第21話 だめなおさけののみかた。

 21...




 賢者モードについてご存じだろうか。

 持て余す状態だと抜きたい一心になるのに、いざ抜かれてしまうと我に返るというか冷静になるというか……反省しまくるというか。


 例えば「うう……おうううう」と呻いている彼女の腰を撫でながら、なんでこんなに苦しんでいる彼女に手で抜いてもらっているんだと感じるような。


 そんな瞬間ないですか。俺にはあります。

 ここまで考えて思うね。ない方がいい。間違いない。


 湯たんぽのお湯を変えて、バスタオルでくるんで千愛(ちあ)の腰にあてて部屋を出る。マジでお客さんはいないようで、昨日と比べるとだいぶ静かだ。


 だから外から聞こえた車のエンジン音と、扉の開閉音に気づいた。

 なんとなく玄関に行くと、オッサンが帰ってきたところだった。

 その足にギプスはなく、自然に立っているところを見ると痛みもなさそう。


「どうした。情けない面して」

「そ、そんな顔してます?」


 真顔で頷かれました。

 両手で顔を触っても特にそう感じはしないんだけどな。ううむ。


「暇なら手伝え」

「へ」


 くいっとアゴで外を示してから、オッサンが外に出てしまう。

 なんとなく靴をつま先に引っかけて追いかけると、白いプラスチックケースが置いてあった。あの、なんていうの? 釣りとかした時に魚を入れるやつ。


「今週分の食材だ。休みに入るからな」

「はあ……」

「ほら、そっちを持て」


 オッサンに促されるままにケースの端を持つ。

 せえの、という合図にあわせて持ち上げると、結構重たかった。


「おもっ。何が入ってるんすか」

「魚、肉、野菜」

「ざっくり!?」

「今晩の飯もあるぞ」

「やっぱりざっくり……」


 えっちらおっちらオッサンと二人で台所に運ぶ。

 業務用冷蔵庫のそばに置いてひと息ついた時だった。


「おやまあ、随分と買い込んできたじゃないか」


 呆れた声を出して女将さんが台所に来た。


「どれどれ」


 オッサンに何か声をかけるよりも早く屈んでケースのふたを開ける。

 気になって中身を覗いてみたら……すご。


「鯛に地の物の野菜、肉もまあサシの少ない赤身をよくも買ってきたもんだよ」

「予算内だ」

「まったく……足が臭いから風呂にでも入ってきな」


 女将さんにぺちぺちスネを叩かれてオッサンが少し肩を落としている。

 うむう、と呻いてからオッサンはのっしのっしと立ち去っていった。


「……あのう。ギプスとれたんだから、喜んであげればいいのに」

「ばかいうんじゃないよ」


 えええ? 怒られた?


「自分の不始末で怪我したってのに、なんで喜ばなきゃいけないんだい」

「不始末って」


 そういうことじゃないと思うんだけどなあ。


「それにねえ――」


 女将さんが何かを言いかけた時だった。

 玄関から「女将さああん」と女性の声が聞こえてきたのは。


「おっと、ちょいと失礼するよ」


 ぱたぱたと足音を立てて玄関に向かう女将さん。

 突っ立っているのも落ち着かないから追いかけると、女将さんと年の近い着物姿のお姉さんが玄関に来ていた。

 その手に持っているのは……酒瓶かな?


「あんたの旦那の回復祝いもってきたよ」

「いいのに。酒に弱いんだから」

「なに言ってんの。酒でも入れないと素直になれない人が」

「やめとくれよ」


 迷惑そうな顔をしながらも、差し出された酒瓶を大人しく受け取る女将さん。

 満足そうに笑ってからお姉さんは俺に気づいた。


「なんだい、そこの坊主は」

「ああ、宿代ないっていうから小間使いに置いてるのさ」


 小間使いって。


「へえ……」


 頭の天辺からつま先までじろじろ見られて、非常に落ち着かない。

 たっぷり見るとお姉さんはアゴに手を当ててにやっと笑った。


「なるほどねえ。まあいいわ。今晩一杯引っかけにくるから、よろしくね」

「はいよ」


 二人して笑い合うと、お姉さんは玄関から出て行くし、女将さんは台所に向かっていくし。

 なあんとなく……嫌な予感がしてきましたよ。


 ◆


 夜、予感は的中した。

 ご飯を口にする元気もない千愛が寝ちゃったから、女将さんに誘われるままに晩飯をご一緒することにしたんだけど。


「クマさん、あっちの方はどうなんだい?」

「ああ、ああ。ここいら一番のべっぴんさんを嫁にしてるんだ! 子供の顔が見てえやなあ!」

「おいおいおい! おいこら! あたしはどうなるんだい!」


 近所の旅館で働いているおっさんとか、酒瓶を持ってきたお姉さんとかが声をあげて笑っている。

 ざっと数えても十人以上は集まっている。

 それが揃いも揃って、その。


「おめえはほら、嫁のもらい手がねえからなあ!」

「ちげえねえ」

「傷つくわあ。なあ坊主、あたしそんなにだめかい?」


 酒臭いし下品だし。お姉さんは女将さんと同じで綺麗なんだけど、据わった目つきで真っ赤な顔してるし。

 鼻がぶつかりそうな距離で覗き込まれても困る。ひたすら困る。


「そこの坊主は独り身じゃない。よしときな」

「ええ? いやだねえ……どこかに独り身の若い男は落ちてないもんかね」


 俺がいるぞー、俺も俺も-。よしとくれ、オッサン共が。

 がははははは!


 そんな話題に入っていけるほどの人生経験、俺にはないです……。


「食え。ジュースも用意している」

「ど、ども」


 オッサンが俺のコップにコーラを注いでくれた。

 飯も美味いよ? 鯛の塩焼き、赤身のステーキ。野菜の煮付けとかも、ナツおばあさんとはまた違う味付けで箸が進む。


 ただなあ……大人の話題って、もう開けっぴろげすぎて。

 テイとか苺とかには絶対話せないような話題ばかりだ。


「すまんな、酔っ払い共の相手を」

「いや……っていうか、オッサンは呑まないの?」


 グラスに手を伸ばすところ、全然見てないんだけど。

 指摘した途端、お姉さんが抱きついてきた。


「この人ねえ。呑むのは女将さんと二人の時だけなんだよ。なんでかわかるかい?」


 柔らか! とか、千愛とはまた違うふくらみが! とか。

 そういう考えをコーラと一緒になんとか飲み込んで、さあと呟いた。


「酔うのは女将さんの前だけなんだよー! 熱いねえ! 妬けるわあ」


 ひゅううう、と盛り上がるだめな大人達に、女将さんが冷めた目つきで言い返す。


「色気を出すのはいい人の前だけで十分だよ」

「あたしにはいい人がいないぞー」

「あんたはその絡み癖をなんとかしないとね」


 俺に抱きつくお姉さんの背後に回って、女将さんはやんわりと引き離してくれた。

 代わりにお姉さんが女将さんに抱きつく。


「彼氏が……できません……!」

「はいはい。わかったから、落ち着いとくれ」


 背中をぽんぽんと撫でる女将さんに甘えに甘えるお姉さん。

 ちょっと見れない色っぽい光景に唾を飲み込む男子一同(俺含む)。

 酔いつぶれていびきをかき始めたお姉さんを横に寝かせて、しっとりとした空気になった頃だった。


「なあクマさんよ。実際、ガキは作らねえのかい? いいぞ、可愛いぞう」


 俺にスマホで愛娘の写真を見せてきたおじさんがオッサンに声を掛けた。

 コーラを一飲みして、困ったようにオッサンが笑う。


「生活があるからな。まだ早いというか」

「そう言っていたら出来るもんも出来ねえぞ」

「……頑張ってはいる」


 そんなことを話せる大人を、俺はどんな気持ちで見ればいいのかわからない。


「……あ、あの」

「どうした坊主」

「なんだ?」


 二人が声を上げた俺を見てきた。

 どう聞けばいいのか、そもそも聞くべきなのか。

 わからないままに口にする。


「そういうの、やっぱり……ちゃんとできるまで、えっちとかしない方がいいんすか、ね……」


 そう聞くと二人だけじゃなく、他のみんなも俺を見て……空白の後、一様に優しい顔になる。なにその、なに!


「坊主、いくつだ」

「……16っすけど」


 オッサンに答えながらも顔が熱い。

 酒にあてられたのかな。


「そのくらいっていやあ、なあ?」「おお」「やりまくりの抜きまくりだぁなあ」


 男達が下品に笑う中、オッサンだけは優しい笑顔で言う。


「責任が伴う。それさえ理解出来ていれば、いいんじゃないか」

「おうクマさん、責任ときたか。こいつは耳が痛ぇなあ!」

「言ってやってくださいよ、クマさん。こいつ出来婚なんすから」


 おじさんのヤジに他の男のヤジが飛ぶ。


「あんまり真面目に聞くんじゃないよ。ずぼらの集まりなんだから」


 お姉さんが座っていた俺の隣に腰を下ろして、女将さんがおちょこに手を伸ばす。

 日本酒をくいっと飲み干す仕草だけなのに……妙に色っぽい。

 だからか男共が一斉に黙り込んでいる。


 だ、だめな奴らだな! 見入っている俺も俺ですけど!


「女将さんはどう思うんだい?」「俺もききてーっ」

「ひどいセクハラだよ、まったく」


 ほんとそれ。まじでだめな奴らだ……いい大人なのに。


「すりゃあいいよ。いくらでも、お互いの納得がいくようにね? ……だって人生なんとでもなるもんさ」


 たとえば、と女将さんは口にして……続ける。


「娘が出来てやっと人生真面目に生きようとする男もいれば」


 スマホで写真を見せてくれたおじさんが赤面して居住まいを正す。「う、ん」


「何人孕ましたんだかわからなくて、逃げて逃げて独り身を貫いて……恋に臆病になったバカもいる」


 酔いつぶれたお姉さんをウチワで扇いでいるお兄さんが俯いた。


「自分が親になれるのか不安で、嫁はすっかりその気なのにこんな飲み会に参加して逃げている奴もいるし」


 窓のそばで黄昏れながら酒を呑んでいるイケメンにーさんが苦笑い。


「……生きてりゃ多かれ少なかれ、誰かに迷惑掛けるもんさ。どう掛けるのかが、そいつらしさでね。ここにいる連中はあたしも含め、ろくでなしばかりだよ」


 ちげえねえ、と誰かが言って、誰かが笑う。


「彼女はもちろん、親も大事になさいな。それが引いては、自分を大事にするってことなんだから」


 女将さんの言葉にしんみりとする部屋。

 お姉さんのいびきさえなければ、本当にしっとりした空気に満ちていたんだろうけどな。


 ぐおおお、とか。ぐあああ、とか。


 綺麗なお姉さんのいびきがあんまりおかしくって、みんなで笑って……俺は女将さんに心の中でお礼を言った。




 つづく。

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