ひいなぼん
相良あざみ
傘と生き霊とみえる人
(このお話は以前小説家になろうにて別名義で投稿したものです)
雨の音は、いつだって私を落ち着かなくさせる。
皮膚の裏からふつりふつりと沸き上がるような、脊髄を脳味噌に向けて侵食していくような違和感か、若しくは焦燥感。
私にとって雨は、絶え間なく突き刺さる針であった。
拭おうとしても皮膚を破り、ただただ深く這い込んでいくか細くも強かな凶器だ。
ああどうして傘がないのだろうと、そんなことは考えるだけ無駄な話であろうと思う。
私のビニール傘はどこかの誰かが僅かな罪悪感すら持たずに持ち去り、使われているのだ。
なんて忌々しい。
私が雨という名の針に全身を刺し貫かれて死んでしまったなら、必ずしや私のビニール傘を持っていった人間を見付け出して呪ってやろう。
そして、一生傘をさせないようにしてやろう。
そう考えただけでも少しは気持ちが晴れる。
きっと晴れた分だけ、私の生き霊がさ迷い歩いているのだ。
「あれ、宮ちゃん? 店先で何してるの」
「……生き霊を飛ばしています」
予告もなしに私の隣に並んだのは、大学時代に所属していたサークルの先輩だった。
数ヵ月振りに出会したというのに、この返しもどうかとは思うが、そんなことはどうでも良い。
面倒になったなら去っていくはずだし、私には傘がないのだから。
さあさあと音がしている。
道行く人が水煙を立て、信号の光を滲ませる。
先輩は私の恨み節など慣れたものとばかりに、ふうん、と言ったきりで黙って隣に立っていた。
この空気感が、ああやはり先輩だと思う。
生き霊を飛ばしていますなんて、そんな発言を聞いても何も言わずに――きっと、心の中ですら――流すのは先輩くらいだ。
こういう人がいつも隣にいてくれたなら、そうそう生き霊を云々と考える程にささくれだっていないのじゃないだろうかとふと思ったけれど、やっぱりそれはないなと判じた。
先輩がいようがいなかろうが雨は私を突き刺し、細く幾筋も貫いて私を削り取ろうとするのだから。
「傘貸したげようか、宮ちゃん」
「渡りに船とはまさに」
「相変わらずだねえ」
先輩へ、視線を向けなくても分かる。
へらへらと読めない笑みを浮かべているに違いない。
はい、と差し出されたビニール傘。
先輩に『貸す』という名目でビニール傘を貰ったのは、果たしてこれで何本目だろう。
何故か私と傘は縁遠いようで、小さい頃からよく傘を盗まれていた。
大学に入っても相変わらず私は傘に縁遠く、けれどそんな時に現れたのがこの先輩だ。
『傘貸したげようか、雨宮さん』
そう言って私にビニール傘を差し出したその男の人は、それから五年が経った今でも、私が傘を盗まれたときに限って現れる。
ストーカーかよ、なんてたまに思わなくもないけれど、助かっているのは確かだし特に何が有るわけでもないから気にしない。
私は今日も傘を受け取って、お礼に鞄に入っていた食べかけのお菓子を差し出すのだ。
「たまにはさ、開いてないの頂戴よ」
「無理ですよ」
「だよねえ」
ぽりぽりと棒状のプレッツェルを一本だけ食べて、それを先輩は鞄に忍び込ませる。
スーツ姿のその人が革のビジネスバッグに安い食べかけのお菓子をいそいそとしまう様は何となく微妙な気持ちにさせて、次に雨が降った日はもう少しお高いお菓子でも買っておこうかとふと思った。
「宮ちゃんね、傘盗まれたからって生き霊飛ばすの身体に悪いと思うよ」
「ムカつくんです、詮方無いんです」
「でもね、ビニ傘持った男に般若の形相で取り縋る宮ちゃんを見る俺の気持ちにもなってよ、ビビるよ」
ぱちり、目を瞬く。
少し間があってから、ああ私は本当に生き霊を飛ばしていたのかと、少しだけずれたことを思う。
「先輩が傘持ってきてくれなくなるじゃないですか」
「さもありなん」
「それ私の真似ですか」
「真似ですよ」
先輩がへらへらと笑う。
私は相変わらずの不機嫌な顔のまま、どこかにいるだろう私の生き霊に傘は手に入ったから取り縋るのはやめなさいと念を送った。
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