第26話 反照

 鋼色の機械竜が錆色の山椒魚を穿いて数分後、空を覆っていた肉塊がゆっくりと消失し始める。


 特に巨大な肉塊が消えていく姿は旧都のあらゆる場所から窺え、地上に残っていた人々に争いの収束を伝えた。


 再び点灯し始めた灯火に照らされ夜空に浮かび上がる肉塊の粒子が、そよ風に浚われ何処かへと消えていく。



 散り際の桜や街灯に照らされる淡雪を連想させる非現実的であるも美しい光景。


 その誰もが見とれるような現象を、何の感慨も無くぼんやりと見つめる者が居た。以前雪兎によって木っ端微塵に破壊され、近頃ようやく再建された鰐淵翁が経営する店。


 その店先から顔を覗かせ、静かに黄昏る無愛想なメイドこそがそれである。


 彼女は近郊の軍関連施設からの通信を傍受すると、安楽椅子に黙って腰かけていた主人にさりげなく報告を入れる。



『どうやら決着が付いたようですね。街を覆いつつあった肉塊の自然消滅を確認しました。


 随時、シェルターに収容した民間人の開放を実施します』


「あぁ、お前に任せる」



 興味なさげに紫煙を燻らせながら老人が指示を飛ばすと、メイドは都市に遺されたネットワークに接続し、指示通りに街の機能を動かし始めた。


 遠方で響くシェルターの装甲の軋み、無人戦車の騒々しい稼働音、あるべき場所へ帰っていく人々の声。その全てが、旧都が平常に向かって歩み始めたことを示す。



『無知とは幸せなものですね、本当に』



 派手に暴れられたものの、大した被害が無かった故に危機感が足りない住人達のお喋りを耳にし、メイドは呆れたように肩を竦ませる。


 だが、街中に張り巡らされた生体センサーが唐突に異様な反応を捉えたことを把握すると、無愛想な顔に僅かながら変化が生まれた。



『こちらに向かい、高速で接近する生体反応を確認。恐らくは……』


「あぁ、言われずとも分かっておるさ」



 メイドが報告するも、鰐淵翁は余裕を保ったまま淡々と紫煙を洩らし続ける。


 警戒の欠片すらも感じさせない隙だらけの態度。


 それは十数秒後に店が半壊する運命だと分かっていても改まることは無く、老人が思い切り背伸びをした瞬間、瓦葺きの屋根が跡形も無く消し飛んだ。



「やっとおでましか、いい加減待ちくたびれたぞボンクラ」



 再建が終わったばかりの店だけで無く、お気に入りのグラスが陳列された食器棚を叩き壊され少々不機嫌になりながらも、老人は一切恐れることなく、古ぼけた万年筆をポケットに捻入れながら飄々と嘯く。



 メイドの警告に違わずやって来たのは災厄の化身と化した雪兎。


 獣の血に身体と精神を完全に乗っ取られ、現在進行形で異形と化しつつある横顔が、砕け散ったウイスキーグラスの破片に浮かぶ。



「そうムキになって怒ることも無いだろう、これは運命だったのだ。


 お前が何も手を下さずとも、あの娘は何らかの要因で必ず死んでいた。


 だからわざわざお前が狂ってまで暴れるようなことじゃない」



 底の無い憎しみに表情を歪ませ、血涙を絶えず垂れ流しながら唸り続ける雪兎。


 対して、老人は挑発してるようにしか思えない言動でやんわりと諭してみるが、ただでさえ怒りに満ちていた雪兎のボルテージを更に高く吊り上げるだけに終わり、常人ならば向き合うだけで嘔吐するようなプレッシャーが老人一人に注がれる。しかし、鰐淵翁は一切屈せず平然と言葉を並べ続けた。



「それとも何か? お前はあの子がこの星のみならず宇宙すら喰い尽くす肉塊になり果ててでも生きる事を望んだのか? それはそれは、素晴らしいエゴだと儂は賞賛するぞ」


「……そうなったのは全部テメェの仕業だろうが」


「はぁ? 儂はただあの娘の望みを叶えてやっただけよ。後ろめたいことなど何一つないわ。 まぁ、それを望まねばならない事態に陥る以前に救う事など儂にとっては造作もない事だったがなぁ」


「テメェッ!!!」



 意固地の悪い老人の哄笑が闇の中で高々と木霊し、雪兎の中に僅かに残されていた良心の箍を叩き壊す。だがそれと同時に、今まで憎しみに塗りつぶされていた雪兎の態度に変化が訪れた。


 雄々しい怒りに満ちていた面構えが、ゆっくりと何かを堪えるような痛ましいものへと変化していく。


 正体不明の苦しみを憎しみへと転化し、雪兎は何とか鰐淵翁への敵意を維持し続けるも、既に息をすることだけで精一杯なのか、拳と膝を地面に付けたまま動けない。



「やれやれ、ようやくルビコン川を越えられたか。 この瞬間を迎えるまでに一体どれだけの犠牲を払ったことやら、お前には分かるまい」


「な……何をしやがった……!」


「さぁな、詳しい奴は全て彼岸の地へ旅立ってしまった。


 儂は大まかな事しか知らされない哀れなスポンサーに過ぎんよ」



 身体の底から際限無く溢れ出る制御不能の圧力に翻弄され、雪兎は呻き声を上げながらたまらず背中を丸めるが、鰐淵翁は一切動じずただ淡々と語り続ける。



「お前が案じることは何一つ無い。なにせこの薄汚れた地表に息づく命などに大した価値などないからだ。 世界樹もろとも我らが滅んだ後は、然るべき場所に避難しているエリート達が責任をもって星と文明を再生してくれる。 だからな小僧、お前も人類のより良き未来の為に……」



 ―――ここで死ね。



「ぐっ!死んでたまるか!僕はまだ死ねない!死ぬわけにはいかない!」



 身体中を引き裂かれたような激痛に支配され、苦しげに呻きながらも、雪兎は身体の底から溢れ出そうとする何かを必死に抑え込もうとする。


 しかしその抵抗も虚しく、雪兎の制御から完全に逸脱した力は、光となって外界に顕現し始めていた。


 最初は蛍の光よりも弱い明かりだったそれは、指数関数的な爆発的な勢いで強さを増していき、空を、大地を、そして生ける者全てを呑みこんでいく。



「これでよい、これで儂の役目もようやく終わる」



 真夏の陽射しよりも強い光に晒され、衰えた痩身を余さず熱されながらも、鰐淵翁は満足げに頷く。この瞬間を何より待っていたと、長すぎた己の人生を回顧しながら。


 だが、耳元を誰かが走り抜けて行った気配を感じ取った瞬間、老人の表情が一変する。刹那、甲高い裂帛の気合いが光の中から轟き、放たれ続けていた莫大なエネルギーは源泉たる雪兎の身体に沿って収束していった。



「ふん、まさか再びこの力を行使する日が来るなんてねぇ。


 面倒なことをしてくれたじゃあないか、なぁクソジジィ」



 真白い光を斬り裂くように身を晒したのは、紫色の波動を放つ超振動ブレード。


 尊き御方からの贈り物である事を示す刻印が打たれたその刃紋に、刀の持ち主の姿が磨かれた鏡の如く鮮明に映り込む。


 色鮮やかな赤毛を棚引かせ威風堂々と胸を張っていたのは、紫紺の鎧を着込んだ古強者。身内にはババァと呼ばれているが、多く見積もっても40代後半としか思えない若々しさを維持した女傑。



「リン!?何故お前がここに!」


「気安く名で呼ぶな!人様の部下を勝手に爆弾に仕立てようとしやがって!


 原型が無くなるまでメタクソにぶたれたいってのかい!?」



 一歩でも寄ってきたら斬り捨てると言わんばかりに殺気を醸し出し、首領は浮き足立った鰐淵翁の行動を著しく制限する。


 その隙に彼女は雪兎の背後へ視線をやると、いつの間にかそこに立っていた人物に向かって怒鳴った。



「おいそこの馬鹿神父!カッコつけてないでさっさとカタを付けちまいな!


 好き勝手だべらせる為にワザワザ引っ張ってきた訳じゃないよ!」


「へーへー、相変わらず人遣いの荒いババァ様だぜ。


 そんなんだからお気に入りの部下にも距離を取られるんじゃないのか?」



 耳を潰さんばかりに発せられた怒声に対し応答したのは、神職とおぼしき格好をしたブロンドの外国人。 対獣リボルバーを腰に下げた剽軽な男は首領の命令をなあなあと引き受けると、そのまま化け物の元へ歩み寄っていく。 何時襲われてもおかしくないような殺意の塊に対し、少しの恐れも抱かず終始目を瞑ったまま軽やかに。



 そうして男は気取った調子で一礼して見せると、閉じっぱなしだった目を大きく見開きながら高らかに宣言した。 瞼の奥に隠されていた黄金の瞳を浮かべた黒眼の中に、雪兎の姿をしっかりと捉えながら。



「対獣生体兵器統合思念掌握体ダンタリオンの名において命ずる。


 直ちに全ての行動を放棄し、その場にて虚脱せよ」


「ッ!?」



 放たれた言葉の意味が分からず、無意識のうちに瞬きをして戸惑った様子を見せる雪兎。 しかしどういう訳か、その身体に漲っていた力は男の命じるがままに失せ、やがて雪兎は深く俯いたままそのまま動けなくなった。鮮血の色に染まった瞳からは意志の光が消え、僅かに開いた口からは小さく言葉にならない声が洩れるばかり。



「へっ、相変わらず強引な野郎だねぇお前は。もう少し弱い暗示で紳士的に無力化出来ないのかい」


「何馬鹿なことを抜かしてんだ、この位徹底してやらないと逆に首を刎ねられちまう。こいつのバカげた力に難無く対応出来るお前の方が異常なんだと、いい加減分かってくれないか」



 マネキンのように動かなくなった雪兎の頭をわしわしと撫でてやりながら首領が苦言を呈すると、対する男は正直ギリギリだったと言わんばかりにワザとらしく身震いし、服に付いた埃を余裕しゃくしゃくに払って見せながら舌を出した。



 そこに悪びれた様子は欠片も見受けられない。



「まっ、少なくとこれで危機は脱しただろう。プラマイゼロって事で」


「別にアタシはどうだって良いんだがね。少なくとも彼処の情けない男は納得しちゃいないようだよ」


「えぇ……、マジで言ってるのかよそれは……」



 首領からの指摘を受け、男はげんなりとため息を吐きながら向き直ると、すかさずホールドアップの姿勢を取って軽口を叩く。



「おいおい、そんな危ないモンを安易に人に向けんなよ」


「黙れ、おふざけもいい加減にしておけよアルフレド。


 貴様一体何のつもりだ。 こんなバカげたことは予定に無かったはずだ。


 まさか、あれだけ苦労して仕込んだ計画を今更になって白紙にするつもりか?


 これでコイツが再起不能になったらどう責任を取るつもりだ!?」


「おいおい落ち着けよ、ちょいと歪みが出てたから修正しに来ただけだ。


 それに壊れたのが心だけなら俺の力でいつでも治してやれる。


 だからよぉ、大の大人がそこまで神経質になるなっての。


 年甲斐も無くみっともねーぜ、爺様よ」



 憎悪を顔に漲らせ、見ている側が心配になるほどに声を荒げながら拳銃型対獣兵器を突き付ける鰐淵翁を、名を呼ばれた神父は嫌な笑みを浮かべながら適当に宥める。そしてアルフレドは雪兎の身体を軽々と肩に担ぐと、雪兎が貫通させた屋根の穴から軽々と身を躍らせ、そうそうに逃げの手を打った。



「待たんか!話はまだ終わってはおらんぞ!!」


「待てと言われて実際に待った奴なんざいねぇよ老い耄れ。


 それにな、延々と食っちゃ寝し続けてようやく出番が来たんだ。


 悪いがカーテンコールが来るまでは俺の好き勝手にやらせて貰うぜ。


 適度な刺激がないと、偉大なるオーディエンスの面々もいい加減飽き飽きだろうからな」



 烈火の如く怒り狂う鰐淵翁を放置し、何気なく夜空を見上げるアルフレド。


 彼は何を思ったのか、突然誰もいない筈の方へ視線を向けると、悪辣な笑みを浮かべながら塞がっていない方の手で指を鳴らす。


 すると、それを契機として彼の背中が派手に破れ、人間には本来存在しないはずの要素が形成される。



 雪兎に授けられた鋼の牙や爪とはまた違う、柔らかくしなやかな黒翼。


 方向性こそ異なるが、その人在らざる姿は彼が雪兎と同様の存在であることを如実に示していた。



「さて坊主、残念だが何も考えず惰眠をむさぼれるのは今日までだ。


 最後の憩いの一時を、せいぜい噛み締めて過ごすんだな」



 仰々しく翼を広げつつアルフレドは、先程の態度とは一転した様子で雪兎に言い聞かせると、羽根に染み込んでいた血液を景気良くまき散らしながら星空に身を躍らせる。


 宵闇色の美麗な翼を広げ、優雅に宙を舞う姿はまさに堕天使そのもの。


 しかしそうやって優雅に飛行するのも束の間、旧都の外での後始末をすませたらしき一対の巨影が縄張りに舞い戻ると、何故かアルフレドの頭上を忙しなく旋回し始めた。



「やれやれお節介な連中だぜ。まっ、気持ちは分からんでもないが。


 何せ、コイツに振りかかる災難はこれからが本番なんだからな」



 化け物が行った奇行の訳を知っているのか、アルフレドは苦笑すると、虚脱した雪兎の身体を改めて抱え直す。


 そうしてツガイの龍を引き離すように大きく身を翻すと、老いた摩天楼の影へ静かに消えていった。



 眼下に一人、首領からも距離を取られ、呆然と立ち尽くす鰐淵翁を残して。

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