第9話 The successor-後継者- 2/2
突然知らないはずの本名を呼ばれたことに動揺を隠せず僕は呟く。
「……知ってたのか」
「あぁ、最初からな」
「そんな……」
信じられないと思いながら、銃を持つ手が震える。目の前のスレイドが人間ではない何か得体の知れない怪物のように思えて、僕は何も口にすることができなくなった。
スレイドは自分が潜入捜査官であることを知っていながら、自らの組織に招き入れたのだ。
そんな中でコソコソと行動していた自分はまさに道化ではないか。
「私のボディガードである君が潜入捜査官だと知った時はどうしたものかと思ったが、こういう形で話ができるという意味では、君を私の側につけるのは正解だったよ」
「……どういうことだ?」
半ば呆然とする僕の言葉に、スレイドは椅子から目を光らせ、不敵な笑みで立ち上がった。
「君も知りたいと思ったんじゃないのかい。私が世界で争いの種を蒔く理由を」
金のためではなく、争いそのものを欲するというスレイドの行動理由。
確かに彼が争いを振りまくその理由だけが未だに謎だった。
そんな僕の表情を見て、彼は不敵な笑みを貼り付けたまま答える。
「私は世界に教えたいんだよ。大切な人や身近な人が何も残さず、この世界から死ぬ悲しみを。ただ知らしめたいだけなんだ」
「…………奥さんがそうやって死んだからか」
昨日聞いた彼の言葉を思い出して僕はそう呟く。
世界中に悲しみを伝えるために各地で武器を提供したり犯罪をプロデュースしたりしていく。
突き詰めれば、それは自分の妻を失った悲しみを他の人も味わせようということだった。
「じゃあ、あんたは自分が大事な人を失ったからって、それを他の人間にも味わわせようってのか? そんなのッ……、あんたが世界の人間にやっていることはガキの嫌がらせとなんら変わらないじゃないかッ」
「それがどうした!」
スレイドは僕のほうを向いて声を荒げる。この三年間で初めて見た彼の激情した姿だった。
「この世界の人間は人の痛みを知らなすぎる。平和ボケした人間は生易しい言葉を言うだけで世界が平和になると思っているが、もしそうであるのなら彼らはここや他の紛争国に行って、マイクでそう叫んでくればいい。だが現実はそうではない。一人の人間にできる事なんてたかが知れている。組織という力は君たちは思っているほど強くはない。蔓延るところには悪が蔓延るし、飢えて死ぬ奴は死ぬ。なら、話は簡単だ。世界に争いがもたらされ、悲しみが広がれば人は他人の痛みを知ることができる」
「その分、あんたは倍以上の憎しみを産んでるんだぞ」
「知ったことか。彼らにはその感情がもたらす無益な殺戮をその身で味わって貰えばいい。そうすれば自分がどれだけ緩くて優しい世界にいたかわかるはずだ」
そう言い捨てるとスレイドは今度は教師が生徒に語るように優し気な口調で続ける。
「現実に安全というものは存在しない。どれだけ過保護の育った子供たちも誰一人として安全とは言えない。危険を避けるのも、危険に身をさらすのと同じくらい危険なんだ。人生は危険に満ちた冒険か、もしくは無か、そのどちらかを選ぶ以外にはないんだ」
笑みを絶やすことなく紡がれた言葉に僕は瞬きをできずに目を見開く。
なんということだろう。
彼は九月十一日のあの日からその思いに憑りつかれて生きてきたのだ。
そんな感情を見せてまで語るスレイドに、僕は何も言うことができなくなる。
ただ彼の言葉だけが脳の中でグルグルと渦を巻き、反復され、僕の心をジワジワと侵食し汚染して敵対する意思を削いでいく。
気を抜けばその場に崩れそうになるのを押さえて、僕は銃を構えたまま口から自らの言葉を絞り出す。
「ひとつ聞きたい。……何故、潜入捜査官だと知った上で僕をボディガードとして傍に置き続けた?」
「私にそっくりだからさ。海軍に所属していた経験があり、そのあとに別の組織に移動。両親も共に死んで天涯孤独の身。私も同じような人生を送ってきた」
「俺は悪人のなる気はない」
「確かに、いまの君は私のような悪人ではなく捜査官だ。だがいつまでもそうしてはいられないさ」
「どういうことだ」
怪訝な表情でそう絞り出すと、スレイドは嘲笑うような笑みを向けてくる。
「君はあのニューヨークで殺したマフィアの男の血と夕日を見て何を思った?」
「……なに?」
「血の赤と夕日のオレンジ。君の目にはそれはどう映った?」
彼の問いかけにあの時のマフィアの男の血と夕焼けのオレンジ、そして部屋の細かい装飾までが僕の脳裏に鮮明に再生される。
僕はあの光景をどう思った? どう感じた?
そうだ、僕は――。
「君が言えないなら当ててやろうか? 君は美しいと思ったはずだ。血の赤と夕日のオレンジを。そして昨日、私の持っていたグラスの色を見て、それを思い起こしたはずだ」
スレイドの断定に僕は知らずに息を飲む。図星だった。
確かにあの時、口に出すことはなかったがニューヨークであの光景を見た時、僕は綺麗だと思ってしまった。
捜査官として、血が流されることは嫌悪するべき事態であるはずなのに、僕はそれに見惚れていたのだ。
そして昨日。彼と酒を酌み交わした時のグラスの色を見て、あの時の光景が頭によぎったのも事実だった。
「なぜ、私が君の前で同調言語を使い続けたかわかるか? 同調言語は加減をしてやれば相手に気づかないくらいの微々たる同調を植え付けることができる。何度も私の同調言語を聴き続けた君の意識の奥深くには、すでに私の意思や思想を模倣する器官が宿っている。すべては君が私になってくれるための仕込みだ。君は私の意思を継ぐ後継者になるんだ」
ありえないと言いたかった。しかし、六年前なら嫌悪したはずことを美しいを思ってしまった時点で僕にはそれを否定することができない。
それでも自分は紛れもない自分の意思で行動していることを証明するように僕は向けている銃を壊れんばかりに握りしめる。
「……嘘だッ、僕は決してあんたのように争いの火種なんて撒きはしない」
「一個人が善行だと思うことをやっても、それが大多数にとっての悪とされることだってあるんだ。それほどまでに善悪の境界なんて曖昧だ。断言できるか? 私のようにならないと。父の自殺を目にし幼い頃から死を近かった君が」
父の自殺まで持ち出したスレイドは真っ直ぐに僕の目を見てそう告げた。まるで僕の中にある自分自身に語りかけるように。
「足掻くなら足掻けばいい。だが君に私の言葉を、正義を止めることはできない。いずれ君はこちら側の世界を覗くことになるだろう。深淵を覗くとき深淵もまたこちらを覗いているように。その時は例え地獄に落ちようとも嗤って向かえてやるさ。さぁ、撃て。私を殺してみろ。お前は自分自身を殺すんだ。いまから見る光景を忘れるな」
もはや自分の意思なのか、それとも彼にやらされているのか分からず、訳の分からないどす黒い感情に支配されて僕は引き金に指をかけ、そのまま引こうとした。
しかしその直前、乾いた音とともにスレイドの体が震え、そのままゆっくりと両膝を地面について仰向けに倒れる。
さび付いたように動かない頭を動かして視線を落としてみると、スレイドの胸に小さな穴が空いており、そこから赤い斑点がジワっと広がっていく。
「大丈夫ですか?」
背後からそう問いかけられてぎこちなく振り向くと、防弾ベストにライフルを持ったケイトリー捜査官を筆頭に、複数の捜査官が他に敵がいないかを無駄のない動作で調べていく。
そこから再びケイトリー捜査官に視線を合わせると、彼女の足元には薬莢が一つ転がっていることに気づいた。
「…………」
「捜査官?」
「……あぁ、問題ない」
遅れてそう呟いて、僕は父の時と同じように死んでただの物体と成り果てたスレイドの死体を呆然と見つめる。
その手から銃はいつの間にか滑り落ちていた。
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