第7話 呼び出し
「金が手に入っても、お前はここに入り浸るんだな」
そんな苦言を呈したのは、無表情に鋭い眼光を飛ばす、バーのマスターだった。
ここはハロルドがよく利用するバー〈アンブラ〉。
店名に使われている単語は日陰という意味を持ち、夏場に木陰で休むような、気楽な気持ちで立ち寄れるバーにしたいという店主の願いを込めたという、素敵な由来がある。
しかし実際のところ、店を構えている場所が路地裏であり、
そんな真昼間のバー〈アンブラ〉。垂らされた店主からの文句を真っ向から受け止めた現在唯一の客、ハロルドは、それでもへらへらと笑みを浮かべて返事をする。
「そりゃ、ジンジャーエールを作ってくれる店がここだけだからな」
「……そこはお世辞でも、『居心地が良いから』と言っておけ」
「いやいや、居心地がいいのは大前提だって!」
付け足すようにそんなフォローをしたハロルドの目の前に、店主はカウンターの裏から一枚の紙を取り出し、差し出す。
「そんなお前の大好きなジンジャーエールの材料が切れそうだ。毎度恒例、他にも欲しい食材を
「お、マージ? 前のとき結構取ってこなかったか?」
「……ショウガやハチミツやレモンなんて、料理でいくらでも使うからな。……そうでなくても、お前が毎日飲みに来るせいで、消費量がな」
「あー。なるほど。……ま、了解。明日の一杯のために、材料を集めてくるとしますかね」
ぐいとジョッキに残ったジンジャーエールを飲み干し、目の前に差し出された依頼書を手に取ると、扉の横に無造作に立てかけられた大剣を手に取り背負う。
「んじゃ、また来るわ」
「ああ」
そう一声かけあって、店を後にするのだった。
ハロルドが未だ冒険者ランク3級にとどまっている理由。それは、受ける依頼が採取依頼に限られるからに他ならない。とりわけ、このようにバーのマスターから個人的に依頼される食材の採取を優先的に受け、他には金に困ったときに目についた依頼を受ける程度の自堕落な生活を送っていたせいである。
更にそれに加えて、つい十数日前、ハロルドは功績に対する恩賞として、多額の報奨金を王から直々にもらったばかりだ。なので、大好きなジンジャーエール関係であるマスターの依頼以外、受ける必要が今度こそ無くなってしまった。
もう彼の冒険者ランクが2級に上がることは、未来永劫訪れないのだろう。
ちなみに、やる気も無ければもともと大した欲も無いハロルド。
多額の報奨金をもらったといっても、お高い食事やお高い装備品、はたまたお高い服装などに興味を持って買うわけでもなく、相変わらず薄汚れた服にいつものマントという装いである。
装備品も、腰につけている短剣と長剣。それと背負っている大剣はすべてその辺で売っていそうな武骨なものであり、少しの装飾もなされていなければ、魔術的な効果も込められてはいない。
その見た目からは、とてつもない大金を手にした冒険者とは、とてもとても思われないであろう。
「じんせ~い、分相応な暮らしが大切よね~」
その彼は、現在そんな気の抜ける即興の歌とも言えない歌を口にしながら、冒険者ギルドへの道を歩いている。
しばらく歩いたら現れる、剣が斜め十字に交わるマークに〈冒険者ギルド〉という大きな看板が掲げられた一軒の建物。しかしハロルドはそんな看板には一瞥もくれずに、迷いなくその建物の扉を開く。
「ういーっす」
「あ!! は、はは、ハロルドさんっ!?」
「え、なに? なんかあった?」
半開きの目で眠そうに扉をくぐったハロルドだったが、ギルドに足を踏み入れた瞬間、血相を変えた女性職員が迫ってきたせいで、ぎょっと目を見開いてしまう。
「あ、あなた! 何をやらかしてしまったんですか!?」
「え、お、俺、何かやらかしちゃったの!?」
更には動揺すら移り、職員と同様に狼狽えるハロルド。
「何もしてない人に、『至急王城に来るように』なんて通達がくるわけないでしょうっ!? 吐きなさいっ! 何をやったのですか!?」
「お、俺は一体何をやってしまったんだあ!?」
「にゃははっ! 王様と懇意な仲になったから、呼ばれただけなんじゃなーい?」
「あ、なるほど」
突然介入してきた声に落ち着きを取り戻すハロルドと、納得できないとばかりに訝しげな視線を送る職員。そんな二人がそろって介入してきた声の元に目を向けると、
「よお、夜猫」
「はいはい久しぶりー。ハルも偉くなったもんだねえ。王様直々の呼び出しなんて」
何故かタイトな燕尾服を着込み、ステッキを携えた小柄な女性がそこで快活に笑っていた。
『夜猫』と呼ばれた彼女はダークブロンドの髪を肩の高さで切りそろえ、毛先を外側にハネさせたような髪形をした、糸目が特徴的な可愛らしい情報屋であった。
「偉くなったもんだねって……。俺に王女様けしかけたのはお前らしいじゃねえか」
「にゃははっ、そうだった、そうだった」
「ほんと、情報以外は適当なヤツだな……」
軽く睨みつつぶちぶちと文句を垂れるハロルドだが、夜猫は意に介した様子もなく笑って流してしまう。
そんな彼女の対応は慣れっこなのか、ハロルドもそれ以上の文句は言わず、何故かのほほんとした空気が二人の間に拡がるが、
「と、とにかくっ!!」
大きな咳払いと直後に響くそんな大声で、せっかく広がってきたのほほんとした空気は即座に霧散してしまった。
ハロルドたちがびっくりした様子で大声を発した職員に目を向けると、
「……とにかく、急いで王城に向かってください。ヌレハさんも一緒にとのことなので、合流してから向かってくださいね」
「あ、ああ。……えっと、大丈夫?」
「大丈夫じゃないです。喉いたい……」
喉を押さえ、何やら苦しそうに少しかすれた声を出す職員。どうやら、普段出さないような大声と、注目を集めるためにわざとした大袈裟な咳払いのせいで、喉を痛めてしまったらしい。
なんだか申し訳ないな、と眉尻を下げるハロルドだが、ふとその瞬間、ずっと手に握っていたバーの店主からの依頼書のことを思い出した。
喉を押さえつつ小さく咳払いを繰り返して喉の調子を整えている職員と、手に持ったマスターからの依頼書を見比べること数回。悩むこと数秒。
結局、今日中にこの食材を集めないと、明日にはジンジャーエールが飲めなくなってしまうかもしれない、という結論に至ったハロルドは、決意したような表情を浮かべ、職員の肩をとんとんと叩く。
「はい?」
「あー、悪いんだけど……」
そう言って、手に持っていた依頼書を分かりやすく目の前に持ってきてから、
「王城に行くの、この依頼が終わってからで良いかな? まあほら、今日は無理でも明日には行けるからさ」
などと言ってのけたのだが……。
直後、ギルドの外まで響いた「ふざけないでくださいッ!!」という怒号と「にゃははは」という楽しそうな笑い声に追い出されるように、一人の男が慌てて扉から駆け出て来るのだった。
余談だが、後々バー〈アンブラ〉まで依頼延期の報告に来たギルドの女性職員の声が完全なるダミ声で、さすがに気の毒に思った店主が喉に優しいメニューを振る舞ったらしい。
それ依頼、彼女はバーの常連になったとか、ならなかったとか。
◇ ◇ ◇
「なんだっていきなり呼び出しくらわなきゃいけねんだよ……」
俺なんかしたかぁ? と苛つきを隠そうともせずにぶちぶちと文句を垂れるハロルド。
ちなみにだが、彼は現在ひとりぼっちで王城に続く大通りを歩いている。そんな彼が誰にと無しに独り言を呟いているのだから、周りを歩く一般人らは頭が危ない人だと一瞥したあと、そそくさと彼には近づかないよう立ち去って行く。
「だああーっ! なあー、お前は何で呼び出しくらったのか検討つくかー?」
しかし、周りのそんな反応などお構い無しに、ついにハロルドはそこに誰かがいるかのように何者かに話しかける。
嗚呼、本格的にアブない人なんだな、と周りの者が生温い目線を彼に向けたとき、
「さあね。ご飯にお呼ばれ程度の用事が望ましいのだけれど」
突如、大通りから伸びる脇道からそんな返事が聞こえたと思ったら、その道から現れた一人の女がハロルドの隣にならんで歩き出す。
ぎょっと目を剥いて驚く周囲。しかしどこまでもマイペースな彼らは全く気にする様子もなく、和やかに王城まで歩くのであった。
「はあ、めんどくさいわ。こんなことなら、恩賞を何にするかって話のときに、『私に関わらないでください』って言えばよかったわ」
「おいおい、穏やかじゃねえな……」
城門が眼前に現れても、隠しきれない不機嫌さからそんな言葉を漏らすヌレハ。そんな彼女に苦笑にてハロルドが答えたとき、
「ややっ! ハロルド殿にヌレハ殿、お待ちしておりました!」
門番をしていた兵士が甲冑をガシャンガシャンと鳴らし歩み寄って来る。
もう一人控えていた門番が慌てた様子で城壁の内部に走っていったことから、誰かを呼びに行ったのだろう。
「またちょっと待ってれば良いのかな?」
「はいっ! この場にて少々お待ちください! すぐに案内の者が到着しますのでっ!」
「おお……元気だな、この人」
大声しか出せませんとばかりにすべての言葉にエクスクラメーションマークを付ける門番に、思わずそんな感想を漏らすハロルド。
横を見れば、見るからに不愉快そうに首をのけ反らせるヌレハ。嫌がるにしてももう少しマイルドに嫌がってほしいものである。
その後は特に誰が口を開くでもなく、ぼうっと案内とやらを待っていたのだが、馬車用の大きな門の隣にある歩行者用の小さな城門からのっそりと現れた大男が、そんな沈黙を破った。
「ああっ? こぉんなちみっこい男が噂の『銀騎士』なのかよ? てか、銀の要素どこにあんだ?」
「ん? ああ、あんたが案内の人?」
「あ? 違えよ。噂の『ハロルド様』とやらが到着したらしいから、一足先に見に来たんだよ」
あっけらかんとそう答える大男に、城では案内人の先回りをすることが流行ってんのかな、と苦笑いをするハロルド。
身長が2メートルを越すのではと思われる、まるで獅子を二足歩行にしたかのような筋骨隆々の大男は、そんなハロルドの反応に舌打ちをして不愉快さを露にする。
「やっぱ噂は
「はあ、そりゃ、すんません」
「チッ。どこまでもやる気を削ぐのがうめえ男だな」
そう言い残してハロルドから視線をそらした大男が、その傍らに腕を組んで佇み、退屈そうにぼうっとしているヌレハを視界に捉えると、「おっ」と喜色を含んだ声を漏らす。
「何だ何だ? 良い女が居るじゃあねえか」
「……は? いやいや、そいつは止めとけって。もっと良い女ならその辺にゴロゴロ居るから」
「あ? るっせえよ。テメェの女じゃねえなら、黙ってすっこんでな。……で、どうよ、今度俺と食事でも? こう見えて俺はフェミニストでな、いきなり女性を怖がらせるようなデートプランは立てないぜ?」
ニヤニヤと笑いながら、ヌレハをナンパする大男。そんな彼を慌てて止めようとするハロルドだが、大男はこれっぽっちも耳を貸さない。
何故ハロルドは大男を止めるのか。
それは、彼がヌレハのことを大切に想っているからでは、もちろん無い。
「……はあ。とても素敵な心掛けだとは思うけど、ひどく獣臭い体臭が全てを台無しにしてるわね。一回全身の皮を
こうなるとわかっていたからである。
ため息一つ、鼻をつまんでそっぽを向きながら、酷く容赦の無い振り方をするヌレハ。
「……ッッ!? テン……メェ……ッ!!」
顔を真っ赤にして青筋を浮かべ、ぷるぷると震える大男。「それ見たことか」とため息混じりに頭を抱えるハロルド。
すわここで大変な喧嘩が始まってしまうのか!? と門番がおろおろ狼狽えるなか、もうどうしようもないほどに
「レオン殿っ! いったい何をしているのですかっ!?」
城門から護衛と共に現れた、第一王女のそんな怒号であった。
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