五章  迷子之天女、学校に来たる。

 沼図第一高校前の路上――。

 見るからに昼間という時間帯には相応しくない二人組の姿が、そこにあった。ひとりは、顔を真っ赤にしてご陽気に鼻歌を口ずさんでいる十代半ばの少女。もうひとりは、顔を蒼く――いや、蒼を通り越してすでに緑色染みた、つまり平たく言えばゾンビ映画に出てくるゾンビのような顔色をしており、前を歩く少女に付いて――訂正、少女に無理やり引っ張られて歩いている、これまた十代半ばの少年。


「あ、ここが……ひっきゅ……沼図第一高校……ひっく……。やっと……ひっく……着いた……ひっきゅ……」


 少女はしゃっくりとともに酒臭い息を吐きながら、校名が掲げられた校門を見つめた。


「えっ、着いた……? おえっ……。そうか……とうとう地獄に……おぐえっ……着いたんだ……。短い人生だったけど……げぼっ……おれは幸せ……だったよ……げげっ……」

 

 少年――一樹は目に涙を浮かべながら、なにかをもよおしそうに何度もえずいている。


「地獄? なに言ってんのよ……ひっく……。あんなに……ひっく……美味しいお酒を……ひっきゅ……いっぱい飲んでおいて……。あたしなんか……ひっく……まるで極楽にでもいる気分よ……ひっきゅ……」


 少女は文字通りお気楽極楽なご様子である。


「…………」


 一樹は敢えて反論しなかった。いや、返事をするだけの肉体的余裕がなかったのだ。なにせこの少女に命じられるままに、丞福酒造でおのれの肉体の限界許容量を遥かに上回る大量のお酒を付き合わされたのである。アルコールハラスメントという言葉は、もちろん、この少女には通用しなかった。今は、急性アルコール中毒で倒れないのが不思議なくらいの状態であった。


「皆さん、日本では未成年者の飲酒は法律で固く禁止されています」


 一樹は第三者に向かって言うように、ひとりつぶやいた。


「誰に言ってんの? ほら……ひっく……起きなさい。行くわよ……ひっきゅ……」

 

 少女はぐたっと路上に座り込んでいる一樹の右手をつかむと、一樹の体を強引に引きずり上げて、校門から校内へと入っていく。

 だが、学問を学ぶべき神聖な場所に、酒でへべれけに酔っ払った二人がそう簡単に入っていけるはずもなかった。

 ちょうど渡り廊下から外の様子を見ていた男性教師の鬼坂おにさかが、校内には不釣合いの異質な二人の姿を発見した。


「おい、そこの二人。きみたちはなにしに来たんだ?」


 サンダルのまま二人のもとに足早に駆け寄って来る。


「あんた……ひっく……誰よ?」

 

 一切動じない少女。


「だ、誰だって? 私はこの学校の体育教師だっ!」


「愛イク狂死? なんかいやらしい……ひっく……」


「誰がいやらしいだっ! いいか、私は体育教師と言ったんだ!」


「あ、そう……ひっきゅ……」

 

 少女は何事もなかったかのように、鬼坂の脇を通り抜けていこうとする。


「おい、こら! 待つんだ!」

 

 鬼坂が少女の肩に手を掛けた。


「あによっ!」


 不機嫌丸出しの少女の声。


「なによじゃない! だいたいおまえのその格好はなんなんだ? どこかの仮装パーティーにでも出るつもりか? いったい制服はどうしたんだ?」


「征服? あたし、征服なんか興味ないから……ひっく……。争い事は嫌いだもん……ひっきゅ……」


 いや、むしろ争い事は大好きだろう。


 後方で二人のやりとりを見ていた一樹は、心の中でツッコミを入れた。


「おまえは制服も知らないのか? そうか、この学校の生徒じゃないんだな」


「セイト? アタシはセイトじゃなくて……ひっく……仙人よ。女の仙人だから女仙よ。崑崙から妹を連れ戻しに来たの……ひっきゅ……」


「センニン? 千人って、おまえはひとりじゃないか!」


 二人の会話は一向に噛み合わない。


「そもそも、この酒臭い匂いはなんだ? まさか、こんな昼日中から酒を飲んでいるのか? まったくなんてうらやま――いや、まったくけしからん! とにかく職員室まで来てもらうぞ!」


「もうっ、うっさいわねっ!」

 

 少女は軽く体を振って鬼坂の手を払った。

 ここでやめておいたら良かったのだが、鬼坂は教師としての熱血魂を発揮させてしまった。


「反抗する気か? そっちがその気ならば、私も手加減をしないからな!」


 鬼坂が少女の二の腕をつかむ。


「よし、職員室まで――」


「離せっ!」


 少女は反対に鬼坂の手をつかむと、その手をぐるっと振り回した。鬼坂の体がきれいに一回転して、地面に転がされる。


「――――!」


 さすがに鬼坂も少女の尋常ならざる力に気が付いたようで、言葉を失ってしまう。


「せ、せ、先生……。その子には……抵抗しない方が……いいですよ……」


 一樹はようやく二人の会話に割って入った。


「うん? おまえ、たしか一年の蘇我そが一樹だな」


「そうです……蘇我です……。先生……助け……てください……」


 必死に助けを求めた一樹であったが、返事は無情なものだった。


「なんだ、おまえも一緒になって酒を飲んでいるじゃないか! 我が校の生徒のくせに、なんてうらやま――いや、けしからんにもほどがあるぞっ!」


「いや、先生……これには言葉には出来ないような……深い深いわけが……」


「ええい、言い訳なんて男らしくないぞ! さあ、職員室でみっちり説教してやるから覚悟しろ!」


 鼻息も荒く一樹の首根っこをつかむ鬼坂である。少女には敵わないと悟って、標的を一樹に変えたらしい。


 しょせん、教師と生徒の信頼関係なんてこんなものさ。


 そんなことを思いながら、体を動かす余力が尽きた一樹は、なすがままに鬼坂に引っ張られて行く。


 でも、待てよ。これであの少女から逃げられるじゃないか! 先生、助けてくれてありがとう!

 

 不意に浮かんだ発想の転換に、うれしさがこみ上げてくる一樹だった。しかし、一樹は幸運の女神にそっぽを向かれた男である。

 当然、今回もまた――。


「その手を離せ!」


 少女が鬼坂を睨み付ける。


「えっ、あ、きみはそこにいなさい。というよりも、そこにいていいからね。ほら、きみはこの学校の生徒じゃないみたいだし……」


「そう、離すつもりがないのね」


「いや、そ、そ、そんなことは言ってないぞ……」


「いい、その子はあたしにとって大切な存在なのよ」


 えっ、まさか、やっぱり、おれのことを――。


 少女の言葉に、少しだけ期待をする一樹。


「その子にはまだ学校の中を案内してもらわなきゃならないんだから!」


 やっぱりね……そういうことだと思ったよ……。


 がっくりとうなだれる一樹である。


「学校の案内? それなら他の職員を呼んでくるから――」


「そう、離すつもりがないのね」


「いや、そんなことは言ってないぞ。いいか、なにか誤解しているようならば、一回落ち着くんだ!」

 

 焦った鬼坂が手振り身振りで必死に説得する。


「それじゃ、手を離さないのなら力ずくでいくわよ。とっておきの技を決めてやるからね!」


 少女がなにやら見慣れない拳法のような構えをとった。


「ヤバイ! 先生、早くおれの手を離して逃げてください!」


 一樹の脳裏に、今朝駅前で見た光景が蘇った。あのときと同じ構えを少女はしているのだ。


「――――!」


 一樹が声にならない絶叫をあげた瞬間――。

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