第18話 火付け盗賊

○同日 夕刻 江戸の町 路地


  火事の方角が江戸の町の西の端と東の端。双方から逃げ惑う人々が一気に日本橋の中心に集まり、身動きが取れなくなる龍之介。


○同日 同刻 大黒屋 裏口


  逃げ惑いながら親を見失った子ども達を、大黒屋の中に引き入れるりさと華。

  華が、大きく咳き込み始める。


りさ「お華ちゃん、家に入ろう」


  華を家に入れるりさ。炎の上がる西の空を見上げる。

  炎を見上げ、佇んでいる美しい女性と、目が合う。


りさ「あなたも、はやく逃げた方が良いですよ」


  振り返る女性。


女性「(りさを指さし)あ。般若」

りさ「え?」

女性「(りさの頬や顎を撫でる)みぃつけた。あたしの、般若のおひいさん。あたしと一緒においでぇよ」


  女性の言葉で、十人ほどの男の子達がりさと華を取り囲む。

  後ずさるりさと華。


○同日 深夜 御堂 薄暗い御堂の中。


  丁半博打、花札に興じる少年達の声で、りさは目を覚ます。りさと華が後ろ手に縛られ、背中合わせに座らされている。


龍之介「りさ。おりさ」

  

  顔を腫らせた龍之介が、御堂の床に横たわっている。

  遠くには、横向きに横たわる竜胆の背中も見える。


りさ「なんであんたがいるのよ」

龍之介「俺らもとっ捕まった……」

  

  りさが辺りを見回す。


りさ「ここ、どこ?」

龍之介「のねぐらや。一年ぶりかな」

りさ「……臭い」


  埃と生ゴミ、少年達の垢の匂いに、りさが顔をしかめる。


龍之介「我慢せえや、それくらい」

りさ「妊婦は匂いに敏感なんだよ。やだもう、臭い、キモチワルイ、吐きそう」


  龍之介の背中に、顔を埋めるりさ。小刻みに震えている。


龍之介「お姉ちゃん、相変わらずわがままやなあ」


  龍之介は縛り付けられた手で、りさの手を握りしめる。


龍之介「いつもみたいに、もっとギャーギャー言うてもええよ」

りさ「あたしが騒いで、お華ちゃんや竜胆になんかあったらどうすんのさ」


  気絶したままのお華を見つめる龍之介。


りさ「あんた一人なら余裕で逃げられるんでしょ? テツジさん呼んできてよ」

龍之介「その間に、お前らに何かあったらどうすんねん。(視線で出口を確認して)逃げるんやったら、お前を逃がす。お前が奉行所に行ってるあいだに、俺がお華と竜胆を守ってやれるからな」

りさ「これでどうしろっていうのよ」


  固く縛られた縄を軽く振って、りさが龍之介を睨む。


龍之介「さて。どうしましょうねえ(息を吸い込む)きゃー!! たすけてぇ!!」

少年D「おい、うるさいぞ!!」


  身体の大きな少年が、龍之介にむかって角材を振り上げる。


龍之介「わ、わ、まって、待って!! それはあかんて! 女の子に傷がいく!」


  龍之介、りさやお華に近づけないよう少年の角材から逃げ惑う。


龍之介「お前、俺の顔知らんのか。元のお頭様やぞ。丁寧に扱わんかい」

少年D「何がお頭だ、俺らのこと捨てたくせに」


  少年の言葉に、龍之介が動きを止める。少年が振り下ろした角材が龍之介の肩に当たる。龍之介の身体が御堂の隅まで大きく跳ね飛ぶ。


少年D「龍さんがいなくなってからは、めちゃめちゃじゃねえか! あんなクソ親父、残していくんじゃねえよ!」

龍之介「……ごめん」


  御堂に現れた末吉が、角材を持った少年の腕を後ろに大きくひねり上げる。


独楽乃助「騒がしいねえ。龍之介」


  着流し姿の独楽乃助が、床に寝そべったままの龍之介の顎をつまむ。


りさ「……火事場の……お姉さん?」


  独楽乃助が、りさに顔を近づけて微笑む。


龍之介「ちゃうねん、お姉ちゃん。この人が俺のおとんやねん……綺麗やろう?」


  驚いて、独楽乃助を見上げるりさ。


りさ「……ほんっと……若くて綺麗なおとっちゃんだこと」

独楽乃助「褒めてくれるの? ありがとう」

りさ「あなた、どっかで見たことあると思ったら……路傍文楽の独楽乃助よね」

独楽乃助「あら、おひいさん、あたしのこと思い出してくれはったん? うれしいわあ。おひいさんと……もう一人の別嬪さんに、はよう囲まれてみたいわあ。なあ、龍ちゃん?  もう一人の別嬪さん、どこにやらはったん?」

龍之介「大黒屋のもう一人の別嬪さんなら、ここにおるやん」


  気絶したままの華を見つめる龍之介。龍之介の身体が独楽乃助に蹴られ、大きく跳ね飛ぶ。


独楽乃助「とぼけんな。あたしが探してるんは、こんなガキやないのよ! あんたが隠したアヘン。どこにやったか、聞いてるんよ」

りさ、龍之介「アヘン!?」


  りさと龍之介、二人が大きく声を上げ、顔を見合わせる。


龍之介「なんの話や! アヘンなんざ、俺は知らんど!」

独楽乃助「とぼけるのもいい加減にしいよ。あんたがウチを出て行くときに、盗んでいった観音様のことやないの!」

龍之介「蒼玉の入った、あれか」

独楽乃助「そうよ。あれを、探してるの」

龍之介「おい、まてや、おとん。お前……まさか。この【赤蛇】騒ぎ、その観音像を探すために……」

独楽乃助「……そうよ?」


  りさと龍之介が顔を見合わせる。


龍之介「それやったら、俺を探して締め上げて、吐かせたらええだけと違うんかい!」

独楽乃助「はあ? 何言うてんの。そんなん、面白うないやんか」


  妖艶に微笑む独楽乃助。

  近くで、更に爆発の音がする。

  爆風が御堂にも届き、居残り組の少年達が驚いて騒ぎ出す。

  末吉が御堂の障子を開ける

  江戸の町からは更に火の手が上がっている。

  りさが、顔を背ける。


龍之介「なんで、こんなこと……」

独楽乃助「綺麗やから……火は、綺麗。逃げ惑う、人々の表情が綺麗……焼け落ちた後の、焼け野原。そのあとの、なあんにもない世界が、綺麗。(りさに顔を向ける)おひいさん。般若の顔のおひいさん。ほんに、あんたは綺麗ねえ」

りさ「……綺麗って……」

独楽乃助「綺麗なものは移ろいやすい。すぐに壊れるのよ。あんたの美しさかて、やがて時が経てば醜く崩れていく」


  独楽乃助、りさの頬を手で掴む。江戸の町に上がる炎を恐怖するりさの表情に、恍惚の表情を浮かべる独楽乃助。


独楽乃助「美しいものが醜くゆがんで壊れていくさま……もろく儚く、砕け散るさま……それが、この世で最も美しい。ねえ、龍之介。このおひぃさん、あの炎の中に投げ込んだら……。ホンマに綺麗な般若にならはるのと、ちがうやろうか?」

龍之介「おとん! お前……」

独楽乃助「見てみたい、見てみたいわあ」

龍之介「なあ、おとん。欲しい欲しいで、人の物を取り上げる。もう、やめんか」

独楽乃助「なんやの。人の世は短いのよ? やりたくないことやってる暇はない。欲しい物は、しっかり手に入れる。誰のためでもない、自分のために生きなさい。そう教えたでしょう」

龍之介「そうや、その通りや。そやけど、もうやめたんよ。欲しいと思った家族が出来た。息子には厳しいくせに、娘には甘い父ちゃん。綺麗でわがままな姉ちゃん。口うるさい、すぐ殴る兄ちゃん。怖いおばちゃんまで出来た。おかんは死んでしもたけど、小さい頃に欲しいと思った家族は、みんなそろった。そしたらな。急に怖くなった。ある日突然、そこにあったはずの物が、誰かに奪われる。あって当然。幸せやとも思ってなかったもんが、自分の手の中から消え失せる……。そんな事が、急に怖くなった。今まで、自分がしてきたことが、どれほど恐ろしいことやったんか……。急に分かるようになってしもうたんよ」

独楽乃助「(心底憐れむように)あらまあ、可哀想に。初めからなにも持たずば、奪われる不幸を背負わずに済んだのに」

龍之介「おかんが死んだとき。俺は涙の流し方も知らんかった。目の前から人がいなくなる悲しさを、俺は知らんかった。そやけど、今の俺はこいつが死んだら、きっと哀しいと思う。生きて別れても、それは同じ。明日から、こいつに会えんようになるのは、きっと哀しい。おとん、頼むわ。俺から、りさを……赤ん坊を奪わんといて」

独楽乃助「赤ん坊?」


独楽乃助が首をかしげ、りさのお腹を見つめる。


龍之介「こいつの腹には俺の子が入ってるねん。もうすぐ臨月でなあ。なあ、りさ」

独楽乃助「あらまあ、あんた、女の子にも興味があったんやねえ」

龍之介「そうや。おとん、あんたの孫やで。大事にしたってや」


  龍之介を、独楽乃助が微笑みながら蹴り飛ばす。

  大きな鏡に龍之介の身体が当たり、鏡が割れる。


独楽乃助「アヘンだけやのうて、おひいさんまで持って行ったんかいな」

龍之介「すまんことしたなあ」


  蹴られて、龍之介の唇が切れる。


りさ「龍ちゃん!」

龍之介「……りさ」


  龍之介が、歯を見せて笑う。月明かりに照らされて、龍之介の白い歯が光る。

  龍之介の歯と歯のかみ合わせに、大きな尖った鏡の破片が見える。

  見つめ合う、りさと龍之介。

  りさは独楽乃助や末吉に見えないように自分の手を動かし、ある程度は自由に動

  くことを確認する。

  りさは龍之介の頬に自分の頬を寄せ、その唇に、自分の唇を重ねる。深く、ゆっくり、二人の唇がかさなり、舌が絡まり合う。


独楽乃助「あら、妬けること。ほんに、憎たらしい」


  独楽乃助が再び、龍之介を蹴り上げる。

  りさの手には、先ほど龍之介から口移して受け取った、鏡のかけら。

  自分の縄を断ち切ろうと、懸命にかけらを動かす。かけらを持った手が切れて、血がにじむ。

  りさと華を守って、独楽乃助に蹴られ、殴られる龍之介。

  騒ぎに気づいて目を覚ます竜胆。つぶさに、周囲の様子を察知して、りさに近づく。


りさ「(小さく)もうちょっと、もうちょっとだから、頑張って、龍ちゃん」

竜胆「(大きな声で)おとん、俺、おしっこ漏れそう! この縄、ほどいて! やばい、漏れる!」

独楽乃助「うるさい子やね。そんなはしたない子に育てた覚えはないよ」


独楽乃助が竜胆が起きたことに気づいて、手を伸ばす。


りさ「あたしの分、切れた!」

龍之介「それでええ!」


  龍之介と竜胆が、立ち上がる。

  龍之介と竜胆が二人で大きな身体の末吉にぶちあたり、りさが逃げる道を作る。

  駆け出すりさ。


少年E「この女!」


  りさの袖に手をかける見張りの少年の腕を、龍之介が噛む。


少年E「いってえ!! この……」


  龍之介につかみかかってきた少年の手首を、哲治郎が掴んでひっくり返す。


りさ「テツジさん!!」


  哲治郎にかけよるりさ。

 哲治郎が大事そうにりさを抱え上げる。


哲治郎「りさ、龍之介。お前らふたり、門限破りだ。帰ったらお尻ペンペンだからな」

龍之介「(嬉しそうに)旦さんのお尻ペンペンは痛そうやなあ」


  哲治郎の周りを少年たちが取り囲む。哲治郎に合わせるように、龍之介と竜胆が少年たちをにらむ。りさ、華とふたりで御堂の片隅に座り込む。


龍之介「(哲治郎に)なんでここが分かったん?」

哲治郎「以前、俺を襲ったヤツらがいただろう。あいつらが、口を割った」

龍之介「ああ、さよか。ええ子らや」


  思い思いの武器を持った少年達が、四人を取り囲む。


哲治郎「(呆れて)だから、人数多いんだって」


  おもむろに懐から十手を取り出す哲治郎。


龍之介「お前、なんで十手なんか持ってんねん!」

哲治郎「オヤジの形見だ!」


  角棒を持った少年がむかってくる。哲治郎がそれを軽くいなす。

  龍之介や竜胆にも、少年達が殴りかかってくる。龍之介は軽く殴り返すが、竜胆は失敗し、追い回される。


哲治郎「龍之介。りさと華に髪の毛一本分でも怪我させてみろ。お尻ペンペンじゃあ、済まねえぞ」


  哲治郎は短刀を持って襲ってくる少年の首を十手の柄で叩きつける。龍之介が大きく頷いたところで、石段の下が騒がしくなる。

  御堂の石段の下に、馬に乗った与力の櫻井紋次郎と、ハチをはじめとする十名の同心が御堂をにらみ付けている。


櫻井「北町奉行所だ。小童ども、観念いたせ!」


  奉行所と聞いて、少年達が動きを止める。中にはもうすでに逃げ出そうとする者までいる。


櫻井「御用!!」


  櫻井が自分の十手を振ると、同心達が少年達を取り囲む。

  独楽乃助に目を向ける櫻井。


櫻井「アヘンは、どこだ」

独楽乃助「知らん。あたし、アヘンなんか、知らんわ」


  独楽乃助がそっぽを向く。


龍之介「(申し訳なさげに)あのう。アヘンなら、俺が持ってます……けど……」


  櫻井と哲治郎が、顔を見合わせる。

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