鋼殻牙龍ドラグリヲ

南蛮蜥蜴

第1話 目覚め

 雪兎は夢を見ていた。


 幸せだった幼年期が終わり、全てを奪われた絶望の日の事を。


 感覚がはっきりとしない微睡みの中、爆ぜる焔の光の下で血飛沫よりも赤い火の粉を浴びながら一人立ち尽くし、半壊したマンションがゆっくりと崩れ逝く様を呆然と見つめている。



 その上空には、綺羅びやかな盾と矛を携えた人外の者が居た。


 白色の翼と陽光の如く眩き光を背負い、端麗な顔付きをした、人々が神話に伝える天使の様な姿をした化け物。


 美麗な外観とは裏腹に吐き気を催すような殺気を常に醸し出すそれは、マンションの中から無理やり掴み出した人々を口の中へと放り込むと、雪兎へと見せ付けるように汚らしく噛み締めてみせた。



 痩けた頬の形状が変わる都度に口の端から赤い液体が地上へと降り注ぎ、頭蓋の半分が喰い千切られ、脳味噌が飛び出した首が雪兎の目の前に落ちてくる。


 その転げ落ちてきた首は未だに生きている者が居る事を恨めしく見るかのように、光無き眼球の視線を雪兎の顔に向けた。



「う……うげろぉおおお……!」



 余りの凄惨な光景に悲鳴よりも先に胸の奥から不快感と共に胃液が食道を逆流し、血肉に塗れひび割れたアスファルトを汚す。


 その様を天使は気味の悪い笑い声を発しながら意地悪く眺めていた。


 まるで力無き愛玩動物を思うがままに踏み躙り悦に浸る狂人の様に。


 しかし次第に雪兎の反応を見て遊ぶのにも飽きたのか、肩口に乗せていた矛の切先を雪兎へと向けると、人間では到底視認出来ない速度で降下を開始する。


 人類の産み出した兵器を幾ら斬り捨てても刃毀れ一つ無い大質量の塊が、涙で揺れる雪兎の視界をコマ送りで埋めた。



「ウゥ……!?」



 ――刹那、夢は途中でぶつ切りにされ、雪兎の意識は現実へと引き戻された。


 恐怖に囚われ浅い呼吸を何度も繰り返し、咄嗟に防弾コート内に忍ばせた対獣カービンへ手を伸ばそうとするが、先ほど迄の光景が夢であった事を悟ると深くため息を付きながら座席へ身体を委ねる。



「情けないな……畜生……」



 いい歳して悪夢に怯える自らの情けなさに内心苦笑しながら、懐からくすんだ色のボトルを取り出すと、中を満たしていた生ぬるい水を口に含みゆっくりと飲み干していく。


 体内に注がれる水分が興奮して上がった体温を下げ、周期的に車内を揺らす振動と仄暗い暖色系の光を放つLEDが、悪夢の余韻に苛む心身を徐々に平常へと誘い雪兎の意識を再び眠りへと誘う。


 しかし耳鳴りがする程静かだった車内に小さな声が響いた瞬間、その眠気は僅かに和らぎ、応答出来る程度の余裕を雪兎に与えた。



『大丈夫ですかユーザー、顔色が悪いですよ? こんなに汗までかいて……』



 鼓膜を叩く幼い声に応える様に雪兎が視線を下げると、そこには金色のツインテールを揺らしながら心配そうに雪兎を見つめる少女の姿があった。


 全身をゴシックロリータ調の服に身を包み、頭には複雑な数式が縫い込まれたカチューシャを付け、蒼く大きな瞳を持った愛らしい少女。


 彼女は雪兎の頬を伝う汗を持っていたハンカチで甲斐甲斐しく拭うと、恐怖の余韻で僅かに震える雪兎の腕を抱き、そっと胸の中へと寄り掛かった。



『昂ぶって眠れないのであれば鎮静剤を投与しますが……』


「そんな事しなくても大丈夫だよカルマ、ちょっと変な夢を見ていただけだから」



 上目遣いでじっと顔を見つめながら問い続ける少女に対し、雪兎は軽く笑みを見せながら名を呼んで応えると、その小さな躯を膝に乗せ頭を撫でてやりながら語る。



「今まで何度も酷い目に遭って来たんだ、この程度で参る程僕は繊細じゃない」


『でも……』




 不服そうに表情を曇らせる“業”の意を持つ名を冠する少女。


 そんな彼女の躯の前に手を回し、軽く抱き締めてやりながら雪兎は再び瞳を閉じる。


 抱きまくらにでも抱きつくかのように幼女に腕を回す姿は傍から見ればロリコンの変態にしか見えないが、彼女が何者であるかを知っている雪兎にとってはこれが最も安らかに眠りに付ける方法だった。



「話なら旧都に着いた時いくらでも聞いてやるから今は黙っててくれよ。


 お前と違って、僕には睡眠が必要なんだから……」


『む~~』



 頬を膨らませ、ムスッとした顔で雪兎を睨むカルマ。


 そんな刺々しい視線を向けられているとも知らず、雪兎は少女の躯の温もりとほんのりと漂う乳臭い香りに心癒されながら今度こそ安眠へと導かれていく。



 ――筈だった。



 今まで風を切る音以外に何も聞こえていなかった車内に突如小さな雑音が響き始め、僅かずつだがその音量は確実に大きくなっていく。



「……?」



 異変に気付き、意識が完全に醒めた雪兎は咄嗟に窓の方へ視線を巡らせ近辺に敵が居ないかを確認するが、その視界には錆び付いた荒野が無限に広がっているばかりで何も窺い知る事は出来ない。


 だが雪兎が腕に抱いたカルマが小さく怯えたように呟いた瞬間、その疑念は確信へと変わった。



『来る、奴等が来る! もうすぐ此処へ!』



 蒼く大きな瞳の中を激しく走査線が走り始め、カルマの体表を銀色の液体金属が瞬く間に覆い、硬質化を開始する。


 明らかに常人では成し得ない現象であるが、それに雪兎は一切動じることは無かった。



「こんな所までよくもノコノコと……、畜生の分際でふざけやがって!!」



 今まで虫一匹殺した事のないように穏やかだった顔付きを悪鬼羅刹の如く凄まじい面構えへと変貌させ、自身に接種された身体強化ナノマシンを起動し迫り来る敵への怨念を滅茶苦茶にぶち撒ける。


 そんな雪兎を宥める様にカルマは優しい口調で指示を仰ぐ。



『どうしますユーザー、車掌にこの事実を伝えて一気に離脱しますか? それとも……』


「そうだ、今ここで迎え撃つ!!」



 即答し、雪兎はカルマの頭を飾っていたカチューシャを取り上げ、ポケットの中にねじ込んだ。


 すると、カルマの躯に更なる変化が生じる。


 銀色の皮膚に包まれていた少女の躯がまるで氷の様に蕩け、車両の床の中へと瞬く間に飲み込まれる。


 


 それと同時に、車両全体の壁面からカルマの声が響き渡った。



『了解しました……機体生成リミッター解除確認。


 構成物質強制徴用開始、防護障壁展開します』



 先ほどまで雪兎に甘えていた少女のものとは思えない冷え切った言葉が紡がれた瞬間、木目調の塗装を施されていた車内の壁が銀色の何かに侵蝕され、雪兎の立っている場所を中心に天井が、床が、内装品が大量のモニターに囲まれた狭い空間を構成する物質へと変貌する。


 更にその変化は、車両の内部だけに留まらず外観にも影響を及ぼしていた。


 雪兎が乗り込んでいた装甲列車の最後部が銀色の殻に包まれると共に強制的に連結を解除され、やがて停止する。


 風を切る音が止み静寂に包まれる荒野。 しかし直ぐ様別の何かの雑音が空の果てから響いて来た。



 それは人を殺し、千切り、喰らい尽くす異形の化け物“害獣”の到来を告げる羽音だった。


 夜空に冷たく輝く月を背に、蜂を巨大化させた上に肥大化させた様な外見をしたグロテスクな化け物共が徒党を組んで迫る。


 それらは荒野に一つ放置された銀色の卵を視界に入れると、喜びの奇声を上げつつそれに向かって一斉に襲い掛かった。


 過去に人類が産み出せた酸以上の溶解力を持つ液体を撒き散らしつつ、殻の表面に太く大きな針を撃ち込んでヒビを入れると、卵の表面を流れていた溶解液がその中へと染み込んでいく。



 幾ら硬度がある物質であろうと彼等に取って大した障害には成り得ず、銀の繭は瞬く間に破壊寸前にまで追い込まれ、最も巨大な身体を持った個体がトドメとばかりにその上に飛び乗り、顎を突き立てようと大きく身体を仰け反らせた。



「死ねよ虫けらあああ!!!」



 刹那、突然卵の中から突き出された盾の様に分厚く頑強な腕が、顎を突き立てようとしていた害獣の頭蓋を掴み、圧壊した。


 太く強靭な鋼色の爪の合間から脳漿と潰れた頭の破片が粘質の気味悪い音を立てながら地面に落ち、哀れにも標的になった化け物の胴体はゴポゴポと呻きを漏らしながら緑色の血潮を派手に吹き上げ、動かなくなる。



 同胞の唐突な死に浮き足立った害獣共は直ぐ様宙へと舞い上がり、牙を激しくカチ鳴らして威嚇行動を開始した。


 腕だけが突き出た繭を中心に円を描くように陣形を組み、援軍を要請するフェロモンを散布しながら周囲を忙しなく飛び回る。


 しかしそれは害獣共にとって大きなミステイクであった。


 繭の中で中途半端に育っていた物はその隙にボディの生成を完了し、今まさに目覚めを迎えようとしていた故である。



「わざわざ待ってくれるなんて優しいじゃないか。 だったら素直に甘えてやるよ!」



 畜生共の間抜けっぷりに内心感謝しながら雪兎は眼前で淡く光るメインモニターに視線を向け、精神を集中して神経を機体と同調させると、ありったけの怒りと憎悪と殺意を込めて最終起動確認コードでもある愛機の名を叫んだ。



 醜き異形の獣を屠る、白き異形の鋼の名を。



「オオオオ! ドラグリヲォオオオオオ!!!」



 天高く轟き、地を揺るがす咆哮に気圧され宙を舞う害獣共が思わず動きを止める。


 瞬間、繭の中から放たれた二発の砲弾が一匹の害獣の身体を粉微塵にして吹き飛ばし、砲弾内から溢れ出た爆炎が傍を飛んでいたもう一匹の害獣を飲み込み一欠片残さず焼き尽くした。



 爆発の衝撃に煽られて生き残りの化け物共が堪らず地面へと落ち、甲殻の表面を軽く焦がすが、害獣共がその熱さに悲鳴を上げる暇など無かった。



 燃え広がった爆炎の輝きを受けて鈍く光る複眼の底に、圧倒的な力を有した白銀の影が揺らめく。


 背には翼とはとても形容し難い奇妙な形状のブースターが生え


 長く靭やかな尾の先端には巨大なブレード付きのアンカーが輝き


 銀色の装甲の表面を紅い隈取りの様な紋様が浮かび上がっては消え


 竜の頭部を模したヘッドパーツには紅く輝く三つ目を戴き


 強靭な牙が生え揃う顎門の奥底には大口径の砲口の影が見え隠れする


 全身凶器という言葉をまさに体現した異形。



“ドラグリヲ”



 そう呼ばれた機械竜は逆関節の脚部で地を抉り、天高く跳ね上がると地に這い蹲る害獣共に向かって、咆哮と共に躍りかかった。




 振り翳した鉤爪に月光を、興奮で引き絞られた瞳に純然たる狂気を宿して。

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