第11話 先触



 勝敗は決した。 ドラグリヲの喉奥深くから放たれた滅びの閃光。


“ブレス”と名づけられた大量破壊兵器により、標的の雀蜂型害獣とそれに率いられていた軍勢は跡形残らず完全に消滅した。 犠牲になった者は多少なりとも出たとはいえ、付近に点在していた潜在的な脅威ごと強大な勢力を処理出来たと考えれば戦略にも影響を及ぼす程の大きな勝利。



 しかし、今の雪兎に勝利の余韻に浸る余裕など無かった。


“ブレス”をぶっ放した衝撃で不覚にも気を失い漸く立ち直ったかと思いきや、起き抜けに雪兎を出迎えたのは動力が停止し、単なる鉄屑と化したドラグリヲの冷たいコックピット。 反射的に声を張り上げてカルマへ呼び掛けるも返答は無く、無機質な残響が返るのみ。



「埒が明かねぇなこりゃ」



 このまま座っていても時間を浪費するばかりだと雪兎はシートから乱暴に身を起こすと、コックピット内に備え付けられた対獣突撃銃を右手で握り、もう片方の手を正面装甲へ向かって全力で突き入れる。



「さて、頼むから誰も居るんじゃねぇぞ?」



 万が一のことを考えて雪兎は僅かに顔を強張らせながら呟く。 そして意を決してコックピットを覆う装甲を内側から引き剥がすと、姿勢を低くしながら素早く表へと身を乗り出した。 甲高い金属音が響くと共に安全装置が解除され、ダットサイトに赤い点が灯ると共に雪兎の闘志にも火が灯る。


 だが銃を構えて顔を上げた瞬間、雪兎は肩透かしを喰らったかの様に間抜け面を晒し、思わずトリガーから指を下ろした。



「そんな馬鹿な……」



 視界に広がっていた非現実的な光景に雪兎は思わず口走る。


 懸念していた事態は幸いにも回避されていた。 虫型害獣が発する特有の羽音は欠片も感じず、雪兎を苦しめていた臓腑を抉るような殺気も今は消失している。


 では何が問題であったか、それは本来あるべきだった物まで何もかもが存在していなかった事である。 砂埃を絶えず巻き上げる紅い荒野も、極光を湛えた蒼穹も存在せず、あったものは無限に広がる白亜の空間のみ。



「ここは、ここは一体何処なんだ!?」



 だらしなく座り込んだドラグリヲの胸部から跳躍し、無機質な白い床の上に音も無く降り立つと、雪兎はそう口走りながら周囲を見渡した。 無限に続く白が雪兎の遠近感を軽く狂わせ、明るすぎると思える程の光量が容赦無く目に突き刺さる。



「誰も居ないのか?」



 広大な空間の中にたった一人放逐され、雪兎は途方に暮れる。


 そして自分の姿さえも窺えない暗黒空間に放り込まれた時の事を思い出し、思わず表情を歪ませた。 もうあんな思いは二度と経験したくないと強く願っていたにも関わらず、再び身を襲った孤独。 五感に訴える何かがあるだけマシの様に思えるが、それでも心身ともに疲れ切っていた雪兎の心を苛むのには十分だった。


 堪らず声を張り上げるが当然返事は無く、カルマが確実に理解出来る手段で連絡を寄越そうとナノマシンにアクセスするが、相変わらずエラーが返るばかりで埒が明かない。



「はっ、ついに化け物に頭まで乗っ取られ始めたのか? こいつはもうちょっと早めに介錯を願っとくべきだったぜ」



 内心大きな不安を抱きながらも、自分に言い聞かせるように虚勢を張る雪兎。


 だがそんな折、全くやる気が感じられないゆっくりとした拍手が一定のリズムを守りながら彼方より響き始め、それと同時に名も知らぬ誰かの人生の記録が、雪兎の深層心理の奥深くへと強制的に刷り込まれ始めた。 知らない筈の人の顔、既に滅びた筈の場所、そして一際強烈な絶望の記憶が雪兎の視界と思考を掻き回す。



「くぅ……何なんだよこれ……」



 一方的に精神を陵辱される不快な感覚に、雪兎は堪らず牙を噛み締めると頭を抱えながら苦々しく零した。


 砕け散った国会議事堂、へし折られた東京タワー、武器を取って迫り来る大量の棄民達。 そして暴徒に踏み躙られた挙句、首を刎ねられる母子。 目を覆いたくなるような数々の人間の醜態とグロテスクな光景が、雪兎の思考を徹底的に抉る。


 そして最後に真っ赤な雨が視界を塗り潰したと知覚した瞬間、混濁していた意識が一気に晴れ、今まで認識出来なかった存在が目の前に居たことに気が付いた。



 胸に古い議員バッチを付け、その身分には似合わない安物の紙巻タバコを銜え、上等なスーツを身に纏った一人の壮年。 彼は雪兎が己の存在に気が付いたことを察すると鳴らしていた手を止め、静かに顔を上げる。



「どなたです?貴方は一体……」



 自らと同じく謎の空間に囚われていた見ず知らずの男。 一体誰なのかは知る由も無いが、先客ならば何か知っているかも知れないと淡い期待を抱きながら雪兎は歩み寄ろうとする。 だが一歩踏み出したその瞬間、雪兎は血相を変えて飛び退き黙ってトリガーに指を添えた。 雪兎の身体の中に存在する異形の血肉が、敵がすぐ傍に存在することを警告するかの如く大量の興奮物質を分泌し、一時は静まっていた雪兎のボルテージを再び高潮させる。



「随分と手の込んだことをやってくれたなぁ大将」



 圧倒的な暴力衝動を何とか制御しつつも、指一歩でも動かせば即抹殺せんと雪兎は再び突撃銃を構える。


 するとその瞬間、雪兎が引き金を引くよりも先に男の身体が文字通り弾け飛んだ。


 爆ぜた臓物から溢れ出る鮮血が白い地面を艶やかに濡らし、無限に広がる白い地平に一抹の彩を添える。 そして、男の死体の中で唯一無傷で遺されていたグロテスクな肉塊が、消し飛んだ人の塵芥をかき集め、肉体の再生を開始した。


 粉々になった骨は堅牢な甲殻に、破れた皮膚は半透明な翅に、真っ二つに割れた頭蓋は蜂の頭へとそれぞれ変態を遂げ、零れ落ちた血潮によって全ての部位が接合されると、幾億をも超える軍勢を司る偉大な王が雪兎の眼前に蘇る。



「なるほど、さしずめ僕と同じ境遇の人間の成れの果てだったってわけか」



 ご自慢の兵隊一つ付けずノコノコ現れた化け物に対し、雪兎はゆっくりと銃口を向ける。



「後腐れ無く今ここで始末してやる。 覚悟しろ」



 いつもの調子で銃を構え、サイト内に標的を収め、深く息を吐き、引き金を引き絞ろうとする。


 だが雪兎は口にした言葉通りに引き金を引くことが出来なかった。



 雪兎の決意を揺らがせたのは迷い。


 もし先ほど見せられた幻影が、男が経験した悲劇だとしたら。


 もし自分が同じ目に遭わされたら、同じ選択をしないと言い切れるのか。


 様々な思いが胸中を駆け抜け、雪兎はトリガーにかけられた指を動かすことが出来なった。



「……馬鹿め」



 その情けない様を見て呆れたのか、蜂の化け物は嘲笑うかのように呟くと、己の姿を微細な虫の群れへと変えて雪兎の懐に殺到した。



「なっ!?」



 突然の奇襲に対応出来ず、雪兎は思わず顔を伏せて目を瞑る。 しかし、身体中に纏わり付いてきたはずの虫達は雪兎の身体を食い尽くす事無く、そのまま肌の中へと浸透して消えていった。 その瞬間、雪兎の肉体に寄生した化け物の血肉が、雪兎の身体にさらなる進化を促す。



「うぅ……!?」



 臓器、筋肉、神経、そして末端の細胞に至るまで感覚が変化したのを理解する間も無く、雪兎は貧血を起こしたようにふらふらと膝をつき、目を瞑る。 すると雪兎の意識に直接突き刺さる様に、今まで黙っていた男のものと思われる声が響いた。



「青いな坊主、そんな甘い考え方では長く持たんだろうよ」



 厳しくもどこか穏やかな語調で、男は終始静かに語り続ける。



「誰かのために何て甘っちょろい理由で戦うな、自分のためだけに戦え。


 さもなくばお前さんは、俺の二の舞を無様に演ずる事になる」


「違う!そんな事は……」



 男が歩んだ人生の果てに行き着いた結論であろう冷酷な言葉。それに反論しようと雪兎は必死に口を開こうとするも、身体中に満ちた熱が絞り出そうとする言葉を容赦無く飲み込ませる。 だがそれでも何かを伝えようと、雪兎は言葉にならない呻きを洩らしながら無意識の内に左腕を伸ばしていた。



 煙草の煙の残滓だけを遺し、虚空へと消えていった男の影へ向かって。



 ――その瞬間、雪兎は引き戻された。



 錆びた荒野が広がり、汚染された大気が満ち、そして魑魅魍魎が蠢く地獄の底へと。



「……!」



 何時の間にか横たえていた身体を震わせ、雪兎は急いで周囲に視線を走らせた。


 ゴテゴテとした機材が周囲を包み、全てのモニターに映された雪兎自身のバイタルデータが忙しなく飛び交っている。 機械が演算を続ける音、身体に繋がれたコードから何かを注がれる痛み、そして膝の上に感じる重さが現実に帰還した雪兎を出迎える。 そう、気が付くと雪兎は正常に機能しているドラグリヲの狭苦しいコックピットの内部に居た。



『おはよう御座いますユーザー、気分はいかがですか?』



 雪兎が目を覚ました事にホッとしたのか、カルマは胸に溜まった息をそっと吐いて微笑むと、雪兎が流した汗を甲斐甲斐しく拭う。



「あぁ……、別段に悪くは無い」



 先程の光景が夢であったことに一拍おいて把握すると、自らの顔を覗き込むカルマの頬を撫でながら、雪兎はゆっくりと上体を起こした。



『数時間前“社”から通信がありました。 首領が監視していた害獣の粉末の消滅を確認したそうです。 もう憂う事は何もありません、私達の完全な勝利です』



 状況を把握しようとコンソールに手を掛ける雪兎に、カルマは喜々として報告をする。 だが、やつれた様な顔して黙って頷き続ける雪兎を見ると、心配そうな表情を浮かべて尋ねた。



『ユーザー、何故悲しそうな顔をしているんです? 私達は勝ったんですよ?』



 思ったような反応を示さなかった雪兎を案じたのか、カルマは雪兎の腕をそっと抱く。 それに対し、雪兎はカルマの身体を抱き締める事で返すと、憂鬱気な口調のまま小さく呟いた。



「ごめん何でもない……何でもないんだ……」



 日は既に地平に沈み、宝石を砕いた様に瞬く満天の星空が、セーフモードで稼働を続けるドラグリヲのボディを彩る。 その時、ドラグリヲは自らの意志がある様にふと星空を見上げた。 赤く輝くアイカメラをまるで生き物の様に瞬かせ、果て無き虚空を黙って見つめ続ける。



 その目元を一筋の流れ星が零れ落ち、そして消えた。



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