第2話 誘い



 時は早朝、夜空を飾っていた月と星々の煌きが地平の向こうへと姿を晦ますと、それと入れ替わるように顔を出した太陽が地上を照らし、停滞していた全ての事象が動き始める。


 大地に突き刺さり朽ち果てた対空砲が朝露に帯びて雫を零し、腸を抉られた戦闘機の残骸から這い出した小さな鳥達が乾いた空を舞う。


 そして骸の遙か向こうに佇む錆びた要塞が曙光を浴びて赤く染まり、要塞の中から轟いた一発の空砲が人々の一日の始まりを告げた。



 慌ただしく要塞の周囲を駆け回っていた無人偵察車がねぐらへと帰り、入れ替わりに現れた無人多脚戦車の群れが突如地平に現れた影に向かって大急ぎで駆け寄っていく。


 紅い陽光を背に、躯をゆっくりと揺らして向かってくるのは銀色の装甲を眩く輝かせる人造の竜。


 それを砂塵と共に吹き抜けた一陣の風がヴェールのように覆い隠し、僅かな間を置いて晴れると、一つの人影が竜の代わりに姿を現した。



 眠りに就いたカルマを腕に抱きかかえ、歩き続ける雪兎。



 彼は鮮血の様に紅い瞳を細め、先程まで強張っていた表情を緩めると緑色の血痕がこびり付いたカルマの柔らかな頬を黙って拭う。


 そして徐に乾いた砂を軽く踏み込んで跳躍すると、向かって来ていた多脚戦車の砲塔の上に音も無く着地した。夜の冷気の余韻が残る砂色の装甲に手を当て、落ちない様にバランスを取りながら整備用ハッチの上にカルマの躯を静かに載せ、間断なく点滅を続けていた視覚センサーと目を合わせると、愛想良く会釈をしながら礼を言った。



「わざわざ迎えに来てくれるとは思わなかったよ、ありがとうな」



 害獣との戦闘で出来た凹凸を労わる様に撫でながら、砲身の付け根をマッサージする様に軽く叩いてやる。するとその多脚戦車はその場で機嫌良さそうにクルクルと旋回して喜びの感情を表現すると、そのまま要塞の中へと雪兎を引き入れていった。




“旧都”



 かつて東京と呼ばれ、この国の中枢を担っていた巨大要塞都市。


 しかし害獣の侵略と血迷った隣国の悪意ある誤射に幾度と無く晒され、首都機能の多くが地方へと離散した結果、国防軍が引き払った跡に集結してきたマフィア共に自治権を掌握され、公権力の手が一切及ばない巨大な暗黒街と化していた。




 雑多な市中を埋め尽くす喧騒の中に堂々と交じるヤク売買の掛け声と明らかに正気で無い娼婦達の誘う声。


 そして彼方此方の電柱に吊るされ、晒し者にされているマフィアやブン屋の惨殺死体がこの都市がマトモでないことを裏付ける。



「相ッ変わらずひでぇトコだなぁ……」



 戦車に揺られ、キャタピラがアスファルトを踏みしめる音を聞きながら雪兎は正直な感想を小さく呟く。


 野蛮としか形容出来ないような光景をなるだけ視界に収めない様に顔を伏せて目を瞑るが、腐った死体の放つ饐えた臭いが鼻を刺激するのにはどうしても耐え切れず、酸っぱい物が胸元から込み上げてくるのを直に感じた。



「朝飯前にこれって何の拷問だよ畜生……」



 顔面を蒼白にして冷汗を流し、機関砲にぐったりと身体を寄り掛からせて耐える雪兎。


 害獣の死臭なら十分嗅ぎ慣れているが、人の死体に関してはどうしても慣れる事は出来なかった。


 だがそれと共に、人の死体に対し嫌悪を抱ける事に少々の安堵感も感じていた。


 人の死に対し何も興味を抱かなくなる時、それが人間としての死であると在りし日の義父から強く教え込まれていた故である。



「うぐぐぐ……」



 絶えず頬を流れる冷や汗を拭ったり深呼吸したりと、何とかして吐きそうな気分を紛らわせる内に、本来ならとっくに辿り着いていたはずの目的地へようやく到着する。


 バラックや掘っ立て小屋が犇めく街並みの中、浮いた様に存在する純和風の店構えをした小さな問屋。


 その入口を飾る暖簾をよろめきながらくぐり、僅かにひんやりとした空気に包まれた店内に足を踏み入れると、雪兎は呼び鈴を忙しなく鳴らしつつ奥にいるはずの人物に向かって声をかけた。



「来たぜ爺様、ちょっと善意で近所の掃除をしてたら遅くなっちまったよ」



 腕に抱いていたカルマを応接用のボロいソファーに寝かせてやり、その隣で寄り添うように待つ。


 すると薄暗い店の奥より朗々とした老人の声が響き、程なく姿を現した。


 少々濁ってはいるが鷹の眼の様に鋭い眼差しを持った隻眼の老人。


 明らかに堅気の人間ではない雰囲気を醸し出すその老人は、雪兎の姿を視界に入れると表情を柔らかく変化させ、一切躊躇い無く毒を飛ばした。



「随分遅い到着だな坊主、連絡一つ寄越さんから奴等に喰われたかと思っていたぞ」


「冗談言っちゃいけませんよ、あんな雑魚如きに喰われてやる程僕は耄碌しちゃいない」



 笑えない老人の冗談に雪兎は苦々しく表情を歪ませながら言い返すと、ソファーの前に置かれていた水を呷り気分を落ち着かせながら苦情を零した。


 頬を伝って零れ落ちた汗が乾いたフローリングに落ち、忽ちのうちに飲み乾される。



「そんな事より爺さんよ、いい加減あれはやめてくれないかなぁ……。 前線に出ない馬鹿がいくら鬱陶しいからって、あれじゃ何時か必ず反感買うよ」


「ふん、儂も無闇に人を殺める様な指示は出したくは無いさ。


 しかしだ、もしも連中が社会不安を煽るだけ煽っておいて立場が危うくなった瞬間手のひら返してトンズラしようとする虫以下の屑野郎だったならばどうする?」


「そりゃあ、その場でお仕置きですよ」


「だろう? 全くただでさえ治安が不安定だというのに革命なんぞ煽りよって。


 偽りの夢や希望でアホを釣っても、必ず報いを受けるだけだというのにな」



 突然振られた話題に即答する雪兎に向かってうんうんと首を振ると、老人は白髪塗れの頭を掻きむしる。いい加減馬鹿ばかりで飽き飽きしてきた所だと愚痴を零しつつ、背後に控えていた無愛想なメイドが運んで来た弾薬箱から紙幣弾薬を毟り取ると、本題とばかりに表情を変えた。



「そんな事よりもだ、とっとと用件を済ませるぞ。 態々こんな下らん話をする為にお前を呼び付けたのでは無いのだからな」


「言われずとも分かってますって」




 催促する老人を宥めるように雪兎は苦笑いを浮かべると、カルマの髪の一本を軽く抜き取り、握り締める。 するとその髪の毛は瞬く間に一欠けの金属として形態を変化させ、雪兎の手の中へと収まった。


 まるで生きているかのように微かに動く金属のような何かを、雪兎は何の感慨も無く摘んで老人の手の中に放る。



「どうぞ、長らくご所望だったグロウチウム鋼です。 量は少ないですが解析用ならばこの程度で十分でしょう」


「うむご苦労、これであのギーク共を穀潰しという立場から解放してやれる」



 雪兎の手の中から直接渡された貴金属の輝きに老人は満足して大きく頷くと、ソファーに寝転がったまま動こうともしないカルマを一瞥し、挨拶もそこそこにそのまま店の奥へと引っ込もうとする。



「ちょ……ちょっと待った! まだ御代貰ってねぇって!」



 相手の思わぬ行動に雪兎は老人の背中へと慌てて追い縋った。


 個人的な取引なら兎も角、今回の取引は要塞都市間の条約に則った取引であり、貴重な資源をタダで譲渡した上に資金を回収できなかったと上司に知れれば、自分の首が物理的に飛んでしまうと瞬間的に危惧した故である。


 忙しなく床を叩き、ムキになって抗議を続ける雪兎。


 そんな餓鬼臭い行為にウンザリするように老人は渋々向き直り、意地悪く頬を吊り上げると低く不機嫌な口調で呟いた。



「おっと悪かったな、受け取れこの盆暗」


「ッ!?」



 刹那、老人の手元から放たれた3発の銃弾が、咄嗟に首を逸らした雪兎の耳たぶを掠めて背後の壁へと着弾し、煙を吹いた。


 ほんのちょっと切れた耳たぶから飛び散った血が、乾いた土間に赤い染みを滲ませる。



「ふっざけんなよ糞ジジィ、ボケたんならとっとと病棟に閉じ篭って二度と出てくんじゃねぇ!」



 自らの耳から血が滴るのには一切構わず雪兎は激昂し、銃口を老人の眉間へと突き付けて唸るように脅した。


 その瞬間、銃声を聞き付けて即座に目覚めたカルマがその姿を堅牢なパワードコートへと変貌させ、雪兎の細身の身体を抱くように深々と覆う。


 双方一歩でも動けば即座に銃撃戦に発展する様な重苦しい沈黙が場を支配する。


 だがそれは、突如闇を駆けた一筋の閃光により打ち破られた。



「目障り……」


「なん……へぇぶっ!?」



 ポツリと呟かれた文句に耳聡く反応し咄嗟に首を動かした瞬間、雪兎は老人の背後から飛来した超重量のトレーに顔面を凹まされ、放物線を描くように宙高く吹き飛ばされた。



「ブッ……何で防いでくれないんだよ……、何とかしてくれるかと思ってノーマークだったのに……」



 顔面から土間へと叩きつけられ、だくだくと溢れ出る鼻血を止めるべく鼻にハンカチを当てながら、雪兎は役割を放棄していたカルマにモゴモゴと文句を言う。


 すると彼女は申し訳なさげにしおらしく詫びを入れた。



『ごめんなさいユーザー、今回だけは貴方の命に従えません。 だって非があるのは間違い無く私たちですもの……』


「非だって?」



 思わず問い返す雪兎、だがカルマの返事よりも先にがなり立てられた老人の罵声によってその問いは嫌でも理解させられる事となった。



「自分の過失を認められるとは本当に良く出来た子じゃのう。 それに引き換えお前という盆暗は!」



 齢80を越えるとは思えない気迫と共に老人は控えていた台帳を大きく振りかぶり、雪兎の後頭部へと力の限り全力で叩きつけた。



「ンガァア!?」


「自業自得じゃこの戯けが、またも勝手に人の都市の備品を台無しにしよって。 今まで都市間の友好とお前の更生を願って黙認して来たがもう絶対許さんからな。 お前が今までぶっ壊してきた備品全部メモって首領に送りつけてやるから覚悟しておけ!」



 頭を抱えて土間を転げまわる雪兎の醜態を汚いものを見るような目で眺めながら、老人は一枚の紙切れを丸めて放る。



「あぁ? 何だこれ……」



 ゴミをぶつけられたと思い怪訝な顔をするも、読んでみろと促され渋々くしゃくしゃになった紙を広げる雪兎。 だがその瞬間、雪兎は自らの頬を全力で捻り上げながら瞠目し絶句した。



「ちょっと待て……、言いたい事は分かるけどこの損失は仕方無いでしょう!?


 そうでもしてなきゃ積荷や人員どころか僕達だって危なかったんですから!保険屋だってこれだったら納得尽くで金払ってくれますって!」



 理不尽にも大量の0が付けられた請求書の紙切れを思わず握り締めながら雪兎は老人へと食って掛かる。


 しかし老人は言葉の代わりに全力の股間蹴りで応えた。



「ングッ!?」


「もうとっくの昔に断られたわ阿呆が!」



 中腰になり呻き声を上げながらのろのろと蹲る馬鹿に言い捨てながら、老人は徐に懐から取り出した葉巻をライターの火に翳しバニラの香りがする紫煙を燻らせる。立ち昇った甘く芳しい煙が天井を這い回り、付近の換気口から表へと滑る様に流れ出ていく。


 その様をじっと眺めつつ老人は紫煙を胸一杯まで吸い込むと、控えていたメイドが静々と運んで来たメモリースティックを投げ寄越しながら言った。



「残念だが儂はビジネスと私情を混合してやる程老い耄れてはおらんのでな。


 金が欲しいのならば損失分きっちり働いてもらうぞ」


『……!』



 緩やかな放物線を描いて宙を舞った電子媒体はコートと化したカルマの躯へ触れると瞬く間に溶解を開始し、ガーゼに染み入る水の様に跡も残さず飲み込まれていく。


 やがて読み込みが完了すると、直に神経接続されている雪兎の脳内へ内蔵されていたデータ一式がフィードバックされた。



「地下未踏破地区の調査及びサルベージねぇ……いいさやってやるよ。男娼館に放り込まれてヨガるよりかはずっとマシだ」



 頭の中に直に情報を流し込まれる感覚に慣れないのか雪兎は眩暈を起こしたかのようにふらふらと千鳥足しながら、カウンターの上の籠の中に山積みにされたクッキー状のレーションを朝食代わりに口に放り込み、水で無理やり流し込む。


 そしてメイドから手渡された対獣ライフルをカルマに吸収/学習/生成させ、コートの内側に備えられたガンベルトへ吊るすと、仏頂面で老人の顔を睨み不機嫌な口調で言い捨てた。



「まぁ精々期待しない事だね、第一こんな近郊の遺跡に大層な物資なんて残ってる訳無いしな」



 崩壊から数十年経ている現在、旧都付近の遺跡は粗方探索が完了しており、仮に今回の探索先が当たりだったとしても既に遺跡荒らし共に掻っ攫われた後だろうと考えていた故である。


 だが老人はそれには一切応えず、矢鱈気味の悪い笑みを浮かべながら乗り気でないその背中を押した。



「なら良いじゃないか、余計な手間を掛ける事無くそれなりの報酬が手に入るのだぞ?」


「それなり?」


「おうよ、腹は満たせんがお前さんが今何としてでも欲しい物の筈だ」



 そう言うと老人はポケットから取り出した煌びやかな光を纏ったジュエリーを見せびらかす。


 世界崩壊以前よりもさらに価値が高騰した結果、たった一つ売り捌くだけで一生遊んで暮らせるだけの富を齎す存在となった宝石付きのくすんだ指輪。


 それは、雪兎のうんざりとしていた表情を一瞬でにこやかなものへと変化させた。



「どうじゃ良い仕事じゃろう? こんな軽いドブ攫いでこれほどの物が手に入るのだ。 当然やるよな? 断るなんてアホな事はしないよな?」


「任せろ! 行ってくる!!」



 そう言い切るが早いが雪兎は上機嫌に壁を蹴り抜いて表へと飛び出すと、侘びの一つ入れる事無く目的地の方角へと一目散に駆け抜けていった。



「あんの大馬鹿が……」



 何とか言い包める事に成功したものの新たな被害を出して行った馬鹿の置き土産を憎憎しげに睨みながら、老人は業者に連絡を取るべく古びた黒電話の受話器を取る。


 しかしちょうど入れ替わりに来店した人物の顔を見るとその手を止め思わず頬を吊り上げた。



「ほう珍しいな、カルト教団の主がお供も連れずにワザワザ徒歩でご来店になるとは」


「大した用は無いさ、そんなに行数を取らないうちに必ず出て行くから安心しろよジーサン」


「ふん、相変わらず意味の分からないことを抜かす奴よな」



 そう言いつつ肩を竦めた老人の視線の先に居たのは、漆黒の修道服を纏った外国人の青年。


 終始固く瞼を瞑ったままでいるその青年は、不思議にも周囲の障害物にぶつかることなくソファーの元まで辿り着くと、勢い良く腰を下ろして老人の方へと向いた。



「たった今とても懐かしい気配を感じた。 あの坊やがそうなのかい?」


「そうだ、ようやくこの日が来たのだ。 実に長かったよ。


 奴等の跳梁を見てみぬフリをし、無様に逃げ続けた生活は実に長かった」



 葉巻の先に仄暗く輝く火を灰皿に押し付けて消しつつ、老人は意味深げに笑うと、口端からだらしなく煙を洩らして見せる。


 そんな老人の上機嫌な態度とは裏腹に、青年の口調はとても厳しいものだった。



「随分と嬉しそうだな、これからあの坊やがどのような目に遭わされるのか分からんでもないだろうによ」



 何か思う節でもあるのか、爽やかな顔つきには似つかわしくない禍々しい負の感情が青年の背後から立ち昇る。 その気配を感じたのか、今まで上機嫌だった老人はにこやかだった表情を僅かに曇らせると、天を仰ぎつつ言った。



「仕方ないさ、それがあの坊やに課せられた役割だ。 今さらワシらがどうこう出来る問題ではない。 とうの昔に賽は投げられているのだ、諦めろ」


「……冷たい奴だよ、テメェは」



 神父の非難するような呟きが薄暗い店内の闇に飲まれるのを最後に、店内は耳鳴りがする様な重苦しい静寂に再び包まれる。



 その中で、僅かに日の射す窓辺の花瓶に生けられたムスカリの花だけが一際輝いて見えた

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