選択の三日目
集合場所の時計の針は冱露木が提案した時刻より二時間も早く動いていた。
以前、冱露木は遅刻しても10分以内にはやって来ると話したことがあると思うが、あれはあくまで円花さんがいる場合の待ち合わせの話であり、居ない場合の遅刻加減はその時による。
予想通りではあったが、八足にそのことを連絡することを忘れていたので、彼女にランチをご馳走しながら冱露木を待っていた。八足と食事をするのは初めてではないものの、離れてからはどこかその空気がまだ慣れないでいた。しかし、八足の表情は私の心とは裏腹に穏やかであった。
昔の八足と比べると、今の彼女はなぜかとても美しく見える。蜘蛛のように獲物を狙い、蛸のように男に絡みつく彼女は、いつの間にか朱い口紅の映える質素な女性になっていた。おそらく、心から、自ら愛することが出来る者と出会ったからだとは思うが、女性の変化というものはいつの時代も急で、それでいて不思議に美しい。
私が罪悪感をまだ感じていることに気付いたのか、八足は微笑みながら言った。
「媛遥さん、私ね、この間も言ったと思うけど、
きっと何度同じことを言っても今のあなたは同じことを思うでしょうね。
じゃあ、もし、あなたがあの時私に惚れていて、
私に尽くして、あの私があのまま年をとってたらって、考えてみてほしの。
あの婚活であなたに出会ってなかったら、私がどうなっていたか、
考えてみてほしいの。
もし、私に会って今思ってることを考えたら、そうも考えてみて」
八足の言葉は、ひどく優しかった。八足の言葉は、間違ってはいないとも思ったが、私が正しいとも思えなかった。しかし、八足はきっとそれも「仕方がない」と慰めてくれるのだろう。
「すまないな、八足。
私は、あの時の私とほとんど変わっていない。
それどころか私は自分を褒めるよりも卑下する方が今は楽で、
人にいつの間にか迷惑をかけている」
「人間そんなものよ。
人の心はいつだってどちらかに傾くしかなくて、
謙虚はいつの間にか自己嫌悪に、自尊心はいつの間にか虚栄心に。
その間って、難しいものよ。
迷惑だって、わざとかける方が難しいものよ。
それに、人間生きているだけで、誰かの迷惑なのよ。
たとえ恋人でも、夫婦でさえ、たがいに迷惑をかけ合って生きてる。
その迷惑を『絆』と呼べ合えるようになればと、私は今の旦那に思うわ」
その時の八足は、私よりはるかに大人に見えた。私は、いつか自分を許すときまで待つしかない、少しそう考えた時、苦しいと思っていた空気は、鬱陶しいだけの気温になっていた。
昼食を終え、約束の場所へ行くと、冱露木が女の子を一人傍らにこちらに手を大きく振っていた。予想通りではあったが、たまたま出くわした冱露木の講義を履修していた生徒だそうだ。
「八足一人では気を使うかもしれない」と話を持ちかけたそうだが、きっと単にはみ出るのが嫌だったからだろう。実は、八足と冱露木はこの時が初対面だったのだ。人見知りはしないが、八足が私としか会話をしないと読んだのだろう。あいつが頭を働かせるとすればそこしかないし、そうでしかない。
「おぉい、遅いぞ!」
こうして全員そろった私たちは、駅から近いショッピングモールへ向かった。
女性とのショッピングモールは初めてではなく、大体女性の買い物の方が長いことも承知していたが、なぜかその時は私の服選びに三人とも時間をかけてくれていた。
ただ、困ったことに三人とも服の好みが全く違い、そして私の好みとも合わずにいた。おそらく、各自のファッションショーを私で行っていたのだろう。似合うかどうかよりも、「着せてみよう」という言葉が多く聞こえた。
二時間が経過した頃、ようやくまともに考えてくれるようになった。
初めは女子生徒が、私に合うトップスを選んでくれた。元々暗い色が好きだったのだが、彼女が選んだのは、深海のような青のTシャツだった。よくわからないが、彼女曰く、夏はどうやら淡い色のものを着た方が女子受けがいいらしい。ただ、さすがに空のように明るすぎる色は嫌だと言った結果、この服を選んでくれた。
冱露木はそのシャツに合うようなボトムスを探してくれた。冱露木の好みはジーンズのみで、ジーンズ以外は選んでくれそうになかった。灰色のダメージ加工を施した物を着せられたが、正直なぜあえて衣類をダメにしたものを買うのか理解できずにいると、
「あ、媛遥、そういえば俺今年のお前の誕生日何も買ってなかったから、
これ買ってやるよ。だから着てけ」
そういうと冱露木は私が着替える間にジャラジャラとアクセサリーを買い漁っていた。私からダメージジーンズを強奪し、会計を済ませ再び私の手に戻した奴の顔は、なぜか「礼はいらない」というような表情であった。
十個も無駄に買われてしまったアクセサリーは、
今でもその中の数種類は使われていない。
最後にアウター、といっても上から羽織るワイシャツなのだが、それを選んでくれたのは八足だった。八足の選び方は少し変わっていた。
私にテストのように選ばせては「なし!」と叫ぶことを繰り返していた。
ちなみに八足が連れてきた店は八足の店ではなく靑羽さんの働く会社の店だった。靑羽さんはその場にいたものの、遠目から私たちを見てはクスクスと笑っていた。
しかし、八足の採点は大学よりも厳しいものであった。
懸命に探しても「なし!」
私の好みではないが八足の好みのものを選んでも「なし!」と突き返してくる。
「いい加減に教えてくれないか、時間がかかってしょうがない」
「じゃあ、根本的なこと教えてあげる。
媛遥さん、あなた、今の服に合う物を探してるでしょ」
「あぁ、それがなんだ」
「はぁ……、さっき二人が選んでくれた服に合う物を探さないでどうするの!」
「あぁ、しかしそれならもっと早くだな……」
「だからさっきから『なし!』って言ってるでしょ?」
「分かりにくい! ならば最初からそう言えばよかろう!」
この時だ、私と八足が初めて喧嘩をしたのは。女子生徒が止めに入ると、遠くの靑羽さんはさっきよりの笑っていた。傍にいる冱露木は声をあげて笑っていた。互いに恥ずかしくなり、私は明日の服に合う物を、八足も専門家らしく色の組み合わせについて説明してくれたり、流行を話してくれた。
「これは……私の好みではないな」
「これにしなさい」
結局最終的には、緑と白のグラデーションのかかったものを購入した。冱露木と女子大生が靴も買うことを提案したが、新しい靴は履くのに時間がかかると八足が止めた。買い物を終え、選んだ服が合うかをチェックしたいという八足の提案に二人が乗っかり、私が肯定する前に二人が女子大生を案内していた。
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