「もー令ったらこんなところにいたんだ。

 あ、初めまして、私、八足知朱(やたちあき)っていいます。

 化粧品の販売やってて、令とは同じ職場なんです。

 令、あの男の人令と話したがってたよ。いっといでよ~」


 そう言うと八足と名乗る女が靑羽さんを違う男の元へ押しやった。八足は私と話が合うことが多かったが、その目に輝きがないことから私はこの女のこの場での手口が把握できた。


 当時私よりも二歳年下だというのに、その口調はどこか場馴れしているのか、極めて落ち着いていた。計算高く、とても面白い女であった。他の女性もみな私の職業がわかったとたんに連絡先を交換しようとしてきたが、連絡先を交換したのは八足と靑羽さんだけだった。


 どの女性も私の職業を褒めるばかりで、八足のように私自身の趣味や生活の話をする者はいなかった。よく婚活というのは女の墓場であるという表現を耳にするが、私からすれば自分の国が負けていないと信じる終戦直前の兵士のようである。


 婚活パーティから数日間、八足からはちょくちょく連絡が来るようになっていた。私はこの女がどこまで計算高い女なのか興味を持ったため、しばらく連絡を取り合っていた。


 時折靑羽さんに八足の特徴・趣味を聞き、情報のお礼としてみたらし団子をごちそうしていた。今となってはもういい話なのだが、実は私は八足よりも靑羽さんに会っていることの方が多かったのだ。


 ある日、八足からこんなメールが届いた。


『私、やっぱり媛遥さんのことが気になるみたいで、

 今まで出会った男の人はこんなに私から話をしたいと思えなかったんです。

 よければお付き合いしませんか』


 私は喜んで答えた。


『いいでしょう。お付き合いしましょう』


 こうして私は八足に人間観察を付き合ってもらうことになった。平日の仕事が空いている日には頻繁に私の研究室に入り。もっぱら来る生徒来る教授に「媛遥さんとお付き合いしています」と言いふらしていた。私もその言葉に偽りはなかったので、付き合っているのか問われた際は「付き合ってもらっている」とだけ答えていた。


 冱露木も一瞬私を冷やかしに来ていたが、その女の性格と私の言動に気付き、毎度面白そうに私たちの光景を眺めていた。杉下君はというと、最初はそつなく業務をこなしてくれたが、次第に休暇を取るようになった。おそらく八足が何かしら言ったのだろう。もしくは八足がいるせいで仕事の効率が悪くなったのだろうと私は考えていた。


 靑羽さんに相談すると、確かに八足には狙った男性の傍からある程度女性を排除することがあるそうなので、あまり気にしないことにした。


 週末はどこかへ出かけるのだが、最初は八足の性格を調べるために彼女の行きたいところへ行っていた。八足の行きたいところというのは大抵ショッピングだ。次から次へと店舗を回り、「あれがいい、これがいい」と目を光らせ、私に「これ似合いますか?」とたまに聞いてくる。


 最初は「その服は良いな」や「似合う」などと答えいていたが、次第にそれは「そうだな」に変わり、最終的に面倒になった私は近場のスーパーでみたらし団子を買いあさるようになっていた。


 さて、八足の行きたいところへ行った後は私の行きたいところへ行った。私の行きたいところというのはもちろん研究室や博物館、あとは自宅である。研究室には最高の資料たちと最高の食べ物があり、博物館や資料館はいつ行っても新しい発見ができるので飽きないのだ。


 一度ある博物館に行った際に杉下君と鉢合わせし、杉下君にも一緒に博物館巡りを付き合ってもらったことがある。私の家に来てもらったときの八足の顔は今でも忘れられない。これまでに見たことがないほど瞳が輝いていたのだ。


 自室に案内し、適当にくつろいでもらっている間に私は趣味の読書をしていた。その時八足は眠かったのかベッドに入り、しきりに「暑い」と言っていたので、何度もクーラーの温度を下げたのを覚えている。晩夏だというのに八足は私に布団に入れと何度も言ったが、夏場はソファーで寝る私には八足の思考が理解できなかった。


 一応部屋の温度をもう二度下げておき、私はリビングで眠りについた。翌朝、家に八足の姿は見当たらず、一通のメールが来ていた。


『あなたは私のこと好きですか?』


 私は答えた。


『私が好きなのはみたらし団子と読書だ』


『このホモ野郎』


 このメール以降、八足からの連絡は途絶え、研究室にも来なくなってしまった。いったい八足がどういう理由で私のことをホモだと言ったのかは知らないが。最後の最後で八足は計算ミスをしたらしい。別に私は女性に興味がない訳ではなく、女性よりも興味があるものが多いだけなのだ。


 冱露木に八足と別れたことを告げると、いつものあの憎たらしい笑顔で私に酒をおごってきた。雨井に告げると雨井も憎たらしい笑顔で私になぜか新しいソファーをプレゼントしてくれた。こいつの行動だけは度々理解しがたいことがある。そして杉下君に告げると彼女は呆れた顔でこう言った。


「『付き合う』って、そういう意味だったんですか……」


「それ以外に何の意味がある」


「あぁ、いや、まぁ、教授らしいと言えばらしいんでいいですけど……」


 その日を境に杉下君はまたいつも通りに出勤してくれるようになったが、明るい笑顔で話しかけてくる彼女に会うには、もう少し時間がかかった。このようにして、私の初めての婚活という名の研究は幕を閉じた。結局それは子孫を残す雌を探すはずが、ただのいつもの研究の延長戦になってしまっただけだったが、私としては充実した三か月であった。

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