獣の贄として献上した裏切り者達への怒り。 人の身のまま獣へと堕ちた外道への怒りが、物言わぬ雪兎の自制心を灰すら残さず焼き尽くそうとしていた。
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